羊通信 1997.1.8〜5.24


TYO & SKYDOMO羊通信羊通信パラパラ版ネタちょー(ネタ募集中)


■自転車のユーツ・・・   97/5/24

ときは去年の初夏の頃、ところは昭和公園。

自転車がのろのろと、まっすぐに、走っていきます。
ちょっとだけど、だんだん速くなりながら、走っていきます。
向かう先には大きな木があります。いかにも昭和公園とゆー感じの大木です。

自転車に乗っているろんぱあちゃんは自転車教室にいっても自転車に乗れなかったほど。
なんだか、ドキドキします。

後ろから見ていると、もう、けっこう速くなったような気がします。
大きな木に近づいていきます。

どんどん、近づきます。
あと、ちょっとです。

も、もう数メートルでしょーか。
自転車は、ま、まだ走っていますが。

ああ、あ。
な、な、何を考えてるんでしょー。

ガッ、チャーン

突然自転車は倒れ、よろよろと立ち上がったろんぱあちゃんのズボンには穴があき、両手両膝に血がにじんでいます。
何人かの人が駆けよります。

「だいじょうぶですか」

「すいません、この子自転車に乗れないのに・・・」

帰り道、包帯ぐるぐる巻きのろんぱあミッフィーちゃんに、公園の近くにあるダイクマでカレーライスとワッフルを食べさせてなだめました。
ろんぱあちゃんは涙をいっぱい浮かべてモグモグ食べています。

やれやれ

サイクリングの季節になると、自転車に乗れないろんぱあちゃんがサイクリングに行きたがります。
その前の年も多摩川の川原で、ドテッと倒れながら自転車に乗ろうとしてたろんぱあちゃんに進歩はあまりありません。

メエメエ


■サイクリング・ブギ・・・   97/5/18

ときどき、フっと思い出すのが、『サイクリング・ブギ』です。
ミカバンドは進み過ぎてたかなあ。

本日でかけたのは、本年初のサイクリングで、
多摩川サイクリング・ロードをメインに1時間半のトリップです。
もちろん、これからは定番スケジュールになるので楽しみ。

成城から調布、小金井へ逆のぼる野川が大きなアメリカンな公園になったとこでは、野ウサギなんかもいて、なかなかグッー。なにもない原っぱだけの公園もいいもんですねえ。ニワトリや羊が放し飼いになってたりすればいいのになあ、と思うんですが。

府中あたりの多摩川サイクリングロードで必ず見かけるのがアメリカ人。
考えてみれば東京郊外、多摩周辺にはアメリカ軍の基地や施設、キャンプがたくさんあって、いつのまにか大部分は開店休業知らずに店じまい状態ですが、そのままここらで暮らしてるアメリカ人もずいぶんいます。今日見かけたのは3名。
サイクリングロードですれ違った男性2名はそれぞれトランクスいっちょうで日光浴てなとこ。3人目は最近いく度かニュースにもなってる多摩モノレールの工事現場がある幹線道路で金色の髪の女の子。

そーいえば、以前は国立や立川にはアメリカ軍の小さな住宅がたくさん並んでて、まあ、ハウスですが、アメリカ人がいろんなとこにいました。密度は低いけど、どっかに必ずいるので街にとけ込んでる感じ。
アメリカンスクールの生徒と勝抜き親善腕相撲をやると、日本人の子供が勝ちつづけちゃうので、後ろにならんでる子には順番がまわってこない、なんていうオチが毎度。子供ながらにシラけてたのを思い出しちゃいます。

国立の街でよく見かけたのがトライアンフの自転車。イージーライダーみたいなイーグルハンドルを握って太いタイヤでイージーライドしてるアメリカ人の子供はカッコよくて、長い間、自転車にあこがれてました。
あの、アーモンドのようなカタチのフレームと太いタイヤはヘビーデューティーでいいなと思ってたんだけど、それからずっと遅れてやってきたのがマウンテンバイクの流行。
へー、アレで山や原っぱ乗り回すのかあ、と思いつつ、緑と喫茶店と本屋が目立つ国立でトライアンフの自転車を眺めていたボクは、ストリートでの自転車というイメージにこだわっちゃいます。

それに、マネしてもしょーがないしなあ。
とゆーので目をつけたのがイギリスの自転車。
値段を聞くとフレームだけで4万円とか。
うーん、キリのいいとこで10万円でセットアップだあ、などと無謀な夢を抱いてセッセ、セッセとバイト。餅つきなんかやってお金をためたんですねえ。当時、お正月の鏡餅や伸し餅に軍手が入ってたりしたってゆーのはボクは知りません。記憶にありません。関係ありません。

ウワサは知ってるけどさ。同じ職場だしいい。
キャキャキャッ

不良品の餅まで作りながら、やっと手に入れたのが、今日サイクリングに乗った自転車です。
メエ〜


■トケオ ジョー・・・   97/5/15

トケオ〜ジョ〜、、、ですう。
ブライアン・フェリーが売れるんですう、きっと。

キムタク主演のドラマ『ギフト』で、ブライアン・フェリーの曲が使われてますが。
なんて、新鮮なんでせう。

『アウト・オブ・ブルー』以外どれも同じに聴こえたことさえあるブライアンですが。
TVから「トケオ〜ジョ〜」とか聴こえてきたら、もう、なんか、懐かしいのと新鮮なのとで感動しちゃいました。
あのロキシー・ミュージック以来、安っぽいバイオリンとチャルメラみたいなリードと、没落貴族みたいなオヤジが演奏し、場末のクラブのオーナーみたいなヤローがくねくね唄うロキシーやブライアンの魅力は、ツェッペリンやパープルまたはストーンズの前に唾棄するべきもんだったんですけど。
それが、その魅力がわかっちまう今日この頃ってなんなんでしょー。

生まれて初めて買ったLPがミッシェル・ポルナレフの東京LIVEだったんですが、
そのジャケットに「TOKEO」とか表記してあって、カッコイイと思った記憶が、
ブライアンの「トケオ〜ジョ〜」のボーカルでよみがえってきちゃいました。
ついでに「LET’S GO」って言う時のダサさがもうカッコイイです。

さーて、ブライアンのベストCDでもあったら買おうかなあ。


■『虹色のトロツキー』、終わりでーす・・・   97/5/11

密かに楽しみにしてたコミック『虹色のトロツキー』の単行本が第8集で終わりました。
知る人ぞ知るってゆーよりは、もっとポピュラーだと思うけど、日本の中国侵略から唐突な1994年の秋葉原でのエンディングまでを描いたこの劇画は面白かったです。

もちろん、単純に“トロツキー”というシュールレアリストの最大の理解者だった革命家の名前だけで飛びついて買ったマンガ本だけど、その中身は期待以上でした。

トロツキーはメイエルホリド劇場の影の立て役者であり、ロシア革命の芸術を積極的に守護した人間です。もちろん、スターリンによって抹殺されますが、その時も政治的な闘争に無関心でバルザックなんかを読みあさっていたというオメデタイ革命家。
アンドレ・ブルトントロツキーとともに芸術を考え、断じて革命の芸術ではない芸術の革命を目指してシュールレアリズム運動に邁進したのはフランスやアメリカでは有名です。

このトロツキーを満州国に招致し、スターリンのソ連への盾にしようとした日本軍部の荒唐無稽な戦略と、満州国に理想郷を建設しようとするインテリ、自らの功績をあげようとする軍人、そして侵略と戦う満州人、モンゴル人、中国人たちの壮大な物語。小説よりも数奇な現実と、言葉にならない苛酷な侵略の事実を描き、同時に、歴史への理解と、理想への期待と懐疑を表した力作だと思います。

『羊をめぐる冒険』に描かれる満州の羊のように、羊つきになったり、羊につかれたいと思った人間の悲喜劇を描いたマンガでもあるかもしれません。


ボクは、何十年も昔のこと、大連の南山麓に館を構えていた、羊つき候補だったかもしれないウサギじじいに、満州の物語を聞きたくなりました。

メエッ


■ルーソー、アーソー・・・   97/5/8

“もう20年近くも前にルーソー現象見たよ”という報告があります。

そうなんですよね。アーノルドパーマーやラコステなんかのブランドがワンポイントという形でソックスやポロシャツに縫いつけられて人気だった頃、これが男性ものしかないんで、女の子たちは男性ものを身につけていたという情況がありました。
だから、サイズは大きめ。ソックスであればズルズルで、それをソックタッチで留めてたワケですね。

やがてワンポイントのマークそのものやブランドはディカウントされるようになってあきられちゃったけど、形態としての大きめサイズ=ダボダボ・ズルズルが残ったのがルーソーのルーツですね。

ここで興味があるのは“形態が残った”こと。

ところで、ここ1〜2年気になるのがフツーのハイソックスの女の子。
脚のシルエットがそのままでるピチッとしたハイソックス。元気な色気があって、そのふくらはぎのカタチのよさは自信にあふれてます。キット、ホントに脚のカタチに自信がある女の子しかはかないんだろうけど、その特権をものにした女の子の顔は振り返ってでも見たいほど。みんな、凛とした表情が元気でいいですね。

“日本の若い人は皆同じ格好をしている”とサラ回しのラッパーからルーソーまで、単なる流行に埋没する存在として外国人に見られている現状は、ますますヒドクなるんでしょうかあ?

実をいうとボランティアや自然保護まで、それを指摘する声はあります。
ついでにいうとインターネットにも、ですね。

自分としては、とりあえず、我が道を行く、以外には、何もないです。


■複雑系?・・・   97/5/7

フクザツケイってぇ、なんのことぉ?
とパンプキンパイをつっつきながら質問するのは、
ろんぱあミッフィーちゃんである。

“ミッフィー”が自称であり、“ろんぱあ”が他称であること以外は、ナゾである。
出生もナゾ。

まあいいか・・・


問題はですね、質問に答えることですね。
正確には、答えられるか、かな。

えー、どっかの誰かさんたちみたいに専門用語や難かしい言葉を使うのはカンタンなんです。じゃなくて、ろんぱあちゃんにもわかるように答えることができるかどーかなんですよねえ。大衆が哲学をつかむと云々カンヌンじゃありませんが。(笑)

フクザツケイねえ、複雑系。
正直言ってネットワーク理論などの立て役者から複雑系への否定的なコメントがあって以来興味がなかったんですが、フラクタルやマンデルブローなどで関心は持ってたので、ちょっと考えることにしました。

(12行削除)

 複雑系が真に問うているのは、「世界を見ることを学び直すこと」なのである。(吉永良正著『複雑系とは何か』)

ということで、「世界を見ること」を「学び直すこと」です。と、ろんぱあミッフィーちゃんに説明しました。
もちろん、もっと説明したんだけど、それはここでは削除しました。別に掲載する予定です。(笑)

(19行削除)

ところで注意してほしいのはシュールレアリストやマルクスがポリシーとしていたコトバですね。それは「世界を見る」のではなく「世界を変える」であり、ランボーならば「人生を変える」だっていうことです。

メエメエ


■セミ?・・・   97/5/6

えっ? うっ、あついぃぃぃ えっ? おっ? あっ?
あれ? あれれ? あれぇ〜?
セミが鳴いてる・・・・・・・


■ピカピカの靴・・・   97/5/1

出かける前に服にコロンをふり、
切り揃えた髪を整え、
折り目のついたズボンに着替え、
靴をみがく。

せっせ、せっせと靴をピカピカにみがく男たちを眺めて、

 「ほんとに、この人たちったら」

と半ば呆れ顔の女性の、大きな信頼とわが子を見つめるような眼差し。

彼らは、女や子供、老人を守り、自由を守るために出かけていくパルチザンだ。
誰かの家に泊り、誰かのために戦い、誰かが自分の遺体を葬ってくれる。

“自分を頼りにしてくれる人のために戦う”
“自由のために戦うのさ”
というパルチザンたちの腕っ節のような素朴な言葉。

命は失っても、誇りを失わない彼らの戦いが続く。


虐殺と弾圧の歴史ゆえに、
子沢山でありながら未だに人口80万人にすぎないチェチェン人と
彼らが暮らす緑豊かな山や草原ののどかな風景。


“泊まるとこはあるのか?”という見知らぬ誰に対しても配られる心遣い。
“お茶を飲んでいきなよ”とお客への世話好きと話し好き。
“まずは飯を食わなくちゃ”と硝煙の中でも失わない生活と友人への気遣い。
絶え間ない銃撃音と砲撃のなかで、やり取りされるこれらの言葉と交わされる挨拶。



チェチェン紛争が単に経済マフィアやイスラム原理主義による闘争ならば、イスラムの敵であるイスラエルからの救援物資などは考えられないだろう。しかし、ここにはそういった救援物資が届く。この1年数ヵ月で民族の10人に1人が虐殺され、90%の家が破壊されたチェチェンからのドキュメントは、この紛争が単なる独立戦争ではなく、宗教を超えた自由を尊ぶ精神の戦いであることがわかる。


週3日働き、残りは戦っているというのは、
隣国イングーシのタクシー運転手。

理由は、「兄弟のチェチェンを助けるためだ」。


虐殺された家族の遺体とともに、
自由と独立を求める大規模なデモの先頭に立つ日本山妙法寺の僧侶たち。
翌日、僧侶たちはロシア特殊部隊によって惨殺されそうになりながらも、
モスクワへ強制送還され、途中ロシア兵から記念撮影を求められる1コマ。


モスクワで起こったロシア側の反戦運動を含めて、これほど自由を求めた戦いがあっただろうか。600万人を虐殺されたアルメニアをはじめ、カフカス(コーカサス)の紛争は絶えない。誇り高き少数民族のあっけらかんとした自由への希求と戦いの日々。


自らの腕に薬剤や麻薬を注射しながら、日本軍による南京虐殺やアメリカ軍によるソンミ村以上の虐殺をくり返すロシア軍と、捕虜やロシア人のためにも身を挺するチェチェン武装グループの、至近距離での死闘。


“2時間でケリをつける”と宣言した世界の超大国ロシアが、山岳と原野の小さな地域国家チェチェンに侵攻して1年8ヶ月。畑仕事のクワや、トラックのハンドルを銃に持ち替えて立ち上がったチェチェンの男たちのドキュメント。

衛星経由の携帯電話で電波を逆探知されたとも言われるドゥダーエフ大統領へのロケット弾の直撃とその死。ここ数日、再び危なくなりつつあるチェチェンをめぐる情勢。



『カフカスの小さな国』(小学館・1500円)は、若く無名の日本人ライターが新婚旅行の代わりに旅したロシアで知ってしまったチェチェンの、ドキュメントです。


■で、24日は・・・   97/4/26

そんなわけで、井の頭公園で今年初めてスッポンと対面しつつ、(^^)v
気分はもう冷し中華、でした。

このスッポンが大きいです。
17incモニターの画面くらいある。
いや、モニターのワク取りくらい。

ペットブームで陸ガメ派は増え、ミドリガメやゼニガメもすっかり定番ですが、
スッポン派いませんねえ。


ボクは昔スポンを飼って、2日でお別れという哀しい思い出があるので、
よくわかります。飼うのが結構むずかしいかもしれない。

スッポンは、デリケート。
とってもナーバスで、金魚にからかわれて、この世を去るタイプです。

息絶えた途端にカラダのゼラチン質は溶けだすし、
カワイソーな最後でした。シクシク


ところで井の頭公園のスッポンは、ちょっとたくましい。
並み居るミドル級のミドリガメをものともせず、大きな口をあけて、
ボート乗り場のデッキ脇で日光浴してました。

でも、スッポンの日光浴というのは、はじめてですねえ。

興福寺近くの池に居る座布団くらいのスッポンだって、他のカメに遠慮がちだし、
日光浴なんかしてないのになあ。


また後で見に行くと、カモが2羽、カメを見下ろし、
カメは数匹、カモを見上げて口をあけてました。スッポンはもういません。

逃げたようです、スッポンくん。


金魚から逃げられなかったスッポンを思い出すと、カワイソーになります。


■冷し中華登場、吉祥寺情報、(^^;)・・・   97/4/24

本日の課題・・・

明日は給料日。
給料日には外食する人が増えます。

だから、混み合う前に食べに行こう、冷し中華!

吉祥寺で冷し中華を発見したのは一昨日のこと。
雑誌『Hanako』も吉祥寺特集だし。


しかし・・・
あんまり関係ない気もしますね、給料日と冷し中華。(^^;)
でも『Hanako』の特集があるんで土日の吉祥寺は混みそうです。


昔、TK氏と木根氏のお披露目ライブを観に行った下北沢の夜を思い出します。
寒いのに冷し中華があったんだもんね。
ライブに関係ないなあ。
でも、ボクのライフにゃ、大いに関係あるんだ。そーゆーことお。

世界観とはそーゆーもんです。(笑)


■揚げ足取りじゃないよ、(^^)v・・・   97/4/23

前に「揚げ足をとってあげませう」と言った関係上、揚げ足をとってあげませう、LDPさんの。(笑)

「生と死、そしてアイデンティティといった人間本来のテーマにクローンとオリジナルという変数が導入された新しいテーマが、ボクたちの視界にすでにあるものとしてだ」
というとても重大で現実的でもあるテーマを指し示してますが、これをもーちょっと深く考えると、どーでしょーか?

というのは「クローン」と「オリジナル」の関係を問題にするのは面白いですが、反面ありがちでもあるからです。
遺伝子上の情報としては「クローン」と「オリジナル」は全く同じ。
「レプリカント」はバイオでプログラミングされた状態で、原形をもとにした複製ですが、「クローン」は複製ではなくオリジナルの遺伝子情報そっくりそのままの存在でしょ。

つまり、「クローン」については、「オリジナル」が2つ以上存在?する、とか、「オリジナル」がたくさんある、あるいは、本質が複数ある、ということじゃないでしょーか。

だから、問題は「存在」というところではないでしょーか。

同じ遺伝子情報を持ちながら、その存在のTPOによって、環境や周囲との関係によってオリジナルAとオリジナルBの違いが出来てくるのでしょー。
それは同じ情報に対する“場”の違いじゃないでしょーか。
TPOという“場”が違えば、情報が同じであっても別個の存在である個体は別個の認識を持ち、認識からフィードバックされる情報によってアプリオリに持っている情報(同じ情報)も違う情報へと変化しはじめるはずです。

すでに一卵性双生児でも、バイオのクローン生物でもこれは実証されてます。

遺伝子情報が全く同じ個体であるAとBも、たぶん、存在したその瞬間から違いが生じはじめるはずです。

A−B=X
X、それは、何なのか?
それが「場」の違いですよね。
位置の違いです。

X=TPO

クローンに関して生じる根本的なテーマは、遺伝子情報が同じであるということではなく、存在の場による差異化じゃないか、とゆーのが、ボクの意見です。

ねっ! (^^)v


■熱帯のはじまり・・・   97/4/23

今年初めてエアコンのスイッチを「除湿」で入れたのが4月8日のこと。
ビルの4Fにある作業場は室温24度の世界。

窓が大きくて東南を向いているので、
徹夜仕事の時に日の出を眺めながらデスクワークができるのはいいですが、
これからの季節、昼は熱帯です。

もう何年もそのままの水槽には、ちっとも大きくならないエビの幼生がいるし、
水面や壁面にはコケのようなシダのような植物がイッパイ生えてしまいました。


もちろん、ビルの大家さんはイヤな顔をしてるようです。

全然片付けされてなくて、だんだん、倉庫のようになってきたし。

大家さんの気持ちはわかります。わかります。(わかるだけ)



ところで、
オフィスに人を招けたのは最初の年だけだったようです。

片付いてなくて、人を招けないオフィスなんて、
信用をなくしちゃうんじゃないでしょーか。

でも、そういうプロダクションは過去にも1社経験してました。
中堅どころの編プロなのに、社内は汚くてゴキブリもでなくなってしまった、
とゆーとこでした。

今のオフィスは尻尾に3本ヒゲがある虫がでます。
おとなしい虫なので追い払ってもワザワザ殺しません。
ハエトリ蜘蛛やアシダカ蜘蛛も散歩してます。
両方ともハエやゴキブリを獲ってくれるので感謝してるくらい。

エビの幼生は冬でも夏でも、水槽の中でダイヤモンドスノーみたいに
キラキラしてます。

オーストラリアで「バグ」と呼ばれるカブトエビ(カニ?)の乾燥卵でも買ってきて、
飼ってみようかなと思ってます。

日本のどこかで売ってるんですが、知ってる方がいたら教えてください。
去年から探してるんだけど見つかりません。昔シーモンキーってありましたが、
ああゆーやつですね、きっと。

もちろん大家さんには無断です。


大家が立ち入れないオフィスって、なんか、いかがわしくていいですね。

OAやパソコンの段ボール箱が5段くらい重ねてあって、
トーテンポールになってるからです。

よそ者は入れません。(笑)


■マック、Windows互換へ・・・   97/4/19

マックの次期OSである“ラプソディー”がWindows互換になります。

とうとうという感じですが、この互換部分の技術はNEXTの「オープンステップ」によるもの。

マックの伝道師たちが尊ぶ非PPCのマックは別として、
NEXTが出来た当初から、このことは暗示されていたような気もします。

日本におけるマック使いのうち、映像や音のクリエイターはNEXT登場の当初から、
NEXTへ期待していた人が多かったからです。筑波科学万博からはじまって、坂本龍一さんとのコラボレーションなどで話題を読んだ原田氏ほか、日本初のマックの使い手はNEXTの理解者でもあり使い手でもあり、早くからNEXTへ移行しています。

ロータスの表計算ソフト「1-2-3」は大人気ですが、ロータスにはもう一つ「インプロブ」という計算ソフトがあります。
実をいうとこの「インプロブ」はもともとNEXTネイティブなソフト。「セル」の概念がなく、柔軟なそれこそヒューマンインターフェイスな操作性と解析の自由さ、グラフの形状の自由さなどで「1-2-3」「EXCEL」を凌ぐものでした。現在Windows 31用しかないようですが、ロータスはバージョンアップしないのでしょうか?

今やQ.Express以外はすべてWindows化してしまったマックにDTP以外のものを求めても無理ですが、そのOSがWindows対応となると、それ以降のマックに何を求めるのでしょうか?

NEXTはUNIXであり、充分に活躍はしたと思います。
また、UNIXによってインターネットもここまで大きくなりました。もちろん、そのUNIXも今後はWindows NTに順次変わっていくと予測されますが、その理由もなんなのでしょう? 何故、すべてがWindowsに変わってしまうのでしょう?

これは別にビル・ゲイツのせいではありません。

Windowsを買う人がいるからです。

小室哲哉のヒットと同じです。

買う人がいるからです。

(笑)

マックの伝道師もそうです。別にマックの性能がいいからマック派なのではありません。むしろ逆。伝道師とPPC派はまったく逆の存在でしょう。そしてPPC派もPPCがIBMのR6000であることを知ってる人は少ないようです。現在日本ではR4000相当以降のCPUが数社(日立、NEC、東芝など)で生産されWindows CEではこれが使われます。また、NECのワークステーションではR8000やR10000も用意され、シリコングラフィックスのマシンの性能を超えています。値段はかつてのパソコン程度。伝説の趣さえあるαチップを凌ぐ性能です。


もともとIBMとMicrosoftの共同開発だったWindowsが両者のケンカ別れからWindows 31とOS/2という別個の商品となり、IBMはアップルとの間でOS/2もPPC対応、マックOS互換のピンク(IBMのブルーとアップルのレッド)などを考えましたが、すべてご破算になりました。


かつてアメリカでパーソナル向けコンピュータがマックだけしか存在しない時、後発のIBMは3年間で市場は我々のものになると宣言してパソコン市場に参入しました。言葉は現実となりIBM互換機は市場の8割を占めています。
日本ではオリジナルなPCとして98とタウンズがありましたが、タウンズはすでに見当たりませんし、Windowsで使用する限り98かどうかということはほとんど意味がないでしょう。
ただ98関係の雑誌や記事で主張されているようにDOSで使用するならば圧倒的な便利さがあるかもしれません。またアメリカでもIBMがDOS用のブラウザを発表し評判となっています。2世代以上前のintel386レベルのCPUと少ないメモリーで十二分に動くDOSの魅力は、モバイルツールの普及にともなって再びクローズアップされていて、これはアメリカも日本も同じようですね。

中古マシンが無駄にならないトレンドは大切だと思います。

マックでは中古にどんな魅力があるんでしょう。


■アニメではない・・・   97/4/16

―マンガとはちがう、しかしアニメではない―


『紅い花』を買ってしまいました。
あの「××くらげ」でサブカルチャーの金字塔を打ち立てた劇画作品、つげ義春の『紅い花』です。

古本屋の軒先でガロを立ち読みして、スーパーヘビー級230sのボデーブローを肝臓に受けてしまったボクは、じりじりと全身に波及する影響を白昼夢のせいだと思いながら、夏の陽射しの中、ガロをかかえて家に帰りました。

あれから何年たったのでしょう。

暖かくなると、あるはずのない羊雲を空に見ながら、映画にもなった『無能の人』の舞台である府中あたりの多摩川を散歩します。


つげ義春の作品はNHKの芸術祭参加作品ドラマになったり、またそのテイストは少なくない影響をTVや映画に与えてきました。

つげ義春の大ファンである竹中直人が、自分のアイディアを友だちに話してはアタマをひねっていた国立の喫茶店で、つげ義春のマンガを読むのがボクのベーシックでもあるシーズンが来ます。2年前にガンで会えなくなった彼女とはじめて会った場所で、その時のようにつげのマンガを読むことが、何かを示めしているとすれば、それを知ることも大切なことかもしれないな、と思いながらアイスコーヒーでも飲むのかもしれません。


以前はマニアのみぞ知るFDだったつげ作品が、今度はCDででました。


■やっかいな・・・   97/4/12

「キャ〜」

八重洲南口のJR通路を歩いていると、
一緒にいた女の子のライターが叫びならが走り出した。

「アラーッ」

そばにいたオバさんもドタドタッとかけだしました。


この二人の叫び声にビビッた大男がひとり、
やはりスッタ、スッタと歩き出しました。

大男のスッタ、スッタです。とても、速い。

大男はあっという間に新幹線の改札に入り、
振り返ることもなく歩みを緩めました。

ホッとした様子です。


舞の海さん、これからどこへ行くんでしょう。
スイマセン、お騒がせしました。


有名人というのは、ホントにやっかいな商売ですよね。 たくさんの有名人のインタビューで得た最大公約数は、この一言につきます。

インターネットでさえ、そうだって言うから。


やれやれ


■どっちが、いい?・・・   97/4/7

プリント倶楽部が流行る前からあったのが、インスタントの証明用写真を撮るスタンドで写真を撮る女の子の姿。せまいボックスに数人で入ってキャーキャーとはしゃいでるのを何度か見たけど、何をしてるのか、すぐにわかってしまったのは、自分にも同じような経験や気持ちがあったからか?

中学校の時にCANON-demiなんていうカメラで、友だちとよく写真を撮り合いました。友だちが持っていたのは当時最新鋭のヤシカのエレクトロニクス・カメラ。電子で測光し、電子で制御するというので、なんかそれを使えるというだけでSFの主人公になった気分。

彼女らの、モザイクみたいにプリクラが並んだ手帳を覗くと、ちょっと悲しい気持ちになります。仕事柄、撮影や写真には気を使ってるんだけど、彼女らの手帳のプリクラに写真としての“何か”はもちろん感じません。プリクラマシンの自動撮影に質を求めたりフレームや構図を見い出そうとするのは無理なんだけど、逆に、何の工夫も出来ないからこそ、そこで明白になってしまっているものが目につくような感じがします。

それぞれ、着たことのないトレンチコートを借りてきたり、アニキのサングラスを持ってきたりし、映画のパンフレットなどからポーズを探して、あーだこーだと撮り合っていた写真には、それなりの質とかテイストがありました。エリを立てるとキザだな、と思ったのもその時が初めて。

質を求められないならば量なのか、“量質転化”などという弁証法のテクニカルタームがかすめるアタマにも、ポツンとさびしい感覚がよぎります。
プリクラの羅列と、金太郎飴のような手帳と頁の印象。
「彼女らはプリクラを貼った手帳を見せ合って、友情を確かめる」とかいう新聞記事を読んで、さびしい感覚は、確信に変わり、悲しい印象はさびしさを増幅させたかもしれません。

記憶というデータを自己のアイデンティティだと認識するようにプログラムされたレプリカントが、“それは認識ではなく事実だ”と思い込もうとし、事実を示すものとして自分たちの思い出の写真を持ち歩く姿。ステンレス・ナイトの歌詞みたいに、都市を彷徨するアンドロイドと、「それはデータに過ぎない」とレプリカントを喝破することに命をかけるブレードランナー。

ボクだったら、どっちになろうかな。
選べるとすれば、どっちになりたいですか?

そのどちらかにしかなれないことが、そもそも不幸なんでしょうね。


■冬のウサギ・・・   97/4/6

JR中央線の三鷹駅から杉並区の井の頭線三鷹台駅まで玉川上水沿いの遊歩道を散歩したのは冬の頃。


井の頭公園わきの木漏れ日の下で、上水の水面を囲む土手のあたりからカサコソっと音がします。そばにある、葉の落ちた冬景色の象徴のような小枝にはカラスが数羽、下を見下ろして動きません。

土手を覆う枯れ草の向こうからはカサコソ、カサコソと音が続いていて、遊歩道と上水を分ける手すりに手を伸ばして覗きこむと、向う岸に茶色のものが一つ。ピョンと跳ねると、土手の急斜面に積もった枯れ葉とともにズッ、ズーと滑り落ち、枯れ葉の山へ埋没。カサコソと枯れ葉の山から這い出ると、またピョンと跳ねてます。その茶色のシーシュポスは、そんなことをズっと繰り返しているのか、こちらも、しばらく眺めることにして、しばし臨時休憩。不意に茶色は川の流れにそって小走りに走ると、数メートル先で同じようにピョンと跳ねています。

ボクも10mくらい進んで、土手を覗きこむと、向う岸の枯れ草がなくなり土が広がる一角に黄色い日差しに照らされて穴が見えました。野ウサギの巣ですね。どうやら茶色はここの主のよう。


それから、数ヵ月、10日ほど前、気になって同じ所へ行ってみると、茶色の代わりにいたのが、緑や黄色の輝きに鮮やかな青いワンポイントをつけたカモの2羽。デコイを思い浮かべながら、ちょっと観察。人馴れした多摩川のカモとは違って、野性の機敏さがあるようです。ふと、子供らのはしゃぐ声に、白く毛が生え変わった野ウサギを見つけたくて、ざわめく公園の林に目を凝らしましたが、歩み出て見つけたのは常連客の多い更科そば『上杉』の軒。思わず、ニコリとしたボクのアタマの中で、真っ白なウサギがピョンピョン逃げて行くようでした。

またね


■山羊と羊の・・・   97/4/1

そーいえば、山羊と羊ってぜんぜん違うんだけど、羊通信に書かれてる「メエ〜」とかいう鳴き声はいったい何の鳴き声ですかあ? えー、おい・・・なんてゆー問い合わせがくる前に気がついてよかったなあ、アレは間違いですう、と素直なとこは山羊も羊も同じだい、って言い訳にならないか。

バイト生活の頃、神田の飲み屋で「ヤマヒツジの叩きください!」と言って「え、ヤギですか?」。周りのサラリーマンに「もう、酔っ払ってるね〜、に〜ちゃん」とか言われて酔いが醒めた記憶が戻ってきました。酔ってないのに、真っ赤かあ。

メエ、メエ

そんでもって、ショウガ醤油いっぱいつけても土臭い味に、おバカで強情な山羊がいるアララト山を想像しておとなしくしてました。

おわり


■クジ引きの、自由・・・   97/3/30

この世に同じ顔は二つとありません。
みんな顔が違います。

(^^;) (^^)v (^。^) (^^ゞ (^_-) (^o^) (*_*)

もちろん、名前も、体重も、預金高も違います。
人それぞれで、何もかも違うのがあたり前ですよね。
それにプーたろうだったり社長だったり、食いしん坊だったり、モテたりモテなかったり…。いろいろ違うし、結構なんだかんだと差があります。
このそれぞれの違いが、いろいろな差になって現れてきます。
ミスコンじゃなくたって、就職だって、恋愛だって、なんだって、いろんな場面でいろんな差がでてきます。アホとマヌケの差、デブとヤセの差、年齢差、マナーの有る無し、食べ物の好き嫌い、給料やボーナスの差…。


ところで、楽に生きたり、大変だったり、ズイブンと人生が決定づけられちゃう差や違いがありますが、こういった、どんな違いもぜんぜん関係なく、万人に差のない、ホントに公平な、この世でただ一つの“モノゴトの決め方”があります。
出身だろうが、血液型だろうが、公正なテストだろうが、それは違いと差を生むファクターの別名でしかありません。そーいったモノゴトにも一切影響されない“自由にモノゴトを決める、たった一つの方法”があるわけです。

それが“クジ引き”です。

クジ引きは真に自由であるために、ヨーロッパでは12世紀に排除されはじめ、19世紀には完全に禁止されました。


中世以後ヨーロッパキリスト教社会ではキリスト教の価値観でモノゴトを決め、異端を排除し、絶大な支配力を発揮していきます。

その過程で、自由にモノゴトを決められないようにクジ引きが規制され、禁止されていくんですね。

その後、なによりも強力で、人間にとっては自然な資本主義の浸透によって宗教支配(単一の価値観による支配)が揺らぎ、万物それぞれの価値を探究する百科全書派などの登場とそれをベースにしたフランス革命、それ以後のニーチェ、フロイト、マルクスによってキリスト教世界観に風穴があきます。やがて消費に憧れるブルジョア(市民)の登場とともに現代に至りますが、それでもクジ引きなどの風習はキリスト教圏にはないようです。

魔女狩りに代表される弾圧の中で、クジ引きは悪しき慣習として消滅させられてしまいましたが、日本は別。

日本ではいまだにクジ引きが盛んというどころか、いろいろな場面で使いますよね。東大みたいに総長をクジ引きで決めたことがあったり。学校や会社でも阿弥陀クジで係を決めたりイベントの景品を分けたりするのはごくフツーのことだし。


意外なとこ、それも生活やちょっとした習慣などのディテールに大きな意味があることが少なくないですね。

うーむ、“日常”は面白いことだらけ


■メンフィス、発見!・・・   97/3/26

ある事務所で赤いタイトルのCDROMを見かけました。

CDの右下に「Windows 95」のロゴがプリントされてるんだけど、
全体のイメージはWindows 95のCDとは違います。
大きく赤い文字がデーンとプリントされていて、
右下のロゴを見なければ何のCDかわからないようなもの。

「コレ、Windows 97だよ」
「アメリカのMicrosoftの友だちが送ってくれたんだ」とのことで。
ソフト開発者向けのβ版のようですね。

それにしてもWindows 97であることに変わりはなく、
いわゆる「メンフィス」っていうやつです。

これで「メンフィス アンダーグラウンド」なんてアルバム名を思い出したとすれば、
あなたも、ソートー○○○ですよネ。

メエ〜


■油そば・・・   97/3/14

今や松たか子さん在学でちょっと注目のA大学。
しかし、食いしんぼうにはもっと別のことで気なるランドマークです。
そう、この大学のそばにあるのが一部で圧倒的な支持を受けている「油そば」のお店。
汁のないラーメンの麺にラー油とお酢をかけて食べるもの。もちろん皿の底にはチャーシューで作ったようなタレがあり、これが味のベースです。それにラー油とお酢をかけるという結構ワイルドな麺。

2月のはじめの週刊朝日だかに記事が載っていたようですが。ボクが食べたのはズっと昔のコト、近所の友人宅に来たついででした。

ここのところいく度か食べている「油そば」は吉祥寺南口にあるラーメン屋のものです。お店は2軒あって、1軒は井の頭線の高架沿いの道にあるお店で「油ギドギドラーメン」のコピーがそそる「ぶぶか」。なんか店名までスゴイけど、結構近所のOLとかマヌカンが来てます。豚のパイタンでギドギドが中心のお店ですが、油そばはもっとハゲシクて「体調が悪い時は食べないでくれ」とか注意書があるほど、エヘヘの逸品です。うふふ

ところで、今日、打合せのあと食べるのは中野駅前のラーメン屋の「ソウル冷麺」の予定。あの焼き肉屋にある冷麺ですね。冬でもあるのでよく食べます。冷し中華じゃないよ。夏にはコレかそう麺で食事を摂っていると、確実に痩せますね。3キロぐらい1週間で減量しちゃう。女性には耳寄り? でも、羊の外見が山羊になるほどじゃありませんが。ふははは


■コトバの・・・   97/3/7
ソウルやアメリカやチバシティからメールがきます。(^^)v

なかなか更新もできないし、気ままでいいかげんなクセに、なんだか難解なエッセイがあったりするけど、
とってもよく、とっても深く読んでいる人たちがいることを知る度に、責任みたいなものも感じる今日この頃です。
もちろん責任なんていうケチなもんじゃなくて、それこそが糧になるんだと、静かに頷くばかり。

自己満足でもいいんだ、と斜に構えている情報発信が、いくつものメールや、なによりそのメールのなかのコトバに励まされることを新たに知りながら、
ちょっと迷っていると、“それは、逆に言うとやはり自己満足に留まらない情報を提供しているからこそですよね。”とアドバイスをくれたのが笠さん。
見事な村上春樹関連データベースをはじめとした笠さんのHPは、本人のエッセイも含めて、オアシスのような存在です。

先日もネットサーフィンの途中、笠さんへの謝辞のコトバを掲げたHPを発見して、
あの静かに染わたるような文章やコトバに励まされた人が少なくないことを知りました。

仕事で笠さんにいろいろと質問し、ていねいな回答をもらいながら、結局仕事には一部しか反映できなかったものの、
その“コトバ”や“知”は自らの糧として活きることになります。

コトバの在り方って、そういうもんじゃないかな、と思いつつ、ココでも、当初から一つの目論見があります。

HPから発信するばかりではなく、もらったメールに対して、HP以上にていねいに対応するということ。
時に数千文字の返信メールを受信して驚く人がいるかもしれませんが、それが、HPと同等かそれ以上でもあり得る
“情報”や“コトバ”の在り方だと思っているからです。(^^;)


コトバというものの力と、息の永さと、あるいは解釈の自在さえ魅力であるところの価値に、拠って立つことのできる唯一の生き物として、
人間でありたい、と羊は思うのかもしれませんネ。


メエ、メエ



■USAのうのさん・・・   97/3/1

元気そうです、うの花さん。メール連絡がいく度か来ました。デニーズとマクドがあるだけのアメリカ片田舎の図書館からです。学校の図書館かな。ここではインターネットのメールが無料で自由に使えるとのこと。もちろん日本語表示機能はないので、ローマ字メールです。しかし、マヌケな羊5は日本語で返信してしまい、うの花さんは図書館の文字化け嵐のモニターを前に深いため息をついていたようです。
うん、子供たちが「JAPANから来た先生はETと交信するんだあ」とか騒いでませんでしたでしょーか?
たいした誤解じゃないですよん。
羊と交信するんだとでも言っておいていただければ、万事解決。OR 万事休す?

メエ、メエ〜


■くるくる?・・・   97/3/1

新しいライターさんが登場します。その名は「くるくる」さん。“暴走くるくる”を自称するくるくるさんは博覧強記(侠気OR狂気のニュアンスあり)で、最高学府除籍というアウトロートレンドに、アート・表現全般への深い造詣と妥協を許さないスタンスが東京の虚空に輝く北斗七星の流星風です。
ところでLDPさんは第3希望中退、お気楽な独学人生(学問じゃないそーです)とその浮き雲を目指す姿勢は捉えどころが無いとこがありますが、それこそ彼のネライ。気をつけて見破り、意地悪に揚げ足をとってあげませう。
メエ、メエ



■ですが、・・・   97/2/28

いくらなんでも、年がら年中昼寝してるわけじゃないので、テキストや企画も結構たまってます。
緩急が極端なスケジュールをつくってしまったのも、ヤワな自己を活かす知恵と自己満足。
しかし、そろそろお腹一杯症候群。

問題は、散らかりすぎてること。整理整頓が苦手なことですね。

えー、そろそろ、新しい方の参加も実現しそうなので、乞うご期待。
障害はモグモグ以外では単に鈍重なだけのヒツジのせいです。絶対。

メエー、メエー



■フヌケ・・・   97/2/28

アレ、1ヶ月以上たってるぅ。
アア、申告だぁ。
ギャア、入金しなきゃ。
とか大騒ぎしてる今日です。
これも“フヌケ”なコンジョーのせいでしょーかぁ。
死んでも直りそーにありませんが、死んだら直ってもしょーがないので、今日もモグモグたくさん食べて、
レポート用紙に原稿をなぐり書きし、「TOKYOはスクラッチな街だぜぇ」とかつぶやいて、
国立の白十字でカヌレなんか頬張って過ごすのでしょー。


■アレ?・・・   97/1/16

アレ、年が明けてるぅ、が実感。アリャ、締切りぃだぁ、が実際。
公私に渡りシメ関係で迷惑を掛けております。ゴメンナンサイ。