マイムをベースとして台詞に依らない舞台作品を作ってきているカンパニーデラシネラ [関連する鑑賞メモ] の最新作は、 夏目 漱石 の小説『門』 (1910) にモチーフにした作品です。 『椿姫』 [鑑賞メモ] のように今までもセリフを多用した作品はありましたが、 今回は主に静かな動きで展開するため、ほぼ演劇と言っていいような作品でした。
特に、主役とも言える 男 (宗助) とその妻 (御米 (およね)) は完全に俳優が固定され、 複数の役者が一人の役を演じたりすることがほぼ無かった所に、演劇味を強く感じました。 と言っても、宗助 の心情や妻 御米、弟 小六 との関係など丁寧に物語るというより、 『門』の中から選ばれた場面から作った視覚的なイメージを連ねていくような展開で、プロットは大胆に省略されていました。 マイム的、ダンス的な身体表現は抑え気味でしたが、 障子のような道具による見立ての妙、それらを移動させることによる自在な空間の変化や、手持ちライトによる影絵など、カンパニーデラシネラらしさを随所に感じました。
主人公の負目となっている親友 安井 の内縁の妻 (御米) と駆け落ちしたという経緯は描かれましたが、 叔父の佐伯家に任せた父の遺産の経緯についてはほぼ省かれ、 主人公が何かを面倒に感じていて避けているらしい程度の描写になっていました。 小六のエピソードも宗介とのやりとりを通してしか描かれないため、 叔父の死で学費が打ち切られ宗助宅で同居することになり、最後は坂井家の書生となるといったエピソードも、ほぼ省略されていました。 省かれていたといえば、宗助が鎌倉の禅寺に参禅するエピソードも省略。 そんなエピソードの刈り込みにより、何かに怯え負目を感じ、何かを先延ばしし続けているという、宗助のうっすら不条理な生活を描くよう。
和装の女性に洋装の男性という組み合わせに、モダンな要素もありつつ木造の民家を思わせる道具、 てよだわ言葉の御米の台詞に、静かな動きで視覚的なイメージを重視した演出ということもあって、 戦前の小市民のままならない生活の悲哀を日常を通して淡々と描いた 小津 安二郎 の『東京の合唱』 (1931) や『一人息子』 (1936) のような映画を連想しました。