Page2で、世界遺産の「メンフィスとその墓地遺跡-ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯」のメンフィス、サッカラ、ダハシュールを先にご紹介しましたが、最後は、同じくこの世界遺産地域にある、アブシールの太陽神殿とギザの3大ピラミッドについてご紹介します。 |
![]() 参考:google map |
![]() |
1 | カイロ | Page1 |
2 | メンフィス、サッカラ、ダハシュール、 オールドカイロ |
Page2 |
3 | アレキサンドリア | Page3 |
4 | アブシール、ギザ | Page4 |
アブシール (世界遺産) アレキサンドリアからギザに戻り、翌日はギザから南へ車で30分のアブシールへ。 ここより数キロ南には2日目に行ったサッカラの階段ピラミッドがある。 古王国第5王朝の時代に首都だったメンフィスの西の葬送儀礼の中心地として使われた。 アブシールから王達のピラミッド群や太陽神殿の遺構が集中しており、古王国時代の パピルスも大量に発見されていて、歴史的にも重要な地域。 アブシールには全部で14のピラミッドがあり、第5王朝の王室の主なネクロポリスとして使われ ていたことを示している。アブシールのピラミッドはギザに残る第4王朝のものに比べると粗雑な 造りであり、王権の低下または国家の経済力の低下を示しているとも言われている。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アブシールはガイドブックにあまり載っていない遺跡なので、オプショナルに参加する人は 少なかったが、アブシール南は吉村作治氏が発掘調査をしている場所でもあり、興味深く、 遺跡以外何もない広大な砂漠の中で参加者数人、ちょっと調査隊員になった気分で参加した。
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アブシールのネクロポリスの地図![]() 参考:Wikipedia |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() 防砂林らしきヤシ並木を過ぎると、一面砂漠が見えてくる。 |
![]() アブシールのピラミッド群が見える。 左からサフラー王、ニーウセルラー王、ネフェルイルカーラー王。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() 目前には石が積み上げられた遺跡が見えるが、 砂漠の中を進むのはなかなか大変。 |
![]() やっと近くにたどり着いた。ピラミッドの様に見えるが、ここは 太陽神殿跡。ここにオベリスク(石柱)が立っていたらしい。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() ギザやサッカラの様に修復はされていなくて、石がゴロゴロ。 |
![]() 上に登ろうとしたが、砂と一緒に石が崩れてきて危険な状態。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() 神殿の横に大きな丸いボールの様な物が並んでいた。 |
![]() 神への供物を洗う場所だろうか? 水を抜く穴がある。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
神殿跡のすぐ横には祭壇があった。 祭壇の中央では、 の上で焼き、神に捧げる儀式) が行われたらしい。 祭壇がある中庭で供物の為の屠殺が行われ、上の写真の 丸いボールに貯められた水で洗ったのではないかと思われる。 祭壇中央、円形の周りの十字が東西南北に向けられている ことからも太陽神殿と推定される。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() 石の側面を見ると? |
![]() 王の名が刻まれている! |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
周りは砂漠ばかりのアブシールにも小さな集落があるが、 観光客が少ないので、他の有名な遺跡にある様な土産店 もなく、物売りもいない。子供たちが何かもらえるかと集ま ってきた。 あいにくお菓子は置いてきてしまって、お土産 なくてゴメンネ! そう云えば、現地ではボールペンがとて も喜ばれると友人が言っていたのを後で思い出した。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||
カイロ、ギザ方面へ戻る | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
砂漠地帯からカイロに戻ると、建物も近代的になってくる。 カイロ・タワー ナイル川に浮かぶゲズィーラ島に建つ高さ187mのタワー。 古代エジプトのシンボルであるファラオのハスをイメージしている。 |
![]() |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ギザ (世界遺産) いよいよ、エジプトのハイライト、3大ピラミッドで有名な「ギザ」です。 ギザの街からピラミッドエリアに入ると、そこはもう広大な砂漠。 後ろを振り返るとビルの立ち並ぶギザの街、 数千年前と現在が一緒に同じ次元にある様な、とても不思議な感覚でした。 デモの影響で、ギザの観光は最終日となってしまいましたが、古代文明の想像を超えた スケールの大きさと素晴らしさには本当に圧倒されました。必見の世界遺産の一つですね。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
ギザのピラミッドは約4500年前、古代エジプト王国第4王朝の 時代に造られた。 クフ王のピラミッド B.C.2550年頃 1辺 230m 高さ 137m 傾斜角度 51.5度 3大ピラミッドの中で一番大きい。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
![]() 上の穴が元の入口。下の穴が現在の入口。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
表面は化粧岩で覆われていたが、盗まれてしまい、現在は 石がむき出しになっている。 左の写真でもわかる様に、一つ一つの石は、かなり大きい。 これらを積み上げていった当時の建設技術には感心させられる。 上の写真右下あたりの入口(ここは盗掘用の入口)から、 入っていった。身体を屈めたまま狭いトンネルを登っていく。 途中からもっと狭くなり、大柄なアメリカ人は遂に 這って登っていたが、長い長いトンネルを登るとやっと たどり着いたのは、王の玄室。蓋のない石棺だけが残っていた。 他に、王妃の間、地下の間、重力軽減の間、大回廊、水平通路 などがあり内部は複雑。 内部は狭くて暑く、臭いもあり、移動はかなりハード なので、年配の方にはあまりお勧めできません。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
左から、メンカウラー王、カフラー王、クフ王 のピラミッド 次は中央のカフラー王のピラミッドへ。 |
![]() |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
カフラー王のピラミッド B.C.2550年頃 一辺 215m 高さ 143m 傾斜角度 53.1度 クフ王のピラミッドよりさらに急角度に造られている。 上部と下部の一部に化粧岩が残っている。 このピラミッドにはスフィンクスが付属しているのが特徴。 入口は北側、玄室は地面と同じ高さにある。 正面には葬祭殿があり、まっすぐに参道が敷かれていて、 河岸神殿に通じる。河岸神殿すぐ手前にスフィンクスとスフィ ンクス神殿がある。(これらをピラミッドコンプレックスと言う。) エジプトで最も美しいと言われるピラミッド。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
スフィンクス 全長 57m 高さ 20m 胴体は元々あった岩山を掘ったもので、そこに頭部を 乗せたと考えられる。世界最大で最古のスフィンクス。 カフラー王のピラミッドを守護する為に造られたという説、また カフラー王以前、クフ王の時代に建造され、スフィンクスが 太陽神とされていたという説等、諸説ある。 アラブ人の侵入で鼻が削られ、ヒゲは大英博物館に 展示されている。 「夢の碑文」 スフィンクスは新王国時代には砂に埋まってしまっていたが、新王国第18王朝トトメス4世が砂から掘り出した。王が子供の頃、夢に現れたスフィンクスが「砂から出してくれたら王にしてやろう」と言ったといわれ、その逸話の碑文をスフィンクスが前足で抱えている。 |
![]() |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() 河岸神殿の角柱 |
河岸神殿 ピラミッドに付属する葬儀の準備をする神殿。 ファラオが亡くなると遺体はナイル川を船で運ばれ、 河岸神殿に到着。ここで70日ぐらいかけてミイラ作りが行われる。その後、葬祭殿で葬儀が行われ、ピラミッドに埋葬される。 ![]() カフラー王の坐像23体の基礎の跡? |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
周りは広大な砂漠 ラクダに乗って移動している。 |
![]() |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
メンカウラー王のピラミッド B.C.2550年頃の建造 1辺 103m 高さ 65.5m 傾斜角度 51.2度度 3つの中では一番小さいピラミッド。 北側に入口があり、玄室は地下に造られている。横に3人 の王妃達のピラミッドがあり、参道や河岸神殿の跡がある。 この河岸神殿から発見された女神の像やメンカウラー王 の像はエジプト考古学博物館とアメリカのボストン美術館 に展示されている。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() ピラミッド見学、お疲れ様でした。最後は宮殿ホテルにご案内します。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||
宮殿ホテル 「メナ・ハウス・オベロイ」 (ギザ) (2014年1月1日よりオベロイは撤退し、「メナ・ハウス・ホテル」にホテル名が変更されました。) ギザのピラミッド・エリアに隣接する元宮殿ホテル。1869年創業。豪華な装飾、調度品は 当時の雰囲気を残し、一見の価値あり。各部屋からもピラミッドが見られる。 ルーズベルト大統領、チャーチル首相、蒋介石のカイロ会談が開かれた場所であり、 また、ここで第4次中東戦争の停戦の合意がされるなど、20世紀史の舞台となった。 ラッキーにも、ここに4連泊できましたので、内部をご紹介します。
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||
エジプトの食べ物は「What's New」でご紹介しています。 「エジプトの食べ物」 はこちらからどうぞ。 ↑click here! |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |