東京市民活動コンサルタントArco Iris 緊急資料コーナー


  東京アフガン人難民申請者収容メディア報道
  2002年1月1日〜
  
→新聞報道1へ><→新聞報道2へ><→新聞報道3へ><→新聞報道4へ<→新聞報道5へ>
 

<更新情報>   

 
 

2002年6月30日

2002年6月28日 共同通信
大阪の入管施設に移管  刑免除判決のアジズさん

 広島入国管理局は二十八日、不法入国したとして入管難民法違反罪に問われ、広島地裁が刑免除の判決を言い渡したアフガニスタン人、アブドゥル・アジズさん(30)を大阪府茨木市の西日本入国管理センターに移管した。
 アジズさんは二十日に刑免除の判決を受けたのに解放されないことに抗議。二十四日夜からハンガーストライキに入ったが、体調を崩したため、代理人の弁護士と同管理局が協議して、収監環境の整っている大阪の入管センターへの移管を決めた。
 アジズさんは昨年六月、偽造パスポートで福岡空港から入国。今年二月、広島県警に逮捕、起訴された。広島地裁は「難民と認められる」として刑免除の判決を言い渡した。アジズさんは広島入管に仮放免の許可を申請している。

 

2002年6月21日 毎日新聞
不法入国のアフガン人を難民と認定、刑免除 入管判断と対立−−広島地裁

 難民認定申請中に出入国管理法違反(不法入国)容疑で逮捕、起訴され、同法違反の罪に問われたアフガニスタン人男性(30)=広島入国管理局に収容中=に対する判決公判が20日、広島地裁であった。小西秀宣裁判官は起訴事実を認めた上で、「被告は人種、政治的意見などを理由に迫害を受ける恐れがある」として男性を難民と認定。同法70条の2(刑の免除規定)を適用して、有罪だが、刑罰を科さない刑の免除を言い渡した。 (28面に関連記事)
 刑法37条(緊急避難)を適用して密航者の刑を免除した例はあるが、裁判所が刑事被告人を難民と認定し、入管法の規定を適用して刑を免除したのは極めて異例。中国・瀋陽の総領事館内連行事件などをきっかけに、政府が難民政策見直しを検討する中、今回の判決は政策見直しに影響を及ぼすとみられる。
 この男性はアブドゥル・アジズ被告。判決によると、アジズ被告は昨年6月、偽造パスポートを使って福岡空港から不法入国。今年2月まで山口県内などで不法に在留した。検察側はこの日、懲役1年6月を求刑した。
 公判で弁護側は、起訴事実は争わないとした上で、「難民該当性が高い」として刑の免除を主張。小西裁判官はアジズ被告がタリバン政権時に迫害されたハザラ人であることに関し、「民族的、宗教的に少数派であるハザラ人の被告はアフガニスタンで迫害される恐れがある」とした。また、アジズ被告は不法入国後、約5カ月も経過してから難民認定を申請したが、「在留資格認定証明書交付申請の返事を待つなどしていたもので、難民としての立場や心情を考慮すると遅滞なく申請はされたと言える」とし、弁護側の主張を全面的に認め、刑の免除条件を満たしているとした。
 アジズ被告は昨年11月、難民認定を申請したが不認定となり、広島入国管理局に対する異議申し出も却下された。今月14日、広島地裁(小西秀宣裁判官)が保釈を許可したが、広島入管が即日、強制収容していた。
 入管の行政手続きは独立したもので、今回の判決に関係なくアジズ被告の収容は続き、強制送還される恐れもある。このため弁護団は近く、同地裁か大阪地裁に退去強制令書の執行停止を申し立てるとともに、難民不認定処分の取り消し請求訴訟を起こす方針。 【隅俊之】

◇法務省入国管理局の話
 刑事裁判の判決と、入管が進める強制収容などの行政手続きは別個の独立したもので、判決によって退去強制手続きが免除されるものではない。

◇難民認定制度に詳しい本間浩・駿河台大教授(国際法)の話
 1人の難民認定について、裁判所が入管の判断とは異なる見方を示したことは画期的。入管はいったん退去強制手続きを止めて難民認定について再検討し、根拠を明示すべきだ。司法と入管のこうした緊張関係は、難民認定の基準をより公平なものにするはずだ。

 

2002年6月20日 共同通信
判決要旨  アフガン人に刑免除判決  
広島地裁、難民と認める  入管は強制退去手続きへ

 アフガニスタン人被告に刑免除を言い渡した二十日の広島地裁判決の要旨は次の通り。

▽罪となるべき事実
 被告は有効な旅券などを所持しないで、二○○一年六月十日、アラブ首長国連邦(UAE)から韓国を経由して航空機で福岡空港に到着し、不法に入国した。さらに、二○○二年二月二十七日まで山口県内などに不法に在留した。

▽刑免除の理由
(1)難民該当性と供述の信用性
 被告は民族的にも宗教的にも少数派のハザラ人シーア派で、多数派のパシュトゥン人と対立関係にあり、一九九二年以降のアフガニスタン内戦では、パシュトゥン人やタジク人のグループから軍事攻撃を受けた。ハザラ人がアフガニスタンで迫害される恐れのある状態だったことは明らかというべきである。
 被告の供述や手紙によれば、被告はハザラ人の政治団体「イスラム統一党」の党員で、内戦では、パシュトゥン人に対抗するための軍事活動に従事したため、現にパシュトゥン人勢力のタリバンが被告を逮捕しようとしていたことが認められる。
 検察官は被告の供述の信用性を争うが、供述は詳細かつ具体的で、内容もほぼ一貫していて不自然なところはない。被告がイスラム統一党員であったことを示す特別身分証明書の存在もうかがわれ、信用することができる。
 被告が不法入国・在留した動機は、二○○一年四月にタリバンが被告を捜していることを聞いて、タリバンの影響力の強いパキスタンやUAEから亡命することを決意した。
 亡命先として日本を選択したのは来日経験があり、日常会話能力があるほか、日本企業に雇用されることが決まっていたことも動機の一つ。他方アフガニスタンやパキスタン、UAEでは迫害される恐れがあるため日本への亡命を決意したという動機も認められる。就業という動機が併存しているからといって、亡命の意思を認めることの妨げになるものとはいえない。
 被告は日本企業関係者を介して在留資格認定証明書の交付を申請していて、直ちに難民認定は申請しておらず、自動車部品の買い付けなどの営業活動を行っていたが、所在を隠したり、氏名を偽ったりしていなかった。
 難民申請では入国日や入国経路を偽ったが、それまでの経緯や被告の心情などからすれば、理解できないものではない。入管難民法に定める難民と認められるとともに、迫害の恐れがあるため、不法入国・在留したといえる。


(2)七○条の二の該当性
 次に入管難民法七○条の二が刑免除の要件としている「生命、身体または身体の自由が害される恐れのある領域から直接本邦に入った」といえるかどうかを検討する。
 難民条約の解釈を示した国連高等弁務官事務所のガイドラインをも参考にすると、「直接本邦に入った」とは、出身国か、安全や安定が保証されないかもしれない他国から直接本邦に入った場合であって、短期間で中継国を通過した場合を含むと解すべきである。
 被告はアフガニスタンからパキスタンを経由してUAEに入国。UAEから香港、韓国を経由して入国しているが、前記の通り解釈すれば「生命、身体または身体の自由が害される恐れのある領域から直接本邦に入った」ということができる。

2002年5月19日 毎日新聞

アフガン青年、自殺 申請10カ月…
心身共に疲労、難民認定待ちきれず

◇自損交通事故、高額治療費…心身共に疲れ

 難民認定申請中のアフガニスタン青年(27)が、愛知県内で自らの命を絶った。申請から10カ月。結果を待つうち、仕事中に起こした交通事故などによって心身共に疲労、追い詰められた末の悲しい選択だった。
 17日午後6時半ごろ、寮を貸している西三河地方の中古車販売会社社長(63)が、青年と連絡が取れないことから寮を訪れ、青年が死亡しているのを見つけた。関係者らによると、青年は昨年2月に来日、同年7月に東京入管に難民認定申請を行った。だが、今年3月に三重県内の道路で自損事故を起こして重傷を負った。健康保険がないため、入院・治療費は90万円にのぼった。その支払いが困難となり、完治せずに退院した。
 現場に残された遺書では、事故の影響で体調が回復しないことを嘆き、祖国の父母や兄弟に許しを請うていた。「事故後は、悲しそうだった」。青年と同じ寮で暮らす同国人たちは口々に死を惜しむ。【清藤天】

2002年5月7日

日本に亡命のチャンスはない?

 【ウィーン2日共同】在チェコの日本大使館(石田寛人大使)職員が、チェコのロマ(ジプシー)が日本に来て亡命を求めた場合の対応について、日本では亡命者は一切受け入れられず、数年間投獄される可能性すらある、と答えていたことが二日、分かった。チェコ通信が伝えた。
 チェコでは東部オストラバ地方のロマの間で最近、日本など西側諸国への集団亡命の動きが出ている。
 日本は、亡命を求める外国人が難民認定申請した場合、入国管理局で審査、最終的には法務大臣が判断を下すと定めている。しかし、在チェコ大使館の対応は、実際は難民受け入れに消極的な日本の姿勢をあらためて浮き彫りにしたといえそうだ。
 プラハの日本大使館は「大使や領事は取材を受けていないが、現地職員も含め再度調査する。亡命は一切あり得ないという大使館の公式見解があるわけではない」と話している。
 チェコ通信外国ニュース編集部は「大使館の当局者から取材して書いた確かな記事だ」と話している。
 チェコ通信によると、同通信記者が二日、日本大使館に、ロマの日本への亡命の可能性を問い合わせたところ、応対した職員が日本は亡命者は受け入れず、誰にも避難所は提供しないと回答。さらに「絶対チャンスはない。多額の航空券代を使い、失望するだけだろう」と述べたという。
 オストラバ地方では高失業率からロマへの差別事件が頻発、比較的裕福なロマの家族が西側諸国への亡命を試みている。日本とチェコは相互に査証を免除しており、亡命を検討している家族が複数いるという。

 

 

2002年4月27日 共同通信 

解放のアフガン人が会見

 難民認定を申請しながら、法務省東日本入国管理センター(茨城県牛久市)に収容されていたアフガニスタン人二十三人が二十六日までに全員解放され、同日午後、東京都内で記者会見した。
 裁判所の収容停止決定と法務省の裁量による仮放免で身柄拘束を解かれたアフガン人は「全員が解放されたことに感謝する」とほっとした表情。だが「母国では二十年以上も政情不安が続いており、私たち少数民族の権利はいつも無視されてきた」と暫定政権にも不信感を表明し、あらためて日本での難民認定、在留資格の付与を求めた。
 二十三人はタリバン政権に迫害されたとして来日したが、昨年の米中枢同時テロの前後に不法入国などの疑いで収容された。うち七人は三月に東京地裁の決定で解放され、残る十六人も順次仮放免された。


2002年4月26日 共同通信 

アフガンの23人全員解放  茨城の入国管理センター

 難民認定を申請中に、法務省東日本入国管理センター(茨城県牛久市)に強制収容されていたアフガニスタン人二十三人が、二十六日までに全員解放された。収容を停止する裁判所の決定に加え、法務省の裁量による異例の仮放免が相次いだためで、アフガン難民弁護団は歓迎している。
 弁護団によると、二十三人はほとんどが少数民族のハザラ人で、タリバン政権に迫害されたとして来日して難民認定を申請。だが昨年九月の米中枢同時テロの前後に、不法入国などを理由に収容され、強制退去を命じられた。獄中で体調を崩したり、自殺未遂したりした人も少なくない。
 弁護団は収容の是非を裁判で争い、五人は東京地裁の決定でいったん解放されたが、東京高裁の逆転決定で再収容された。東京地裁は今年三月、あらためて七人の収容停止を決定。その後、同センターは残る十六人を順次仮放免した。
 入管難民法によれば、同センターは裁量で収容者を仮放免できるが、昨年までの四年間に認めたのは四十人余り。今回の異例の大量仮放免について、法務省は「被収容者の健康状態などを総合的に考慮、個別に判断しており、結果として多くなった」と話している。
 ただ、二十三人が退去強制処分の取り消しを求めた裁判の結果などによっては、再び収容され強制送還される可能性もある。
 この日午前、最後に解放された三人は「ようやく出られてうれしいが、日本はなぜ難民を収容するのか。安全な国だと思ったから日本で難民申請したのに…。これからは安全な生活をしたい」と疲れた表情で話していた。


2002年4月6日 毎日新聞
 

 [難民鎖国]入管行政は、いま/下 「世界標準」未満の認定制度

 誤訳する通訳、足りない調査官

 昨年10月、東京入管が不法入国などの容疑でアフガニスタン人を一斉摘発した際のことだ。
 入管内の調査で通訳を務めていた在日外国人が職員に意見を求められ、言った。
「アフガン人じゃない。パキスタン人ですよ」
 国名を「誤訳」した真意はわからない。ただ、この通訳は、摘発された少数民族ハザラ人と、民族的、宗教的に敵対する立場にあった。
 通訳のこんな証言もある。「通訳者が話を誤訳、わい曲して調査官に伝え、そのまま調書になっている場面を見た」
 調書の信ぴょう性が揺らぎ始めている。
 欧米諸国では、通訳に高度な訓練を受けさせたり、民族や宗教に配慮した人選を行う。日本では「リストをもとにその都度お願いしている」(法務省)のが実情で、特別な研修制度もない。
 インタビューにあたる難民調査官にも、高い専門性が求められる。ドイツでは百数十人の政府から独立した審査官がおり、裁判官に準じる資格を法律で定めている。カナダには難民専門の情報センターもある。
 日本の難民調査官は全国で42人。うち専従は7人しかいない。97年から昨年までの5年間で、難民認定の申請者数は242件から353件と100件以上増加。にもかかわらず、調査官の数は1人しか増えていない。
 
今年、認定実務の不備を入管自らが認める異例の事態があった。
 「難民認定をしない処分は取り消したので、通知します」。2月末。ミャンマー人男性は法相名で突然届いた1枚の紙を見て、言葉を失った。提訴した不認定取り消し訴訟が結審する予定の2週間前だった。3月中旬、男性は難民認定証明書を受け取った。
 男性は仏教徒の多いミャンマーで少数派の、イスラム系少数民族、ロヒンギャ族。軍事政権が強制労働や虐殺の対象としており、隣の村に行くにも通行許可証を得なければならない。男性は民主化を求める学生運動に参加し、3度の拘束を受けた。爆弾事件の嫌疑で学生組織が一斉捜索を受け、98年3月、保護を求めて来日。空港に着くなり拘束され、入管施設で難民認定を申請、不認定となり11カ月間収容された。
 法廷で、不認定の根拠となる調書が明らかになった。男性は最初の調査で迫害の核心部分を隠していた。だが弁護士に「プライバシーは守られる」と聞き、新事実を述べた。入管側は個々の調書の違いを「供述の変遷」ととらえていた。「通訳の問題や、ストレスによる言い間違いもあった」。昨年11月の本人尋問で、男性はそう証言した。
 裁判ではニュージーランドの審査機関のトップも出廷し難民認定の「世界標準」を披露、日本の制度自体も争われていた。判決を待たず認定した理由について、同省難民認定室は「審査時の判断は妥当だったが、本人尋問などで新たな事実が出てきて、難民性があったことが認められた」と説明。弁護団は「新事実などない。敗訴で制度自体の不備が露呈するのを避けただけだ」と話す。
 
 出入国管理と難民の保護。日本では矛盾する作業を一つの局が行う。1次審査も異議申し出も法相が裁決する▽裁判所の令状なく、無期限の収容ができる▽詳細な「理由」の説明は不要――。入管行政の裁量はどこまでも大きい。
 インドシナ難民の流出を受け、日本は81年、米国の「外圧」に押される形で難民条約に加入した。「認定をどこがやるか、外務省と法務省で押しつけ合い、独自の審査機関を検討する余裕も予算もなく、入管に難民認定室を作った。だが、省内でも特異な業務。誰もやりたがらず、専門家が育っていない。法改正の時期に来ている」。ある法務省幹部は打ち明ける。
 日本同様、80年代まで「難民鎖国」だったニュージーランドは、87年の司法判断を機に、独立した審査機関を設立した。日本でも最近、入管の判断を覆す裁判所の決定が相次いでいる。
 難民条約の精神は、国境を越えた人命の保護にある。日本は変われるのか。世界が厳しい視線を注いでいる。

 
2002年4月5日 毎日新聞
 
 [難民鎖国]入管行政は、いま/中 認定基準、ベールの向こう
  
放置のクルド人、11年がかりの中国人
 
  「この国はだめだ。いくら証拠を出しても、難民と認めない」
 98年10月。トルコ国籍のクルド人、ムスタファ・クズマズ氏は、この言葉を残して、日本を後にした。「認定率の高い他の国で申請し、家族を呼び寄せたい」。周囲にはそう漏らした。
 トルコ政府はクルド民族の存在自体を否定している。クルド人であると主張するだけで逮捕される。クルド人政党の地方責任者だったクズマズ氏は94年3月、迫害を逃れて来日し、日本で民族自立の運動を続けていた。96年9月、トルコの自宅が家宅捜索を受けたことを知り、難民認定を申請した。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)はクズマズ氏について「難民性が高い」と判断し、入管側に訴えている。しかし、1次審査の結果すら出ず、まる2年が過ぎた。
 そのクズマズ氏が99年7月、トルコ国内の自宅で、全身数十カ所を刺され死亡しているのが見つかった。警察当局は14歳の二男を殺人容疑で逮捕した。同じころ妻も投獄され、親族約20人が拘束された。事件の真相は不明だが、家族を知る人々は「年端のいかない二男が父を殺すとは、考えられない。クズマズは世界のどの国でも、難民と認められる人だった。日本政府が早く認定していれば、死ぬ必要はなかった」と、申請をたなざらしにした日本政府への怒りを隠さない。
 
 日本が難民条約に加入して21年。法務省はトルコ国籍のクルド人を一人も難民認定していない。その理由について、クルド難民弁護団の大橋毅弁護士は話す。「トルコ国籍クルド人の難民認定率は諸外国では平均2割。にもかかわらず日本だけゼロというのは、トルコとの友好関係を保ちたいという、政治的意向を感じざるを得ない」
 入管の対応に異を唱える司法判断が3月にあった。入管側が「就労目的の来日」として難民不認定にしたクルド人男性について、東京地裁(市村陽典裁判長)が「難民に該当する」と、法務省の不認定を取り消したのだ。入管側は、男性が受けた迫害を「クルド人を好ましく思わない人からの暴行とも推測される」と主張したが、判決はこれを退け、トルコ政府によるクルド人迫害を認めたうえで、「国家機関によるものである可能性も否定できない」とした。収容されていた男性は仮放免され、法務省は控訴した。
 
 難民条約は国籍による差別を禁じている。「個々の迫害の恐れを判断しており、国籍による差別はしていない」。同省難民認定室はそう説明するが、実情は「入管」の厚いベールに隠されている。
 「どんな国も、難民を喜んで受け入れはしない。だが、難民条約というルールをきちんと守っている。日本のやり方は余りに不透明で、自国の国益だけを優先しているとしか思えない」
 東京都新宿区内のアパート。中国の民主活動家で詩人の趙南さん(51)は11年がかりで手にした難民認定証明書に目を落とした。ビザの更新のたびに「拒否されるかもしれない」という不安がやっと解消された。
 就学生として来日中だった89年6月、天安門事件が起きた。趙南さんは民主中国陣戦の日本支部代表となり、中国政府を批判してきた。90年12月の最初の申請は、期限の超過を理由に不認定とされた。その後、新たな迫害の事実が出たとしてさらに2度申請した。昨年12月、予想外の「認定」を受けた。
 ある国籍の人を難民と認定すれば、その国が迫害をしているという事実を認定することになる。中国外務省はすぐさま「彼は難民ではない」と反発した。
 弁護団によると、中国民主活動家が日本で難民認定されたのは趙南さんが初めて。なぜ突然認めたのか、法務省は理由を明らかにしていない。2度目と3度目のどちらの申請を認めたのかも不明だ。
 緒方貞子氏の後任を務めるルード・ルベルス国連難民高等弁務官は指摘する。
 「日本の難民認定システムに何より求められているのは、公平さだ」
 
 
 
2002年4月4日 毎日新聞
 
[難民鎖国]入管行政は、いま/上
 「ビジネス目的」とされた反タリバン元司令官
 
廃虚の街に迫害の「証拠」:暫定政権農相が証言「逃げろと伝えた」
 
 800人のムジャヒディン(戦士)を率い、民族間の内戦を戦い抜いたリーダー。その風貌(ふうぼう)から、鋭さは消えていた。
 「祖国ではいろんな苦しみがあった。だが、平和な日本でこんな体にされた屈辱とは、比べようもない」。3月、入国管理施設から8カ月ぶりに仮放免されたアフガニスタン人、モハマド・ジャワド氏(37)は収容中に白くなった髪を嘆いた。
 イスラム教シーア派の党組織「ハラカト・イスラミ」の元司令官。収容中、血圧は200を超え、20回近く倒れた。解放後に病院で「心因性精神障害」と診断された。
 ジャワド氏が語る自らの半生は次のようなものだ。
 多民族国家アフガンの中で、迫害を受け続けてきた少数民族ハザラ人の自由を目指し、10代後半から反政府活動に身を投じ、拘束や拷問を受けた。92年にミサイル部門の司令官だった兄が殺され、後継に。96年にタリバンがカブールを制圧。家族に「戦争と私たちと、どちらを選ぶのか」と迫られ、前線を撤退。アラブ首長国連邦(UAE)に逃げ、貿易会社を設立。水面下で活動を続けた。
 01年5月。パキスタンの新聞にタリバンを批判した自分のインタビュー記事が掲載され、翌月、親族がタリバンに連行され行方不明になった。党から「タリバンが君を捜している。逃げろ」とファクスが来た直後、タリバン政府が出頭を命じてきた。パキスタンに脱出したが、そこでも立ち寄り先が捜索を受けた。貿易の仕事で通った日本を目指し、ブローカーに手引きを依頼。7月、成田空港に着いた―。
 ジャワド氏は空港で難民認定を申請し、そのまま収容された。まだタリバン政権だった8月末、難民不認定とされ、アフガンを送還先とする退去強制令書が出された。
 身分証明書や新聞記事など、多くの証拠を提出した。しかし、法務省の不認定通知書は「具体的な証拠がない」と記すだけだった。退去強制令書の執行停止を求めた裁判でも、法務省は「さしたる政治活動は行っていなかったとうかがえる。供述に切迫感がなく不自然」と主張した。「ビジネス目的なのに難民を装った」。それが、法務省の判断だった。
 
 今年3月上旬、記者は首都カブールに入った。ジャワド氏の足跡を求め、廃虚の目立つ厳寒の街を歩いた。
 ハラカト・イスラミ本部を訪ねた。「日本政府はタリバンと同じか」。ジャワド氏の収容を知った党幹部らは一様に憤慨した。諜報(ちょうほう)担当幹部のファゼル・ナビ・ハイダリ氏は「私は部下のスパイから『タリバンがジャワドを捜している』と報告を受けた」と打ち明けた。
 暫定政権で農相を務める党首のサイード・フサイン・アンワリ氏が証言した。
「ジャワド氏にファクスで危険を知らせたのは、この私だ。いま彼が送還されても、安全は保証できない。日本は自分の家に逃げこんだ人を追い出そうというのか」
 西カブールのジャワド氏の家は、激しく破壊されていた。「タリバンの嫌がらせだ。家族もどこにいるか分からない」。党ナンバー2のアハマディ氏は言った。
 昨年、日本政府が難民認定したアフガン人はわずか3人。不認定はジャワド氏を含め39人。ほとんどがハザラ人だ。
 2月のある夜。カブールで3人のハザラ人が殺され、顔の皮をはがれる事件が起き、ハザラ住民らに衝撃が走った。
  「恐らくタリバン兵の残党の仕業だ。彼らはまだ武装して潜伏している。我々は武器を奪われ、わが身を守ることもできない。暫定政権でも平和は来ない」
 日本で収容中のハザラ人の多くが支援してきた政治組織「イスラム統一党」カブール事務所のユソフ・ワイジ氏は不安を隠さなかった。
 
「安全な帰還が可能となるまで、一定の条件で放免されるべきだ」。今年2月。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)日本・韓国地域事務所は収容されたアフガン人の病気や自殺未遂を憂慮し、声明を出した。アムネスティ・インターナショナルも、収容に抗議する緊急行動に乗り出した。その後、大阪で新たなアフガン人が収容されたが、東京では3月、体調の悪い人が次々と仮放免されるようになった。
 日本国内の難民政策に、国際社会が厳しい目を向け始めた。この国の難民認定制度は機能しているのか。現場から報告する。

 
2002年3月30日 朝日新聞 
 

アフガン人1人を仮放免 難民認定申請中に収容
 
法務省は29日、難民認定を申請中に収容されていたアフガニスタン国籍の男性1人を仮放免した。健康状態が悪化したためで、仮放免は計4人。同様の立場で収容された人は、当初22人いた。
 
2002年3月26日 朝日新聞
 
日本の入管行政 難民巡り司法から一石(検証)
 
 内外から厳しい視線が注がれている日本の入国管理行政。いま、岐路に立たされている。(編集委員・百瀬和元、社会部・山口進)
 
○保護求める男性の収容「違法」 「自ら審査」に疑問提起
 
 入国管理行政のあり方が問われる場面が、最近相次いでいる。難民として保護を求めてきた外国人の身柄をどう取り扱うべきか。難民認定のあり方に問題はないか――。
 最初に一石を投じたのは東京地裁民事3部(藤山雅行裁判長)だ。難民認定申請中のアフガニスタン国籍の男性たちの収容を違法とする決定を、昨年11月6日と今月1日の2度にわたって出した。
 中でも目を引いたのは、今月の決定の次の部分だ。
 「そもそもわが国の法体系下で、司法審査を経ずに、行政庁が行政処分として身柄拘束をすることが許されていること自体、極めて例外的な制度といわざるを得ない」
 公権力が人の自由を奪うには、行き過ぎを防ぐために第三者によるチェックが必要とされる。刑事事件の容疑者の逮捕令状を裁判所が発付するのはそのためだ。
 ところが入管当局による身柄拘束の根拠である「令書」と呼ばれる書面は、入管自らが出す。そんな現行制度に対する根源的な疑問が、裁判所から提起されたのだ。
 法務省は「令書」に基づく収容を合憲とした80年の最高裁判決などを踏まえ、この決定を不服として東京高裁に抗告した。「まだ制度の見直しなどを考える段階ではない」としながらも、戸惑いは否定できない。
 
○証拠踏み込み、難民認定判決
 
 「藤山決定」から1週間後の今月8日、今度は東京地裁民事2部(市村陽典裁判長)がトルコ国籍のクルド人男性(46)を難民にあたると判断し、政府の不認定処分を取り消す判決を言い渡した。
 これまでも手続きの不備などを理由に国側が敗訴した例はないわけではない。だが、「証拠の中身に踏み込んで、判決が『難民認定』した例はほとんどない」と法務省。収容問題では国側の主張を認めてきた裁判部の判断だけに、衝撃は大きかった。
 法務省自ら「負け」を認めるケースも出てきた。ミャンマーの軍事政権の弾圧を逃れて来日した男性(29)の訴訟では、結審直前に法務省が処分を取り消し、今月15日に難民認定に踏み切った。
 法務省は「新しい証拠が出てきたので早期の救済を図った」と話すが、男性側の弁護団の見方は違う。「審理経過から勝てそうもないと判断して、判決を避けたのではないか。司法の姿勢が行政を動かした」と、入管行政を取り巻く変化の兆しを見る。
 
○専従の調査官、たったの7人
 
 こうしたほころびを、難民問題に向き合う国の姿勢そのものに求める声も根強い。
 たとえば「人」の問題だ。認定業務に携わる難民調査官は全国で42人。その多くが兼務で、専従の調査官は東京と大阪に合わせて7人しかいない。この体制で年間200件を超す申請を処理することが求められる。
 しかも専門採用ではなく、通常の人事異動の中に置かれるため、不法入国者の摘発業務にあたっていた職員が調査官にまわされることもある。難民問題に詳しい弁護士は「これで適正な審査をしろという方が無理だ」と、構造的な欠陥を指摘している。
 
◇国連、日本に懸念表明
 
 「日本では保護が必要な人たちがかなりの割合で拘束されている。難民申請者の拘束は原則的に避けるべきだ」 今回のアフガン人収容問題をきっかけに、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)も異例の声明を発表した。
 昨年9月の同時多発テロ事件以降、テロリストの潜入を警戒して、先進諸国は難民やその申請者に厳しい目を向けるようになった。
 密入国を試みるボートピープルの上陸拒否。難民でないと認定された人たちを速やかに送り返す体制づくり――。オーストラリア、英国、デンマークなどでそうした動きが急速に具体化した。
 その中でも日本の対応は国際社会の目を引く。テロ後、難民申請者のうち身柄を拘束された者は約2割を占める。強硬策をとるオーストラリアに比べても高い数字だ。
 今回の声明は、難民条約の監視役であるUNHCRが、日本の現状に「赤信号」をともしたと読むことができる。
 
●人道的配慮、忘れぬ施策を 
UNHCR日本・韓国事務所のカシディス・ロチャナコン代表
 
 日本政府の政策を批判するつもりはない。だが、現状には懸念を表明し、意見を述べざるを得ない。
 難民条約は、難民や難民申請者の身柄拘束を避けるように求めている。98年以降、日本でも拘束は例外的なものとなり、私たちは進展と評価してきた。ところが同時多発テロの後、かつてのやり方に戻ってしまったように思う。
 まず、不当に収容されている人たちを解放することが重要だ。そのうえで人道的な配慮を忘れぬ施策を望みたい。拘束しなければ申請者の所在がつかめなくなる心配があると言うのなら、当局の目が届くように、決められた場所で生活させる方法も考えられるのではないか。
 日本は国際的な難民支援で主導的な役割を担ってきた。この国の前向きな政策転換に期待したい。
 
2002年3月19日 毎日新聞
 
難民不認定問題 アフガン男性を収容 異議を却下−−大阪入管茨木分室
 
 難民不認定をめぐって、2年前から異議を申し出ていたアフガニスタン人男性、ホダダットさん(42)=大阪市生野区=が18日、月1回の定期出頭に訪れた大阪入管茨木分室(大阪府茨木市)で、異議却下の通告と退去強制令を受け、即時収容された。却下通知書には「難民条約上の難民に該当しない」とあるだけで、具体的な理由は示されなかった。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は先月、日本政府などに対し、少なくとも今年半ばまではアフガン難民の本国送還を行わないよう勧告しているが、この勧告後、アフガン難民申請者の収容は初めてという。
 ホダダットさんは、タリバン政権時代に迫害されていたハザラ人。98年に妻と5人の子どもとパキスタンに逃れた後、同9月、かつて仕事で来た日本に1人で入国した。同11月に難民申請したが、00年2月に不認定とされ、異議を申し出た。
 ホダダットさんはこの間、大阪市の塗装工場で働き、パキスタンにいる家族に生活費を送金している。毎月の出頭も欠かさなかった。先月、毎日新聞の取材に、「アフガンはハザラ人にとって安全ではない。家族は私の送金だけで生活しており、一日も早く難民認定してほしい」と話した。
 アフガンでは暫定政権発足後も民族間の緊張が続き、治安が悪化している。支援していたカトリック大阪大司教区国際協力委員会は「理由も告げずに突然収容とは非人道的だ」と反発している。
 収容所で面会した同委員会によると、ホダダットさんは「家族が生きていけなくなる」と涙を流したという。不認定処分などの取り消し訴訟を大阪地裁に起こす方針。
 米国同時多発テロ以降、東京、大阪にいるアフガン人難民申請者の大半が相次いで収容されている。東京入管は昨年10月3日、難民申請中のアフガン人9人を一斉拘束。大阪入管も同月17日、難民認定不認定となった男性を即時収容した。ホダダットさんはこれまで一度も収容されずに手続きが進んでいた。
 法務省入国管理局は「難民に該当しないという理由以上のものを示すことは法律上、求められていない」としている。 【山成孝治、村元展也】

◇難民認定制度に詳しい本間浩・駿河台大学教授(国際法)の話 難民申請を認めず、収容する際に本人に具体的な理由を示さないのは、欧米では考えられない。UNHCRからも批判を受けるだろう。難民認定の明確な基準を設け、専門家の意見を取り入れて判断する制度を早く作るべきだ。

 
  
2002年3月14日 毎日新聞
 
収容アフガン人:6人が自殺未遂 アムネスティが抗議
 
 難民認定を申請中に東日本入国管理センター(茨城県牛久市)に収容されたアフガニスタン人6人が、センター内で硬貨やせっけんなどを飲み込んで自殺を図り、病院に運ばれていたことが13日分かった。6人は助かったが、一斉摘発があった昨年10月以降、自殺未遂を起こしたアフガン人は8人になった。
 面会した弁護団によると、6人は11日午後、今月1日の東京地裁決定で別のアフガン人7人が解放され、1人が仮放免となったことについて職員に「なぜ彼らは出られ、自分たちはだめなのか」と説明を求めた。職員が「元気だから仮放免しない。体を悪くしたら仮放免、もっと悪くしたら難民と認められる可能性もある」と答えたため6人がそれぞれ10円硬貨4、5枚やトイレのせっけんを飲んだという。
 法務省入国管理局は「全員、外部の病院で適切な治療を受け、生命に別条はない。その後の健康状態にも異常は認められない」と話し、職員の発言については「そんなことを言うはずがない」と否定している。
 この問題で国際人権団体「アムネスティ・インターナショナル」は13日、各国の会員らが森山真弓法相と川口順子外相あてに難民申請者の収容を止めるよう抗議の手紙などを送る緊急行動を始めた。
 
2002年3月9日 朝日新聞
 
クルド人を「難民」と認定 東京地裁
 
 トルコ国籍のクルド人男性(46)が難民と認められなかったのは不当だとして、法相を相手に不認定処分の取り消しを求めた訴訟の判決が8日、東京地裁であった。市村陽典裁判長は「男性は、政治的迫害を受ける恐怖のために国外におり、難民に該当する」と判断し、処分を取り消した。
 難民認定の手続きに違法性を認めて不認定処分を取り消した例があるが、判決で原告を難民にあたると判断したうえで処分を取り消すのは珍しい。
 法相側は「原告は政治活動をしていない」と主張したが、市村裁判長は「男性は高校時代から政治組織に参加するなどしていた」と指摘。その上で「難民性を基礎づけるのは政治活動の質、程度ではなく、迫害を受ける恐れがあるか否かだ」と退けた。
 
2002年3月9日 読売新聞
 
クルド人男性の難民不認定取り消し命令/東京地裁
 
 トルコ共和国の男性(46)が法務大臣を相手に、難民不認定処分の取り消しを求めた訴訟の判決が八日、東京地裁であり、市村陽典裁判長は「男性は少数派のクルド人で、迫害への恐怖から日本に入国しており、難民に当たる」と述べ、不認定処分の取り消しを命じた。
 
2002年3月9日 毎日新聞
 
トルコ国籍のクルド人、「難民に該当」判決 
法相の「不認定」取り消し−東京地裁
 
 東京地裁は8日、トルコ国籍のクルド人男性(46)の難民認定申請を認めなかった法相の処分を取り消す判決を言い渡した。市村陽典裁判長は「帰国すれば、政治的意見を理由に迫害を受ける恐れがあり、出入国管理法が定める難民に該当する」と判断した。
 クルド難民弁護団によると、日本政府はトルコ国籍のクルド人を難民と認めた例はなく、「判決が今後の難民認定に影響することを期待したい」と話している。
 男性は96年に来日し、東京入国管理局に難民認定を申請したが、法相が98年、「迫害の恐れは認められない」と不認定処分にしたため提訴した。
 判決は、男性が民族解放を目指す非合法組織を支援していたことや、トルコ国内で身柄拘束や拷問を受けた事実などを認定して、入管側の主張を退けた。
 
 ◇「迫害」認め、画期的−クルド学研究家の中川喜与志・大阪産業大講師の話
 
 トルコ政府はクルドという民族の存在を認めず、公の場でクルド語を話せば犯罪と見なす。欧州では多くのクルド人が難民認定されている。日本はトルコ政府への配慮からか、政治的迫害を受けているという認識すら示しておらず、迫害を認めた判決は画期的だ。
 
2002年3月9日 共同通信
 
クルド系男性は「難民」地裁が法相の処分取り消し
 
 難民認定を受けられなかったクルド系のトルコ人男性(46)が、法相の難民不認定処分取り消しを求めた訴訟の判決で、東京地裁の市村陽典裁判長は八日、「帰国した場合、政治的意見を理由に迫害を受けるおそれが十分ある」として請求を認めた。
 弁護団によると、日本で難民認定を申請したクルド系トルコ人は約二百人に上るとみられるが、法相が申請通り認めたケースはなく、判決で認められたのも初めてという。
 判決理由で市村裁判長は、トルコ国内でクルド人が迫害されていることや、男性がクルド人組織を支持し拷問を受けたことなどを挙げた上で、「(男性は)国籍国の保護を望んでおらず、難民に当たる」と述べた。
 判決によると、男性は一九九○年に日本に入国。九三年に強制送還されたが、九六年九月に再入国し、難民認定を申請した。しかし、法相は九八年八月「迫害を受けるおそれが具体的に証明されていない」として認めなかった。
 
2002年3月6日 共同通信 
 
アフガン人偽り難民申請  パキスタン人3人収容
 
 東京入国管理局は六日までに、アフガニスタン人と偽って難民申請していたパキスタン人の男三人を入管難民法違反(不法入国または不法残留)容疑で収容した。近く強制送還する方針。
 調べによると、三人は一九九五年から九六年八月にかけて偽造パスポートを使うなどして入国。都内の自動車解体会社などで働いていた。九九年二月と二○○○年二月に、同管理局に「アフガニスタン人だが、韓国から貨物船に乗って入国した」と難民申請した。
 同管理局が三人の住居を調べたところ、パキスタン政府発行の本物のパスポートが見つかったという。
 
2002年3月6日 朝日新聞
 
「アフガン人」と難民申請 パキスタン人を入管法違反容疑で摘発
 
 アフガニスタンからの難民を装い、不法に日本に滞在し続けようとしたとして、法務省東京入国管理局は、パキスタン国籍の男性5人を出入国管理法違反の疑いで摘発した。男性らの供述から、にせの難民認定申請を手引きしたブローカーを特定。組織的な虚偽申請につながっている可能性もあるとみて調べている。
 調べでは、5人は26歳から39歳で、99年から01年にかけて「タリバーンに迫害された」などと偽りの申請をしたとされる。説明が不自然で、自宅の捜索でパキスタン旅券が見つかるなどした。東京入管は昨年10月に2人をパキスタンに強制送還し、今年2月に3人を入管施設に収容した。
 3人は「東京近郊のパキスタン人のブローカーに1人約30万円を支払い、手引きを受けた」と供述。入管はこのパキスタン人が存在したことを確認したが、昨年末に出国していたという。
 送還された2人も虚偽申請のマニュアルを持っていて、入管が押収した。ブローカーが関与したとみられている。
 
2002年3月6日 読売新聞
 
アフガン人装い難民申請 パキスタン人3人を摘発
 
 法務省東京入国管理局は六日までに、アフガニスタン人を装って難民認定申請をしたパキスタン人三人を入管難民法違反容疑で摘発、入管施設に収容した。
 調べによると、三人は二十七歳から三十九歳で、一九九五年から九七年にかけて偽造旅券や短期滞在ビザで入国したまま不法滞在を続けていた疑い。三人は九九年末から二〇〇〇年にかけ、「タリバンから迫害を受けている」などとして相次いで難民認定を申請した。理由の説明に不自然な点があったため、自宅などを捜索したところパキスタンの旅券が見つかった。
 同入管では昨年十月にも虚偽の難民認定申請をしたパキスタン人二人を強制送還している。虚偽の難民申請には、手引き役のパキスタン人がいたこともわかっており、同入管で全容解明を急いでいる。

2002年3月1日 毎日新聞
 

アフガン人退去:7人への強制令書 執行停止認める 東京地裁 
 昨年10月、東京入国管理局に不法入国・残留容疑で一斉摘発されたアフガニスタン人9人のうち6人について、東京地裁(藤山雅行裁判長)は1日、退去強制令書の執行停止を認める決定を出した。別の時期に収容された1人についても執行停止を認めた。7人は同日中にも、身柄拘束を解かれる見通し。東京地裁の別の部は今年1月、9人のうち2人の収容停止を認めない決定を出しており、同じ地裁で判断が分かれた。
 この日の決定は、退去強制令書に基づく身柄拘束は、執行停止の要件の一つである「回復困難な損害」に当たると判断し、従来の司法判断より踏み込んだ見解を示した。これまでのケースでは、退去強制令書に基づく収容は「回復困難な損害には当たらない」として、強制退去の執行停止だけを認め、収容の停止を認めないことが通例だった。
 また、決定は「退去強制令書発付の時点で難民に該当すると認められ、現在も迫害を受ける恐怖を払拭(ふっしょく)できない状況にある」と指摘し、「不法就労目的で入国した」との入管側主張を退けた。
 9人のうち、残る1人は大阪府警に不法滞在容疑で逮捕・拘置中のため、今回の決定の対象からはずれた。
 法務省入国管理局は「主張が認められず残念だ。決定内容を十分検討し、即時抗告するか判断したい」と話している。
 
 
2002年3月1日 共同通信
 
判断割れて二転三転  アフガン難民の収容
 
 難民認定申請中のアフガニスタン人を国が強制収容する是非が問われた裁判で、東京地裁は一日、七人の収容停止を決定した。うち四人は昨年、同じ裁判官の決定で身柄拘束をいったん解かれながら、東京高裁の逆転決定で再収容されていた。二転三転の異常事態を招いたのは、難民保護と出入国管理のどちらを優先させるか、裁判官の判断が割れている現実があるからだ。
 「なぜ収容されたのかも、なぜ解放されたのかも分からない」。この日、茨城県牛久市の東日本入国管理センターを出た七人は、法手続きにほんろうされたことへの不満をあらわにした。
 難民条約は、不法入国を理由にした難民への処罰を禁じ、原則として収容も認めていない。だが、法務省は「難民認定と退去強制は独立の手続き」と主張。難民申請者でも密入国などの疑いがあれば、しばしば収容している。判例の多くも厳格な出入国管理を重視し、この実務を追認してきた。
 これに対し、一日の決定は、七人は「難民として保護を受けるべき地位にあると認められる」と指摘。その上で、収容は「計り知れない精神的苦痛を与える」などと述べ、難民の人権擁護に重きを置いた。
 ただ、同じ退去強制令書によるアフガン難民申請者の収容について、東京地裁の別の裁判官は一月、ほかの四人の収容を是認する決定を出している。今回の決定も上級審で覆される可能性は残る。
 収容中のアフガン難民申請者は、まだ二十人以上いる。アフガン難民弁護団の関聡介弁護士は「担当裁判官の違いが、当事者には“天国と地獄”になっている。速やかに全員を仮放免するべきだ」と話している。

【裁判のいきさつ】
 難民とは、政治的意見や人種を理由に母国で迫害を受ける恐れのある者。入管難民法によると、本人から申請があれば、法務省が調査の上、難民と認定するかどうかを決める。
 一方、不法入国などの疑いのある外国人については、法務省が
(1)必要があれば収容令書を発付して収容し、調査する
(2)容疑が固まり次第、退去強制令書を出して収容し、送還する。ただし逃亡の恐れがないときは、収容を解いて仮放免することもある。
 問題の四人の場合、難民認定申請中に(1)で収容され、解放、再収容を経て(2)に切り替わって収容が続き、新たな裁判を起こしていた。

 
 
2002年3月1日 読売新聞(夕刊)
 
「難民の可能性高い」アフガン人7人送還停止 
 
 難民認定を申請したが不認定になるなどしたアフガニスタン人の強制収容問題で、 東京地裁民事3部は1日、7人の収容と強制送還を停止する決定をした。藤山雅行裁 判長は「7人は難民である可能性が相当あり、これを考慮していない収容は違法」と 述べた。同日午後、茨城県牛久市の収容施設を出た。 
 この問題は、収容についての裁判所の判断が分かれたため、収容されたアフガニス タン人の一部がいったん解放された後に再収容されるなど、複雑な経緯をたどってき た。
 当初、難民申請中の昨年10月に強制収容された9人が収容停止を申し立てたが、 東京地裁民事2部は翌月、4人の申し立てを却下。これに対し、同地裁民事3部は残 る5人の申し立てを認め、収容停止を決定したため、5人だけが解放された。しか し、東京高裁が同12月、収容停止を認めた同地裁決定を取り消し、5人は再び収容 された。
 そのため、この9人全員に加え、さらに強制収容中の別のアフガニスタン人も含 め、計22人が強制送還手続きを停止するよう求めていた。今回解放されることに なった7人のうち4人は、再収容されていたアフガニスタン人だった。
  
 
2002年3月1日 東京新聞
 
アフガン人7人 収容含め強制執行停止
 
 不法入国の疑いで茨城県牛久市の入管施設に収容されたアフガニスタン国籍の男性七人が、退去強制令書の執行停止を求めた申し立てで東京地裁は一日、申し立てを認める決定をした。七人は収容を解かれる。これまでは、強制退去について執行停止を認めても、収容の停止までは認めないことが多く、異例の決定となった。 
 藤山雅行裁判長は「収容による身柄拘束は重大な人権侵害で、損害を金銭で償うこ とは困難。申立人は一応難民と認められ、行政処分で身柄を拘束し、執行停止も認めないと、憲法上の問題も生じかねない」と述べた。 
 その上で「申立人を収容しなければ出頭の確保が困難になるとは認められず、収容は難民条約に反して違法となる可能性が十分」と判断した。 
 決定によると、七人はタリバン政権下のアフガニスタンで迫害を受けていた少数民族のハザラ人。このうち六人は昨年十月に難民申請をしたが、全員が入管施設に収容 された。
 六人のうち四人は昨年十一月、執行停止が同地裁で認められたため放免された。し かし、東京高裁が十二月に決定を覆したことから、入管当局は退去強制令書を発布し て再収容していた。
 東京地裁の別の部は今年一月、別のアフガニスタン国籍男性からの請求について強制退去の執行停止は認めたが、収容停止については棄却しており、裁判官の違いで結 論が二つに割れた。

【法務省入国管理局の話】主張がいれられず残念だ。即時抗告するか否かは、決定内容を十分検討し、判断したい。
 

 
 
2002年2月15日 共同通信
   
収容中にまた自殺未遂  アフガン難民申請者
 
 難民認定を申請しながら不法入国の疑いで法務省の施設に収容されているアフガニスタン人男性が十四日、自殺未遂を図った。男性の弁護団が明らかにした。
 法務省の収容施設では昨年十一月にも、別のアフガン難民申請者が自殺未遂を起こしており、弁護団は「申請者は日本に助けを求めてきたのに、身柄を拘束され、ストレスが著しい。速やかに収容を解くべきだ」と訴えている。
 弁護団によると、この男性は茨城県牛久市の東日本入国管理センターに収容中のAさん(19)。同じく収容中に病気になったアフガン難民申請者Bさん(18)の付き添いで外部の病院に出掛けた際、はさみで手と背中を切った。命に別条はないという。
 Bさんは数日前から体調を崩し、治療を求めていたが、認められず、十三日に意識を失った後、病院に連れて行かれたという。同日、Bさんと面会した児玉晃一弁護士は「Bさんは目も開けられず、尋常ではない状態だった。Aさんはセンターの対応に抗議して自らを傷付けたのではないか」と話している。
 弁護団によると、同センターには難民申請中のアフガン人二十二人が収容されている。


2002年1月21日 共同通信
 

アフガン難民の釈放求める 会場近くでNGOら
 アフガニスタン復興支援会議が開かれている会場近くの東京・JR品川駅前で二十一日午後、非政府組織(NGO)や在日アフガン人ら計約三十人が、東日本入国管理センター(茨城県牛久市)に収容されているアフガン難民の釈放を求めた。
 同センターには、難民認定申請中に収容され、東京地裁が収容停止を認めたものの東京高裁が地裁決定を覆したため再収容された五人を含め、アフガン人計二十一人が収容されている。
 「ピースボート」共同代表の中原大弐さん(25)は「アフガン復興に平和憲法を掲げる日本がなすべきことは、人道的、平和的な貢献。在日アフガン難民の問題を復興会議の議題に取り上げるべきだ」と訴えた。
 NGOが会議に参加できないことについては「外務省がNGO団体を選別していることに怒りを覚える」と述べた。
 中原さんによると、収容中の難民が現状を各閣僚に伝える手紙と、空爆停止や難民の人権擁護を求めた緒方貞子共同議長への要望書は、外務省に受け取りを拒否されたという。
 在日アフガン人のハサニ・モハマド・ユノスさん(30)は「十年以上日本にいるが、今まで難民認定の結果が出るまで収容されることはなかった。本当におかしい」と話していた。
 
2001年1月21日 朝日新聞(夕刊)
 
特定NGO排除を批判 市民団体

アフガニスタン復興支援国際会議で特定の非政府組織(NGO)が排除されたことに対して、市民団体「ピースボート」の中原大弐・共同代表と、アフガン難民支援に取り組む土井香苗弁護士は21日、「政府主導でNGOを選別し、異なる考えを排除するのは民主主義の根幹にかかわるゆゆしき事態」と日本政府を批判する声明を出した。中原共同代表らは同日、国際会議の緒方貞子・共同議長に「NGO・メディアに開かれた会議」や「アフガニスタンへの空爆の即時停止」「日本国憲法を尊重した復興支援」などを申し入れる。
一方、出席を拒否されたNGOのジャパン・プラットフォーム(JPF)と、その加盟団体のピースウィンズ・ジャパンの代表らが21日午前、JPFのNGOユニットの理事会を開き、引き続き会議への参加を求めていくことを決議した。
2団体の責任者の大西健丞さんは「外務省には良心のある人がまだいると信じている。会議に出席してアフガンの復興を支援したい」と話した。

 
2001年1月19日 朝日新聞
 
東京高裁の決定理由にミス 難民認定申請のアフガン人5人再収容
 
 難民認定を申請していたアフガニスタン国籍の男性5人の再収容を認めた先月の東京高裁決定の理由の中に、アフガニスタンとパキスタンの公用語を混同するなどの基本的なミスがあったことがわかった。5人は最高裁に28日提出した特別抗告の理由書の中で、「決定はずさんで、裁判とは呼べない」と批判している。
 東京高裁は、主に入国管理当局の資料を引用する形で、「パキスタンの公用語であるダリ語の通訳を介して尋問を受けた」「アラビア語(ペルシャ語)を理解することができる」などと決定に書いた。
 しかし、外務省によると、ダリ語(ペルシャ語の方言)はアフガニスタンの公用語で、パキスタンの公用語ではなく、アラビア語とペルシャ語も同じではないという。
 特別抗告の理由書で5人は「高裁は、言語についてあまりに無知」と非難している。
  
2002年1月17日 毎日新聞
 
[テロと国際社会]第2部 平和のシナリオ/13 
「人間の安全保障」に差
 
 アフガニスタン人のアリ・アフマドさん(19)が、西日本入国管理センター(大阪府茨木市)を出て、自由の身になったのは昨年12月17日のことだ。米同時多発テロの翌日に、到着したばかりの関西国際空港で身柄を拘束されて3カ月余りが過ぎていた。
 
******
 
 アフマドさんは少数民族のハザラの出身。15歳でイスラム統一党の戦士となり、タリバン兵と戦った。98年8月、アフガン北部のマザリシャリフで起きた虐殺事件で弟を亡くし、両親も消息を絶つ。逃避生活に疲れ果て、昨年、父が残した土地と引き換えにブローカーに国外脱出を依頼した。「行き先は米国」と説明され、国境を越えた。
 9月12日、「約束の米国だ」と置き去りにされた場所は日本だった。片言の英語で、入管職員に「命が危なかった」と訴えた。しかし、要領を得ず、アフガンで使われるダリ語の通訳の連絡先を教えられた。
 電話した相手の言葉はつたなく、半分しか分からなかった。アフガンへの送還に同意したことになっていた、と後で知った。収容令書によって拘束され、翌日には退去強制令書が発付された。
 入管当局の処遇が変わるのは、難民認定を申請し、令書の取り消しを求める裁判を起こしてからだ。身柄拘束の根拠になっていた令書が突然取り消され、「本省(法務省)が指示してきた。調査をやり直す」と説明された。身元引受人になった支援団体は「水際で入国者を厳戒するあまりの勇み足だったとしか考えられない」と指摘する。
 同時テロ後、地方入国管理局に40ページに及ぶ資料がファクスで送られた。法務省が作成した「アルカイダ関係者リスト」。1000人を超す氏名と生年月日が並ぶ。国際空港の入国審査ゲートでリストと合致した人物は、別室で取り調べを受ける。テロ組織メンバーや「偽装難民」に目を光らせる一方で、入管当局は政治や宗教で迫害を受けた外国人を庇護(ひご)する責めを負う。しかし、「9・11」以降、現場は「摘発」に大きく傾斜した。
 
******
 
 「今回のテロで『難民』が世界最大の問題と理解された。それを生み出す貧困国を放っておけば、テロが起きる。国家レベルだけでなく、国民レベルで解決する『人間の安全保障』が重要だ」
 暮れの12月19日、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)国会議員連盟の会合で、アフガニスタン支援政府代表を務める緒方貞子氏は力を込めた。同じ日、東京高裁は10月3日に一斉摘発されたアフガン人9人のうち5人について、「収容は条約違反」と放免を認めた東京地裁決定を取り消す判断を示していた。
 相前後して、緒方氏は弁護団からアフガン人収容問題の説明を受け、「国内の難民にも配慮が必要です。森山(真弓)法相とは旧知の仲なので話してみましょう」と答えた。1週間後、2人は非公式に会談した。「日本の難民認定制度は透明性の確保が必要です。人道的配慮をしていると国際社会に理解してもらうことが、日本のためにもなります」。緒方氏のアドバイスに、森山法相は「おっしゃることは分かります」とうなずいたという。
 
 75年5月、ベトナムからのボートピープルが千葉に到着し、日本は初めて難民問題に直面した。81年に難民条約に加入したものの、日本は国連機関に多額の拠出を続ける一方で、インドシナ難民以外の受け入れには消極的な姿勢に終始してきた。昨年3月にジュネーブで開かれた国連人種差別撤廃委員会では、ベルギー選出の委員から「日本の17年間の難民申請受理数は我が国の10日間の数と同じだ。どういうことなのか」との声が上がった。日本と並んで強硬姿勢が問題視されているオーストラリアでさえ、年間1万人以上を事実上の難民として受け入れている。
 「人間の安全保障」の実現に向けて、日本が掲げる旗と現実のギャップはなお大きい。
 
 【「テロと国際社会」取材班】 =つづく
 
■写真説明 和平後も、難民問題が待ち受ける――9日、アフガニスタンの首都カブール近くの避難民テント村を訪れた緒方貞子氏=ロイター

2002年1月17日 毎日新聞
 

不認定取り消す 「申請期限」で柔軟判断 東京地裁
 東京地裁は17日、法務省がエチオピア人男性(35)=埼玉県在住=に対し「難民認定申請の期限を過ぎていた」と難民不認定にした処分を取り消す判決を言い渡した。藤山雅行裁判長は、申請期限を「日本に上陸した、または難民となる事由が生じた事実を知った日から60日以内」と定めた出入国管理及び難民認定法の規定は限定的に適用すべきだと指摘し、処分は違法と判断した。
 この「60日ルール」には「やむを得ない事情がある時はこの限りでない」との例外規定があり、判決は「平穏に在留していれば、難民申請しないことも『やむを得ない事情』といえる」と、入管当局の見解より踏み込んだ判断基準を示した。
 その理由として▽難民が日本で平穏に生活し、迫害の危険から逃れられていれば、難民であることを隠すことも理解できる▽諸外国で期間制限を設けている例はほとんどなく、60日ルールによる不認定処分が多発すれば難民条約の趣旨に反する――ことなどを挙げた。
 さらに、60日ルールの適用は(1)申請権の乱用など難民としての保護に値しない特段の事情がある(2)事実審査をしなくても難民に該当しないことが明らかである――場合に限るべきだと指摘した。
 法務省側は「『やむを得ない場合』とは、病気などで入国管理局などに出向けなかった場合や、難民申請を決めるのが客観的に困難な特別の事情がある場合に限るべきだ」と主張したが、判決は「難民条約の趣旨に合致しない」と退けた。
 この男性は来日から3カ月後の98年3月、東京入管に難民申請し、不認定になったため、法相を相手に処分取り消しを求め提訴していた。判決は「日本の難民認定制度の存在や内容を知るまでに日数を要した」と男性の事情に理解を示し「改めて難民該当性を審理すべきだ」と述べた。
 法務省入国管理局は「主張が認められず残念だ。控訴するか否かについては判決を見て検討する」としている。
 国際難民法に詳しい本間浩・駿河台大法学部教授(国際法専攻)の話 複雑な事情で申請を迅速にできない難民は少なくない。国に難民の心理に配慮した法の運用を求めた画期的な判決だ。難民申請に期限を設けている国はほかにもあるが、どこも運用は柔軟で、日本ほどしゃくし定規に「門前払い」していない。日本の難民認定は1次審査も2次審査も法相が裁決するため、行政判断の誤りを救済する裁判所の役割は非常に大きい。裁判所はこれまで行政決定を尊重し過ぎてきた。

2002年1月13日 朝日新聞
 

「人道的援助を」アフガン人訴え 兵庫・尼崎で討論会 【大阪】

 日本の難民認定制度の問題点を考え、法改正を求める討論会が12日、兵庫県尼崎市の英知大学であり、5人のアフガニスタン人が参加した。
 「アフガン暫定政権はすべての人権を守らないと成功とは言えない。経済的、人道的援助がなければ安定と平和はない」。愛知県岡崎市のアブドゥル・ワヒド・マンスールさん(33)は日本語で訴えた。少数民族の5人は98〜01年、当時のタリバーン政権の迫害を逃れて来日。法務省に難民の認定を求めているが、認められていない。
 討論会で専門家は「難民申請は入国60日以内」とした出入国管理及び難民認定法の規定を「入国者の大半が知らず、難民性の証明資料を集めるにも時間がかかる。非現実的だ」と指摘した。

2002年1月13日 毎日新聞
 

仮放免中のアフガン男性の難民申請を不認定−−法務省
 
 強制送還を命じる退去強制令書が突然、取り消されるなど異例の扱いを受けていたアフガニスタン人のアリ・アフマドさん(19)の難民認定申請に対し、法務省は11日、「出入国管理及び難民認定法が定める難民に該当しない」との理由で不認定を告知した。アフマドさんは即日、異議を申し出た。異議が却下されると、再び退去強制令書が発付されるとみられる。
 アフマドさんは昨年9月12日に関西国際空港に到着、旅券不携帯で摘発され、大阪入管は同14日に退去強制令書を発付、法務省西日本入国管理センター(大阪府茨木市)に強制収容した。アフマドさんは同18日に難民申請し、先月6日には退令発付の取り消しを求める行政訴訟を大阪地裁に起こした。これに対し、大阪入管は同17日、退令を突然取り消し、アフマドさんは約3カ月ぶりに仮放免されている。 【山成孝治】

2002年1月12日 毎日新聞
 

退去強制命令のアフガン人男性、難民不認定取り消し求めて提訴−大阪地裁
 
 難民認定されず、退去強制命令を受けたアフガニスタン人男性、アブドゥラさん(25)が11日、法務省などに対し、不認定の取り消しなどを求める訴えを大阪地裁に起こした。
 訴状などによると、アブドゥラさんは、アフガン少数民族のハザラ人。タリバンによる迫害が激しくなった96年11月に来日。98年5月、難民認定を申請したが、99年5月、不認定となった。01年10月、退去強制命令とともに、法務省西日本入国管理センター(大阪府茨木市)に収容された。
 弁護士によると、タリバン政権はイスラム教シーア派のハザラ人を迫害。アブドゥラさんは、アフガン内戦時、北部同盟の主流派であるタジク人の軍とも戦った経験があり、タリバン政権崩壊後の母国でも身の危険があるという。 【宝満志郎】
 
2002年1月11日 毎日新聞
 
アフガン人:難民認定申請中の2人、「強制送還」を停止

 東日本入国管理センターに収容され、難民認定申請中のアフガニスタン人2人が申し立てた退去強制令書の執行停止について、東京地裁(市村陽典裁判長)は11日、「アフガンに送還すれば、(同令書取り消し)訴訟を行うことが困難になる」との理由で、強制送還手続きの執行停止を認める決定をした。ただし収容停止については退けた。
 2人は昨年10月3日に不法入国などの疑いで一斉摘発を受け、3カ月以上収容が続いている。うち1人は入管施設内で4回「うつ状態」と診断され、11月30日には外部の医師が「心因反応」と診断、抗うつ剤などを処方されていた。市村裁判官はこれらを踏まえながらも「居室が開放されている間はホールを歩いたり、同国人と雑談したりしている」と、収容による健康問題はないと判断した。

 
 2002年1月5日 毎日新聞
 
 

東京入管:アフガン人4人が退去強制令書の取り消し求め提訴 
 東京入国管理局に不法入国・残留の疑いで摘発され、拘束を一時解かれた後、再収容されたアフガニスタン人5人のうち4人が4日、東京地裁に退去強制令書の取り消しを求める訴訟を起こし、同令書の執行停止を申し立てた。
 4人は全員、タリバンが虐殺などの対象としていた少数民族のハザラ人。最初に発付された収容令書に対する執行停止の申し立てで、同地裁民事3部は「収容は難民条約に違反する」として訴えを認め、入管は4人の拘束を解いた。だが、東京高裁が地裁決定を取り消したため、入管は4人を再収容し、昨年12月27日に退去強制令書を発付した。
 今回の訴訟は再び同民事3部で審理される。同時に再収容されたタジク人1人について、弁護団は「ハザラ人と迫害状況が異なるので、別に準備しており、来週には提訴する予定」としている。
  
 


本ページトップに戻る アフガン難民問題indexに戻る マスコミ報道indexに戻る