むかつく、あきれる、歯が抜ける…、髪が抜けるのは当たり前。
オドロキと笑いと、ちょっと悲しみと、女子高生の取材を続けて
きた現場から見えたもの。ムチャでクールでちびっとカワイイ女
子高生の本音と環境を、うの花さんが伝えてくれます。
目次・・・
その5 雑誌は「でる」もの 96.10.7
その4 ギラギラした衝動? 96.9.26
その3 カレシが「コワイ」? 96.7.28
その2 その「母」たち 96.6.1
その1 女子高生ってサイテー? 96.5.19
うの花
◇1964年東京生まれ。96年9月末日をもって、コギャル雑誌の編集者を引退。
10月1日から「フリーター」の後、アメリカで広島県呉市と姉妹都市のブレマートンという
navyの街の小学校の日本文化の伝道師? 日本中ニンジャが潜伏してる、とか言ってる
とかなんとか? 次のエッセイ企画にアメリカ便りを予定。こう期待…という間に97年末無事御帰国!
E-mailはこちらまで→うの花
● トビラ
♪ クールな、お言葉
♪ 羊通信
@ どっかへ行く、リスト
● LDP・スクラッチ
▲ 東京トウガラシ
♪ ひつじ・わーるど
現代女子高生事情 (96/10/7)・・・・・・・・・・
●いまや雑誌は「読む」ものではなく「出る」ものに変わりました。少なく
とも女子高生の間では。ワタシの編集している雑誌は、メイクページもフ
ァッションページも素人の女子高生をモデル扱いにして構成しているので
す。
彼女たちは、友達や知り合いが載っているかどうか見るために雑誌を買い
求め、自分も出してもらえるようになろうとオシャレのセンスを磨くので
す。「見た?」「出てた?」というのが、購入後の会話であり、けっして
「読んだ?」「おもしろかった?」ではありません。
●我々スタッフは午後4時を過ぎると、猛然と「ベル打ち」を始めます。女
のコたちのポケベルに編集部の電話番号を入れる作業のことです。間髪を
入れずに、「いま、ベル入ったんですけどぉ」という電話が編集部に殺到
します。ワタシは「次の撮影に来てくれないかな」というまっとうな頼み
方をしますが、ワタシの対面に座っている同僚は「アンタ、雑誌出たい?」
といういい方で、いきなり優位にたつことにしているようです。どちらに
しても断るコはまずいません。
●そのかわり、休日に一人で会社にいたり、朝たまたま早く来たりすると妙
な電話をとってしまうことがあります。「このあいだぁ、渋谷でぇ、雑誌
に出してあげるからって言われてぇ。シャシンとったんですけどぉ、いつ
出してもらえますかぁ?」みたいな。「雑誌にィ、出してあげるっていわ
れてぇ、部屋とかァ、来いって言われたんですけど、編集部の人だって言っ
てたんですけど、ほんとですかぁ?」とか。「『C』の表紙とってるカメラ
マンっていう人にぃ、編集の人に紹介してくれるっていわれてぇ、ついてっ
たらぁ、シャシンとられたんですけどぉ、」
このホームページを何人の女子高生が見るんだか知りませんが、声を大に
して言っておきます。ウソです、そんなもなア全部。とくに、街でつかま
えた女子高生を「オーディションだから」なんていって、ホテルに連れ込
んだり、水着姿にしたり、そんなことはしませんよ、普通の人は。普通の
人間ですから、ワタシらは。自分の身は自分で守ってちょうだいよ、ほん
とに。
●しかし、女子高生の間では「雑誌に出る」というのはステイタス。となる
と、血を見るような争いも出てくるようで・・・・・・。先日、よくワタ
シの作っている雑誌に出ているMちゃん、という高校生が遊びに来ました。
なんでもたいへんなことがおこったのだそうで、雑誌の常連たるMちゃん
は、ライバルグループのKちゃんの妬みを買い、Kちゃんは「Mなんかツ
ブシテヤル」といきまいているのだとか。おだやかではない、この「つぶ
してやる」という表現。いったい何事かと思えば「雑誌の編集部に行って、
悪口をいったり、Mはひどいやつだとかすごいことしてるとかいったりし
て、その雑誌に出られなくさせる」ことを「つぶす」ということらしいの
です。「実際にアタシの友達でKに『つぶされた』コがいるんです」とMちゃ
ん。「友達はいっさいの芸能活動ができなくなりました」とか。素人モデ
ルのことを芸能活動と呼ぶのかどうかはべつとして、デマや中傷を書いた
手紙を送りつけたり、本人のふりをしてヘンな電話をかけたり、Kちゃんと
いう女のコの「つぶし」方は、容赦ないものだったのだと、本当にこわそ
うにMちゃんは語りました。
●「大丈夫、Mちゃんにはまた雑誌に出てもらうからね。変な中傷を信じた
りしないから心配しないでね」とみんなでなだめて帰したのですが。
ね。はい、さてここで質問です。誰が誰を「つぶそう」としてるんでしょ
うか。「つぶす」の定義をもういちど復習してみますか?「雑誌の編集部
に行って、悪口をいったり、ひどいやつだとか、すごいことしてるとかいっ
たりして、その雑誌に出られなくさせること」。あーらま、不思議。まる
でMちゃんがKちゃんを「つぶそう」としてるみたいですねえ。個人的に
はワタシ、Mちゃんはかわいいコだし、好きなんですよ。だから「Kちゃ
んがMちゃんをつぶそうとしてる」っていうのはほんとなんじゃないかと
思いますよ。でもね、真相は藪の中ですよね。だって、Kちゃんは編集部
に電話だの手紙だのよこさないんですから、現実にはね。
●ティーンの世界は競争が渦巻いていて、とってもナマナマしくて、小さな
ことでけっこうドロドロしてしまうようです。あっちこっちで「つぶしあ
い」が起こってたら、どうしよう。街で変なおじさんに「モデルにしてあ
げるよ」と声をかけられるとウハウハついて行ってしまったり、雑誌に出
てるカワイイ子には嫉妬して「つぶしてやる」と叫んだり、まことに女子
高生雑誌の周囲はかまびすしいことです。
●ところで、先日同僚の撮影に外人モデルが必要だという話になり、ワタシ
の通う英会話スクールの先生のジェフに電話をかけました。「おー、イエ
ス、イエス、」とジェフは二つ返事でゴキゲンです。でも日にちを伝える
とハッとして「ソーリィ、その日はレッスンがある」とのこと。ワタシは、
それは残念、と切ろうとしているのに、ジェフはとても未練がある様子。
で、結局レッスンの日を変えられるかどうかジェフが生徒さんに頼んでみ
ることになりました。結果を聞くために明日電話します、と言うワタシに、
ジェフったら上機嫌で、「Anyway,how do you know me?」(ところで、ど
うやってボクのこと知ったわけ?)だって。アイ、アム、ユア、スチュー
デント! アタシはアンタの生徒だよ! 街で見掛けて電話してるんじゃな
いんだって。だいたい生徒以外にどんな日本人が「モデルになりませんか?」
なんて電話を職場にかけると思う?
●ジェフなんか、街で声かけられて「オーディションするから水着になって
くれ」なんて言われたらなっちゃうかも。雑誌に登場できるってのは、洋
の東西を問わず、男女を問わず魅力的なことなんですかねえ。
◆◆◆◆◆◆◆ (96.9.26分)
NAME
うの 花
PROFILE
1964年東京生まれ。9月いっぱいでティーン誌『C』の社員編集者を
やめます。このページのきっかけを作ってくれた雑誌なので、いまとなっ
てはなごりおしいような。「現代女子高生事情」、あと何回やるの? と
何人かの方に聞かれました。これで最後ってのはちょっと尻切れトンボ
だから、もうちょっと書きたいです。現役女子高生のSASSAさん、お手紙
ありがとうございました。ずいぶんたってからお返事書いたのですがなぜ
か送れなくてもどってきてしまいました。お手紙くださったかた、みなさ
んどうもありがとうございます。渡米は10月末になります。いろいろや
りたいことがあってワクワク状態です。
◆◆◆◆◆◆◆
現代女子高生事情 (96/9/26)・・・・・・・・・・
●少し前の話ですが、埼玉県の女子高校生数名が、覚醒剤所持と常用により
逮捕されたという報道がありました。その報道を、私は仕事での移動中に
タクシーの中で聞いたのですが、淡々とアナウンサーが「女子高生たちは
『痩せられると思った』と語っています」と言っているのを聞き、「ケッ」
と思いました。この「ケッ」は、「ケッ、ウソつくんじゃないよっ。ドラッ
グが何なのか知らないとでも思わせたいのかい」という気持ちです。きっ
とこの報道によって、過激なダイエットを煽る女性誌の責任なんかが問わ
れたりするかと思うと、私はちゃんちゃらおかしいや、と鼻毛の1本もぬ
きたくなるわけです。
●今回はお嬢さん方がいかに「自分の体を大事にしないか」について書こう
と思います。考えて見れば「ムチャをする」というのが若さの季語である
以上、ティーンのみなさんがカラダを大切になんかしないのは当たり前の
話かもしれません。むしろ「健康のために朝早く起きて冷水摩擦をしてい
ます」なんていうティーンが現れたら、世紀末の混沌をなげくべきなので
しょう。前回、彼女たちにはコワイものなどなんにもないみたいだと書き
ましたが、事実アイツラがカラダを大事にしないことといったら・・・・
「秋・冬も腹出しファッションはするつもり?」という質問には「トーゼン」、
「いまはやっているダイエットは?」の質問には「ゲロはき。あと下剤飲
むやつ」。「夏、どれくらい日焼けしたい?」には「焼き尽くすところま
で」。こりゃあかんって感じでしょ。
こんなんで将来コイツらはいいお母さんになれるのかしらと、余計な心配
がしたくなるでしょ。
●「ダイエット、キョーミある。あとで吐きゃいいんじゃんねェ」というそ
の口で、ボリボリお菓子をむさぼり食う彼女たちの腕には、何やら変な彫
り物。もちろん「タトゥ? じゃないよん、シールだよぉん」というカワイ
イものも多いのですが。「ニューヨークで本場のワザを学んできたセンパ
イに彫ってもらった」プリティなハートや、「命」なんてのがカッターで
彫り込んであるのもあって、あーららこらら、といったところ。ただ、こ
ればっかりは本当に、今始まったことじゃないわけで、自分の中学生くら
いを思い出してみても、コンパスの芯で好きな男の子のイニシャルを彫っ
たり、白雪姫んちの七人の小人用かい、といいたくなるような弁当を持っ
てやってきて、急激なダイエットが原因で生理を止めたりしていた人は、
まわりに何人もいたのです。成長期に無理なダイエットなんかしないほう
がいいんじゃないか、なんてババくさいことを言いながら、バカ高いカロ
リーを摂取し続けていた私などよりずっと自然な年齢で、過激ダイエット
をしていた幾人もの友人はちゃくちゃくとお子を産んでいらっしゃる。
●ドラッグだって、「毎朝ケロッグのコーンフレークを食べるみたいに規則
的にキメテいた時もあった」と豪語する同業者の一友人に言わせれば、
「時期がくれば自然にやめられます」というようなものなのだそうで(ほ
んとかなあ)とにかく若さと無鉄砲の関係をとやかくいっても仕方がない
ことなのかもしれません。違法行為は取り締まっていただくとして、ただ、
なんだかひりひりした暴力的なものへの衝動は、(それこそティーンにつ
きものの性質だともいえるわけですが、)近く接するごとに伝わってはく
るのです。
●たまの休日くらいしか見ないテレビで、台風が吹き荒れるような季節になっ
てから「岸和田だんじり祭り」のドキュメントを見ました。「ダンジリ」
と呼ばれる大きな山車を町中の男たちがひっぱったり押したり。そんなに
広くもなさそうな交差点を、ガッキンガキンとそこら中にぶちあたりなが
ら「曲がる」。「曲がる」ということがものすごおくたいせつなわけで、
きれいに曲がれなきゃ命が危ない、なのにぶちあたるの覚悟で全力疾走で
曲がる、それがこの「祭り」のクライマックスなのだとか。ドキュメンタ
リーの終わり近く、男の一人がだんじりと壁の間に挟まれて負傷しました。
慎重派の壮年層と「とむらい(まだ死んじゃいないんだけど)合戦だ」と
血気に走る青年層の間でこぜりあいが始まり、過去何千年続く「祭りとケ
ンカ」の光景が繰り返されようとしていました。
●祭りと政(まつりごと)は起源を同じくし、共同体の成立に欠かせないも
のであることは、中学とか高校の歴史の時間に誰でも習うことなのですが、
この「だんじり」を見ていてワタシは、ああ神様ってなんてエライの、と
思ってしまったのです。「祭り」ってなんてエライんだろうって。なぐり
たいとか、ぶっころしたいとか、そんな暴力にたいする、自然で、でもほっ
とくとけっこう恐ろしい情熱を、上手に吸収して秩序を保たせる「祭り」
の機能をあらためて見直してしまった、というところでしょうか。
●女子高生のパートナーであるところの男子高校生たちは、マスコミにちや
ほやされることもなく、女のコたちに比べて圧倒的に金のないティーンた
ちです。表面的には女のコより礼儀正しかったりするのですが、ミネオく
んのプロフィール・アンケートには「趣味・殺人」と書いてあります。女
のコに人気のあるタツヤくんは、地元でケンカを活動内容とする課外活動
グループのリーダーをしています。「パイプでボコボコにしてやった」
「顔が3倍くらいになった」「オレたちのシマに入ってきたからしょうが
ない」。私の差し出したみかんジュースを行儀よく飲みながら、タツヤく
んはそのグループ活動について話してくれました。男性用スキンケア用品
を巧みに使いこなしているのであろう今風の風貌に、その話の内容があま
りにちぐはぐでした。目をそらしもせずに、ときどきテレ笑いものぞかせ
ながら話してくれる、V6に混じっててもわからないくらいハンサムなその
顔が、夜になると残酷な喜びに紅潮したりするんでしょうか。
●取材でタヒチに行ったことがあって、タヒチアンのタトゥを見ました。真っ
黒に日焼けした日本人ガイドさんが、模様の説明の最後にこう言いました。
「あれねえ、あんまりやりすぎると墨の毒が全身に回って、アタマがおか
しくなっちゃうんですよ。狂っちまう」
狂わせるようなものを全身に彫り込ませるのも、ぶんなぐったり、ものを
ぶちこわしたりしながら、五叉路を全速力で曲がらせるのも「神様」の仕
業なわけね。
●というわけで、テレビゲームで育った今日のコドモたちにも、狂いだしそ
うな暴力への衝動が脈打ってるって、お話でした。とにかく勉強さえすれ
ば明るい未来が待ってるかのごとく言われていた高度成長期のコドモ(私
たち)にくらべて、慢性的な不景気に悩まされている現代のコドモたちは、
ずーっと閉塞感が強いような気がします。このギラギラした衝動を上手に
吸収してしまう現代の神様への捧げモノが、わけのわかんないアチラモン
のタトゥなのか、「しつこい黒さが都会的」(byやすふみくん)でかっこ
いい日焼けサロン通いなのか、そこのとこはわからないのですが。「青少
年にお祭りを」と、町内会のしけたオバサンみたいな標語が脳裏にちらつ
いて離れない今日このごろです。
現代女子高生事情 (96/7/28)・・・・・・・・・・
●暑中お見舞い申し上げます。暑い日が続きますが、みなさまいかがおすご
しでしょうか。ここはひとつ暑気払いにコワイ話でもいたしましょう。
・・・ということで、女子高生のお嬢さんたちに「最近アナタが体験した
コワイ話を教えてチョ」というアンケートをとったところ「停学になった」
という答えが返ってきてびっくりしました。しかも一人二人の答えじゃあ
りません。なんにもコワイものなどないように見えても、親とか先生のこ
とは案外怖がっているものなのでしょうか。しかし、「停学」なんてもの、
そんなにしょっちゅうなるものとも思えませんが。
●でも、本当に彼女たちが恐れているのは、たぶん「停学」じゃないと私は
にらんでいます。「停学になってもいいから雑誌に出たい」というコはけっ
こうおおぜいいるのです。「学校は大丈夫なの? 親に怒られたりしない
の?」、撮影前に我々は、保身のために必ず確認しておりますが、「ヘー
キ」といっておきながら「雑誌にチャラチャラ出おって」という理由で停
学になるコは、おります。
●しかもです。このごろは「もー学校はクビになっちゃったけど、それは自
主的。新しいイイ学校見つけたの。先生も優しいし、校則もなくって超ラ
クチン」とふんぞり帰るムスメらが増えているのです。その「超イイ」学
校とは何か。それが今回の主題です。
●『我が校は校則も制服もありません。学費さえ払えば基本的に卒業証書を
授与できます。週に4日、1日4時間の授業に出席すれば、成績表はオー
ル5。こんな学校にあなたも入ってみませんか』
なーんて甘い言葉を吐かれたら、自分が高校生でもちょっと気持ちが動く
ような気はするのです。現在そういう「超イイ」学校は都内に3つくらい
あるようです。法律上は私立の教育機関というか学習塾のような体裁なの
ですが、通信制の高校と提携していて、通信制の単位をとるための「補習」
という名目で授業を行い、実質上は通信添削を提出するかわりにそこの授
業を受けることで単位に代えるというシステムをとるのだそうです。ちょっ
とややこしいのですが、簡単にいえば、その学習塾に登録することで、自
動的に通信制高校の卒業単位をとれるシステムになっているのです。
●その学校に行っているコたちに話を聞くと、「毎日は行かない。行きたい
ときに行く」ということが許されていて、ただし「校則もないし制服もな
いし、先生うるさくないから、学校行くの楽しい」ということにもなるわ
けで、友達を作るためとか、まあそんな理由ではあれ、学校にまったく行
かないということはないようです。でも、授業を熱心に聞いているかとい
うとそんなことはなく、「3時間めだけ出る」とか「友達きてなかったら、
その日はさぼって買い物行く」「近所の公園でまったり(ぼんやり、とか
ぼーっとする、くらいの意味)してる」という状況。
うーん。それで「高校卒業単位」が得られるというのは、なんだかヘンな
気はするわけです。
●もともとはその「超イイ」学校は「大検合格のための予備校」としてスタ
ートしました。高校をドロップアウトしてしまったコドモたちが大学入学
資格を得るための試験。これは案外ムズカシく、1日10時間くらい勉強
させる厳しい塾だったんだそうです。しかし、ここ何年かで、高校をドロッ
プアウトするコの質がひどく変化したらしいのです。「管理教育なんてイ
ヤだ。窮屈な高校を飛び出して、自分の力で大学へ行ってやる」・・・そ
んなコたちは影をひそめ、「勉強キライ、制服キライ、校則キライ」そし
て「大学行く気なんかさらさらない」、そういうドロップアウト組が増え
てきたらしいのです。大検塾からすらドロップアウトしてしまう人たちで
すね。大検塾は変質を迫られました。「一生懸命勉強すれば高校中退のキ
ミも大学へ行ける」というスローガンは古いのです。これは考えてみれば
当たり前のことです。誰も彼もが大学へ行かなくちゃいけないなんてこと
はありません。でもね。現代日本というのはひとつ大きな常識を抱えてい
るのです。みんなが大学へ行く必要はない。しかり。では、高校は? 行
かずにすますことができますか?
●高校を卒業していないと、大学にも専門学校にも行けない。高校を卒業し
ていないと、就職口が極端にすくない。高校を卒業していないと、未来が
ひどく狭められてしまうように思える。中卒の学歴では世の中わたってい
けないとはいわないけど、それにはよほどのパワーと独創性が要求される
でしょう。
●てなわけで、「すべての国民が高校を出てなくちゃいけない」という暗黙
の常識がいま、この国を覆い、そしてそこに新たなるビジネスが生まれた
のでした。求めよ、さらば与えられん。
●戦後50年がたち、「中卒」の労働力が「金の卵」といわれた高度成長期
を太古の昔と思っている現代のコドモたちのほとんどが「高校」に「入学」
するようになりました。いうなれば「高校」のインフレともいうべき事態
が起こったのであり、よくよく考えてみると本当に変質を迫られているの
は「大検塾」ではなく「高校」そのものなのかもしれません。いま、社会
が求めている「高校」の役割は、勉強を教えることじゃないのかもしれま
せん。なにも勉強させる必要はないのです。社会に出る前の十代の季節を、
そのコドモなりに調子よく楽しくやりすごした上で、履歴書に「高卒」と
書けること。その「高卒」の資格を得ることで、世の中からはじき出され
もせず、救いがたいほどにはグレもせず「超楽しい」毎日を送ること。社
会に出る前にその期間を、いったん親御さんからおあずかりする、そうい
う「場所」のようなものを、社会自体が求めているのではないでしょうか。
●私のアタマの中で、何かがしきりと???マークを発してはいるものの、
この「超イイ学校」というニュービジネス、「金で学歴を売るなんざ、ふ
てえ根性だ」ときめつけていいような性質のものではないという思いはす
るのです。コドモにこらえ性がなくなたのか、親が甘くなったのか、高校
の先生方のほうに「こらえ性」がなくなったのか、そのすべての要因が重
なったのかもしれないのですが、このとこ「高校中退者」の数はうなぎ上
り。「停学」どころか「退学」だって、あっさり選択してしまうコドモた
ちが増えているのなら、そこに新しい機構なり枠組みなりが求められてい
るのだと考えることだってできるではないですか。それを「教育」とか
「学校」という名で呼べるかどうかは別として。だから彼女たちの名づけ
た「超イイ学校」という名称は、本質をよくとらえているといえると思い
ます。
●まー、そんなこんなで今回私はけっこうまじめに書いてみたのですが、昨
日の撮影に、くだんの「超イイ学校」へ通うヒカルちゃんがやってきまし
た。「どう? 学校楽しい?」と、尋ねる私に、ヒカルちゃんは「うーん、
校則とかぜんぜんないしぃ、週4日行けばよくってぇ、学校じゃないです
よぉ」とあきらめとふてくされ半分半分で答えてくれました。でも、校則
がいやで学校やめたんでしょに。やめちゃうと恋しいんですかね、校則。
●そんな彼女たちがほんとのとこ「停学」なんか怖がってないのは自明のこ
とですが、それじゃあ何なら怖いんでしょうか。私はね、「カレシ」だと
思いますよ。「カレシがダメっていうんですぅ」という理由で撮影をすっ
ぽかすコ、何人もいますもん。ニキビ面の男子高校生とかヤンキー兄ちゃ
んなんですけど、親より学校よりコワイみたいです。
現代女子高生事情 (96/6/1)・・・・・・・・・・
●母たちは30代後半から40代はじめ。世代的には団塊のちょっと後にあ
たります。学生時代にブランド物を身につけていたことを自慢げに語る人
もいます。娘時代に「JJ」の創刊を体験している世代でもあり、一卵性母
娘と呼ばれることをたいへん好む人々でもあります。
●「ミカが雑誌に出るならママは全面的に強力してくれるのお」とかなんと
か言いながら、小娘たちはママ仕様のシャネルだのヴィトンだのをありっ
たけ担いで撮影に現れます。「ウチのママなんかコギャルだもん」と、 豪
語した女子高生もおりました。実際娘とおんなじようなプールスタジオや
ジャイロのスーツを着て、スッパスッパ煙草を吸ってみせるママもいます。
当然茶髪です。でも、娘のご乱行が学校にバレて、「雑誌になんか出た日
には退学になってしまう、娘の一生をどうしてくれるんですか、」と編集
部に泣きの電話を入れてくるのも、同じ母たちなのです。
●「高級ブランド品が絶対似合わないタイプの人のイメージを書いてくださ
い」というアンケート項目に、ミカちゃんは「全身ジャラジャラつけてる
ヤツ」と書き込み、エルメスのケリーを大切に大切に箱に入れているとい
うママは横から「ヤツ」に二本線を引いて「方」と書き直しました。エリ
ちゃんのお母さんは「マルボロだっけ?ライト? だよね」と言いながら娘
のために煙草を買いに行きました。
もちろんもっと普通のお母さんてものが、いるのだとワタシは思いますよ。
どっかにゃ 。だいたい普通のお母さんは、雑誌に出たりしない。サイレン
ト・マジョリティってものがあるんだとは思ってますよ。
●だけどここで質問です。「果たして普通のお母さんとはどういう人物なの
か」。果たして。イメージしてみましょう。『かあさんの歌』や『北国の
春』の中の母のように、よなべして子どものためにあったかい心を形にし
て送ってくれるような母。涙を呑んで息子を戦場に送り出す『靖国の母』。
しかしその帰りを心から待つ『岸壁の母』。 戦後の母のイメージはもっと
かっこ悪くて『教育ママ』。勉強、勉強、と息子を駆り立てて、安田講堂
に立てこもった息子には駄菓子を買っていく『キャラメル・ママ』。思い
出せるかっこいい母最新版は『エイリアン・シリーズ』のシガニー・ウィー
バーでしょうか。HIV訴訟の川田・母というのも現代の闘う母像として数え
ておいていいかもしれません。
●しかし戦時でもなく宇宙人の侵略を受けているわけでもない今日、母は「母」
としての自己イメージを作りにくい時代を生きていることになります。「受
験戦争」における「教育ママ」くらいが、強き母として活躍できるせいいっ
ぱいの土俵ということになるんでしょうか。いずれにしても、「子育てが一
段落」したお母さんたちは、ベビーシッターとしての役を降り、消費の最前
線に復帰します。カルチャー・マダムになったり、娘といっしょにブランド
品を買いあさったり、人によっては職場復帰して生産の前線に出ていく人も
いるのかもしれませんが。
ようするに子育てが片付いたお母さんと、大きくなった娘は、平和な現代社
会において「もっとも金離れのいい消費者」という同じ役割を与えられて、
同類項でくくられちゃう存在なわけです。
●というわけで、娘は母のお財布と、母は娘の若さと仲良し気分。消費社会を
手に手をとってわたっていくことになるわけでしょう。いうまでもなく、経
済活動は階級社会も旧習も破壊しつつ邁進するオバケですから、旧態依然と
した親子像がそこに見出せなくて、双生児のような母娘が出現するのも、時
代の必然と言えはするのでしょう。
●娘よりは母の年齢に近づきつつあるワタシどもとしては、他人事ならざる恐
怖を感じつつ娘どもを観察しているのですが、お菓子ボリボリ、煙草スパス
パしつつ今日もお嬢さんたちは世の中にこわいものなど何にもないみたいに
して、編集部の打ち合わせ机を占拠しているのです。しかし、彼女らにこわ
いものは本当にないのか。 次回はそれを考えてみることにします。
現代女子高生事情 (96/5/19)・・・・・・・・・・
●ワタシは、女子高生雑誌の編集者です。女子高生の雑誌に配属されるのは、
ふってわいた災難のようなものです。ワタシの同僚は髪が抜け、後輩は歯
が抜け落ちました。ワタシは白髪を増やしただけで、まだ抜けてはいませ
んが、時間の問題だとは思っています。
●ごくごくつまらないことですが、16、7の小娘に「おねえさん」もしく
は「おにいさん」と呼ばれることに、まず慣れなければなりません。弟妹
を持つ人でなければ、人から「おねえさん」と呼ばれる状況はあまり生ま
れません。考えられるシチュエーションは、たとえばダフ屋でしょうか。
「はい、あるよ、あるよ、アリーナあるよ、おねえさん」。「オネエチャ
ン」でも「ネエチャン」でもなく「おねえさん」。下町の、下着なんか売っ
てる洋品店のオバチャンあたりなら「おねえさん、だめだよ、オツリ置い
てっちゃ」なんて言いそうではありますが。とにかくはじめて女子高生に
「おねえさん」呼ばわりされたときは、「ギョエテ」と呼ばれたゲーテと
同じくらいびっくりしました。
●ワタシが仕事で会うコたちは、遊んで目立っている女のコたちが多いので
すが、この、「おねえさん」に限っては、けっこう礼儀正しいコでも使い
ますね。「女子高生・ダフ屋・下着屋のオバチャン」という三題噺のお題
をもらったら、「おねえさん」にひっかけて解いちゃうって感じです。
●年上の男の人は当然「おにいさん」です。「おにいさん、おにいさん」と
30すぎの男の人が呼ばれてしまう様は、かなり情けないものがあります。
「おにいさん」という響きは、女の人が初対面の男の人に使う場合、古来
後ろに続くフレーズは「あちきと遊ばないかい」であったのではないでしょ
うか。いずれにしても、「おねえさん」のもつシブイ響きとはちょっと趣
を異にして、なにかしら媚びた色っぽいニュアンスがあります。
「女子高生−ブルセラ−デートクラブ−援助交際−売春」という、マスコ
ミ好きする単純化された図式を、ワタシハ毎日現役女子高生に接している
人間として断じて支持するわけにはいきません。しかし、腹の部分で折り
上げて太股までたくしあげたスカート、茶色の髪、シルバーの入った口紅、
ネイルアートをほどこした爪が光る指先にタバコをはさんで「おにいさん、
火貸してもらえます?」というあの姿は、歴史上もっとも古いとされる職
業を彷彿させる光景とは言えるでしょう。
●この雑誌に配属されて1年がたとうとしています。はじめて彼女たちに接し
たころ、撮影隊の車の中でえんえんと出入りのデートクラブの客の話をし
続ける女のコに辟易して、ワタシは学生時代の友人に電話をかけました。
愚痴を聞いてもらうためです。
でも、「いまどきの女子高生ってサイテー」と言うワタシに、常に冷静な
その友人は言いました。
「きみが会っているのは一部の特殊な高校生であり、そういう突出した層
というのは形こそ違え、いつの時代にもいたのであり、いつの時代にもそ
の乱れた風俗は大人の批判の的になるものなのであり、きみの発言から導
き出される結論は一つ。きみが老けたということだ」
さいでっか。ダンナ。そう言われりゃアンタ、反論のしようはないわな。
あ、そうですか。老けましたかワタシ。
と、いうわけで、ここから得られる教訓は、うっかりするとワタシのよう
なものが「現代女子高生事情」を書こうとすると「ババアの繰り言」にな
りかねない、ということらしいのです。ここは編集者のメンツにかけても
「ただのババアの繰り言」にはしないという決意が必要です。
●幸いにもインターネット上でこういう文章を書く機会を与えられたので、
この一年間接してきたあの不可解な生物たちがどこから来てどこへ行くの
かを静かに分析する時間を持ちたいと考えています。
次回はあの生物(女子高生)の母たちのことからはじめようかと思ってい
ます。うまくいったらおなぐさみって感じかな。