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Review: 『東京ビエンナーレ2023 — リンケージ つながりをつくる』 Tokyo Biennale 2023: Create Linkage @ 東京都心北東エリアほか (美術展)
嶋田 丈裕 (Takehiro Shimada; aka TFJ)
2023/10/15
東京都心北東エリア (千代田区、中央区、文京区、台東区の4区にまたがるエリア) ほか
夏会期: 2023/07-09まで随時開催 (プロセス公開); 冬会期: 2023/09/23-11/05 (成果展示).

「東京の地場に発する国際芸術祭」と題された、 東京の主に街中 (public spaces) で繰り広げられる現代アートの展覧会です。 世界の有名作家を集めた最先端の現代アートの祭典ではなく、 東京都心北東エリアに滞在してリサーチして制作されたサイトスペシフィックな作品やコミュニティ・アートなどをメインとした展覧会です。 2021年の第1回は新型コロナウイルス感染症などもあって足を運びかねており、第2回の今回、初めて足を運びました。

まずは、10月7日土曜の午後遅めに、メイン会場ともいえる東神田のエトワール海渡リビング館 (最寄駅: 馬喰町) へ。 築40〜50年と思われる使われなくなった問屋ビルの1F〜7階が会場となっています。

最上階7階は「Central East Tokyo 2023/OPEN START」という企画の一つ、畠山 直哉 『陸前高田2011-2023』。 パンフォーカスで幾何的に構成された画面の写真を大きくプリントして展示することが多い写真家ですが [鑑賞メモ]、 今回の展示は、東日本大震災で甚大な津波の被害を受けた作家の故郷、陸前高田で10年余り撮りためた大量の写真のコンタクトプリントの展示です。 確かに、彼らしい捉え方で瓦礫の山や復興の工事現場をとらえた写真もありますが [関連する鑑賞メモ]、 その一方で、記録写真のように慰霊祭や夏祭りなど地域の行事を捉えた写真も交じります。 通してみると、震災直後はドキュメンタリー写真的な要素が多めで、次第に作家性の高い作風のものが増えていくよう。 コンタクトプリントを追って観るうちに、被災地復興だけでなく、写真家の作風を取り戻す様子を追うようにも感じられました。

「Central East Tokyo 2023/OPEN START」企画関連展示は4階の 佐藤 直樹 『その後の「そこで生えている。」2014-2023』。 2013年に描き始めたというベニヤ板のパネルへの木炭画ですが、どんどん横に伸びていて、ここまで巨大なものに成長しています。 物量による力技にも感じましたが、迷宮の壁のように並べられた中に進んでいくと、描かれた植物の茂みに分け入っていくようでした。

5階、6階は企画「東京のための処方」。中では、6階の中島 伽耶子『Yellow Walls』。 Charlotte Perkins Gilman: The Yellow Wallpaper 『黄色い壁紙』 (1892) に着想した作品です。 閉じ込められる部屋が逆転した中に入れない部屋のよう。 実は『あ、共感とかではなくて。』 (東京都現代美術館, 2023) で観た時はピンとこなかったのですが、 他の目的で使われた痕跡の残る古いビルという展示空間も、謎めいた雰囲気にプラスに働いたでしょうか。

4階は企画「海外作家公募プロジェクトSOCIAL DIVE」。この階の展示が最も興味深く観られました。 ブラジル出身でベルリンを拠点に活動する Rosiris Garrido の «Silently Inside» は日本の「孤独死」をテーマにした作品です。 孤独死の現場というには小綺麗な小部屋風のインスタレーションで、独死に対する認識のズレを感じましたが、 作家の孤独な生活のイメージを具体化したよう。 エアリアルのサーカスアーティストとしても活動しているとのことで、その点にも興味を引かれました。

アイスランドの作家 Hildur Elísa Jónsdóttir の «Seeking Solace» はビデオ作品をメインとしたインスタレーションです。 ビデオの内容は、整然とした小綺麗なオフィスにいるビジネス服姿の女性が、日本の伝統的な歌 (「さくらさくら」など) を歌い出す様子を捉えたものです。 元の作品ではアイスランド民謡が使われたようですが、日本での制作にあたり、日本の歌に変えたのでしょうか。 映像の様子と音楽の静かなミスマッチが面白く感じられました。 歌詞の内容は私的な告白に変えられているようですが、英語で歌われていることもあってか、その点については響きませんでした。

トルコの Buşra Tunç & Kerem Ozan Bayraktar の «The Ghost Gardens» は、 日本庭園の構造を参照した解体現場の瓦礫を使ったインスタレーション。 日本庭園といっても池泉回遊式というより枯山水あたりを参照したのでしょうか。 使われていない古ビルの打ちっぱなしの床に並んだ瓦礫は、まるでこの建物自体が解体中であるかのような不穏さを醸し出していました。

思えば、2000年前後はかなり好んで足を運んでいたものですが、 使われなくなった建物を会場にしたイベント的な現代アートの展覧会を観るのも、10年ぶりくらいでしょうか。 古いビルの雰囲気も含めて楽しみました。 馬喰町界隈へ行ったのも10年ぶりくらいです。 かつては、アガタ竹澤ビルへ年数回は足を運んでいたものですが、今やTARO NASUやGallery αMもそこにありません。 ついでに覗いてみましたが、さすがにテナントもすっかり入れ替わっていました。

エトワール海渡リビング館での展示が期待以上に楽しめたので、他も巡って観ることにしました。

馬喰町から秋葉原に向かう途中の海老原商店では『パブローブ:100年分の服』。 関東大震災復興時に建てられた商店建築を会場に、公募で寄贈された震災後100年の服が展示されていました。 自分が幼かった1970年代頃は両親の実家などにこういう雰囲気が残っていたな、と懐かしく感じる展示でした。

山手線を越えて、旧万世橋駅下のマーチエキュート神田万世橋や、 さらに北へ向かって秋葉原〜御徒町高架下の SEEKBASE AKI-OKA MANUFACTURE での展示を見て、 最後は中村 政人 ほか『ネオメタボリズム/ガラス』 高架下のコンクリート剥き出しの広いスペースを使い、 建築の解体で出るガラスを不定型の長い棒をまばらに敷き詰めたインスタレーションです。 建築におけるリサイクルの問題に着想した作品と言いますが、 規模の大きさにも関わらず地味で、通りがかりの人にもほとんど気に止められずにひっそりと在るところに、静かな不穏さを感じました。

土曜はここで18時で時間切れ。翌日曜、昼過ぎに上野桜木へ。 続きは東叡山 寛永寺の会場から。 鈴木 理作 『Mirror Portrait 一隅を照らす』 は、 円頓院の離れに庭を背景に撮影できるよう Mirror Portrait 撮影用のブースを設置したもの。 Mirror Portrait は撮影ブースも含め、アーティゾン美術館の『写真と絵画——セザンヌより』でも観ていますが、 鑑賞するというより観客に撮影を促すような展示で、より社会での関係性を扱う作品の意味合いが強く感じられました。 渋谷慰霊堂の前の庭では、日比野 克彦 『All Together Now』。 渋沢栄一も参照した段ボールが展示された庭を歩くVR作品ですが、タイトルからすると縁側に集っている人も意味があるのでしょうか。

その後、丸の内に移動したのですが、週末に見られる作品があまりない上、雨が降り出してしまったので、 ゲリラ的に、しかし、ひっそり気味にビル街の壁に掲げられた Charlotte de Cock: «HYPERNOVA»薄久保 香『すぐ傍にみつけたあなたの分身』 を観る程度になりました。

実は、一週間前の9月30日土曜の晩に、下北沢の街中で展開されていたアートイベント 『ムーンアートナイト下北沢』 を観に行ったのですが、あまりに人が多過ぎて、まともに鑑賞し難く、コンセプトはさておき、 ビジュアル的にわかりやすい作品を使った商店街イベント以上の体験ができませんでした。 『東京ビエンナーレ』もそうだったらどうしよう、と観る前は危惧していたのですが、 エトワール海渡リビング館 や 東叡山 寛永寺 といった主たる会場はもちろん、分散した他の会場も観客がいないわけではないですが多くはなく、列や人垣はありません。 ビジュアル的にSNS映えする作品はさほど多くなく、街中での存在感が控えめということもあるかもしれません。 『東京ビエンナーレ2023』では静かに作品に向き合いながら観て回ることができました。