ふじのくに⇄せかい演劇祭 2018 の話の続き。初日晩は、この舞台を観ました。
フランスの演出家 Claude Régy による作品は SPAC も度々取り上げているが、観るのは初めて。 非常に暗く照明を落とした空間で、一人、身をよじるようにゆっくり動き回りながら、散文詩を朗読するというパフォーマンスで、 演劇というより、むしろコンテンポラリーダンスに近く感じるようなパフォーマンスだった。
真っ暗闇の中、奥に微かに光る人型が蠢くのが見え始めた。 まるで Henri Michaux の描く不確かなフォルムの人型の染みの形をした光が蠢くかのような。 そして、次第に目が慣れてきて、ある時点でふっと焦点が合って、暗色のTシャツ、パンツ姿なの短髪の男がゆっくりうごめいている姿になった。 かつて James Turrell のインスタレーションで体験したような感覚 [鑑賞メモ] を久しぶりに体験することができた。
男の動きは、表現主義的なダンスというか、苦悩で身をよじる様であり、 シェルショック (戦争神経症) の発作的な動作の様でもあり、 錯乱している薬物中毒患者の動きの様でもあり。 そんな動きをしながら、半ば呂律の回らない様な口調で、時に強く唸る様な口調で、散文詩を朗読して行く。 節をつけて吟じていたわけではないが、次第に押し殺す様に歌われている無調の歌を歌いながら、踊っている様に見えてきた。 そしてそれがとても興味深く感じられた。
朗読されていたのは、第一次世界大戦に薬剤師として従軍し、戦場近くの病院でコカインの過剰摂取で23歳の若さで死んだオーストリアの詩人 Georg Trakl の詩。 途中から字幕をあまり負わずに動きを見ていたので、きちんと内容を追ったわけではないが、 その内容は、第一次世界大戦とは関係なく、むしろ、近親相姦の罪悪感に触発されたかのような内容だった。 しかし、詩人のバックグラウンドを知って観たせいか、 まるで Otto Dix: Der Krieg [鑑賞メモ] のような暗くグロテスクなイメージを、その言葉と動きで表現しているように感じられた。