国立フィルムアーカイブでは、11月17日から12月6日まで 上映企画 『生誕100年 映画女優 原節子』をやっていました。 自分の観てきた戦前日本映画は松竹大船に偏っていて、当時、東宝の女優だった 原 節子 の出演した映画はほとんど観てませんでした。 これも戦前の 原 節子 出演の東宝映画を観る良い機会かと、3回の週末を使って4本観ました。
フランスの André Gide の小説を、舞台を札幌に翻案しての映画化です。 原 節子 はキリスト教徒の教師 日野 (原作では牧師) に育てられる盲目の少女 雪子を演じています。 貧しい身なりで言葉もろくに喋れない姿での登場こそ鬼気迫るものがありましたが、知的で美しい女性へ成長するプロセスの描写はあっさり。 日野の妻の描写も少なめ。 むしろ、東京から訪れた日野の弟 進二 (原作では長男に相当) を交えての微妙な三角関係の描写の方が丁寧でした。 雪子は進二に託され東京で手術を受けて視力を得るのですが、進二の元を抜け出し一人 日野の元に向かいます。 その旅路の描写がドラマチックで、ラストは吹雪の中で行き倒れる場面は、彼女を探す2人も合わせてかなり緊張感溢れる見せ場になっていました。 ラストは雪中に行き倒れた雪子を日野が見つけ、教会に担ぎ込むのですが、雪子の最期の言葉の場面は暗示的にしか描かれませんでした。 雪子の自殺ではなく、日野への旅路の描写に力が入っていたので、原作とは少々トーンが変わって、日野と雪子のメロドラマを観るようでした。
原 節子が、自動車販売会社のタイピストからセールスマンに転身し成功するモダンな女性を演じた映画です。 転身するきっかけはDVを振るう甲斐性なしの父の入院費のためと、いささか保守的な理由で状況に背を押された感もあるのですが、 性格に仕事が合っていたのか、そんなきっかけも忘れたかのように (実際、後半になると親は登場しない)、仕事にのめり込んで行きます。 節子と恋人の仲の 販売会社で一番の成績を出しているセールスマン 木幡 は、 当初は反対するも、決意が固いと見ると、彼女にノウハウを教え、セールスマンになることを支援します。 当時はセールスマンのような仕事は男の仕事で、ライバル間での暴力沙汰もよくあることのように描かれています。 そんなセールスマンの世界に飛び込んできた女性ということで、今であればセクハラとされるような嫌がらせも受けるのですが、 そんな事も気にせず、むしろ実力ではね飛ばして、節子は仕事を進めて行きます。 しかし、辣腕セールスマンぶりを節子が見せるようになると、木幡は次第に節子に対して気後れするようになり、 やがて木幡に好意を持っていた妹 水代に惹かれて行きます。 やがて、節子は木幡と妹の仲に気付くことになり、妹と木幡を結婚させます。
原 節子 は体格も姿勢も良く、顔立ちも強めなので、ので、洋装、特にスーツ姿、コート姿が似合いますし、 油塗れになって車を整備する様子も様になります。 男性もたじたじとなる辣腕自動車セールスマンとなっていく女性は、実にハマり役でした。 ラスト、妹と木幡の結婚式の後、納車するオープンカーの外車を運転してモダンな東京近郊の街中を走るのですが、 新婚旅行へ行く2人の列車を追いつつ、やがてそれも吹っ切れたかのように走り去っていく姿も、実に決まってました。 妹は姉と対照的な、しかし、古風ではなく、むしろ、女性であることを利用してモダンな文化を享受するような女性で、 それを演じる 江波 和子 も、奔放な (少々あざとさも感じる) 可愛さ。 恋人 木幡 を演じた 立松 晃 はこの映画が東宝 第1作だったようですが、そんな姉妹に見劣りしない有能イケメンぶり。 そんな脇を固める俳優たちも、原 節子 の魅力を引き立てていました。 また、節子ほどの野心はないもののしっかりした感のあるタイピスト時代の同僚 たき子 (水上 怜子) との仲の描写に、男社会の中でのシスターフッドを感じました。
『東京の女性』とはうって変わって、保守的な家庭観結婚観のホームドラマです。 男寡の 生方 と、その面倒を観ている年頃の長女 好子、亡くなった母が忘れられない次女 浅子の、 生方が常子を後添えに迎え、好子が資産家 樫村へ嫁ぐ日までの日々を、ドラマチックな抑揚は抑え 何気ない日常を通して描いています。 しかし、さりげない会話の積み重ねは、さすが 島津 保次郎 でしょうか。 好子が家を訪れた幼馴染みの戸田と居間で話様子に『隣りの八重ちゃん』 (松竹蒲田, 1934) [鑑賞メモ] を、 火鉢を囲んでのやりとりや満員列車での通勤・通学の場面に『兄とその妹』 (松竹大船, 1939) [鑑賞メモ] を 思い出させる所もあり、東宝の映画で登場する俳優の顔ぶれこそ違いますが、実に松竹大船調でした。
原 節子 の美しい和装の花嫁姿は見られるのですが、日常の服装も、基本、和装で、 颯爽としたモダンな姿が見られず、少々物足りません。 しかし、いかにもモダンな意匠はほとんど出てこないのですが、 家を訪れた叔母にお茶菓子に出すのがエクレアだったり、 夕食に味噌汁のようにお椀で食べる場面が火鉢で作ったシチューだったり、 姉妹で花見に行って食べるのがサンドウィッチだったり、と、 日常にさりげなく溶け込んだモダンな食文化が描かれていました。
中国の管理貿易体制の終焉、欧米の中国進出の契機となった阿片戦争の直接のきっかけとなった、 林則徐のアヘン取締を描いた群像劇の映画です。 戦時中に撮られた映画で、登場人物はイギリス人も中国人も日本人が演じて、日本国内に大規模なセットを作って撮影しています。 大規模なセットはもちろん特撮も駆使して撮られた、 右往左往する民衆で混乱する広州市内、炎上するイギリス人居留区などのスペクタクルは、さすが東宝でしょうか。 しかし、物語自体は、正義感を持って事に当たる林 則徐 たち、悪辣なイギリス人たち、 小狡賢そうなアヘン商人や腐敗した清の役人たちの描写もステロタイプで図式的に感じてしまいました。 原 節子 と 高峰 秀子 の2人が演じた、混乱に巻き込まれる盲目の少女とその姉のエピソードは、 Lilian & Dorothy Gish 主演の D. W. Griffith のサイレント映画 Orphans of the Storm (1921) の翻案とのことですが、 阿片戦争へ至る大状況の物語に埋もれ気味で、サブのエピソードのように感じられてしまいまいました。