TFJ's Sidewalk Cafe > Dustbin Of History >
Review: 小野寺 修二 (演出) 『Knife』 @ KAAT神奈川芸術劇場 中スタジオ (ダンス)
嶋田 丈裕 (Takehiro Shimada; aka TFJ)
2020/12/11
KAAT神奈川芸術劇場 中スタジオ
2020/12/05, 13:00-14:10.
演出: 小野寺 修二.
出演: 大庭 裕介, 梶原 暁子, 崎山 莉奈, 雫境, 藤田 桃子, Nung Van Minh [ミン・ヌヴァン], 劉 睿筑 [Liu Rui Zhu / リウ・ジュイチュー] (aka Bamboo Liu), 小野寺 修二.
美術: 原田 愛; 照明: 吉本 有輝子; 音響: 池田 野歩; 衣裳: 武徳 ドァンフン; 舞台監督: 岩谷 ちなつ;
企画製作・主催: KAAT神奈川芸術劇場

カンパニーデラシネラを主宰する 小野寺 修二 の演出による新作の公演です。 カンパニーデラシネラの4人 (小野寺、藤田、大庭、崎山) が顔を揃えていますが、 国際的に他のダンサーも加えてのKAAT企画製作による公演です。 ベトナムからの Nung Van Minh は2017年の『WITHOUT SIGNAL! 〔信号がない!〕』 [鑑賞メモ] にも出演、 台湾からの 劉 睿筑 も2018年の小野寺の日台コラボレーションワークショップ『夢的故事(夢の物語)』に出演しており、 今までの国際的なネットワーク作りが生きた顔ぶれでしょうか。

マイムをベースとしたセリフを用いない作品です。 2月に観た『どこまでも世界』 [鑑賞メモ] にも 感じたことですが、空間を無からマイムで描くのではなく、舞台装置で設定された空間の意味付けを変えていきます。 特に今回は、装飾が控えめながらも、分割して組み合わせ並べ替え自在のテーブル状の台や、扉、壁状のパネルなどを駆使して、 それを動かし組み替えて、舞台上の状況の意味付けや変化などの基本的な枠組みを示していくようでした。 パフォーマーの動きは外的な空間描写ではなく、むしろ登場人物の内面描写をするように、 マイムというより無言での演劇的な演技があり、 そこから強い感情を吐露するような抽象的なダンス、マイム的な動きが時々湧き上がってきます。 そんな2つの動きのモードに、ミュージカルの地の台詞と歌 (オペラであればレチタティーヴォとアリアや合唱) も連想させられました。

『どこまでも世界』はスケッチ集という感じでストーリーは感じられなかったのですが、 『Knife』では、はっきりしたものではないものの不条理な状況に置かれた6人 (梶原, 崎山, 藤田, Minh, 劉, 小野寺) の間で繰り広げられる物語が浮かびあがらせるかのように、 右往左往し、議論し、他人の様子を伺い、時には我先に逃れようとする様が描かれていきます。 残る人物2名 (大庭 裕介, 雫境) は不条理な状況をもたらしている抑圧的な人物の役なのですが、 意図や内面を感じさせないような動きで、不条理感を高めていました。 不条理な極限状況でのグループでの旅 (パスポートチェックの場面もある) での心理劇を見るようでした。 ラスト、崎山の座っていた椅子に大庭が赤いテープで印を付け、崎山が赤いドレスを着る場面が赤いドレスを切るのですが、 人柱として選ばれることを象徴的かつ抽象的に表現しているよう。 その不条理さを強い動きで表現するのではなく、むしろ淡々と受け入れるかのような動きで描くところに、この状況をもたらしている抑圧の強さを感じました。

この公演は11月21日から大スタジオでの上演を予定していたのですが、 出演者に新型コロナウイルスPCR検査で陽性反応が出たため、急遽、日程と会場を変えての振替公演となったのでした。 2月末の『どこまでも世界』も、 2月18日の首相による突然の「イベント自粛要請」による公演中止が相次ぎ始めたギリギリの状況下での公演でした。 このような状況下で、『どこまでの世界』を上演し、『knife』の振替公演を実施した、関係者の上演への強い意志と努力には頭が下がります。