新国立劇場オペラの芸術監督に 大野 和士 が就任しての初めてのシーズンの最初の演目は、 現代美術の文脈で知られる William Kentridge の演出による Mozart の『魔笛』。 Kentridge の個展 What We See & What We Know (東京国立近代美術館, 2010) [鑑賞メモ] も楽しみましたし、 Kentridge 演出による Alban Berg のオペラ Lulu を Metropolitan Opera のイベントシネマで観て [鑑賞メモ]、 生で観てみたいと思っていたところ。早速、シーズン最初の公演を観てきました。
Kentridge の Die Zauberflöte は2005年のプロダクションで、 Kentridge の手掛けたオペラとしては2作目。 19世紀の箱型カメラの内部を模した舞台にの内部に書き割り的な背景を作り、 時に照明を落としてその上からネガポジを反転した Kentridge のドローイングを投影するという演出。 ネガポシを反転するとこで、白色光で空間にドローイングしているよう。 プロジェクションマッピング技術を駆使した最近の演出に比べると素朴さは否めないものの、 ドローイングのアニメーションのプロジェクションは多層的で、時に舞台全体を覆い、異空間の中に歌手が浮かび上がるよう。 しかし、レチタティーヴォではなく台詞で物語を進めるという形式もあるかと思いますが、 抽象的にシンボリックに物語るわけではなく、少々ベタな演出にも感じました。
時に没入感もあるプロジェクションは見応えありましたが、全体として面白いという程では無かったのは、 最初は成敗すべき相手だった Sarastro が後半は試練を乗り越えて受け入れてもらうべき相手に入れ替わっているという捻りがあるものの、 基本的には主人公に葛藤が感じられない英雄成長譚でというのが、自分の好みではなかったということはあるかもしれません。 しかし、原作の時代設定の古代エジプトではなく、このプロダクションでは bustle などの登場人物の衣装からして19世紀後半「帝国の時代」に時代設定されていたのですが、 時代設定の意図が掴みかねて、その妙が楽しめなかったというのもあるかもしれません。 「『魔笛』演出・美術 ウィリアム・ケントリッジ スペシャルトークを開催しました」 (新国立劇場オペラ 公演関連ニュース, 2018-10-03) によると、 「写真的な世界」と「写真そのものが発明された黎明期という時代」を結びつけたようなのですが、 元の作品の18世紀啓蒙主義的な主人公の解釈をいじっていなかったので、あまり整合していないように感じてしまいました。
やはり、Metropolitan Opera でやった Дмитрий Шостакович [Dmitri Shostakovich] の Нос [The Nose] や Alban Berg の Lulu のような20世紀の作品で Kentridge 演出のオペラを観たかった、と、不完全燃焼気味になりました。 もしくは、去年2017年には Salzburg Festival で手掛けた Berg の Wozzeck。 しかし、Die Zauberflöte ですら集客が厳しかったら、 Нос [The Nose]、Lulu や Wozzeck のような演目を日本に持ってこれないでしょう。 この公演が成功してまた次があることを願うばかりです。