TFJ's Sidewalk Cafe > Dustbin Of History >
Review: 目 『非常にはっきりとわからない』 @ 千葉市美術館 (美術展)
嶋田 丈裕 (Takehiro Shimada; aka TFJ)
2019/12/08
『非常にはっきりとわからない』
千葉市美術館
2019/11/02-12/28 (11/5,11,18,25,12/2,9,16,23休), 10:00-18:00 (金土10:00-20:00).
目: 南川 憲二 (ディレクター), 荒神 明香 (アーティスト), 増井 宏文 (インストーラー).

鑑賞者に幻惑させるような体験をさせる空間インスタレーションで知られる 2012年に活動を開始した3人組アートユニット 目 [め] の個展です。 『たよりない現実、この世界の在りか』 (資生堂ギャラリー, 2014) [鑑賞メモ] の印象も強いものでしたが、 その後、「ワームホールとしての東京」 (『“TOKYO”——見えない都市を見せる (Tokyo Art Meeting VI)』東京都現代美術館, 2015-2016) [鑑賞メモ] しか観る機会が無く、久しぶりに体験することができました。

作り込んだ空間と外部の間の移行的な導入部に養生などで作業中を思わせるような空間を置くというのは、 『たよりない現実、この世界の在りか』でもそうでしたが、 今回は一階の入口、通路やホールを養生し、美術品の梱包や廃棄品らしきものが並び、 まるで美術館の引越しか大規模な展示替えの最中のよう。 いつもとは異なり受付は一階にあり、 養生されたエレベータに乗って展示室の7,8階へ向かうのですが、 7階で降りると、展示室も養生が施された空間になっていました。 ショーケースや壁に作品が掛けられていたりするのですが、展示を片付け中という感じで、 脚立や台車、足場なもあちこち置かれ、美術品の梱包らしきものも並んでいます。 工具やゴミもあちこちに置かれ、まさに作業現場。

これを越えて行くと作り込まれた別世界に踏み込むことになるのだろう、と、8階へ上がると、何とここも養生が施された展示室。 踏み出して少し歩くと、まるで7階にいるよう。 間取りが同じな上に、同様に養生され、作品や梱包、脚立や台車、足場や各種部材が同じように置かれていたため、 間違えて同じ階で降りてしまったかと、思った程。 なるほど7階と8階の差異を楽しむ作品か、と、2つの階を行き来しながら差異探しを始めたのだけれども、これがなかなか難しい。 養生がなされた空間は非常にノイジーで情報量が多く状態が覚えきれません。 さらに、作業中ということで養生の変更、梱包や足場、荷台の移動も行われているため、 ゴミの形状や汚れの違い、部材への書き込みなどに細かい差異があることに気づくことはあったけれども、 大きな状況の違いについては、根本的な設定の違いなのか、作業中の異なる断面を見ているに過ぎないのかも、判断しかねます。 さらに、何回も2つの階を行き来しするうちに、今自分がいる階がどちらかだったすら混乱してくるという。

というわけで、美術館の引越もしくは展示替えの状況を体感する、もしくは、似たような2つの状況の差異を楽しむ、というより、 似たような2つのノイジーな状況を行き来するうちに自分の記憶や感覚が混乱していく様を体感するような展覧会でした。

観に行った11日23日の14時から約1時間、展示も行われた1階のホールで デンマークのミュージシャン Jens Paldam ライブパフォーマンスも行われtました。 音楽は、アナログモジュラーシンセを使っての、アンビエント気味のエレクトロニカ。 美術品の梱包が並ぶ空間に置かれたモジュラーシンセに静かに向かっているだけで、 動きも照明やプロジェクションなどの演出も無いので、 腰を据えて演奏を聴くというより、そういう演奏を聴きながらそんな様子も横目に展示を観る方がいいパフォーマンスでした。