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マレーシア
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(マラッカ)


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マラッカ Page3
クアラルンプール Page4

マラッカ  世界遺産
クアラルンプールから南東に約150km、マレーシア最古の都。
14世紀末、スマトラ貴族パラメスワラがマジャパイト王国に反乱を企て失敗し、シンガポールに逃げ、同地を支配したが、シャム(タイ)のアユタヤ軍と衝突し、西南のこの地(メラカ)に移り、王国を築いた。
マジャパイトとシャムの脅威から逃れる為、1405年明に朝貢使を送り永楽帝によりマラッカ国王と認められ、統制された初の国家「マラッカ王国」が誕生した。
永楽帝は「鄭和」に南海への遠征を命じ、1409年船団がマラッカに寄港。乗組員の一部が残留して地元マレーの女性と結婚し、海洋貿易等で富をなしていった。彼らはマラッカのペラナカン(海峡華人)の社会を築き、中国とマレーが融合した独特の文化が生まれる。
(彼らを総称してペラナカン、男はババ、女はニョニャと呼ばれる。スパイスとココナッツがベースのニョニャ料理は融合された文化を象徴していてとても美味しい。(後に紹介)
その後1509年にはポルトガル、1641年にはオランダ、1824年にはイギリスと、列強の支配を受けるが、内紛でスルタンが暗殺され、300年続いたマラッカ王家は滅亡する。
その後、英国のアジア貿易の拠点はシンガポールに移る。
その為、200年前のオランダ建築、100年前のチャイナタウン等がそのまま残存することとなる。

近代的なクアラ・ルンプール セントラル駅
クアラ・ルンプール国際空港と同じく黒川紀章の設計

クアラルンプールからマレー鉄道でマラッカへ
マレー鉄道
1848年スズ鉱山の発見で、スズが採掘されるようになり、
スズを運ぶ為、イギリスが鉄道を敷き、路線を延ばした。
さらにゴムの生産がさらに路線を延ばしていった。

ヤシのジャングル、ゴム園を車窓から眺めながら
古都マラッカへと進んでいく。

マラッカの町に入ると、ヨーロッパの様な町並みが見えてきた。
次はチャイナタウン。

ここは15~19世紀、ババ・ニョニャと呼ばれる
プラナカン(海峡華人)文化が栄えた所。

青雲亭寺院

マラッカに寄港した明の鄭和を讃えて、1646年に建てられたマレーシア最古の中国寺院。
貿易で栄えた町だけあって、寺院には絢爛豪華な装飾が施されている。
道教、儒教、仏教を広める為の寺で、3つの祠堂が設けられている。
  
北京や上海の寺院とはまた違った装飾で、屋根には動物や人の像で飾られている。 1つ1つ見ていると楽しいですね。
  
内部も豪華で美しい。 青雲亭は華人の心のよりどころであり、参拝者が絶えない。
カンポン・クリン・モスク

青雲亭寺院の並びにあるモスクで、1748年建造。インド系イスラム教徒(クリン)に由来する名前を持つ。
スマトラ様式の3層屋根で、尖塔(ミナレット)はパゴダ(仏塔)に似ていて、東洋色の強いモスク。

左:ニョニャ・チャン(チマキ) (糯米の中にスパイシーな甘辛の
豚肉と冬瓜の具が入っている。)
右奥:オンデ・オンデ(葉で巻かれた柔らかい団子の中にパーム
シュガーの蜜が入っている。)

服を後ろ前に着てバイクに乗っている人をよく見かける。
風よけのグッドアイデアですね。

チャイナタウンはここで終わり。 空を飛ぶ竜が印象的ですね。
このすぐ先が、レンガ色の教会で有名なマラッカの中心「オランダ広場」。
オランダ広場

オランダ広場 「ムラカ・キリスト教会
オランダ建築様式。1753年プロテスタントの教会として建てられた。
オランダ製のレンガが使用されている。

オランダ広場 「スタダイス」
1650年頃建築のオランダ総督の公邸。
東南アジアで最古のオランダ様式建築物。現在は歴史博物館。

スタダイス裏の丘の上に建つセント・ポール教会とザビエル像

セント・ポール教会前のフランシスコ・ザビエル
セント・ポール教会

日本にもキリスト教を布教したフランシスコ・ザビエル。
ポルトガル領時代、マラッカは東洋でのキリスト教布教活動の
拠点だった。ザビエルの遺骨はここに9か月安置された後、
インドのゴアに移された。


ポルトガル支配時代の1521年にこの教会は建てられたが、
カトリックに反発するオランダ人や、イギリス軍による攻撃で
破壊され、廃墟と化した。
サンティアゴ要塞

16世紀初め、ポルトガル軍がオランダとの戦いに備えて建設。
セント・ポール教会の建つ丘を囲む要塞だったが、
現在はこの門のみが残る。
マラッカ・スルタン・パレス

マラッカ王国の伝統的建築様式により、1985年に復元された
王宮。内部は文化博物館。
サン・フランシスコ・ザビエル教会

ザビエルを敬い、1849年にフランス人により建てられた
ゴシック建築の教会。

扇の様な葉のヤシ? いえ、バナナの一種らしいです。
まるで、扇形に加工して作ったかのようですね。

マラッカのニョニャ料理
左下:ココナッツたっぷりのエビカレー。 甘めで美味しい。
右下:ココナッツミルクと黒糖のシャーベット。こちらも美味。
マラッカの「ニョニャ・クエ」

「クエ」とはマレー&福建語でお菓子の意味。
プラナカン(海峡華人)の女性「ニョニャ」によって作られた
菓子のことを「ニョニャ・クエ」と呼ぶ。料理同様、お菓子も
中国の伝統的な菓子に、インドやマレー、タイなど東南アジ
アの味が加わり、イギリスやオランダ、ポルトガルの影響も
受けた独特のスィーツ。


「ニョニャ・クエ」の「スリムカ」(右前)他
糯米、ココナッツ、タピオカ等を使っている。ウイロウの様な味。

マラッカの観光も終わり、これからクアラルンプールに向かおうとバスに乗ったところ、
1組のツアー客がいないことがわかり、現地ガイドさんがセント・ポール教会の丘まで
探しに行ったが見つからなかった。
ガイドさんの携帯は充電切れの状態。 アメリカ人のFさんが率先してガイドさんと一緒
に丘まで何度も往復して下さったが、見つからない。
ホテルに連絡してもまだ帰っていない。
次第に不安が募る。バスで丘の向こう側のオランダ広場に移動し、バスを降りて皆で
探す。夕方で暗くなってくるし、気をもんでいたところ、やっと3時間後に2人がホテル
に帰っているという知らせがあり、無事でよかったと皆ほっとする。

 3時間もの長い間、お二人はどんなに不安な気持ちでいらっしゃったことでしょう。
 ガイドさんの携帯に電話しても繋がらず、警察に届けても見つからず、オランダ広場
 で1時間近く待っていらしたが、私たちに迷惑をかけない様にと、2時間もタクシーに
 乗ってホテルに戻られたということでした。
 ご無事で本当によかったです。


●ガイドさんは丘の上で人数確認をしていたようだが、顔まで確認していなかったかも
 しれない。丘に上る前、オランダ広場でも人数確認をすべきだった。
●また、集合場所、集合時間を徹底(バスから歩いて移動して降りた場所と集合場所が
 違う場合は特に注意)する必要があった。今回は集合場所を知らされていなかった。
 いなくなってすぐにオランダ広場まで戻って探すべきだった。
●ガイドさんの携帯充電切れがやはり大きなミス。
旅行初日、ガイドさんが寝坊して、運転手さんとHさんが部屋まで起こしに行ったという
のが、このハプニングの前兆だったのかもしれない。この時、ガイドさんの「どうして運転
手さんが起こしてくれなかったのか。運転手さん、大嫌い!」という発言にびっくり。中国
人的発言?日本人との意識の違いを感じたが、実際は悪い人ではなかった。

以前、ロンドンからパリに行く現地ツアーでも、インド人のグループが迷子になり、昼食
もクルーズも参加できなくなってしまったことがあった。「バスでちょっと待っていて。」と
言ったはずなのに、気が付いたらガイドさんがどんどん先に行っているので、私は見失
わない様必死で走って追いかけた。
かなり遅れてエッフェル塔のレストランに着いた黒人の女性が「あなた随分早く走った
でしょう。私たちはバスにいたのよ。」 話したこともない人だったが、日本人は他には
いなかったので、きっと目立ったのだろう。 私は自分が迷子にならないようにガイドさ
んに追いつくことが精一杯で、どんな人が同乗していたかもわからなかったので、「ごめ
んなさいね。教えてあげられなくて。」と言うしかなかった。
その女性は「大丈夫よ。食事は10分で食べれるから。」と言ってくれて、ほっとした。
インド人グループは帰りのユーロスターに乗る時には戻っていたので、食事とクルーズ
は残念だったけれど、一件落着。それにしても、仏のガイドさんはお客さんがいなくなっ
ても「しかたないわね」と、あまり気にしていなかったのには驚いた。


 日本国内では考えられないけれど、日本人に比べて海外ではアバウトなところがあり、
 日本の常識は通じないので、自分で気をつけるしかないというのが実感です。
 今回のミスでマレーシアのガイドさんが会社をやめさせられない様に旅行会社に電話
 された方もあったとか。日本人は本当に優しくて親切ですね。
 中国人のガイドさんがあまりにも気落ちしていたので、可哀想になって私も「めげずに
 お仕事頑張って!」と励まして帰国の途につきました。

 小さなミスが重なり、それが大きなトラブルにつながる。気を付けたいですね。

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