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Review: 吉村 公三郎 (dir.) 『暖流』 (映画)
嶋田 丈裕 (Takehiro Shimada; aka TFJ)
2014/04/01

最近家で観た映画の話。相変わらずの戦前松竹映画です。

1939 / 松竹大船 / 白黒 / 124min.
監督: 吉村 公三郎.
佐分利 信 (日疋 祐三), 水戸 光子 (石渡 ぎん), 高峰 三枝子 (志摩 啓子), 徳大寺 伸 (笹島), 槙 芙沙子 (堤 ひで子), etc

あらすじ: 自分の寿命を悟った志摩病院の院長は、内部対立し経営悪化した病院の立て直しをする監事の仕事と 志摩家を運営する秘書の仕事を、かつて学費の面倒を見た青年 日疋に託す。 日疋 に病院内事情の諜報を任された看護婦 石渡ぎんは、彼に恋心を抱くようになる。 日疋は院長令嬢 啓子 (ぎんの小学校時代の親友でもある) に密かに恋心を抱くが、 日疋 と対立する外科医 笹島が彼女を狙い婚約者となっており、その気持ちを押し殺して仕事に打ち込む。 院長の死後、志摩家は財産を処分し、啓子やその母は借家住まいを始める。 啓子は笹島との結婚を先延ばしにしていたが、 その間に、自殺未遂して病院を去った看護婦 堤は笹島に誘惑されて捨てられたのだという話を、日疋はぎんから聞く。 日疋からその話しを聞いた啓子は、堤と直接会ってそれを確認し、笹島との婚約を解消する。 婚約解消を聞いて日疋は啓子に求婚するが、答えを聞く前に日疋は仕事で大阪へ発つ。 一方、病院に居辛くなったぎんは、日疋がいない間に病院を去る。 そして、ぎんと会った啓子は、ぎんが日疋に恋心を抱いてていることを知り、日疋にその気持ちを伝えるとぎんに約束する。 戻った日疋に、啓子は求婚を断りぎんとの関係を問いただす。 帰宅した日疋は、あきらめ切れずに家の前にいたぎんと出会う。 啓子への求婚を断られたばかりの男でもいいのかという問いにぎんは受け入れられると答え、日疋はぎんとの結婚を決意する。 後日、砂浜の海岸で日疋はぎんと結婚すると啓子に伝える。 それを聞いて、啓子は笹島より日疋の方が好きだったけれど「酔えなかった」と言うと、 波打ち際へ行き涙で濡れた顔を海水で洗い、走り去っていった。

松竹メロドラマ中でも際立ってモダンだったと言われ、戦後2度にわたってリメイクされた、戦前のヒット作。 村川 英 「松竹メロドラマの近代化」 (岩本 憲児 (編著) 『日本映画とモダニズム 1920-1930』 (リブロポート, 1991) 所収) の中で 「『暖流』に観られるフェミニズム」と論じられているし、 伊津野 知多 「二つの『暖流』とメロドラマ的欲望」 (岩本 憲児 (編) 『家族の肖像——ホームドラマとメロドラマ』 (森話社, 日本映画史叢書 7, 2007) 所収) でも戦後のリメイクとの比較で論じられているなど、 映画論で取り上げられることも多い作品です。 特集上映 『よみがえる日本映画 vol.7 [松竹篇]』 で観た 主要な出演俳優が全く重なる 大庭 秀雄 (dir.) 『花は僞らず』 (松竹大船, 1941) [レビュー] が素晴らしかったので、 これはやはり観ておかねば、と。

元々は『前篇 啓子の巻』94分、『後篇 ぎんの巻』83分の合計約3時間 (177分) あったといわれますが、 現存するのは約2時間の総集編 (1947年制作と思われる) のみ。 自分が観たのは124分版ですが、話はかなり飛びます。 特に病院の内部対立や経営立て直しに関する場面、志摩家の没落に関する啓子以外の兄弟の場面、 さらに、看護婦 堤の自殺未遂に関する場面はほとんどありません。 ほぼ日疋、啓子、ぎん、笹島の恋愛模様に焦点を当てた編集になっています。

この4人を演じる俳優が『花は僞らず』の主要登場人物4人と同じなのですが、 登場人物の社会階層的な位置付けはそのままに性格付けが逆になっています。 『暖流』でしっかりした意志を持つお嬢様を演じる高峰は『花は僞らず』では奥ゆかしいお嬢様、 恋に積極的な看護婦を演じる水戸はすぐに身を引くタイピスト (庶民の娘)、 アグレッシヴに女性を追う男を演じる徳大寺は二人の間で優柔不断になる優男 (育ちの良い男)、 やはりアグレッシヴに病院経営改革や志摩家救済に取り組むビジネスに明る男を演じる佐分利は朴訥な研究者 (苦学して出世した男)。 『花は僞らず』は『暖流』のアグレッシヴな登場人物を反対に控えめな人物にしたら恋愛模様がどう変わるのか 描いてみたかのような内容だったのだなあ、と気付かされました。 朴念仁な佐分利がお嬢様を諦め庶民の娘と結婚すると知ってお嬢様高峰が美しく涙を流すという、 かなり似たエンディングになっていますが。

当時の青年たちはこの『暖流』を観て「三枝子派か、光子派か」と言い合って日中戦争〜太平洋戦争へ出征していったという伝説がありますが、 こんな戦時色の無いモダンな恋愛映画を話題にしていたのか、と、感慨深いものがありました。 ちなみに、自分は『花は僞らず』を観たときは断然 三枝子派でしたが、『暖流』を観て水戸 光子の良さに目覚めてしまったような……。

『花は僞らず』の4人はみんな「いい人」なのですが、 『暖流』では特に男性2人は否定的な面も持つ人物として描かれていて (日疋は野暮な実務家、笹島は女を弄ぶ気障で高慢な男)、 そこを巧く扱えば物語に深みが出たのでしょう。 啓子とぎんが日疋の話をする喫茶店の場面や、日疋がぎんとの結婚の話しをする最後の砂浜の場面など、 有名な場面はさすがと思いましたが、総集編のせいか人物描写が総じて図式的。 むしろ、心理描写も丁寧な『花は僞らず』の方が良くできた映画という印象を受けました。

『暖流』はもともと予定していた 島津 保次郎 が東宝へ移籍したために 吉村 公三郎 が監督することに、 また、監督は 石渡 ぎん 役として 田中 絹代 を希望したものの松竹の意向で 水戸 光子 になったといいます [記事]。 ちなみに、清水 宏 (dir.) 『有りがたうさん』 (松竹蒲田, 1935) [レビュー] で踊子 薫の役として水戸 光子が出演しています。 五所 平之助 (dir.) 『恋の花咲く 伊豆の踊子』 (松竹蒲田, 1933) の踊子 薫 役が田中 絹代だったことを考えると、 その頃には水戸 光子に田中 絹代 のポジションを継がせることを松竹は考えていたのだろうな、と。

また、『暖流』の志摩 啓子のような自立したお嬢様の役は、 奥ゆかしい役が似合う高峰 三枝子よりも男前な桑野 通子のハマり役だろうと思うのですが、 お嬢様と庶民の娘の対比に桑野 通子と田中 絹代を当てた 野村 浩將 (dir.) 『男の償ひ』 (松竹大船, 1937) や『愛染かつら』 (松竹大船, 1938) から、 高峰 三枝子と水戸 光子の『暖流』や『花は僞らず』へと、女優の代替わりがあったのかもしれません。

『男の償い』、『花は僞らず』と同様、『暖流』でも 幼なじみお嬢様を諦めて庶民の娘を選ぶ苦学した男を演じた 佐分利 信。 女心がわからぬ朴念仁っぷりも一緒で、まさにハマり役。 恨まれることも厭わずに実直に仕事する有能な男という役は 島津 保次郎 (dir.) 『兄とその妹』 (松竹大船, 1939) [レビュー] の間宮 敬介を思わせるし、 父が死んで没落するブルジョワ大家族の中で勝手な兄弟と対立しつつ 貧しくなっても高潔さを保とうとする母娘 (葛城文子 & 高峰 三枝子、も同じ) を庇う男という役は、 小津 安二郎 (dir.) 『戸田家の兄妹』 (松竹大船, 1941) の次男 昌二郎のよう。 そういう面も、佐分利 信のハマり役でした。

『暖流』は病院を舞台にしていますが、物語という面では病院である必然性はほとんど感じられず、 『兄とその妹』や『花は僞らず』のように男性サラリーマンと女性タイピストが働くオフィスを舞台にしても成立します。 しかし、寮で多くの看護婦が頭を並べて寝ている場面を見て、 社会階層的には看護婦はタイピストより下、女中や女工に近いものだと気付かされました。 そして、女工の働く工場に比べれば看護婦の働く病院はモダンで絵になる職場。 『愛染かつら』や『暖流』の舞台として病院が選ばれている理由として、そういう面もあるのかもしれません。 また、『愛染かつら』を観て看護婦志望者が増えたという話も、女中や女工と比較して、ということだったのだろう、と。