Trip Album Top

Home

旅のアルバム
エジプト
(Page1)カイロ、(Page2)メンフィス、サッカラ、ダハシュール、
(Page3)アレキサンドリア、(Page4)アブシール、ギザ


(1)カイロ
Page1

紀元前3000年、今から約5000年前、気の遠くなる様な昔の時代にすでにエジプトは統一され中央集権国家となり、高度な文明が発達しました。日本はまだ竪穴式住居の縄文時代に、巨大なピラミッド建築や、現在にも残存するミイラの作製技術、古代文字ヒエログリフ等々、目を見張る技術、文明が発達していたことになります。
今回は、世界最古の文明発祥の地エジプトを訪れ、5000年の昔に思いを馳せて見たいと思います。

参考:google map
エジプトは、「アラブの春」と呼ばれる2011年の革命で30年続いたムバラク独裁政権が倒れ、民主的選挙でムルシ大統領が誕生したのですが、この2013年6月30日に民衆の反政府デモが勃発、再び軍事介入によりクーデターが起こり、現在も軍部とムルシ派との対立が続いています。
今回の旅行は、休暇の関係で6月28日出発になってしまったのですが、出発前日旅行会社から「2日後に大きなデモが予定されているので、ツアーの内容を変更してデモ日にカイロに行かない様日程を入れ替えました。」と連絡があり、びっくり! 不安なまま出発しましたが、現地では早めにカイロを見て、デモの日はカイロから離れた所を見学し、危ない所は避けて移動したので、現地では全くデモに遭うこともなく安全に帰ってくることができました。このツアーが今期エジプト行き最後のツアーで、帰国後はエジプト渡航禁止になっていました。エジプトに着いて、家族から「アレキサンドリアのデモで死者が出たようだが大丈夫?」とメールがあり、アレキサンドリアは4日目に行く予定になっていましたが、幸いこちらもデモに遭わず観光することができました。ただ、乗車したアレキサンドリア行の電車の窓が銃弾で激しく割れていたのには驚きました。 ちょっと危ない旅行となりましたが、これ以上死傷者が出ない様、早く政権が安定して、平和なエジプトを取り戻してほしいものです。

地名をクリックしてお好きなところからもご覧になれます
カイロ Page1
メンフィス、サッカラ、ダハシュール、
オールドカイロ
Page2
アレキサンドリア Page3
アブシール、ギザ Page4

カイロ イスラーム地区(世界遺産)

ガーマ・ムハンマド・アリ
カイロ イスラム地区のイスラム建築群は世界遺産に登録されていて、600以上の大小の建築物が点在している。まずは城壁のある高台のシタデル地区から降りてみよう。
ムハンマド・アリ・モスク
(ガーマ・ムハンマド・アリ)

ガーマとは寺院のこと。高台のシタデル地区に建つ
ガーマ・ムハンマド・アリはカイロの代表とされる美しい建物。
シタデルとは、十字軍を破った中世アラブの英雄サラーフッディーン(サラディン):アイユーブ朝創始者 が1176年に建設した城塞。ここは19世紀のムハンマド・アリの時代まで政治の中枢であった。

城内にはガーマ・ムハンマド・アリをはじめ、ガウハラ宮殿、
軍事博物館、警察博物館、英国支配時代の牢獄、何本もの塔など、見どころも多く、カイロ市内を一望できる。

スルタン・ハサン・モスク
(ガーマ・スルタン・ハサン)

マムルーク朝建築を代表する一つで、1356~63年に建立された
世界最大級のイスラム建築。 奥に長く、中央に中庭がある。 
塔(ミナレット)の高さは90m。 礼拝堂の奥にスルタン・ハサンの息子の墓所がある。

ガーマ・リファーイー

ガーマ・スルタン・ハサンの右に並んで立つ。こちらは20世紀に入ってから建てられた寺院で、リファーイー教団の創始者、シャイフ・リファーイーの墓の跡地に造られた。イラン革命直前の最後のシャー(ペルシャの帝王の称号)、バフラヴィ2世(1979年没)の墓もある。

車とラクダとロバの道
カイロの町

エジプトに着いて、全体が「土色の町」という印象を受けた。
同じイスラム圏でも、トルコは建物に色が使われているのに対し、エジプトは殆どが砂漠の様な土色。


また、町中の路上やガソリンスタンドではよく喧嘩が見られ(下画像)、国民性の違いを感じる。現在ガソリン不足で、ガソリンスタンドは長蛇の列。道では、車とラクダとロバが交通・運搬手段として混在しているところは、エジプトらしい。(左画像)

エジプトで、一番衝撃的で、目に焼き付いてしまった光景は、延々と川岸にゴミが積まれていて、そのゴミが家畜のエサ場となっていたこと。 川には死んだ家畜がプカプアカ浮いていたり・・・・、ゴミが詰まって川が流れていない。衛生面もすごく心配だ。 ガイドさんが「恥ずかしい」と言っていたが、世界最古の文明の地エジプトの現状を垣間見て、複雑な思いがした。ロバたちは細い体で、ゴミを食べて健気に働いていた。

川岸がゴミ置き場。この光景が延々と続く。
めったにゴミ収集車は来ない。

路上で喧嘩は日常茶飯事らしい。

ロバにゴミのエサを食べさせている子供。
この写真1枚が全てを物語っているような・・・ 厳しい現実です。

ゴミに群がる家畜たち

大量のランプを吊るすランプ屋

頭に長い材木を載せて自転車で運んでいる人。
車道でよくこんな曲芸の様なことができると感心!



オート三輪(トゥクトゥク)の運転手は子供だった。
1952年エジプト革命以降、義務教育は日本と同じ9年(小学6年、中学3年)で、公立の学校は大学まで無償となったが、現実は20%の子供が学校に行かず働いている。識字率は71.4%。(15歳以上男性83%、女性59.4%)
素晴らしい世界遺産を見るだけではその国の本当の姿を知ることはできません。
心苦しいですが、現実から目を背けないで、見たままのエジプトも公開させて頂きました。
エジプト考古学博物館

ツタンカーメンの黄金のマスクはじめ、数々の秘法が展示され、ラムセス2世らファラオのミイラが眠るエジプト考古学博物館。エジプトの旅で、まずは訪れたい場所の1つ。カイロの街の中心、タハリール広場の一角にある。
見学予定日だった6月28日にタハリール広場で大きなデモが予定されているということで、1日早めて27日に見ることになった。
残念ながら館内での撮影は禁止の為、下の画像は美術館の庭の展示品。
日本でのツタンカーメン展は長蛇の列だったが、ここでは間近にじっくり見ることができ、マミールームでは、髪の残った完全なるラムセス2世のミイラはじめ、ファラオや女王達のミイラ12体が安置され、当時の技術の高さに驚かされる。(マミールームだけ冷房がきいているが、臭うのでハンカチを口にあてて見た。マミールーム以外は冷房がないので暑い。) パピルスの「死者の書」も必見! コレクションは12万点以上もあり、まだ部屋の隅に積み上げられているものもある。日本の支援で現在ギザに博物館移転計画(「大エジプト博物館」)があるが、政治的混乱で、資金難の状態。 15年夏ごろとされていた完成予定は大幅に遅れる見通し。
   
     

美術館前では銃を持った警官達が警備。
ツアーバスにも1人ずつ警官が付いてくれて心強かった。
突然、撮っていたカメラの映像の中にヌーッと現れたり、オチャメで楽しい警官でした。
暑いのにスーツを着ていたのは、中に銃を隠していたからでした。
ご苦労様です。
この後起こったクーデターのことを考えると、やはり
この時点ではもう既に危ない状況だったのですね。
カイロの街

洋服を木にディスプレイ。雨が降らないからできること?

商品をショウウィンドウに所狭しと陳列。
大量のランプ屋もそうだったけれど、これってエジプト流?
ハン・ハリーリ バザール
市ができたのは14世紀末頃で、19世紀初めに12の大バザールが一つになったが、
今はその一部が残っている。迷路の様な道の両側に土産物屋がぎっしり並ぶ。
金銀銅細工、象嵌細工、皮細工、ガラス細工、宝石、布製品、水パイプ 等々。
私はかけ引きが下手で、数を増やしたり減らしたりしているうちに結局最初に言わ
れた額よりも高い額で買ってしまった。上手な値段交渉は押しと才能が必要ですね。
パピルスの作り方
(8枚)
パピルスの説明を聞いていると、突然停電で真っ暗! エジプトではよくあることらしく
すぐにロウソクが用意されたが、暗すぎてパピルスの絵をよく見ることができず、
これではお店も商売上がったり!
やっとギザのホテルに到着。ピラミッドエリアに隣接する元宮殿ホテル。
この「メナ・ハウス・オベロイ」については、ルーズベルトやチャーチルも泊まった美しいスイートルーム等を後でご紹介します。
  
次ページ (Page 2) は メンフィス・サッカラ・ダハシュール
      click here!

     

    Back        This Page Top