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ポルトガルの旅


トマール キリスト修道院

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トマール、バターリャ、オビドス


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リスボン、シントラ、ロカ岬 Page1
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コインブラ、ポル                 Page3
サンチャゴ・デ・コンポステーラ (スペイン Page4


トマール

「キリスト教修道院」
(世界遺産)
1147年、テンプル騎士団はイスラム教徒からリスボン北東のサンタレンを奪回した(レコンキスタ:キリスト教徒によるイスラム教徒からの国土回復戦争)功績で、アフォンソ1世から土地を与えられ、城壁と聖堂を築き、ポルトガルでの拠点とした。
フランスのフィリプ4世はテンプル騎士団の勇名を妬み、財産を自分のものにしようと、騎士団を処刑。
1312年、テンプル騎士団が禁止されるが、ディニス1世により「キリスト騎士団」と名を変えて引き継がれる。
エンリケ航海王子はじめ、ポルトガル王室から代々の団長を迎えた。
12世紀~16世紀、増改築が続けられた修道院は、ポルトガル最大規模で、ロマネスク、ムデハル、ゴシック、ルネサンス、マヌエル様式まで、ポルトガルの建築の変遷を見ることができる。

小高い山の上に建つ「キリスト修道院」
からの眺め


  

門をくぐって修道院の入口へ
  
「キリスト修道院」の円堂

南門
ジェロニモス修道院を手掛けた建築家
ジョアン・デ・カスティーリョが1515年に建造。
プラテレコス(銀細工)様式で装飾されている。

墓の回廊
15世紀、エンリケ航海王時が増築。
回廊の下は修道士たちの墓所となっている。

壁を彩るアズレージョ(タイル)

時代によって色の濃淡が違う

床の大理石の模様が美しい。
天井を見上げると ⇒

天井には1つ1つ繊細な装飾が
施されている。
<テンプル騎士団聖堂>
「キリスト修道院」の中心にある円堂で、12世紀後半、エルサレムの
オマール・モスクや聖墳墓教会をモデルとして建てられた、
ビザンチン風ロマネスク様式で、16角形の円堂が特徴。(内部の洗礼室は8角形)
見どころは、この「テンプル騎士団聖堂」です。あまりの荘厳さに圧倒されました。

円堂の中に入ってみましょう。
騎士たちは、すぐに戦いに行けるように馬で回りながらミサに参加したという。

中央の八角柱

八角柱の中央にキリスト像

キリスト像の上部

円堂の内壁

円堂の天井

天井画はほぼ12世紀のオリジナル
円堂内部の絵画や彫刻はゴシック様式/マヌエル様式で飾られている。

「ジョアン3世の回廊」(主回廊)
16世紀に建造。この修道院には
複数の回廊が増築されているが、
その中では新しい。ルネサンス様式。

「ジョアン3世の回廊内部」

苔むしてはいるが、
マヌエル様式の最高傑作
「マヌエル様式の最高傑作の大窓」
キリスト騎士団聖堂の集会室の西壁にある。
上部にはキリスト騎士団のマルタ十字と国の紋章、ロープ、鎖、サンゴなど、大航海時代を象徴するモチーフが刻まれていて、世界に向かって躍進した当時のポルトガルを彷彿とさせる。左右の柱は人間を表し、中央にベルト、下部には根が刻まれている。

「キリスト騎士団聖堂」
マヌエル1世の命で、16世紀初めに建立。
テンプル騎士団聖堂の西につながっていて、
2階部分には聖歌隊席がある。上部に
「マヌエル様式の大窓」(内側)が見える。


「ミシャの回廊」
1543年完成。回廊西の部屋にはパンを焼く
かまどがあり、貧しい人々にパンが配られた。

修道院の食堂



修道士の部屋


お疲れ様でした。
今までにいろいろな建築様式が出てきましたが、ここでちょっと整理してみます。
*建築様式*
ロマネスク様式 10~12C。ポルトガルで最初に始まった教会建築。ローマ人の建築を真似た。発祥は南仏。開口が半円アーチ。重厚な壁や、曲線を描く石造りの天井の堅牢な造り。代表的な建築の多くは修道院の教会堂。トマールのキリスト修道院など。
ゴシック様式 12~16C。開口部分は半円の先が尖っている。尖塔の高い建物になる。ステンドグラスは窓ではなく壁の役目があり、屋根も支える。壁は薄くなる。鐘楼がある。フランス北部が発祥地。
語源はゴチコ(ゴート人:ゲルマン人の一族)からで、ゲルマン=野蛮人の様式という蔑称だが、ヨーロッパに広まる。ケルン大聖堂、ミラノのドゥオーモなど。
  ムデハル様式 12~16C。スペインの建築様式で、レコンキスタの後、残留イスラム教徒(ムデハル)の建築様式とキリスト教建築様式が融合したスタイル。アラゴン、カスティーリャで盛んになる。トレド大聖堂など。
ルネサンス様式 15~16C。人間復興(教会中心から人間中心へ)。イタリアのフィレンツェで始まる。ギリシャの頃の考え方に戻る。ゴシックより水平的
ウフィツィ美術館、サン・ピエトロ大聖堂(後期ルネサンス)など。
  マヌエル様式 15~16C。大航海時代にポルトガルで流行した建築様式。海外交易で得た巨万の富を費やし建築された。ロープや天球儀、故障の花など、海洋と新大陸に関するモチーフが特徴。
ジェロニモス修道院、トマールのキリスト教修道院など。
バロック様式 17C。人間中心から教会中心へ。語源は真珠や宝石のいびつな形をさし、装飾華美の蔑称だった。法王や王が権力を誇示するために始まる。大規模で、重厚、華麗な装飾。円に代わり、楕円が構成の中心。ベルサイユ宮殿。サン・ピエトロ大聖堂(前期バロック)など。
ロココ様式 18C、仏に始まり、ヨーロッパに広まる。イタリアの貝殻装飾に由来し、植物の葉のような自由な曲線美を強調。壁と天井の境界が明確でなくなる。主に宮廷建築に用いられ、サロン文化の隆盛で、バロックより小規模な室内装飾。ヴィーズ教会、シェーンブルン宮殿など。
ネオロマネスク様式 19C後半。丸いアーチ、窓の上の半円アーチ、壁面の蛇腹層(帯状層)が特徴。
ロマネスクよりアーチや窓は単純化されている。アメリカの大学キャンパスで採用される。
アールヌーボー、
アールデコ様式
19~20C。新しい芸術を意味する。花や植物などの有機的なモチーフや、自由曲線の組み合わせによる従来の様式に囚われない装飾性や、鉄やガラスなど当時の新素材の利用。
サグラダ・ファミリアなど。
バターリャ

「バターリャ修道院」
(世界遺産)
(正式名<勝利の聖母マリア修道院>)
バターリャとはポルトガル語で「戦い」という意味。1385年8月14日、王位を狙い、隣国カスティーリャ王ファン1世が3万もの大軍を率いて攻め込んだ。独立を守る為、ジョアン1世は聖母マリアに祈願し、奇跡的な勝利をとげた。スペインに対しポルトガルの独立を守る歴史に残る戦いだった。
聖母マリアに感謝を捧げる為、1388年ジョアン1世がアルコバサの修道院を手本に修道院建立に着手し、建設は16世紀初頭まで続いた。見どころは、王の回廊、未完の礼拝堂、ジョアン1世やエンリケ航海王子の墓、聖堂や参事会室のステンドグラス。

バターリャ修道院
ポルトガルのゴシック・マヌエル様式
代表する建築。

地元の英雄アルヴァレスの騎馬像

修道院入口

横から見た修道院

修道院入口の上部アーチには、78の聖像が6列に並んでいる。

入口、上部アーチ下の左部分

アーチ下の右部分

一歩入ると、内部はシンプルだが、
非常に荘厳で美しい教会。
あまりの高さと長さに驚く。

奥行約80m、高さ約32m、
ポルトガルでも、最大級の規模。

近づいてみましょう。


柱に映るステンドグラスの光。幻想的!
もっと近づいてみしょう。

ステンドグラスには聖母とキリスト
の生涯が描かれている。

ステンドグラスは16世紀のもの
<創設者の礼拝堂>
教会に入ってすぐ右側にジョアン1世やエンリケ航海王子などの墓
柱やアーチの装飾が美しい。

ジョアン1世と
王妃フィリパ・デ・ランカスターの棺
礼拝堂中央

エンリケ航海王子の棺
他3人の王子の棺が壁面に並ぶ。


マテウス・フェルナンデスの墓
建設を指揮した一人
  
<ジョアン1世の回廊>
1386年~1515年完成。初代建築家アフォンソ・ドミンゲスが造ったゴシック様式の
簡素な回廊に約100年後、ジェロニモス修道院を手掛けたボイタックがマヌエル様式
の装飾を施し、見事に調和している。

ジョアン1世の回廊

ジョアン1世の回廊から見た中庭

マヌエル様式の縄状の装飾の柱

レースの様な繊細な狭間飾り

回廊北西角にある噴水

<参事会室>

参事会室
現在は、第一次世界大戦とアフリカの
植民地争いで命を落とした無名戦士の
墓が置かれている。

参事会室
交差リブヴォールトで支えられた部屋
には柱が1本もない。設計したアフォンソ・
ドミンゲスは、安全性を証明する為、
3日3晩この部屋に座り続けた。

参事会室 奥のステンドグラス。16世紀のもの。
キリストの苦難の場面が描かれている。

<アフォンソ5世の回廊>
15世紀に建造。ゴシック様式の簡素な
デザインの回廊。天井のフィブヴォールト
交差部分の紋章はドゥアルテ1世と
アフォンソ5世のもの。柱を見ると、上記の
ジョアン1世の装飾の多いマヌエル様式
とは違うのがわかりますね。

<未完の礼拝堂>
ジョアン1世の息子ドゥアルテ1世により建設が始まり、没後マヌエル1世に引き継がれ、約100年工事が続いたが、未完に終わった。(屋根がないままの状態)
その理由は、設計上のミスの説と、ジェロニモス修道院の建設の為、建築家がリスボンに移ってしまったという説がある。

修道院の東側にとび出て見える。
アフォンソ5世の回廊から一度外に出て
礼拝堂北側にある入口から入る。

連続アーチと繊細な装飾が見事な入口
屋根がなく、空が見える。

マヌエル様式の繊細な彫刻
ゴシック、ルネサンス、マヌエルなど
さまざまな建築様式が見られる。
「豚とあさりのアレンテージョ」
アレンテージョ地方の名物料理

左上から、ポテトサラダ、プリン、
下:「カルネ・デ・ポルコ・ア・アレンテジャーナ」 豚とあさりのアレンテージョ
(豚、あさり、玉ねぎ、ニンニク、ポテト、オリーブ等の炒め煮。)
仕上げにレモン汁をかける。豚とあさりの旨みの相乗効果で美味しい。
ポテトが入るので、ボリュームがあるが、豚とあさりの旨みを吸って美味しい。。
オビドス

城壁に囲まれた、「谷間の真珠」と呼ばれる絵の様なかわいい町。
ローマ時代、海からの敵の侵入を防ぐため、城壁が築かれた。
ムーア人の支配後、1148年にアフォンソ・エンリケスにより、町が再建される。
1282年、この町を訪れ、魅了された王妃イザベルにディニス王が町を贈り、
その後1834年までオビドスは代々の王妃の直轄地となる。

「ポルタ・ダ・ヴィラ
イスラム時代に造られたオビドスのメインゲート(西門)
では、オビドスの城壁内に入っていきましょう。

白と青と黄の壁が印象的!
(町の旗の色に由来する)

町の中央にあるサンタ・マリア広場に建つ
サンタ・マリア教会

お土産屋が並ぶディレイタ通り

サンタ・マリア広場の
ペロリーニョ(罪人のさらし柱)
教会隣は旧市庁舎で、罪人はみせしめの
為、籠に入れてこの柱に吊り下げられた。
サンタ・マリア教会の中に入ってみましょう。

ファザード上部
1444年、10歳のアフォンソ5世と、8歳の従妹イザベラが
結婚式を挙げた教会。内陣にある石棺はルネッサンスを
代表する彫刻家ニコラ・シャントレーヌによるもの。オビドス市長
だったジョアン・デ・ノローニャと妻のイザベラ・デ・ソウザが眠る。
教会内部の壁全面を飾る美しいアズレージョ(17世紀)

オビドスのお酒「ジンジャ」
ジンジャとはサクランボを漬け込んだ
果実酒。町のあちこちで、小さいチョコ
レートカップにサクランボとジンジャを
入れたのを味わえる。
甘くて、とても美味しいですよ!(1€)

1月なのに、ブーゲンビリア。
ポルトガルは温かいんですね。
厚い上着はいりません。

緩やかな坂を上り切ると正面が
サンティアゴ教会。
その右がお城(現在はホテル)。

町は城壁に囲まれていて、この城壁の
上を歩いて周ることもできる。

お城の入口

坂の上からの町の眺め
小さな町ですが、王妃のお気に入りの地を楽しみました。
バカリャウ(干しダラ)のリゾット*

①パスタと豚肉のスープ ②チョコレートムース
③バカリャウのリゾット
バカリャウ(干しダラ)は魚料理で最もポピュラーな素材。
野菜と一緒にオーブンで焼く、茹でる、炒める、コロッケにする等、
いろいろな料理法があります。
一般の家でも外壁にアズレージョが使われている。
素敵ですね!
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参考:地球の歩き方、ポルトガル[小さな街物語]

     

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