6月末の29日土曜は午後に2つの美術館をハシゴして、会期末近くになった展覧会をまとめて観てきました。
21世紀に入って現代美術の分脈で活動するシンガポール出身の作家の個展です。 今までも観たことがあったかもしれませんが、作家を意識して観るのは初めてです。 今回展示されていたものは、近代以降の東南アジアに関連する出来事に取材した映像作品や映像インスタレーション、VR作品でした。 アーカイブ映像を編集したものもありましたが、実写やアニメーションをCG内内で組み合わせたような作風がメインでしょうか。 日中戦争・太平洋戦争中の京都学派に取材した «Voice of Void» など題材としては興味深く思いつつも、 アニメーションをメインとしたビジュアルの作風がポップというかキッチュに感じられて、テーマがうわ滑るように感じられてしまいました。
方言や言語的マイノリティをテーマとしたグループ展です。 造形物として扱い辛い言語に関わる問題もあってか、そのリサーチ資料、映像を使ったリサーチベースの作品が展示の中心でした。 紹介を読むと実際そういう活動もしている作家もいるようでしたが、 インスタレーションよりも、パフォーマンス (音楽や演劇・ダンスを含む) での表現の方が合ったテーマだと感じてしまいました。
アニュアルで開催されている Tokyo Contemporary Art Award の受賞者2人展の第4回です。 今年も定点観測しました [去年の鑑賞メモ]。 昨年までは2作家で共通するテーマが掲げられていたのですが、今回はタイトルも会場の作りも、2つの展覧会が並置された形になっていました。 しかし、その一方で、今回は2人の作家の双方に共通して、演劇・ダンス的な要素が感じられました。
サエボークの作品は、空気で膨らますバルーン状のキッチュな色形の造形物とボディスーツを使った作品。 ゲートのような入り口と円形舞台があるという劇場的な展示空間の設定で、ボディスーツを着たパフォーマーがセリフ無しで演じる様は、マイムによるイマーシブシアターとも言えるもの。 今回はインスタレーションに時々パフォーマンスを加える形ですが、作家紹介によると公演という形もとることも多いようで、その方が面白そうでありました。
津田 道子 の作品も、パフォーマンスに基づく映像を使って、作品を観る観客の視線を操作するような作品です。 ブラックボックスにしたギャラリーに複数のスクリーンを配置してのビデオインスタレーション «生活の条件» (2024) は、 ライブでのパフォーマンスでは無いものの、イマーシブな上演環境での日常動作に着想したダンスもしくはマイムの作品を見るよう。 日常動作のような題材の取り方に少々こぢんまりと私的なところも感じられましたが、すっきりとした映像使いと空間構成とユーモアが気に入りました。
コレクション展の中で目を引いたのは松江 泰治 [関連する鑑賞メモ] の2023年プリントを26枚展示した3階の展示室。 過去の様々な時期に撮った写真を、タイトルも記号的で制作年もプリントした2023年とすることで時間空間の手がかりを無くした上で様々な被写体の写真を同じサイズの大判でプリントして単調に並べることで、 逆に写真の撮り方の共通点—南中時に北向きに撮った影が少ない明るい風景をパンフォーカスで捉えたフラットが画面—が浮かび上がるよう。 そんな抽象性を高めたコンセプチャルな展示が気に入りました。
ルーマニア出身で20世紀前半にフランスで活動した彫刻作家 Constantin Brancusi の展覧会です。 ルーマニアを出て Rodin のアトリエの助手になるもすぐに独立する頃の最初期の作品ですから、 1910年代後半以降、20年代にかけてのモダニズムらしくシンプルに抽象化されたフォルムの磨かれたブロンズの彫刻まで、 写真資料や関連する作家の作品を含めて展示されていました。 戦間期モダニズムは好んで観ているものの Brancusi をまとめて観たのは初めて。 いかにも戦間期モダニズムなフォルムは好みなのですが、 展示されていた彫刻作品が1920年代までに限られていたこともあるかもしれませんが、 当時のモダニズムの作家にしては総合芸術の色が薄く感じられてしまいました。