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エジプト

(2)メンフィス、サッカラ、ダハシュール、
オールドカイロ

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ダハシュール(赤のピラミッド)

ギザから南に車で約30分の所に、第1王朝最初のファラオ、メネス王が築いた、古代エジプト最初の首都メンフィス、そしてメンフィスのネクロポリス(死者の町)サッカラがあり、そこには世界最古のピラミッド群がある。
そこからもう30分ほど南に行くと、屈折ピラミッド等で有名なダハシュールがある。
では砂漠の中の最古のピラミッド群へ行ってみましょう。

参考:google map

地名をクリックしてお好きなところからもご覧になれます
カイロ Page1
メンフィス、サッカラ、ダハシュール、
オールドカイロ
Page2
アレキサンドリア Page3
アブシール、ギザ Page4

ギザから古代エジプト最初の首都メンフィス、世界最古のピラミッドのサッカレ、ダハシュールへ(世界遺産地区)
(ギザ近郊の田舎町と田園風景)

フレッシュジュースのお店? 看板が魅力的。

川沿いを羊たちがエサ(ゴミ?)を求めて大移動。

家の上に鉄の棒が何本も立っていて、建設中の様な光景をよく見かける。これは建設がストップ状態で、この後は次の世代が続きを建築するらしい。未完成の家が多く、何となく落ち着かない。

ナツメヤシとトウモロコシ畑の長閑な田園風景
クレオパトラも食したデーツ(干したナツメヤシの実)は
エジプトの特産品。干し柿の様な味で、栄養価が高い。

果物屋の店番をしている大あくびの少年。

ターメイヤ(そら豆のコロッケ)を店頭で揚げて売っている。

カラフルな陳列の八百屋さん

子供がアエーシ・シャーミ(白い丸パン)を焼いて売っている。
アエーシとはパンのこと。中央で切ると中は空洞で具を挟める。
この地域ではオート三輪(簡易タクシー)の運転手をしている子供たちもよく見かけたが、やはり学校に行かず働いていた。
メンフィス

BC3030年頃、第1王朝最初のファラオ、メネス王(ナルメル王)が築いた、古代エジプト最初の首都
森の都、白壁の都と呼ばれ、プタハ神を祀る町として繁栄した。現在は野外博物館となっている。

ラムセス2世の巨像(体長約15m)。地震により足が破損。(この像だけは建物の中にある。)
ラムセス2世は新王国時代19王朝のファラオ(BC1275年即位)で、絶大な権力を誇った。

ラムセス2世の肩、ベルト、手首にはヒエログリフで書かれた王の名前の楕円形の枠(カルトゥーシュ)が確認できる。




巨像の左足の後ろには、ラムセス2世を支える女性
の手が刻まれている。もしかして美しい王妃ネフェルタリ?

野外博物館の立像の数々

アラバスター(雪花石膏)製のスフィンクス
ギザのスフィンクスに次いで、国内2番目の大きさ。(全長8m)

メンフィスの野外博物館

ラムセス2世の立像。
左足を前に出しているのが特徴。
   
 
砂漠の中の古都で、ランタナ等日本でもみかける綺麗な花を見つけました。
サッカラ

サッカラは首都メンフィスのネクロポリス(死者を葬るための「死者の町」)であった。
ここには長方形の墳墓、マスタバ墳が数多く残っているが、その長方形を積み上げた
様な形の
階段ピラミッド世界最古のピラミッドとして注目される。この階段ピラミッドを
中心とした、祭殿、神殿などのピラミッドコンプレックス(複合建築)を見ることができる。
ジョセル王の「階段ピラミッド」を中心としたピラミッドコンプレックス(複合建築)
紀元前2650年~紀元前2610年頃の建築
イムホテプ
ジョセル王は、トート神の神官であるイムホテプを宰相として登用した。イムホテプ
はサッカラの「階段ピラミッド」を造った建築家であり、内科医としても優れていた。
映画「ハムナプトラ」では、ミイラとなったイムホテプが蘇り、悪役として出てきましたね。
当時の王宮のスタイルを模した入口

入口右側に、王位更新祭が行われたセド祭殿がある。
世界最古のピラミッド
第3王朝 ジョセル王の階段ピラミッド

マスタバ墳(長方形の墳墓)を6段重ねて
今までとは違った新しい形の墓を作った。
 
2列に20本の巨大ば柱が並ぶ柱廊
パピルス柱(パピルスを束にして柱にしたイメージ)

コブラの神ワジェトの壁

階段ピラミッドの中庭を挟んで「コブラの壁」の横にある竪穴墓

竪穴墓
深い階段の下には、王の内臓が納められた、また高官
のミイラが納められたとも言われている。

ウナス王のピラミッド
ジョセル王の階段ピラミッドの南西にある。内部にはピラミッドテキスト
(ヒエログリフ文書)があるが、崩れかけていて、残念ながら入場できない。
ダハシュール

サッカラから南へ約4km下った砂漠地帯で、変わった形のピラミッド群がある。
赤のピラミッド、屈折ピラミッド、黒のピラミッド等。(1996年から一般公開)
観光客は少なく、何もない広大な砂漠の中にポツン、ポツンと点在する。
赤のピラミッド
(第4王朝スネフェル王のピラミッド)

サッカラの 「階段ピラミッド」を造ったジョセル王の次の時代。
ギザの大ピラミッドを建設したクフ王の父 スネフェル王
(在位紀元前2613年~2589年)が建設した。
高さ105m、底辺220m、傾斜角は43.22°で
ギザのピラミッドより緩やか。

赤のピラミッドから遥か遠くに黒のピラミッド(左)屈折ピラミッド(右)が見える。
では、屈折ピラミッドまで行ってみましょう。
屈折ピラミッド

赤のピラミッドと同じスネフェル王の建設とされる。
当初、下部の傾斜角で設計されたが、途中でひび割れ
が出来た為、下部を補強して、上部の角度を緩やかに
したので屈折型になったと言われている。

屈折ピラミッドの古い呼び名は
「スネフェルは南で輝いている」
高さ105m、底辺188m、傾斜角下部43.22°、上部54.27°
中央下の人間の大きさと比較するとピラミッドの大きさがわかる。
一つ一つの四角い石もかなり大きい。


  黒のピラミッド    

玄武岩と日干しレンガで造られた為、黒く見える。
第12王朝アメンエムハト3世(在位紀元前1842年~
1797年)の建設。後に化粧石を剥がされ、風化した。
現在は遠方からの見学のみ。

元の高さ81.5m(現在は30m)
オールド・カイロ

カイロ発祥の地オールド・カイロ
オールド・カイロを知るにはコプトを知る必要がある。
コプトとは: エジプトにおけるキリスト教の一派で、聖マルコが最初にエジプトにキリスト教を
もたらしたと言われる。2~3世紀にはアレクサンドリアはキリスト教の聖地として発展するが、
3世紀にはローマ皇帝ディオクレティアヌスが多くのキリスト教徒を虐殺し、451年には宗教会議で
異端とされる。ローマ統治時代にもさまざまな抑圧を受ける。アッバース朝時代にはイスラム教徒
以外には高い税をかけられ、イスラムへ改宗していった人も多い。

少数派となってもコプトたちは迫害を逃れてキリスト教を守り続け、現在は国民の約1割、
300万~400万人のコプト教徒がいると推定されている。
聖セルギウス教会
(バシリカ様式)

教会入口は半地下にあり、教会とはわかりにくい。
キリストとマリア、ヨセフの聖家族がエジプトに逃れてきた
時に身を隠したとされる地下室の上に建てられている。
礼拝堂左手奥に地下室があり、柵より下に行くことはできない。
5世紀に建設。焼失後、12世紀に再建。

(残念ながら内部は撮影禁止)
 
この地区には教会、修道院が集中している
ガーマ・アムル
(アルム・モスク)

アフリカ大陸初のモスク。
639年アムル将軍率いるアラブ軍のエジプト侵攻の際、建てたもの。
当初簡素なものだったが、イスラム教徒が増えるにつれ増改築され、
大規模な寺院となった。
モスク内では女性は緑のガウンを貸してもらい着て入る。 何だか緑のKKKの様でした。 ガーマ・アムルの中庭 礼拝時にこの模様に1人ずつ入る。
カーペット・スクール
(サッカラ)

8歳~18歳の子供がこの学校で絨毯織りを習っている。
エジプトでは教育は大学まで無料だが、学校が少なく、
家庭の事情もあり、皆が学校に通えない為、この地域
(サッカラ)ではこのカーペット・スクールに通っている子
供が多い。男子は18歳になると、この学校の先生になり、
女子は卒業後、結婚して家で絨毯織りをする。
小さな子供は指が細く、きめ細かい絨毯が織れるとのこと。
建物の上の階の売り場で高額で販売されていた。小さい
頃から職業訓練を受けられるという意味では青少年育成
、また地域の産業振興という意味があるが、作った物が
商品になっているということはイコール労働? 
日本では児童労働は違法で問題になるところだが、
国の事情もあり、考えさせられることばかり・・・。

エジプトでは子供がいろいろな所で働いている。
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