新国立劇場の2024/2025シーズン最後のオペラは新国立劇場の創作委嘱による新作の初演です。 ドイツ在住の小説家・詩人の多和田 葉子 によるオリジナルの多言語 (日本語、ドイツ語、ウクライナ語、など) による台本で、 作曲はドイツと日本を拠点に現代音楽の文脈で活動する 細川 俊夫 です。 細川 俊夫 のオペラは以前に『松風』Matsukaze を観る機会があり [鑑賞メモ]、 その前にもコンサートを聴く機会はありました [鑑賞メモ]。 そんな作曲家への興味というだけでなく、新国立劇場での新作オペラ創作への期待も込めて、観にいきました。 途中休憩はあるものの無調で2時間余かと身構えていたいたところはありましたが、 ダンスや映像を駆使した演出はもちろん、音楽的にも予想以上に取り付きやすい作品でした。
舞台設定は具体的に過ぎないようぼかされていましたが、 戦禍を逃れてウクライナから来たらしき Natasha と大災害後に日本を離れて旅しているらしき Arato がおそらくドイツで出会い、 Mephisto の孫 (Mephistos Enkel) を名乗る男に連れられ、地獄巡りをするというプロットです。 巡る地獄は現代の社会問題や自然災害に着想したもので、森林地獄、快楽地獄、洪水地獄、ビジネス地獄、沼地獄、炎上地獄、旱魃地獄の7つ。 ビジネス地獄と沼地獄の間に幕間がありました。 前半、森林地獄や洪水地獄は抽象度高めの演出と音楽の一方、 快楽地獄とビジネス地獄では音楽にポピュラー音楽やミニマル音楽のイデオムが用いられ演出もキッチュさを感じる要素が多め。 細川 俊夫 がこんな曲を作るのかという新鮮な驚きもありましたが、 この対比がメリハリを作り、地獄1場面につき15分程度ということもあってテンポよく展開していきました。 後半は前半のようなポップでキッチュな音楽・演出はなく、進むほどに抽象度が上がる感もありましたが、 炎上地獄での Natasha の独唱の美しさや、最後の旱魃地獄での Natasha と Arato が二重唱しながら光に吸い上げられるように昇天していく演出など、印象に残りました。
抽象的な横にスライドする枠のような舞台装置と具体的な映像から抽象的なパターンまで様々な映像のプロジェクション、 効果音と音楽の中間を行くような立体的な電子音響、 その動きからコーラスに踊らせているのではなくノンクレジットのダンサーなのではないかと思いますがそんなダンサーの踊りや動きもあり、最後まで飽きさせませんでした。 ビジネス地獄がモダンタイムズ的な20世紀のイメージの延長で現代のテックライトはまた違うのでは、など、個々の地獄のディテールに違和感を覚える所もありましたが、全体としてよく作られた演出と感じました。
しかし、良くできた舞台作品とは思いつつも、観終わった後、何かメッセージが伝わってきた感が薄くぼんやりとした印象になってしまいました。 これも、Natasha や Arato という主人公2名が、何か使命を持っていたり、生き残りを賭けなくてはならないような状況というより、連れられて地獄を見てまわっているという少々受け身な感があったからのように思います。