入院中はあまり本は読めなかったのですが、それでも、数年来の懸案となっていた アーシュラ・K・ル=グウィン (Ursula K. Le Guin) のファンタジー小説シリーズ 『ゲド戦記』 (The Earthsea Books aka The Earthsea Cycle, 1968-2001) を翻訳全6巻を通読することができました。 ベッドで横になっても読みやすいようソフトカバー版のボックスセットを持ち込んで、 2月18日から23日の6日間、1日1巻のペースで読んでしまいました。 やっぱりいいなぁ。 もし自分に子供がいたら読ませたいジュブナイル小説の筆頭です。
ちなみに、『ゲド戦記』を初めて読んだのは小学校高学年 (1977-1979) の時。 夏休みの宿題の読書感想文のネタにするからと、 第1巻の翻訳 『影との戦い — ゲド戦記I』 (岩波書店, 岩波少年少女の本34, 1976; A Wizard Of Earthsea, 1968) を親に買ってもらったのでした。 (実際にこれで感想文を書いたように思うのですが、さすがに何を書いたかは覚えてません。) これがとても面白かったので、続く 『こわれた腕輪 — ゲド戦記II』 (岩波書店, 岩波少年少女の本35, 1976; The Tombs Of Atuan, 1971) も買ってもらい読みました。 しかしそれまで。理由はよく覚えていませんが、初期の三部作の最後 『さいはての島へ — ゲド戦記III』 (岩波書店, 岩波少年少女の本36, 1977; The Farthest Shore, 1972) には手を出さずじまいでした。 しかし、小学生時代に買ってもらった2冊は今でも本棚に並んでます。 で、2004年に全6巻の翻訳が揃って以来、これを機会に全巻通読してやろうと思っていたのですが、 最近すっかり小説離れしてしまったこともあり、なかなか手が付けられないままでいたのでした。
世間から隔絶された環境で全巻通読したせいか、 小説離れしていた割に、小説の世界に没入して読むことができました。 そんな中で最もハマったのは『帰還 — ゲド戦記IV』 (Tehanu, 1990)。 冒険活劇的な面が抑え目で淡々とした日常を描いている所が良いです。 魔法を失うことによってできるようになったこと、というか。 テナー (Tenar) とゲド (Ged) (この巻での主要登場人物) の歳が自分に一番近かった からかもしれませんが。ふむ。
しかし、こうして通読してみると、やっぱり、三部作と後に書かれた 『帰還 — ゲド戦記IV』、 『ゲド戦記外伝 — ゲド戦記別巻』 (Tales From Earthsea, 2001) と 『アースシーの風 — ゲド戦記V』 (The Other Wind. 2001) は、少々雰囲気が異なるように感じられました。 例えば、女性を遠ざけ生涯を独身として通す魔法使いのあり方は、 三部作ではむしろステロタイプなラブロマンスやプリンセスストーリーを 避ける枠組として生かされているように思うのですが (特に『こわれた腕輪 — ゲド戦記II』)、 後の作品では女性に対して閉鎖的な男性社会として批判の対象にすらなります (特に『ゲド戦記外伝』所収の『トンボ』 (Dragonfly, 1997))。 フェミニスト的な主題がぐっと表面化するというか。
しかし、勢いで『空飛び猫』 (Catwings) シリーズに手を伸ばしてしまいそうです。 って、どうしてそっちへ行く。 こっちは翻訳でなくてもいいかなぁ。
好きなテレビ番組の一つに、NHK の紀行番組 『世界ふれあい街歩き』 があります。放送分は必ず録画しているという程でもないのですが、 それでもなかなか観る時間が取れずにHDDレコーダに溜っていた (十数回分、1年以上前に録画したものもあり) ので、 手術前の一時退院中と退院後の自宅加療の間に、まとめて観てしまいました。 旅行どころか近所への散策すらままならない日々なので、 せめて気分だけでも、というか。
この紀行番組の特徴は、途中に何回か挟まる「インフォメーション」以外は全て 街歩きをしている旅行者の主観視線の映像で構成されていること。 それも、ステディカム を使った手ブレすらないなめらかな映像で、それを実現してます。 音声も、アフレコはこの旅行者の淡々としたモノローグと 街の人たちとの会話の通訳、それに控えめな音楽くらいで、街の音が生かされてます。 観光名所もそこそこに下町の路地に入り込み、 その街に暮らす人々との何気無いと日常をむしろ多く取り上げる所も良いと思います。 特に何も起きずに歩いているだけのシーンも多かったりしますし。 まるで自分が街歩きをしているような気分になる所はもちろん、 慌ただしくなくゆったり落ち着いた紀行番組に仕上げている所が気に入っています。 もちろん、最近は、世界遺産の街めぐりと化して観光色濃くなってしまってますし、 感動の安売りという程ではないものの モノローグのセリフも「あったかい」のようなお約束の言葉が鼻につくのですが、 それでも、紀行番組の中ではマシな類にも思っています。
以前は、ドキュメンタリ色濃い紀行番組 『地球に好奇心』が最も好きだったんだけどなー。2003年で終わってしまって、残念。 それに比べると、『世界ふれあい街歩き』は、 あくまで観光客目線に過ぎないという物足りなさを感じます。 一方、Dr.ロマンのような進行役を使い、レポーターをフィーチャーして感動を安売りするかのような演出の 『探検ロマン 世界遺産』 は、いかがなものか、と思います。 取り上げる場所は興味深い所が多いので、それなりに観てますが……。 なんか、TBSで放送されてる 『日立 世界ふしぎ発見!』 みたいで、レポーターってミステリーハンターか、と。 というか、そういう作りの番組は民放に任せておけばいいのに、と思ってしまいます。 あ、『日立 世界ふしぎ発見!』 は、 民放にしては良い番組だと思ってますよ。 たまにレアな場所 (ちょうど入院中の2月16日に放送したスーダンとか) を取り上げるので、 そういう時は観ることもあります (HDD録画して広告やクイズの所は飛ばして観ますが)。
そんな感じで、 『世界ふれあい街歩き』 の 「ローマ スペイン広場から南へ」 の回を観ていたところ、インフォメーションのコーナーの一つで、 ミモザの日というのを紹介していました。 イタリアでは、国際女性デー (⇒ja.wikipedia.org) に男性から女性にミモザの花を贈る習慣があるという。 ロシアをはじめ旧共産圏諸国では国際女性デーが祝日になっている国も多く 男性から女性へ花を贈る習慣があるという話は 以前から目/耳にしたことがありましたが (例: 「3月8日は「国際女性の日」?」 『クロスロード』, 2005年3月号, JICA)、 イタリアでもそうなのかー、と。 意外と旧共産圏に限らずヨーロッパとかでは一般的だったりして。 で、それを観た直後に観たNHKのローカルニュースが 「ロシア向けの花の収穫作業がピークを迎えてます」 と報じていて、なんという偶然、というか。
ところで、先週末、入院中に アーシュラ・K・ル=グイン『ゲド戦記』 (岩波書店; Ursula K. Le Guin, The Earthsea Books, 1968-2001) を読んだという話をしたわけですが、 その数日後、いつも読んでるブログに『ゲド戦記』ネタが投稿されたり: 「男はみんな死ねばいい?」 (『sociologbook』, 2008/03/05)。 なんという偶然、というか。 先週末も書いたけど、第4巻というか 『帰還 — ゲド戦記IV』 (Tehanu, 1990) はいいですよね。ほんと、しみじみいいです。改めてお薦め。 ちなみに、「男はみんな死ねばいい?」 で引かれているコケばばの言葉は、 第5章「好転」の最初の方に出てくるものを意識したものかと。 が、オリジナルは「男は?」「女は?」だけで「竜は?」はありません。 うろ覚えということなので、 「女が何者だって? 誰にも答えられん。」あたりが 竜に入れ替わってしまったのかしらん。
話を戻して、今日3月8日は国際女性デー。 ま、残念ながら僕には花を贈るほど親しい女性の友人はいないので、 そういう面では関係ない日ですが……。 2000年の国際女性デーに、当時の国連人権高等弁務官 Mary Robinson が こう言ったそうです: 「女性が権利の獲得に向けたこれまでの歩みを祝うと同時に、 女性被害者がいまだに跡を絶たないことに思いを致す日です。」 そんなわけで、『sociologbook』の 「男はみんな死ねばいい?」 や、そこからリンクされているブログのエントリを読みながら、 「女性被害者がいまだに跡を絶たないことに思いを致」してみるのも良いかもしれません。 『sociologbook』の続くエントリ 「負の当事者性」もお薦め。 ちょっとズレるけど、このエントリを読んで、 British reggae のグループ UB40 (関連発言) の最も好きな歌の一つ "Burdon Of Shame" (Signing Off, 1980) が頭を過ったり。 "I'm a man / not proud of it / While I carry the burdon of shame" というか。