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ポルトガルの旅


コインブラ大学

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コインブラ、ポルト


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コインブラ、ポル                 Page3
サンチャゴ・デ・コンポステーラ (スペイン Page4


コインブラ

(世界遺産)
政治のリスボン、商業のポルト、文化のコインブラと言われるポルトガル第3の都市。
丘の上の大学を中心に発展した。コインブラ大学は、ディニス王により1290年リスボン
に創設された大学が1308年コインブラに移転されたことに始まる。多くの政治家や
文化人を輩出した。1911年リスボン大学が設立されるまでは、国内第一の学術の
中心地だった。2013年、世界遺産に登録。

モンデゴ川を渡って・・・

コインブラの街に入って来ました。  

モンデゴ川沿いのコインブラA駅

コインブラの街並み
「コインブラ大学」

医学部の前を通っていくと、

正面に旧大学の門 「鉄の門」 が見える。

「鉄の門」
この門をくぐり旧大学エリアに入ります。





門の上に何か引っ掛っていますよ?
学生のマントの様です。5月の卒業式には卒業生たちがマントに付けたリボンを焼く祭りがあり、その時のマントでしょう。それにしてもあんな高いところにどうやって、結びつけたのでしょうね?

中央に見えるのは学生たちが「カプラ(山羊)」と呼ぶ大学のシンボルの時計塔。(18世紀建造)
右側がラテン回廊。こちらの棟に学位授与式などに使われる「帽子の間」(後述)がある。(元宮殿)
写真左端が「ジョアニア図書館」。その右側が大学の礼拝堂
科学博物館も付属している。


時計塔の方から見た旧大学中庭
三方を旧建物で囲まれている。

中庭中央にジョアン3世像。


時計塔に向かって左端が
「ジョアニア図書館」

「ジョアニア図書館」入口

華麗なターリャ・ドゥラーダ(金泥細工)による内部装飾や調度品。

それはそれは見事な図書館でした。
残念ながら撮影禁止の為、阪急旅行社の写真をお借りしました。
エマ・ワトソン主演の映画「美女と野獣」でもこの図書館が使われています。

Picture:©Walt Disney Pictures
(コインブラ大学サイトの映画シーン紹介より)
http://noticias.uc.pt/in_english/the-baroque-joanina-library-can-be-seen-
in-the-new-film-the-beauty-and-the-beast/
<大学の礼拝堂> 
(図書館の右隣)

美しい天井絵

重厚なパイプオルガン

堂内もアズレージョが美しい

大学の中庭から見えるモンデゴ川

図書館の横から降りていくと、地下牢へ・・・

地下牢内部 (校則違反者など、授業時間以外は牢屋に入れられた。)
今の大学と比べて、厳しいですね。
<ラテン回廊の棟>
かつてここではラテン語を話すことが義務付けられていた。

元宮殿の美しい回廊

内部もまるで美術館のよう。

ラテン回廊の彫刻の壁

回廊の壁も美しい絵のアズレージョ

見事な槍

<帽子の間>
学位授与の儀式などに使われる部屋。元は宮廷の広間で、
壁にはポルトガル時代の国王の肖像画がかかっている。
大学見学、お疲れ様でした。次はコインブラの街を散策してみましょう。
「コインブラの街」

旧カテドラルへ向かう。



「旧カテドラル」
1162年、アフォンソ・エンリケスによって
建立されたロマネスク様式の教会。
回廊は13世紀のゴシック様式。
レコンキスタの時代は要塞を兼ねた。

アルメディーナ門
中世の頃、町を囲っていた城壁の門

ファドで使うギターを象った女性像
ファド」 とは
ファドとはポルトガルで生まれた庶民の心を歌う民族歌謡で、運命、宿命を意味する。
19世紀にリスボンの下町で生まれたといわれるが、コインブラにも独特のファドがある。
リスボンでは主に女性の心情を歌うが、コインブラのファドは男性の歌。
元々は男子学生が愛する女性に捧げたセレナーデと言われる。その伝統は今も学生の間で受け継がれている。コインブラ・ファドの歌い手はコインブラ大学の出身者が殆どで、大学の黒いマントが衣装。

ファド歌手と言えば、アマリア・ロドリゲスが有名だが、現在はマリーザがファドの新世代トップアーティストと言われている。
こぶしのきいた、哀愁を帯びた歌は、日本の演歌にも通じるところがありますね。

アルメディーナ門を抜けるとメインストリート
メインストリートを北に進むと ⇒


右側にサンタ・クルス修道院
見えてきました。

「サンタ・クルス修道院」
1131年、アフォンソ・エンリケス王により建立。
16世紀、マヌエル1世が大規模改築をする。

「サンタ・クルス修道院」付属教会
の立派なファザード

「サンタ・クルス修道院」付属教会 祭壇
祭壇左にはアフォンソ王、右には息子
サンショ1世の墓が祀られている。

パイプオルガン
前にも出てきましたが、ポルトガルのパイプ
オルガンはパイプが前に突き出ているのが
特徴。スペインでもこの形が見られる。

ゴシック様式の天井

パイプオルガン下の礼拝堂



本堂左側にある説教壇
ニコラ・シャンテレーネによる、
ポルトガル・ルネッサンス彫刻の傑作

十字架を背負うキリスト
布の衣服をまとっているキリスト像。

美しいアズレージョで飾られた壁


「ポルトガルの洗濯女」の像
昔は、モンデゴ川で洗濯をする女性の姿が見られたそうで、
シャンソンで歌われ、「ポルトガルの洗濯女」が一躍有名になりました。
ポルト
リスボンから北へ300km、ドロウ川北岸の丘陵地で坂の多い街。
人口23万人、商工業の中心地。リスボンに次ぐポルトガル第2の都市。
聖グレゴリウス聖堂、大聖堂、ポルサ宮、サン・フランシスコ教会などを含む
旧市街地は1966年、「ポルト歴史地区」として世界遺産に登録される。
ポルトは「ポートワイン」も有名。 ドウロ川上流域で取れたブドウはポルト対岸の
ヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアに運ばれ、河岸の醸造所で熟成されてポートワインとなる。
「ポルト歴史地区」(世界遺産)

市電レールと歩道

歩道を右に上がっていくと
「サン・フランシスコ教会」

14世紀に建造された、修道院付属の教会。(写真右)
当初はゴシック様式だったが、17世紀にバロック様式に改装。
内部は豪華なバロック様式の豪華な金泥細工(ドウラーダ)で飾られている。

サン・フランシスコ教会はフランシスコ派の教会ですが、この豪華な教会とアッシジ
の清貧と平和の思想の聖フランシスコとは、かけ離れている様に思いました。


初めは聖フランシスコに捧げるゴシック様式の小さな教会だったが、15,6世紀
に貴族たちの菩提寺となり、バロック様式の金で飾られた豪華な教会となった。
聖職者たちは、ポルトの栄光を象徴するこの富の豪華さはフランシスコ派の清貧
の思想と完全に不一致であるとして、後に信仰の為に教会を閉じたと云われる。

祭壇に向かって、左側の2番目の礼拝堂には
「ジェッセの樹」
と呼ばれる、キリストの系図に注目! 
右側にはモロッコでの殉教者と長崎での殉教者達のレリーフがある。 
ポルトガルの地で、日本人殉教者も祀られてることはとても興味深い。
(撮影禁止の為、絵葉書の写真を掲載)

<ジェッセの樹>
ダビデ王の父エッサイからキリストに至る家系図が彫られている。
(バロック装飾の極致)

上段:長崎での殉教者達 ⇒
下段:モロッコでの殉教者達 

上段:長崎での殉教者達
長崎26聖人だが、ここには7名+1名
(下の十字架)が祀られている。
聖人26名(日本人20名、スペイン人4名、
メキシコ人1名、ポルトガル人1名)のうち、
フランシスコ派が8名、この教会に祀られ
ていることがわかった。長崎の殉教者像は
長崎だけかと思ったら、ポルトガルの地
でも歴史として刻まれていました。
感慨深いものがありますね。


サン・フランシスコ教会テラスからのドウロ川の眺め
川岸にはワイン醸造所が並ぶ。

エンリケ航海王子の像
ジョアン1世の第5子としてポルトで誕生。
航海王子の指先は、どこを指差しているのだろう?
ドウロ川の方向を指差しているが、いや、もっと先のアフリカ? アジア?、未知の世界?
1414年、21歳のエンリケ王子は、イスラム勢力のアフリカ北岸セウタを攻略し、
アフリカ進出が始まる。イスラム商人を介することなく、金と香辛料を求める活路を
見出すため、アフリカ西岸航路の開拓、ひいてはインド航路の開拓へと発展。
また、フランスのフィリップ4世の弾圧を免れてポルガルに基地を置いていた
テンプル騎士団
を引き継ぎ、改名したキリスト騎士団(Page1前述)の総長として
活躍する。テンプル騎士団からの財産が、大航海時代のポルトガルの資金源となる。
大航海時代の幕を開いたエンリケ王子の名は、死後「航海王子」の敬称で呼ばれる
こととなる。
「カテドラル」
元は12世紀、要塞として建造。(ロマネスク様式)
その後、ゴシックやバロック様式による増改築が繰り返される。
ポルトで最も古い建造物で、国内で最も重要なロマネスク様式建築の1つ。
1387年、ジョアン1世はここでイングランド王女フィリパ・デ・レンカストレと結婚式を挙げた。

カテドラル
北側のゴシック様式の回廊

回廊のアズレージョが美しい。(18世紀)


カテドラル正面
ロマネスク様式のバラ窓

カテドラル前のペロリーニョ
オビドスでも教会の前にありましたね。
ユニークな形ですが、ペロリーニョは罪人
を吊す台として使用されていたもの。

メイン・ファザード

カテドラルから望むポルトの街
「ドン・ルイス1世橋」

エッフェルの弟子により1886年建造された、アーチが美しい鉄橋。

通りの向うに「ドン・ルイス1世橋」が見えてきました。
橋の上を歩いてみましょう。

橋の手前の城壁跡

橋の上のレールと歩道

橋の反対はレールが地下へと続く
地下鉄の入口

ドン・ルイス1世橋から望む
ポルトの街とドウロ川

左下:「アローシュ・デ・ポルヴォ」
  (タコのリゾット) 
  タコはポピュラーな食材。
  出汁がお米に浸みてとても美味しい。
右下:「プディン・フラン」
  濃厚で甘いカラメルプリン。

左上:「ソーパ・デ・レグーメス」
  (ポテトベースの野菜スープ)
  ポタージュタイプが一般的。
右上:ダークチョコレートケーキ
下  :「ビッフ・デ・ヴァッカ」
  牛肉のステーキ。
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参考:地球の歩き方、ポルトガル[小さな街物語]、るるぶポルトガル

     

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