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    波照間島あれこれ

    99年旧盆・波照間滞在記
    8月24日(旧暦7月14日)

    その1・ムシャーマ午前の部

    今日は盆の中日、ナカヌピン。いよいよムシャーマ本番の日である。
    目を覚まし、外に出てみると雨は止み、雲は切れて日が差し始めていた。これなら大丈夫だ。たましろ主人は公民館の役員を勤めているので、朝食後のいつものおにぎり説明のせりふもそこそこに、早々に公民館に行ってしまう。
    9時過ぎに功一先生の運転する車で、公民館前の広場に向かう。まつりは各組が公民館の前庭に向けてミチザネー(仮装行列)しながら集まることから始まる。
    名石の集会所の前で降りると、もう西組の行列が準備をして道に並び、出番を待ち構えている。
    その中を抜け、公民館前に。まだ朝の船が到着していないせいか、見物客は少なめだ。すでに東組の行列の半分が、公民館の広場に入っていた。東組は星空荘わきの、高那崎に続く東への道の方からの入場である。
    続いて前組。ガソリンスタンド脇の、南側からの道からの入場だ。そして最後に西組の入場となる。

    ミルク弥勒節
    左:ミルクと五穀の篭 右:弥勒節
    行列は各組とも大体同じような構成と順番になっている。
    まず先頭には大旗が掲げられる。細長い幟状の旗には組ごとに字が書かれている(東組;「東」の字と太陽の図柄 前組;「五風十雨」 西組;「祈豊年」)。
    続いて「ナーリ」、少年が五穀の実を実らせた木の枝を掲げる。豊かな実りを表している。
    そして、行列の主役である「ミルク」(リンク参照)。真っ白な布袋の仮面に鮮やかな黄色の衣装。太陽と月の描かれた扇を持ち、杖をつき、ゆっくりと左右を見渡しながら進む。神々しくもユーモラスだ。組によってその顔や衣装はすこしずつ違う。傍らには椅子持ちの少年が、折りたたみの椅子を持ち、ミルクの衣装の裾をつかんでお供をする。
    ミルクのすぐ後には「五穀の篭」。おめかしをした幼女が、五穀を盛り付けた竹で編んだ籠を下げてミルクの後を行く。ミルク世のもたらす豊穣の種を意味するのだろう。
    そして「ミルクンタマ」。波照間のミルクは女性とされており、その子供達がミルクの後に続く。
    次にくるのは「弥勒節」。絣を着た年配の女性が、年配の男性達の三線にあわせてミルクを称える弥勒節を歌う。
    まみどーま稲摺節
    左:まみどーま 右:稲摺節
    次の「まみどーま」ではハッピを着た子供達が鎌のはりぼてで草刈の動作をする。リハーサルのときは走り回っていた子供達だが、何とかまとまって元気よく演じている。
    「稲摺節」弥勒節よりは多少若めの男女が、白布で稲を擦るまねや、杵でもちを搗くまねをする。米俵を担ぐ者もいる。収穫の喜びを表すのだろう。
    そして「崎枝節」(馬ブシャー)。水色の衣装を着、脚絆をつけた若者が、木型の馬を腰につけ、手綱をとり馬を走らせる所作をする。

    ここまでは各組とも共通である。このあとさまざまな踊りが続き、これは組によって違っている。「六調節」「天川」「かりゆし節」「山崎のアブジャーマ」などが演じられる。中には色物的な演目もある。前組では着物に赤い褌、眼鏡に付け髭の若い女性達が、一升瓶を担いで踊っていた。
    西組には「南洋土人踊り」という出し物が出る。全身に泥を塗りたくり、葉っぱの腰蓑をまとい、槍を持った男達(大人も子供もいる)が、「私のラバさん、酋長の娘、色は黒いが南洋じゃ美人、アヒリッヒリッヒリッ」と歌いながら腰を振る。何十年も前から出ているそうだ。歌詞は戦前の歌謡曲「ロッパ南に行く」の語りの部分からとったものだろう。

    行列の半ば位には「ブーブザ」がうろうろしながら、踊り手にちょっかいを出したりしている。ミルクの旦那といわれる道化役である。決して先頭の方に行くことはないのは、遊び人でミルクに頭が上がらないためらしい。エイサー(沖縄本島の盆踊)の道化役「京太郎(ちょんだらー)」に似ているかもしれない。

    崎枝節徳利小
    左:崎枝節 右:徳利小(?)
    全身を蔓植物で覆った雨乞いの神様「フサマラー」も出現する。本来は雨乞いの神事に出現していた。長い葉を手に持ち、それを水につけて観客に振り捲く。
    長い棹の先に張りぼての鰹をつけ、釣りの真似をする「鰹釣り」。かつて盛んだった鰹釣りを模したものだ。これもわりと道化的で、工事用のヘルメットを被っていたりする。

    行列後部は再び、各組共通となる。
    リハーサルでも見た「棒術」の若者。本番では伝統衣装を身につけ、勇ましい。道中で一度、演舞を行う。
    そして、中学生位の少年達による「太鼓」。こちらはしずしずと歩いている。衣装の前掛けが面白い。
    最後に2頭の獅子。枯草でできた胴体は大きく、日本の獅子舞とはかなり印象が異なる。実在する生き物のように見える。時折、観客に襲いかかる。組によっては棒を持った2匹の鬼が付き添う。こちらも南方的な容姿をしている。

    テーク棒術
    左:テーク 右:棒術
    1時間ほどですべての行列が公民館前の中庭に集結した。いつのまにか増えた観客がぞろぞろと公民館の中庭に移動する。

    公民館の前で、ハジメさんを通して知り合いになった、京都の本庄森さんに偶然会う。西表出身の三線弾き「まーちゃん」のバンドでベースを弾いているとともに、本人も三線弾きだ。なんと前組の舞台の伴奏をつとめるという。
    三線教室の知り合いの吉沢直美さんにも偶然再会。石垣から日帰りできたとのことだ。アナウンサーで、沖縄絡みの仕事もよくやっている人である。
    なんだか今回の八重山行きは知り合いばかりだ。

    獅子準備が整い、今度は公民館の前の細長いスペースで棒術とテーク(太鼓)の披露が始まる。ミルク役はすでに仮面を脱ぎ、特別に用意された席で会場を見物している。
    棒、太鼓とも3組がそれぞれ演じるので繰り返しとなる。4年前に見たときは全部同じに感じられたのだが、じっくり見ていると各組ごとに微妙に違うことがわかる。
    テークは笛と銅鑼のミニマルな伴奏が異国的だ。先頭の4人は陣笠を持って型を決めるのだが、どのような意味があるのだろうか。
    棒術は練習のときよりも格段に勇ましくなっている。観客の存在、祭りの雰囲気がそうさせるのだろう。最後の一斉の演舞は、武器の回転する動きと、格闘する人の動き、棒や鎌のぶつかり合う音と気合を入れる掛け声が交錯し、音的にも視覚的にも迫力がある。特に、前組の動きはワイルドで、前日のたましろでの解説も、さもありなん、という感じだった。

    午前の部の締めとして最後に「ニンブチャー(念仏踊)」。祖先を供養する歌を歌うニンブチャーは、地味ではあるが祭りの中核である。中庭に用意されたお供えの膳の前に島の要人が数人しゃがみ、念仏歌を唱える。棒や太鼓に参加していた若者が輪になってしゃがみ、念仏歌を唱える人達を取り囲む。そして、皆がうさぎとびで廻る。このうさぎ跳びはたぶん他の島にはないのではないか。2周ほどした後は立ちあがって廻る。4年前よりうさぎ跳びの時間が短くなったように感じるのは気のせいか。
    6頭の獅子と旗
    5,6分ほどでニンブチャーが終了し、午前の部の終わりが告げられた。11時半。集まっていた人達は三々五々と散っていく。何時の間にか真昼の陽射しが照りつけ、興奮の余韻と南島の夏の気だるさが入り混じった空気があたりに漂っている。売店の脇の日陰に腰掛けビールを呑み一休みする旅の青年達。広場のブランコで遊ぶ子供達。軽トラックの荷台に乗り、家に戻る島人。
    私達も再び功一先生の運転するたましろ号で、たましろ荘に戻った。午後の部は1時半からとのことである。

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