第一次世界大戦中のスイス・チューリヒでダダ (Dada) に参加、その後、シュールレアリズム (Surrealism) や Abstraction-Création の文脈で活動したアーティスト Jean Arp とその妻 Sophie Taeuber-Arp の2人を取り上げた展覧会です。 といっても、主役は Sophie の方で、Jean は Sophie との関わりの観点がメインといって良い内容。 ダダ参加前から1943年に一酸化炭素中毒による不慮の死を迎えるまでの彼女の活動を丁寧に追った展覧会で、 ダダの文脈で彼女の名は知るもののどのような作品を作っていたのか知る機会が無かったこともあり、 とても興味深く観ることができました。
1915年から1930年前後までの Sophie の仕事は、テキスタイルや服飾のデザインに始まり、
やがて家具や内装のデザインに仕事を広げていきます。
彼女の仕事がテキスタイルから始まるところに、
女学生は希望によらず織物工房に所属されたという Bauhaus の話 [関係する鑑賞メモ] を思い出させられますし、
Sophie の死語に Jean が編んだ彼女の作品リストにデザインの仕事がほとんど含まれなかったというエピソードに、当時のデザインの仕事の地位の低さを思い知らされました。
テキスタイルや家具・内装のデザインは、ダダ〜シュールレアリズムからの影響はほぼ感じられず、
同時代のアール・デコ (Art Deco) のような豪華さを感じさせるものとも異なる、
むしろ Bauhaus や構成主義 (Constructionism) に近い質実さを感じるデザインです。
人形劇 König Hirsch 『鹿王』のためのマリオネット (1918)
にも、Bauhaus のマリオネットを思い出されました。
時期的には Sophie の方が Bauhaus のものより若干先行するくらいですが。
1930年代に入ると Sophie は絵画の作家としての活動に重心がうつります。
Jean もシュールレアリズムと決別して短期間ながら Abstraction-Création に合流。
有機的な曲線を使う Jean の抽象に対し、Sophie は構成主義からの連続性を感じる直線や円を多用した構成という、2人の対照を感じさせつつ、
コラボレーションもあって次第に作風が近づいていく感もありました。
Sophie の死後となる戦後は、Jean はレリーフや彫刻をメインに制作するようになるのですが、
Jean らしからぬ というか Sophie らしい構成主義的なドローイングをレリーフ化した作品に、
Sophie と Jean の最良のコラボレーションを観るようでした。
アーティゾン美術館の入るビルの1階オフィスエントランスロビー (美術館入口とは別の側にある) では、Dumb Type [鑑賞メモ] の作品が展示中です [ビルのお知らせ]。 バプリックアートは初とのことですが、そのための新たな要素が加わっているわけではなく、Dumb Type らしい映像を眺めることができました。