志賀 理江子 はグループ展では何回か観たことのある作家ですが、個展で観るのは初めて。 写真展といっても、壁にプリントが並べてあるのではなく、自分で撮った写真を使って展示空間いっぱいインスタレーションしたような作品でした。 『アーティスト・ファイル2013』 (新国立美術館) では自立するパネルでしたが [鑑賞メモ]、 ここではおおよその大きさが幅2m、高さ1.5m、奥行き0.5mくらいの木枠にプリントを四面と上面に貼ったライトボックス様の箱が20個、 ギャラリー狭しと並べられていました。 半ば迷路の様になった空間を歩き回って観る展示です。 闇に少々不自然な色の証明で浮かび上がる人物像や物体は、幻想的というより少々禍々しさすら感じさせます。 そんなところは、2013年に観た印象と大きくは変わらなかったのですが、 入口から見て背面に当たる所に貼られた写真がどれも同じで、 会場に入って暫く足を進めてから振り返ってそれに気づいて、ちょっとゾッとしました。 顔から肩にかけて染料か照明で薄赤く染まったかの様な若い男性の上半身裸のバストアップ、 という写真だったということもあるかもしれません。
『夜明け前 知られざる日本写真開拓史』 [鑑賞メモ] のような写真の黎明期に関する調査の成果を報告する展覧会を 東京都写真美術館は継続的に開催してきているのですが、今回はついに海外に飛び出して、英国。 19世紀半は、1840s-60sに英国で撮られた写真や、当時のイギリス人が海外に赴いて撮った写真 (日本を撮った Felice Beato を含む) を観ることができました。 写真に何が写っているかというより、時代の変遷が興味深く観れた展覧会でした。 1839年にフランスの L. Daguerre が daguerréotype の特許により写真を発明したとされていますが、 それに先行して W. Talbot が Calotype を開発していたり、1951年に F. Archer が湿板を発明するなど、イギリスの方が研究の厚みはあったようです。 湿板の発明の時期が、英国での第1回万国博覧会 (1951) やクリミア戦争 (1953) とほぼ同時時代だったということに気づかされました。 展覧会ではヴィクトリア朝文化と関係付けていましたが、「長い19世紀」の中期「資本の時代」 (1948-1875) だったんだな、と。