食文化に関する 嶋田 TFJ 丈裕 の発言の抜粋です。 順番は新しいものほど上になっています。 リンク先のURLの維持更新は行っていませんので、 古い発言ではリンク先が失われている場合もありますが、ご了承ください。 コメントは談話室へお願いします。
食文化ネタの読書メモをもう一つ。
日比野 光敏 『すしの歴史を訪ねる』 (岩波新書 (新赤版) 641, ISBN4-00-430641-8, 1999) は、本を読む前の関心事だった 「19世紀初頭の握り寿司の原形から現在のスタイルの寿司の成立に至る歴史」 に関する記述は第6章「握りずしの時代」だけと薄かったですが、 奈良時代以前は文献で遡ることができるところから、 現在に至るまでのすし (鮨、寿司) の歴史がざっと追える、よい本だと思います。 特に、様々な形態のすしの系統の分析がよくまとまっていると思います。 なれずし→箱ずし (押しずし) →握りずし、 のようば漠然とした変遷は知っていたものの、 ちらしずし とか 巻きずし がどう派生したのかは知らなかったんですが。 ちらしずし は、箱ずし→すくいずし→ちらしずし という感じで派生したんですね。 巻きすしのルーツは 姿ずし のようです。ふむふむ。
江戸時代の握りすしの屋台での売り方は今の回転すしに近いものだった、とか、 漠然と持っているすしのイメージを覆されるような 興味深いエピソードが多く載っていて、面白く読めるんですが。 特に、なれずしの一種である近江のふなずしが、 古代日本のすしの製法を伝えているわけではない、っていう話が 興味深かったですし、考えさせられるものがありました。
江戸時代の料理書『合類日曜料理抄』(元禄二(一六八八)年)にある「近江鮒の鮨」は、「寒のうちに漬ける」とある。 今日のように夏の土用に漬ける方法が、平安以来の伝統をもっているわけではないことが、これで判明した。 同書はまた、フナの塩切り期間を「一日」とも述べてもいる。 江戸時代の近江のフナずしは、寒ブナを浅い塩漬けのもとで漬けたものであり、今日のように、春の子もちブナを何カ月も塩切りしてつくるものではなかったのである。
要するに、今日のフナずしの製法は、古代の製法とはもちろん、江戸時代のそれとも異なりをみせる。 原始的な製法であるどころか、むしろひじょうに高度に完成された調理形態だといえる。 明治の文献(小泉清三郎『家庭鮓のつけかた』一九一〇年)には今日と同じフナずしの製法が紹介されているから、こうした製法が整備されたのは、江戸中後期二〇〇年の間のことだと推定される。
さらに、この著者は、近江のフナずしの「原初性」の否定に続いて、
古代日本の製法および食法をそのまま今に伝えるすしの例はないものか。
結論からいえば、「ない」と見てよい。 古代のすしがもっていたさまざまな「古習」は、今日、複数のすしに、断片的に分かれて残されている。
とも言っています。 この話を読んでいて思い出したのが、生物学における系統と進化の話。 たとえば、類人猿から人類が進化した、ということから、 現在の類人猿 (チンパンジーやゴリラ) から人類が進化したとイメージしがちですが、 正確にはそれは間違っていて、実際は類人猿の共通の祖先から チンパンジーやゴリラ、人類が進化したわけですね。 系統進化や古生物に関する入門書を読んでいると、 この手の錯誤に対する注意がよく書かれているわけですし、 それなりに判っていたつもりですが。 こういう話は生物学に限らないんだなぁ、と実感。 というか、一般に、形態による分類とその変遷・展開 (例えば、音楽のジャンルとその展開、とか) に関して考察するときに 陥り易い錯誤のようにも思います。 注意しなくちゃいけないなぁ、と、ちょっと自戒。
この本の難点といえば、図版が少ないこと。 さまざまな時代の特徴を残した日本各地の多様なすし (それも、塩辛や漬物に近いものまで) を紹介しているのですが、 どんなすしなのがイメージが沸き辛いという面は否定できません。 日本各地にどんなすしがあるのかを知りたいのであれば、同じ著者による 『すしの事典』 (東京堂出版, ISBN4-490-10577-0, 2001) の方が良いように思います。 歴史的な記述なら『すしの歴史を訪ねて』が良いでしょうか。 って、『すしの事典』は図書館で軽く目を通しただけですが。
ホリイさん お薦めの 小泉 武夫 の本ですが、とりあえず、地元の図書館に在庫していた 『発酵 ― ミクロの巨人たちの神秘』 (中公新書 939, ISBN4-12-100939-8, 1989) を読んでみました。 面白かったですけど、食文化の本というより、醸造科学の入門書という感じでした…。 タイトルからして、 『発酵食品礼讃』 (文春新書 076, 1999) とか 『漬け物大全 ― 美味・珍味・怪味を食べ歩く』 (平凡社新書, 2000) あたりがよいのかしらん。しかし、あまり薀蓄エッセーみたいのもなぁ、と、思ったり。
食文化ネタが意外に好評だった (!?) ので、 そのフォローアップ。 というか、通勤途上の古書店の100円コーナーで、 廣野 卓 『古代日本のミルクロード ― 聖徳太子はチーズを食べたか』 (中公新書, 1239, ISBN4-12-101239-9, 1995) を見かけたので、買って読んでみました。
フランスはチーズの宝庫で、村ごとに特徴のあるチーズが造りつづけられている。 なかでもロックフォールチーズは、フランスチーズの代表的な風味のチーズである。 そのロックフォールチーズが造りはじめられたのは、 西暦一一〇〇年ころのことであるといわれている。 ところが、それより約五〇〇年前の飛鳥時代から、大和の国では酥が造られていたのである。 つまり、聖徳太子は酥を味わった可能性がある。
という比較がこの本には頻繁に出てきますが。 ロックフォールチーズの一一〇〇年頃というのは、どこから引いたものなのか気になりました。 「その歴史も2000年前以上」 と書いている人もいますね。ま、こっちも、いかにも「伝説」的なんですけど。
ま、日本における醗酵乳製品の歴史は、ヨーロッパに負けないくらい古い、ってことは、 この本を読んでいてわかりました。この本によると、 ミルク文化は律令制度などと通して貴族文化に強く結び付いていたため、 武士の勃興のともに廃れはじめ南北朝の戦乱の頃に完全に消滅した、 戦乱の中、乳製品を作るような悠長な作業は真っ先に衰退してしまった、 ということのようです。 といっても、畜産食品は間接消費が大きいため、 生産性が低くなったり人口過剰となると食生活が動物性から植物性に傾く、 というのはヨーロッパでも見られたことですし (南 直人 『ヨーロッパの舌はどう変わったか ― 十九世紀食卓革命』 (講談社 選書メチエ, ISBN4-06-258123-X, 1998) や ウィルヘルム・アーベル 『食生活の経済社会史』 (晃洋書房, ISBN4-7710-0428-5, 1989; Wilhelm Abel, Stufen der Ernaehrung - Eine Historische Skizze, 1981))、 日本でのミルク文化の衰退というのもこれと同様のことなのかなぁ、と読んでいて思いました。
あと、この『古代日本のミルクロード ― 聖徳太子はチーズを食べたか』が面白いのは、 「古代のチーズを復元する」の章を設けて、 酥、蘇、醍醐といった乳製品の具体的な製法や物性について、 帯広畜産大学有賀研究室での再現実験に基づく検討がされていることでしょうか。 再現実験の手順が詳しく書かれているので、 気合があれば自分でも作ることができるでしょう。 というか、読んで実際につくってみた人もいるよーですね。をを。
どうも、ホリイさん。 醗酵食品の話や食文化の近代化の話は、僕も以前からそれなりに興味がありますよ。
文章の下手さについては、僕も人のことは言えなくて、 僕の昨晩の発言も一体何かいいたいのか、って感じですが。 ま、押し寿司だって「なれずし」の「フェイク」、「ファスト・フード」と言っていいと思いますし、 そもそも、現在の生の魚の切身を一口大の酢飯に載せるような現在の握り寿司は江戸時代の握り寿司ともかなり違うものですし。 現在のようなスタイルの寿司の成立は、 江戸文化云々の問題ではなくて、むしろ食文化の近代化の問題じゃないかと。 ま、日本画の成立にも似たことろがあると思いますが、 その手の「伝統文化」の多くが実はそんなに伝統的というほどのものではない (むしろ近代化の中で成立した)、という話には共感するところも多かったりします。
「米を食べる目的が無い」という点に関していえば、例えば、 若狭の小鯛の笹漬けは、 酢飯の無い押し寿司って感じの食べ物で、 米無しの方向で「なれずし」の醗酵を酢で置き換えたものですね。 もちろん、小鯛の笹漬けをネタに使った押し寿司もあります。
加賀の柿の葉寿司 も、もちろん、食べたことありますよ。って、検索していて気付いたんですが、 奈良にもあるんですねー、 って、こっちの方が有名なのかしらん。 小鯛の笹漬けや富山のますのすしで使われている笹の葉も、 単なる香り付けに使われているのではなく、 柿の葉同様に抗菌作用があるので保存がきくように使われているものですね。
押し寿司、ウマイですよね〜。 両親の郷里が福井県だったこともあり、 北陸界隈では駅弁をはじめ弁当やお土産として様々な種類の押し寿司が売られている (ちなみに、魚醤もいろ いろあります) ということは知っているんですけど。他の地方はどうなんでしょうね? ご当地の押し寿司というのもあるような気もするけど、 近代的な握り寿司に圧されて消えてしまったものも多いような気がします…。 そういえば、外国人は押し寿司の存在もほとんど知らないんじゃないかと思います。 「スシ」 (近代的な握り寿司) のほかに、 今でも、地酒同様にその土地ごとに独特の押し寿司があるという話は、 ヨーロッパのビール・ワインやチーズの話と似ていて、 外国人 (というか西洋人) にウケそうな気がします。どうでしょう?
醗酵食品一般に関してですが、 小泉 武夫 の名前は知っていましたが、本をちゃんと読んだことはないです。 新書も何冊か書いているみたいですし、こんど手に取ってみようかしらん。 そう、何年か前の話ですが、醤 (ひしお) や塩辛について何気なく調べていて、 滋賀県在住で醗酵食品関係の研究の職場に勤めているらしい人が趣味で作っていた かなりマニアックな世界の醗酵食品の個人サイトに行き当たったことがあったんですが、 今検索しても見当たらないですね。無くなってしまったんでしょうか。残念。
あ、ホリイさんが、 鮒鮨の話 をしていたことに今更ながら気付きました。 そそ、今、スシといったら握り寿司を指しますが、 もともと、「なれずし」という発酵食品だったんですよね。 あと、「なれずし」と握り寿司の中間形として、押し寿司を忘れてはいけません。 近江の鮒鮨は食べたことないんですが、僕の両親が福井県だったこともあり、 けっこう押し寿司に馴染みがありました。東京じゃあまり馴染みが無いようですが。 幼い頃は、両親の郷里への帰省の途中で、 若狭の小鯛の笹漬けや富山の「ますのすし」を食べるのが楽しみでしたよ。 というわけで、握り寿司のルーツに「なれずし」がある、のような話は、 子供の頃からなんとはなしに知っていたように思います。
あと、現在、握り寿司といわれるような寿司の原形が成立するのは、 江戸といっても江戸時代末期の19世紀初頭ですからねー。 実は、黒船来航直前 (1957年) くらいですよ。 それも、現在のもとはかなり違い、 その当時の握り寿司はネタに生の魚は用いられておらず、 大きさも一口で食べられないような大さだったといいますし (例えばここでの記述)。 今の回転寿司で供されるような 生の魚の切り身を一口大の酢飯の上に乗せるような握り寿司のスタイルは、 生のままの魚を保存・流通させるという問題を考慮しても、 近代以降に成立したものだと考えて良いと思います。 握り寿司が日本全国に普及したのは、関東大震災で江戸の職人が全国に散ったから (例えば、これや これ) とか、 第二次世界大戦中の委託販売形式で認められたのが握り寿司だけだったため (例えば、これや これ) とか言われています。そんなわけで、現在のような握り寿司の成立も 日本における食文化の近代化の中に位置付けることができるような気もします。
ま、これに似たような話だと思うのですが、例えば、 ヨーロッパで牛乳を飲むという習慣も近代に成立した、という話があります。 近代以前では牛乳は保存・流通させることができなかったため、 チーズにするしかなかったわけです。 って、こういうことを意識するようになったのは、もう一年以上も前になりますが、 岡田 哲 『とんかつの誕生 ― 明治洋食事始め』 (講談社 選書メチエ179, ISBN4-06-258179-5, 2000) や、 南 直人 『ヨーロッパの舌はどう変わったか ― 十九世紀食卓革命』 (講談社 選書メチエ, ISBN4-06-258123-X, 1998) といった本を読んだことからだったりしますが (というわけで、当時ここに書いたことを抜粋)。 ま、これらの本には寿司について書かれていません。 そういう意味で、僕がここで寿司について書いたことは、 寿司について断片的に読んだものからの漠然と自分で考えたことで、根拠は薄いですが。 発酵食品からの歴史というよりも、 19世紀初頭の握り寿司の原形から現在のスタイルの寿司の成立に至る歴史を まとめて書いたものがあれば、読んでみたいですね。 お薦めの本があったら、だれか教えて下さい。
去年の末に、岡田 哲 『とんかつの誕生 ― 明治洋食事始め』 (講談社 選書メチエ179, ISBN4-06-258179-5, 2000) を紹介したときに、洋食というのは、食材や調理方法の観点では西洋化だけれども、 外食産業とかの観点まで視野に入れると近代化という面もあったように思う、と言ったわけですが。
その後、南 直人 『ヨーロッパの舌はどう変わったか ― 十九世紀食卓革命』 (講談社 選書メチエ, ISBN4-06-258123-X, 1998) を読んで、一般の日常生活における肉食の習慣はもちろん、 パンにミルク、コーヒーや紅茶などの飲み物で朝食を食べるなどの習慣なども、 西洋においても近代において成立したものであると知って、目から鱗。 食材や調理方法の近代化が欧州で先行していたために、 日本では近代化を西洋化という形で受容することになった、と考えるべきなのでしょうか。 この本の「はじめに」で、著者はこう言っています。
「西洋=肉食」「日本=米食」という対比は、一見古くからある伝統的な構造のようにみえるが、 じっさいは「近代化」という大きな歴史的変動の帰結であるととらえた方がよいと思われる。 明治以降の日本が取り入れた「欧米風」食生活は、 それ自身が近代化の波の影響下で大きく変化しつつある歴史的産物であった。
ちはみに、この本は、著者が『食卓の近代』と題を付けていたものだそうですが、編集者が変更したとのこと。 食材や調理法だけでなく、デーブルマナーや製造・流通の規制、外食文化など様々な観点で、 近代化を論じていて、原題の『食卓の近代』という方が地味かもしれないけど適切な題だと思います。
ただ、『ヨーロッパの舌はどう変わったか』が面白いと思ったのは、 単に食文化の近代化を論じているから、というわけではなく、 その根拠となる資料がふんだんに載っているから、だったりします。 例えば、中世以降にどういうものが食べられていたのか、を、 たんなるエピソードの紹介で済ますのではなく、 カロリー消費量や農産物の生産量といった統計的資料も駆使して 明らかにしていくところが、とても面白いのです。 この本でよく引かれている本の一つは、 フェルナン・ブローデル 『物質文明・経済・資本主義』 (みすず書房, 1985-88; Fernand Braudel, Civilization and Capitalism, 1979) だったりするのですが、こっちは大作過ぎて手に余ります…。うむむ。 第一章でよく引用されていた、 ウィルヘルム・アーベル 『食生活の経済社会史』 (晃洋書房, ISBN4-7710-0428-5, 1989; Wilhelm Abel, Stufen der Ernaehrung - Eine Historische Skizze, 1981) がコンパクトな本だったので、借りて読んでみています。 Adam Smith が『諸国民の富』でまとめているという、食生活の二段階 (人口が少なく肉食中心の第一段階、人口が増加して牧畜が縮小する第二段階) を延長して、近代において高度畜産加工農業が成立した第三段階、を加えた、 食生活の三段階を論じていて、けっこう面白そうです。ふむふむ。
先日、紹介した、 岡田 哲 『とんかつの誕生 ― 明治洋食事始め』 (講談社選書メチエ179, ISBN4-06-258179-5, 2000) についてですが。この本では、畜肉と小麦粉という食材を 従来の食事、特に米に合うように取り込んだものとして、洋食を捉えています。
で、この本では取り上げられていなくて、 肉と小麦粉を使う料理 (?) として頭を過ぎるのは、お好み焼。 それも、和風化したソースを使うという点も、実に洋食っぽい。 と気になったので、お好み焼の歴史について検索してみました。 もっと昔まで遡っているものもありましたが、 オタフクソース のサイトにあるように、 一銭洋食 が直接のルーツということのようです。 一銭洋食、という言葉は初めて耳にしたのですが、 京都には、 一銭洋食の店がまだあるようですね。なるほどー。 『とんかつの誕生』 を読んで、この本では取り上げられていない お好み焼 も 実に洋食的だなぁ、と感じたわけですが。やはり洋食だったのですね。 というか、一銭洋食、って実に的確な表現だなぁ、と思ってしまいました。 とても気に入ったので、これから使わせてもらおうかしらん。
『とんかつの誕生』で取り上げられている料理は、 とんかつのような洋食にしても当時はいささかヨソイキのものだったわけだし、 木村屋のあんぱんにしても皇室御用達の菓子という面もあったわけです。 その点で、一銭洋食のようなジャンクフードの誕生は、 食文化の洋食化、近代化といっても、とんかつやあんぱんの誕生とは違う面も あるように思います。ここらに詳しい本は無いのかしらん。 その一方で、とんかつやあんぱんは、それなりに当時の文献資料が残っていますし、 『とんかつの誕生』も、そういった文献にあたっているところが良いわけですが。 一銭洋食について文献資料はたいして残っていなさそうな気がするだけに、 本としてまとめづらいのかしらんとも思ったり。うむー。
岡田 哲 『とんかつの誕生 ― 明治洋食事始め』 (講談社選書メチエ179, ISBN4-06-258179-5, 2000) は、 幅広く明治時代の食文化の西洋化を捉えていて、意外と面白かったです。 1920年代にとんかつが誕生するまでの助走ともいえる、 明治時代の肉食の文化の浸透についてはもちろん、 例えばアンパンの誕生のエピソードに全六章のうち一章を割いているくらいで、 視野の広さが良い感じです。 最後の第六章「洋食と日本人」で歴史的な流れをコンパクトに纏めているわけですが、 これを最初に持ってきた方が見通しが良かったかも。 といっても、こういう食文化の変化の話は、僕のツボにハマりました。 「外食としての洋食」のような話にもっと焦点が当たっていると面白かったかしらん。 調理方法のレベルだと西洋化というレベルの話のように思うのですが、 外食産業のレベルから見ると近代化という面もあったように思うだけに。 近代食堂、というか。
『とんかつの誕生』 は、今年の春頃に出ていたようですが、 偶然、最近、古書店の店頭で見付けたんですが。やはり、最近、 井上 宏生 『日本人はカレーライスがなぜ好きなのか』 (平凡社新書066, ISBN4-582-85066-9, 2000) という本も出ているようですね。ちょっと気になって、軽く立ち読みしてみたんですが。 洋食の誕生から大衆化まで扱っているんですけど、ちょっとカレーライスに話題を絞り過ぎのような気も…。