『ロミオとジュリエット』 [鑑賞メモ]、 『ドン・キホーテ』 [鑑賞メモ] に続いての、 カンパニーデラシネラの高知県立美術館発「古典名作劇場」第三弾、久々の都区内での公演です。 デンマークの Andersen による童話 Kejserens nye klæder (p『裸の王様』, 1837) に着想した作品ですが、 舞台は現代に移し、小野寺 演じる はだかの王様 と 藤田 演じる日常生活を送る女性の2人の生活が並行して進み、 「真実を告げる」というよりも、従者が裾を広げ持つ王様の「マント」を女性が無意識に横切ってしまうことで、真実が明らかになってしまうという結末になっていました。
彼らの身体表現のベースにあるマイムの実際には無いものを演技によってあるかのように見せるという面と、 『裸の王様』のプロットの相性が抜群なのですが、 それだけでなく、限られた道具立てで、空間使いも含めて、彼ららしいアイデア溢れたパフォーマンスが楽しめました。 物の動きを複数人の間で受け渡しながら見せてい動きの勿論、 枠で作った扉だけでなく人物が扉の代わりになったりとするような動きなど、 動きをバズるのように組み合わせていく面白さは相変わらず。 扉などの道具立ては最低限で様々な物に見立てていくのですが、 組み合わせられるようになっていて、最後には全部が組み合わさって皆が乗れる山車になるというのも、 フィナーレとして盛り上がりました。
カンパニーデラシネラ程のカンパニーであれば本格的な演劇・ダンス公演用設備を持つ公共劇場からいくらでも声がかかるでしょうに、 久々の都区内の公演だというのに会場は 滝野川会館 大ホール という学校の体育館のようなステージのある多目的ホール。 それも、せっかくあるステージの幕は閉じたまま、前のフラットなスペースに仮設の上演スペースを作って、そこで上演を繰り広げます。 ステージも封印したままではなく、王様を称賛する民衆の姿を投影する空間として利用しましたが。 こういう空間使いは、今までの「古典名作劇場」全国ツアーで、 公民館や学校の体育館を会場に公演してきたノウハウが詰まっているのでしょうか。 ブラックボックスのような物理的に抽象的な空間を用いず、 既存の空間に道具を添えて観客に見立てることを促すようなところが、むしろ面白く感じられました。 パズルのような動きや道具の組み合わせだけでなく、 空間使いにも、彼ららしい見立ての妙とアイデアが感じられた作品でした。