La Biennale di Venezia 2024の日本館で個展をした 毛利 悠子 による、
La Biennale di Venezia 2024 帰国展ではなく、
アーティゾン美術館のコレクションも交えて展示する「ジャムセッション」の形式の個展です。
『日産アートアワード2015』 [鑑賞メモ] や
『新しいエコロジーとアート』 (The 5th Floor, 2022) [鑑賞メモ] などのグループ展や
ギャラリーでの個展 [鑑賞メモ] で
水が滴り流れたり物音が疎らに鳴ったりするプリコラージュによる無用の装置のような立体作品を楽しんできましたが、
美術館規模の個展で観るのは初めてです。
会場入口に鎮座した「歌い」ながら熟して腐敗していく果物静物 «Decomposition» (2021-)、
Bozak のせいかその映像を使ったバリエーションにも感じられた «Piano Solo: Belle-Île» (2021-/2024) など、近年の近作や、
奥の展示室を使って暗闇の中に浮かび上がる鉄琴を鳴らすインスタレーションなども良いのですが、
やはり、«I/O» (2011) や «鬼火» (2013) のような、ブリコラージュ感満載の作品の方が好みでしょうか。
そういう点では、近代以前の西洋美術のコレクション展示を主とするアーティゾン美術館では難しいと想像されますが、
«Moré Moré (Leaky)» のような水を使った作品が無かったのは残念でした。
この美術館に期待することではないとも思いますし、自分が今までこの作家の作品を観てきた場所の印象に引き摺られているようにも思いますが、
過去の痕跡の残る古い建物を使ったオルタナティブスペースに置かれたブリコラージュの持つ雑然さが持つ面白さが漂白されてしまったようにも感じました。
アーティゾン美術館のコレクションも交えて展示する「ジャムセッション」の形式の個展という点も、 ブリコラージュ的な共通点も感じられる Marcel Duchemp や Joseph Cornell の作品も展示されていましたが、 毛利のインスタレーションの存在感の向こうに霞んでいました。