ギリシャの演出家 Dimitris Papaioannou の2019年の The Great Tamer [鑑賞メモ] に続く2回目の来日公演です。 2021年に予定されていたもののCOVID-19の影響で翌年に延期、 さらに、今年に入ってから世界的な物流の混乱もあってさらに1ヶ月程会期を延期。 今年2月に上映会をした Nowhere もとても良かったので [鑑賞メモ]、 まさに待望の来日公演でした。
コンテンポラリーダンスの文脈が最も近いとはいえ、いわゆるダンス的なスキルを使った動きはほとんどなく、 むしろパフォーマーの身体はもちろん舞台装置や照明も駆使して活人画のように シュールレアリスティックで少々グロテスクなイメージの連鎖を舞台上に描いていくというのは相変わらず。 今回は舞台装置として背景に人一人が出入りできる扉があるだけの白壁を用意しそこへのライティングを効果的に使った視覚的に美しい光の演出でした。 といっても、大道芸 (ウォーキングアクト) でよく使われる頭上に被るタイプの人形を使っての奇妙な動きとシルエットを生かした冒頭の場面に始まり、 そこから雄牛を使ったイメージや、Papaioannou の好む複数の身体を組み合わせた異形のイメージからなる一連の場面あたりまでは、 彼らしいイメージと思いつつも、 The Great Tamer での大きく波打った舞台や Nowhere での舞台機構のような 大きな動きが無く、変化に乏しく感じられてしまいました。
しかし、小さな扉から発泡スチロール材のブロックやボードが瓦礫のように溢れ出てきてから、引き込まれました。 その扉の大きさから意外なほど大量に出てきたのも面白かったのですが、 むしろ出てきてから後、 「瓦礫」の上に登りつつそれらを少しずつ舞台下手へとそれらを非効率的ながら動かしていくような動きが、 災害や戦禍に見舞われた人々のイメージに重なります。 そして、ラストの場面。 女性パフォーマーが壁を背に硬めの耐水性のシートを足元に敷きその上に少しずつ水を流し始めると、 その反射光が後光のよう。 そんな後光を煌かせる水の女神が少しずつ奈落に下がって行ったあと、 舞台を覆っていた低い足場を男性パフォーマーたちが移動し始め、その下から磯のような空間が現れます。 雑然と両脇に積み上げられた足場と、まるで黄昏のような光の中の磯のイメージの、少々荒廃したイメージへの転換も強烈でした。 しかし、2月から続くロシアのウクライナ侵攻に関する報道からの報道のでしょうか、 瓦礫の場面や、ラストの磯の場面など、ポストアポカリプスを思わせるイメージに、過剰に反応しがちになっているかもしれません。