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1980s 半ばの渋谷界隈の輸入レコード店について

1980s 半ばの渋谷界隈の輸入レコード店に関する一連の発言の抜粋です。 古い発言ほど上になっています。 リンク先のURLの維持更新は行っていませんので、 リンク先が失われている場合もありますが、ご了承ください。 コメントは談話室へお願いします。

[1575] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Fri Mar 17 0:31:36 2006

昨晩の話のフォローアップ。 昨晩は書き途中で時間切れ、という感もありましたし、もう少し自分語りしたくなったので。 というか「Pixies はオシャレ」論争の中で Pied Piper House の話が出ているので、 その話でも、と。 というわけで、自分語りウゼーという方は読み飛ばして下さい。 5年余り前にも少し書いたことですが、 もう20年前の1986年頃の話で、記憶も曖昧にはなっていますが……。

渋谷の近くのキャンパスに通学していた1986年4月〜1988年3月は、 毎日とまでは言わないもののかなりの頻度で渋谷でレコード店巡りをしてました。 当時の CISCO 等の渋谷宇田川町の輸入盤店は UK indies は揃っていても US indies のレコードの品揃えはイマイチで、 それを不満に思っていました。 そして、US indies のレコードを求めて足を延ばしていたのが、 南青山骨董通りのレコード店 Pied Piper House だったのでした。 大学の裏門を出て、松涛を抜けて、 宇田川町の (神南小学校下交叉点界隈の) 輸入レコード店を巡って、 余力があったら、駅前の人混みを避けて東京都児童会館脇を抜けて骨董通りまで、 というのが当時のお決まりのレコード店巡回ルートでした。 実家に帰れば大学時代のサークル誌に自分が書いた当時の渋谷〜青山レコード店マップが 発掘できるかもしれないですが……。

正確に言えば、1986〜8年当時、 渋谷に全く US indies のレコードが無かったわけではありません。 例えば、Homestead 〜 Blast First 界隈は 公園通り沿いにあった CSV 渋谷 にあったような記憶はあります。 I.R.S. や Enigma のような準メジャーであれば CISCO や Tower で見付けられました。 しかし、DB Recs や Twin/Tone といったレーベルのレコードは、 Pied Piper House まで行かないと見付からないことがほとんど。 そのためだけに骨董通りまで足を延ばしているようなものでした。 当時、Pied Piper House でレコードを買った記憶があるバンドといえば、 The Feelies、Love Tractor、Oh-Ok、Pylon、R.E.M.、Violent Femmes、X、Minutemen、Hüsker Hü や Soul Asylum。 少し後になりますが Cowboy Junkies や Michelle Shocked の1stもここでだったでしょうか。 そういえば、Rounder レーベルのレコード (Brave Combo や Michael Doucet & Beausoleil とか) もここで買っていたように思います。

実は、Pied Piper House が 後にソフト・ロック文脈で伝説的に語られることになるようなレコード店だったとは、 当時の自分は全く知りませんでした。 行くようになったきっかけも、音楽雑誌やその音楽ライター等の文脈ではなく (1986年当時はまだ音楽雑誌を読む習慣が無かったのです)、 当時 (1986年頃) 読んでいたタウン誌『シティーロード』で 輸入盤紹介コーナーを受け持っていた都内の輸入レコード店の1つだったからです。 (ちなみに、他に CSV渋谷 と 六本木WAVE もそうでした。 あと2店あったように思うのですが、思い出せません……。) 店に行っても US indies のコーナーくらいしかチェックしてませんでした。 今から思えば、きっと変な客だと思われていたに違いありません。 1980年代半ばの輸入レコード店はたいていそんなものでしたが、 建物からして手作りっぽい薄暗くて狭くちょっとゴチャゴチャした感じの店内でしたし。 1990年代になってソフト・ロックの文脈で伝説的に言及されるようになったとき、 正直、「あの店ってそういう店だったの?」と思いました。 1990年代のソフト・ロック再評価のコジャレた雰囲気と 僕の知る店の雰囲気とが、かなり違うようにも自分には思えました。

話ついでですが、渋谷 ZEST に初めて行ったのもこの頃。 当時の品揃えの第一印象は「銀座 MAXI の在庫を引き継いだみたい」でした。 確か、初めて行ったときに買ったのは、 Essential Logic のデッドストックだったような記憶がありますし。 明大前にあったレコード店 MAXI の支店が1986年頃まで銀座にあり、 銀座が通学途上だった高校時代 (1983〜5年) によく使っていたのですが、 その品揃えに似ていると。 ZEST は当時の巡回ルートには入っていましたが、 それほど魅力的な品揃えとは感じていませんでした。 ZEST が indie pop 中心の品揃えになったのは 渋谷が通学経路から外れてから (つまり1988年以降)、という記憶があります。 というか、渋谷で US indies が普通に買えるようになったのは、 1988〜9年頃からだったように思います。

[1583] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Tue Mar 21 23:25:05 2006

さて、Pied Piper House の話について補足。よく店に行っていた当時、 「Pied Piper House は学生運動やっていた模索舎とかと関係あるような人がやってる店」 という話を聞いた (or 読んだ) ことがあり、確かにそれっぽい店だよなぁ、 と初期のアンダーグラウンドな US indies のレコードを掘りながら思っていたりしました。 しかし、これについては、ちゃんと確かめたことが無かったので、 酒の席の呑み話にくらいにしかしていませんでした。 これについて、昨晩、 岩永 正敏 『輸入レコード商売往来』 (晶文社, 1982) という本と 小林 トミ 「パイド・パイパー・ハウス――自分たちの会社」 (思想の科学研究会 (編) 『共同研究 集団――サークルの戦後思想』, 平凡社, 1976) という論文があることを教えて頂きました。 当時聞いていた話はやはり本当だったようです。をを。 『輸入レコード商売往来』については、 「EXPOP - 本の味の素 - 店長の本」 というウェブページで紹介されているのですが、 田中 康夫 『なんとなくクリスタル』 (1980) に出てくるというのは知りませんでした。へ〜。少々意外です。

自分はオシャレとかそういうのとは関係の無い 模索舎 的なイメージを漠然とながら Pied Piper House に持っていましたし (なんせ自分が行くくらいですから)、 渋谷系/ソフト・ロックの関係者の行っていた店という感じで オシャレな/センス良いレコード店と伝説的に語られるようになったのは 店が無くなった1990年代に入ってからかと思っていたのですが、 『なんとなくクリスタル』に出てくるトレンディな店 のような受容のされかたも1980年代からあったのかしらん? うーむ。

月曜の晩は、Postpunk ML 最初期メンバな IAMAS 助教授な友人の来東京に合わせて、その手の面子での呑み。 その席でも「Pixies はオシャレ」論争の話が出たのですが、 そのときに「確か Pied Piper House は模索舎がらみだったよね」という話をしたのでした。 で、その話を家に帰ってから酔い覚まししつつ某チャットでもした所、 上記の文献の存在を教えてもらったのでした。 やはり、こういう話は人にしてみるものだ、と思ったり。

[1585] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Wed Mar 22 23:39:47 2006

1980年代のレコード店のですが、 渋谷 ZEST について polytope (aka ばるぼら) さんが 「ZEST」 (『東京(仮)』, 2006/03/21) で、当時の広告を引用しつつ開店日や品揃えの変った時期について書いています。 ZEST について、「銀座 MAXI の在庫を引き継いだみたい」とか 「indie pop 中心の品揃えになったのは1988年以降という記憶がある」とか 書いたわけですが。それについて、 自分の20年前のおぼろげな記憶より正確な所を知りたい方は、 こちらをどうぞ。 やはり、こういう話は人にしてみるものです。 詳しい情報が出てくる出てくる、というか。

ちなみに、「Pixies はオシャレ」論争関連としては、 「コメント」 (『東京(仮)』, 2006/03/07) があります。 この論争のマトメは、 「体験せずに猫知り顔で語る奴らに泥団子を投げろ!」 (『ARTIFACT@ハテナ系』, 2006/03/09) なのかしらん? ここを眺めていると、その論争は実は 「Pixies はオシャレ」かどうかというものではなかったような感じもしますが、 当事者の一人の?Dは消えてるし……。 話のきっかけに過ぎず、ここでは本題でもないので、まいっか……。

しかし、自分にとっては、銀座 MAXI も渋谷 ZEST も、 街を歩いていて偶然見付けたレコード店だったので、 ノイズ&アヴァンギャルド専門店へ行っているという意識は全く無かったです。 銀座 MAXI と渋谷 ZEST の品揃えが似ていたとは以前から思っていまし、 何かしらの関係がありそうだとは思っていましたが、 支店相当だったとは全く気付いていませんでしたよ……。 間抜け過ぎ……。 そういうことだったのかー、と20年目にして納得しました。

高校時代、文具や雑貨を買いに銀座の伊東屋へよく行っていたのですが、 その際に定期券の途中駅の日比谷駅から歩いていました。 その途中、トイレか何かで偶然寄った 高速道路下のショッピングモール (現在の銀座INZのあたり) で 見かけたレコード店が銀座 MAXI だったのでした。 ZEST の場合、あの界隈は輸入レコード店の集中エリアで巡回ルートに入っていたので、 レコード店巡りの途中に看板を見付けて入ってみたのだと思います。 1987年頃まで音楽雑誌を読むという発想が全く無かったので、 レコード店に行くきっかけといったら、 当時読んでいた情報誌『シティーロード』 (Pied Piper House とか) か、 中高時代の先輩からの口コミ (代々木 Eastern Works とか高田馬場 Opus One とか) か、 街を歩いていて偶然見付けて、という感じでした。

[1586] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Fri Mar 24 0:05:25 2006

1980年代のレコード店ののフォローアップ。読者の方から、 「LEFTFIELD DJ INTERVIEW Vol. 1 瀧見憲司」 (『クラベリア』) というインタビュー記事を教えて頂きました。 この「第1回 リスナー時代」の第2ページが、 ちょうど、1980年代半ばの東京の rock/pop 寄りの輸入レコード店の話になっています。 これを読んでいて知ったのは、MAXI の本店があったのは明大前ではなく下北沢だったこと。 うーむ。モダーンミュージックと混乱していたかしらん? 当時本店が明大前の方にあるという話をきいたことがあるだけで 行ったことは無いので判らないのですが、 MAXI は下北沢と銀座の2店舗で営業することはなく、移転だったのかしらん?

しかし、こうやって当時の話を書いていると、あの頃に行っていた 輸入レコード店の系列とか本店支店の関係とかそれ関係の人脈とか全然わからない、 とつくづく思います。 当時、音楽雑誌とかで調べてレコード店に行くわけでもなく、 行くレコード店に特に拘りがあったわけでもなく、 そういうことへの興味があまり無かったように思います……。 自分がそういうことを意識するようになったのは、 インターネットを通して同好の音楽趣味友達ができて、 その手の話をするようになった1990年代以降です。

インタビューの見出しにもなっていますが、このインタビュー記事の中で瀧見は 「80年代は過去にさかのぼるベクトルが全くなかった」という話をしています。 確かに、当時の自分はプログレな先輩をウザイと思ってましたし (笑)、 当時から現在に至る自分の「過去の名作より現在の佳作」というスタンスも 当時の雰囲気の中で無意識の内に形成されたのかもしれません。 しかし、その一方で、瀧見がそこで言う程、 1980年代は過去に否定的ではなかったようにも思います。 LPでの再発もそれなりにありましたし。 というか、彼は一部の極端な例というか、 彼が属していた後に渋谷系のトレンドセッターとなるような 業界周辺の pop/rock サークル内での話のように感じられます。 当時、同じようなレコード店に出入りして似たような音楽を好んで聴いていたとしても、 自分のようなごく一般的な音楽ファンのレベルでは、 ここまで過去の音楽に否定的ではなかったのではないかしらん。

自分の場合、新譜で買うのは限られていて、 図書館で借りたり中古落ちを待って遅れて聴くことが多かったです (というか、今でも中古/セール落ちを待って買うことが多かったりします)。 そんなわけで、好きなバンドやレーベルであれば新譜で買いたいと思いましたが、 「一年前は古い」とまでは思っていませんでした。 再発に関して印象に残っていることと言えば、 確か1983年頃だったと思いますが、Polydor Japan で 「ルーツ・オブ・ニューウェーブ」もしくは「カルト・ロック・クラッシックス」 のような再発シリーズ企画があり、 The Velvet Underground、Slapp Happy、Faust などが日本盤LP再発されたことです。 それらを図書館にリクエストして借りていましたよ。 自分が代々木 Eastern Works へよく行くようになったきっかけも、 初めて行ったとき (たぶん1982年) に Neu! の1972-75年のベスト盤 Black Forest Gateau (Cherry Red, BRED37, 1982, LP) を買うことができたことですし (これがとても嬉しかったのを覚えています)。 六本木 WAVE が開店したばかりの頃のセール (1984年頃) で Slapp Happy, Sort Of (1972; Recommended, R.R5.5, 1980, LP w/ 7″) を見付けて大喜びしたりもしてましたし (遠い目)。

ま、渋谷系のトレンドセッターとなる人と、 普通の音楽ファンの自分を比較するのも、とても変な話ですが。 同じようなレコード店に出入りして似たような音楽を好んで聴いていた 同世代 (1歳違いかな?) のようですし、 渋谷系トレンドセッターの人達の話に出てくる1980sの都内の輸入レコード店界隈に 過剰にオシャレなイメージを抱いている当時を知らない世代の方に、 そのレコード店界隈には、特段シャレた趣味をしてるわけでもなく マイペースで音楽を楽しむ普通の音楽ファンもいたということを、 この話から実感して頂ければ、と。 (このサイトには、そんな世代の読者はあまりいない気もしますが……。)

[1593] 嶋田 丈裕 <tfj(at)kt.rim.or.jp>
- 若林, 東京, Wed Mar 29 23:32:20 2006

先日教えてもらった 岩永 正敏 『輸入レコード商売往来』 (晶文社, ISBN4-7949-1974-3, 1982) を、早速、図書館で借りで読んでみました。 1970s〜80sに南青山骨董通りにあった輸入レコード店 Pied Piper House の オーナが書いた本です。 とても興味深い内容で未読の方に是非お薦めしたいのですが、 24年前に出版された本で、さすがに 新品では入手不能、 古本を探すしかなさそうです。 そんなわけで、引用を多めに、内容を紹介します。 って、この談話室の読者層からすると、 釈迦に説法な気もしないではないですが……。

この本は『就職しないで生きるには』というシリーズの中の一冊です。 確かに、導入の第1章の「おとうさん、ホントにシャチョーなの?」など、 自分のレコード店での日常の描写から、 輸入レコード店とはどういう仕事なのか平易な言葉で語るという内容です。 まだ働いた経験がほとんど無く輸入レコード店にもあまり縁のない20歳前後の若者 (たぶんこれが想定読者) に、 店での仕事の雰囲気を知ってもらうには、これでいいのかもしれません。 しかし、輸入レコード店の実務を勉強できる実用書の類の本ではありません。

この本の読み所の一つは、 第3章「はじめてレコードを作った」から第4章「パイド・パイパー・ハウス開店!」 にかけてです。ここで、 大学浪人時代に始めた学生運動から パイド・パイパー・ハウス開店までの経緯が語られています。 かなり試行錯誤紆余曲折があるのですが、比較的淡々と語られるエピソードからも、 今までなかったことを始めようという当時の当時者の熱い雰囲気が伝わってくるようで、 読んでいてとても引きこまれました。 パイド・パイパー・ハウスのアイデアの原点になったという、 実現しなかった模索舎改装計画スケッチも載っていて、とても興味深いです。 そういえば、僕が店に行くようになった頃には、 もう、喫茶コーナーは無かったなぁ……。 そして、そういう当時のエピソードを通して語られる レコード店のありかたに対する考え方は、 輸入レコード店を使う客という立場から読んでも共感するところが多いです。

しかし、この本の最も興味深く読めた所は、 第7章「買わないことのススメ!?」、第8章「貸しレコードもわるくない」、第9章「音楽をつくりつつ、売る」 です。ここで、1980年代初頭、貸しレコードやCDの登場によって変わりはじめた レコード業界を取り巻く環境を受けての話をしています。 深く掘り下げた論考というよりも、自分の経験を通して平易な言葉で語っているのですが、 それがまるで現在のデジタル音楽配信時代を先見しているかのような内容なのです。 約四半世紀前の1982年に書かれたとは思えません。 実際、「貸しレコードの問題をつっこむと、こんな夢想にゆき着いてしまう」と言いつつ、 まるで iPod / iTMS の登場を予想していたかのようなことを書いています (p.153)。

近い将来、レコードが円盤状である必要さえなくなり、小さなICチップがその代わりをするようになるかもしれない。いや、そんな媒体を使わなくても、最近、新聞紙上を賑わしているデータ通信が一般に公開されれば、音源はセンターにあって、家でボタンを操作さえすれば、好きな曲が、好きなだけ聴けることになるだろう。
そうなると「レコード店」は、いったいどうなるのだろうか。レコード会社も、いまのように「録音物」を売る必要がなくなるのだから、とりあえず解散。もちろん、貸しレコードなんていう問題は、物理的にも起こりえない話になる。

さらに、この「夢想」は音楽配信がもたらすであろう問題点 ――それも、既存の音楽業界の既得権益の破壊のような問題点ではなく、むしろ、 Lawrence Lessig が提起しているような―― にまで「夢想」は及んでいます (p.153)。

(しかし、この未来図は、ブラッドベリの『華氏四五一』の世界のように、報道から芸術に至るまでの、あらゆる情報の独占管理が行われる危険性も含んでいる。データ通信が、どのような形で公開されるかは、充分注視していなくてはならない)。

「夢想」だなんて謙遜もいいところで、 四半世紀前にここまで的確に音楽の未来を予想できていた人は、 あまりいなかったのではないかとさえ思ってしまいます (もちろん、彼の周囲をはじめ、当時既にこういう議論がされていたのかもしれないですが)。 このような予想の的確さだけではありません。 例えば、貸しレコード店ついてこんなことを書いています (p.150)。

極論かもしれないが、貸しレコード店の出現によって、これまで二◯代後半ではじまっていた音楽離れの傾向が防ぎ止められていたり、音楽愛好人口を増やすことになっているのだ。「ステレオ一台に、レコード数枚の普及率でよし」としていた業界にとって、これを時代の警鐘だと受け取ることができないなら、この国の音楽産業の未来は、かなり暗いといえるだろう。
貸しレコード店の利用者が、まったくレコード店へ足を運ばなくなったかといえば、そうではない。僕たちの店の客でも、貸しレコードを利用しながら、買うべきレコードかどうかを吟味してから来店する人がいるし、データ的にも、最近のロングセラー・レコード(中略)は、貸しレコードからのリターン現象があったことを物語っている (以下略)。

この議論の「貸しレコード店」の部分を 「ファイル交換ソフト (Napster など)」に置き換えれば、 まるで2000年前後にファイル交換ソフトとCD売り上げ低下を巡って行なわれた 議論としても通用するかのような内容です。 また、輸入盤に関しても、次のようなことを書いています (p.156)。

輸入盤が増えだしたころ「このままでは国内盤が売れない」といって、レコード会社と小売商組合、そして著作権協会が、輸入盤に対して、輸入後もう一度著作権料を徴収しようという企てをしていたが、貸しレコード問題が起こって空中分解したようだ。なぜかこの業界は、既得権の保護に汲々とすることだけに熱心で、対症療法のみをたてる伝統をもっているようだ。

また、音楽の自主的な流通の重要性についても、 次のようなことを書いています (p.159)。

前にも指摘したように、近い将来ディジタル・オーディオ・ディスクや、データ通信などの発達が、マス・メディアのシステムを変えた場合、問題となるのは、情報の一方通行が起こったり、管理化がより進んだりすることだ。これを防ぐには、受け手の側が、独自のメディアを持ち続けることが最も有効なのだが、現在の日本では、録音済みのテープやレコードについては、流通も生産もほとんどメジャーの手によってしか所有されていない (中略)。
小さくてもいいから、独自の流通と生産のシステムを音楽家と受け手の側で持っていくことは大切だ (以下略)。

この議論は、先日3月27日の CCJP シンポジウムでの講演で Lessig 「iTunes Music Store」を例に述べたという 「売り手側が、文化的コンテンツをいかに使うかを制限し、利用を厳しく管理している」現状に対して、 充分批判的に通用するものを持っている、 つまり、iTMS に対するオルタナティヴの重要性を説うているようにも読めると思います。 Lessig の講演内容については、 「ネット著作権が「危険な方向に走っている」──レッシグ教授」 (『ITmedia News』, 2006/3/27) や 「インターネットは知的財産権の敵ではない、レッシグ教授」 (『@IT NewsInsight』, 2006/3/28) を参照しました。

その他、非音楽家や未音楽家にとっての表現の自由の重要性に言及していたり、 レコードを公共的に保存管理できる機関の必要性を説いたり、 日本のレコード・ライブラリーを海外の大都市に設置してプロモーションすることを提案したりと、 興味深い記述があちこちにあります。 もちろん、現在のデジタル化による音楽の制作・流通の変化によって顕在化した問題に 積極的に取り組んでいる人達にとっては、 この本の議論は掘り下げ不足に感じるかもしれません。 しかし、この本が書かれてから約四半世紀の間に この本での議論からどれだけ先に進めたのだろうかと考えさせられますし、 そういう点から現在の問題を反省してみるのも悪くないようにも思います。

そういうわけで、輸入レコード店 Pied Piper House に興味ある人だけでなく、 津田 大介 『だれが「音楽」を殺すのか?』 (翔泳社, ISBN4-7681-0703-4, 2004) や David Kusek & Gerd Leonhard 『デジタル音楽の行方』 (翔泳社, ISBN4-7981-1003-5, 2005) が扱っているような話題に興味がある人に、 この『輸入レコード商売往来』 をお薦めします。

『就職しないで生きるには』という類の本のままではキツいようにも思いますが、 第7〜9章の議論の先見性についてちゃんとした解説を追加して、 そこに焦点を当てた形で再版するなり文庫化するなりすれば、 今でも充分に通用する本になるんじゃないかしらん。 って、『だれが「音楽」を殺すのか?』も実際はあまり売れなかったようですし、 やはりこういう本は売れないか……。ふむ。 しかし、昔からちゃんと考えていた人はいたのだなぁ、と、 『輸入レコード商売往来』を読んでいて感慨深かったです。