2000年代末から主にダンスの文脈で活動するアメリカの振付家 Faye Driscoll の2023年作です。 といっても、背景や作風の予備知識はほとんど無く、 今年から始まった舞台芸術祭「秋の隕石2025東京」Autumn Meteorite 2025 Tokyoのプログラムということで足を運んでみました。
明示的に示されたわけではないですが、 フランス・ロマン主義絵画 Théodore Géricault: Radeau de la Méduse 『メデューズ号の筏』 (1819) と その元となったフランス海軍のメデューズ号の遭難とその後の乗組員の筏による漂流という事件 (1816) を参照した作品です。 海を漂う筏に見立てた一辺5m、高さ1m程度の分厚い白いマットレスのような舞台が中央に置かれ、 そこから5mほど距離を置いて舞台を取り囲むように客席を配置するというセッティングで上演されました。
アフリカ系やアジア系も含む老若男女、体型も痩せ型からがっしり太めまで、多様性を意識したパフォーマー10名が、現在のアメリカの街中で普通に見かけそうな服装で現れ、 活人画として筏での漂流している様子を描くかのように狭く足場の不安定な舞台の上でポーズをとります。 それから暫くは無音で、動きが無いと感じるくらいジリジリと少しずつ動き、他のパフォーマーに掴まったりしながら、次第に舞台の上に崩れていきます。 並んだアメリカのごく普通の人たちに大量の水を浴びせた時の様子を高解像度高速度カメラを用い「動く絵画」のような劇的なスローモーション映像とした Bill Viola の The Raft (2004) [鑑賞メモ] というビデオ作品があるのですが、 それを活人画的にパフォーマンス化したようと思いつつ、最初のうちは観ていました。
ほぼ台詞の無いパフォーマンスで、時折、静かにカウントするかのような声や詠唱がある程度の展開ですが、 中盤になると、活人画をいろんなアングルから見せるかのように、時々、舞台を90度ずつ回すようになり、 パフォーマーたちも単にのたうつような姿勢を取るだけでなく、服を脱ぎ/脱がしはじめます。 香りもパフォーマンスに一要素ということで、Faye Driscoll自信を含むスタッフが場面に合わせて調合された香水をスプレーで客席に振りかける時もありました。 後半は皆半裸となり、舞台を勢いよく回し、舞台から転び落ちたり飛び乗ったりという激しい動きとなり、 軸が固定されておらず次第に回転する舞台が客席側に迫ってきたりもしました。 後半、自分の身を含めてスリリングにな展開となり、半ば呆気に取られているうちにパフォーマンスは終わりました。
絵画『メデューズ号の筏』は筏に乗った生存者が接近する船を見つけた救出直前の瞬間を描いたもので、 その絵画のオマージュのようなポーズがこのパフォーマンスの最後近くに出てきたので、 遭難から救出までの漂流13日間が演じられていたのかもしれません。 しかし、タイトルは「風化」という意味ですし、後半の激しい展開は筏が嵐に揉まれる様子を象徴的に示したかのよう。 メデューズ号事件の具体的なエピソードより普遍的に、 激しい天候に晒される中で逃げ場もなくなす術もなく人々がボロボロに「風化」していく様を描いたかのようなパフォーマンスでした。 最初に感じた Bill Viola: The Raft から最後には遠く離れたようで、結局、似たような印象を残したパフォーマンスでした。
ちょうど2週間前に観たばかりの Peeping Tom: Triptych の第三幕 The Hidden Floor (2007) [鑑賞メモ] でも、大厄災 (自然災害や戦争) でそれらになす術なく翻弄される人々のメタファーとして観たわけですが、 それも、近年の極端化する気象とそれに伴う災害の多発や不安定化している国際情勢を意識し、観ている作品へ反映しがちということもあるのかもしれません。