PC処世術 - “買い替え感”を醸してきたモノ達

“買替感”を醸してきたモノ達 - 回想編1

 「この程度で十分だろう」と思って買ったパソコンも、「最高速・最新鋭だ」と思って購入したPCも、やがては陳腐化して骨董品になる運命にある。筆者の周囲の人間に聞いて見ると、大体2〜5年でパソコン買い替えに迫られるのだという。(筆者の周囲の人間はサンプルとしてやや偏りはあるかもしれないが、IT関連を仕事にしている人たちが相手ではない。)筆者がパソコンを全面的に買い替える周期は7〜8年程度なのだが、どうやらこれは平均よりもかなり長い周期らしい。
 そして陳腐化したパソコンは、どうも「買い替え感」を醸すようであり、何を買い替え要因として捉えるかによって買い替えサイクルは変わるようである。買い替え感とは、ソフトウェアの実行速度,すなわちCPUやメモリおよびHDDの遅さであったり、HDDの容量不足であったり、利用可能な機能がパソコンとして不足したり、あるいは周囲のパソコンと比べて(何かが)劣っていたりといったことのように思う。

 買い替え感をもたらす原因の一つは、CPU,メモリ,HDDといったPCを構成する基本的な部分の能力が時代の経過と共に求められられる機能に対して不足してくるという、いわば相対的能力の経年変化(相対的経年変化)によって起こることは誰でも感じ易いところだろう。この相対的経年変化は、筆者が本サイトの目的の一つとして結論付けたい命題の一つであり、今後検討結果を整理していくにつれその結論に肉薄したいと考えている。
 しかしその一方で、買い替え感をもたらす原因は必ずしも CPU,メモリ,HDDといったPCの基本的能力だけではないような気もしている。例えば、かつて16bit時代初期の頃のパソコンにおいてはフロッピーディスクを装備していないことがあったが、これを装備しているかどうかが重要なパソコン選択のポイントになりえた。あるいは、当時は漢字表示の機能が備わっているかどうかといったことも重要なポイントだったりした。
 これらは、パソコンに要求された機能の一部とも考えられるが、その機能を実現するための装備であるとも考えられる。ここでは、これらについて考えるために、まず過去にどのような装備が求められ、またその装備がないがために買い替え感を醸していった過程を回想することを行ってみたい。

 16bit時代の躍進フェーズ, 198x年から90年代初頭にかけて、パソコンに強く要求されたハードウェアといえば、真っ先に思い浮かぶのはハードディスク(HDD)だろう。当時はフロッピードライブ2台,ハードディスク・レスという構成でアプリケーションを動かしてデータの保存までを行うことができたが、ソフトウェアの肥大化と扱うデータの大容量化に伴ってHDDの存在が一気に浮上した時代である。HDDを装備しないパソコンは旧式という感覚さえも芽生え、買い替え感を催す原因の一つであった。ただし、パソコンは汎用性の高い機械でもあるので、HDDは後付けが可能であり、直ちに買い替えを迫る要因とはならなかった。
 当時要求されたものとしては、もう一つ640KBを超える拡張メモリがあった。これも当時のソフトウェアの肥大化に呼応して要求されたものであり、これがないと動かないというソフトも登場した。こちらも買い替え感を催す原因の一つであることに間違いはなかったが、拡張メモリも後付けが可能であった。
 ただ、当時のPCにはサウンドカードやMIDI,スキャナのためのI/Fなどは標準装備ではなく、やはり後付けであったため、拡張スロットが兎角不足しがちであり、これが不足するとPCは一気に買い替え感を醸したものである。すなわち、既に当たり前になりつつある機能を実現する装備が後付けとして拡張できなくなった限界に達したときに、著しく買い替え感を醸すように思われる。
 16bit時代終焉フェーズにかけてパソコンが買い替え感を醸した原因はHDDやメモリの容量であったと考えられるが、それぞれの不足だけが致命的な買い替え要因だったのではなく、増設の要求に応えられなくなったところで限界に達したようである。

 さて、続いて16bit時代終焉フェーズから32bit試行フェーズがラップする時代を考えてみよう。当時のPCに要求されていたことはWindowsを動かせるようになることであり、メモリやHDDの窮乏は勿論買い替え感を醸す原因と成り得たが、さらに重大な問題は表示画面の広さと描画速度であった。当時はPC-9801の640x400やVGA(640x480)程度の広さの画面が主流であったが、これはシングルタスクのアプリケーションに必要な広さなのであって、窓をいくつも開くいて使う用途には全く不足であった。PCには、ウィンドウシステムを動かすという機能に対して、SVGA(800x600)やXGA(1024x768)という解像度を有する表示能力が求められたのである。そして、当然のことながらこの能力は高い転送速度を要求したため、拡張I/FとしてCバスやISAバスしか持っていなかったPCは激しく買い替え感を醸したのである。拡張バスの限界とユーザーの要求の合致は、激しい買い替え感を誘導するようである。

 こうしてみると、時代の切り替えが起こる終焉フェーズから次の時代の試行フェーズにかけてはPCの基本的な能力が買い替え感の要因になっていた。そして、これら基本的能力の増設限界は激しい買い替え感を誘発するようである。
 このことは、試行フェーズから革命フェーズを経て躍進フェーズおよび終焉フェーズ初頭に至る段階においても同じといえるだろうか?筆者が見るところによると、そうでもないように思う。次回はこの辺りに踏み込んで回想してみたい。 (26. Apr, 2004)

“買替感”を醸してきたモノ達 - 回想編2

 パソコンの更新サイクルが比較的長い筆者ではあるが、最近全面的にパソコンを更新したのは 2002年の年末のことである。このとき、更新(買い替えではなく、買い足しになったのだが)の対象となったPCは,1995年製で Windows95が登場した時期のものであった。HDDやメモリの増設やCPUの換装などを繰り返して命脈を保ってきたものの、相当な買い替え感,というより限界感を醸していた。しかしながら(詳細は後述するが)、更新の直接的な原因はパソコンの遅さでもHDDの容量不足でもなかった。前稿では、買い替え感を醸す要因としてPCの基本的能力(CPU,メモリ,HDD容量,および拡張スロット)を挙げたわけだが、買い替え感を醸す要因はどうやらそれだけではないことを、筆者自身身を以って知ったのであった。
 勿論、更新対象となったPCの基本的能力は、巷の激安PCと比較しても十二分に見劣りする状態であったし、増設・換装にしてもこれ以上は困難というところまで来ていたから、筆者の忍耐力がもう少し足りなければPCの基本的能力が買い替えの理由になった可能性はある。しかし、更新対象のPCが32bit革命フェーズのものであったことが幸いし、長い更新サイクルを可能にしたようだ。これが1994年あたりの試行フェーズの習作であったなら、もっとずっと早い時期に更新時期が来ていた可能性が高い。

 さて、更新を決意するに至った顛末は次のような次第である。直接的な更新の理由は、プリンタが故障したことであった。プリンタの必要性が高まる年末とあって、至急対策を迫られ、パソコンショップに出向いたのだが,そこでパソコン更新を覚悟せざるを得ない状況であることを認識した。 というのも、手頃な価格・魅力的装備のプリンタはセントロインターフェイスを備えておらず、USB接続全盛となっていたのである。
 ときに2002年は32bitの躍進フェーズから終焉フェーズへと移行が完了した時期であり、USBの装備は既に常識化していた。USBというI/Fは32bit革命フェーズの産であり、定着したのは躍進フェーズである。筆者のPCはマザーボード上に(出始め初期の)USB を謳うI/F を備えてはいたが、遂に対応するドライバは登場しなかった上に基板上のコネクタ形状やピンアサインも現代のものと違っていたので、装備していないのと同じであった。試行フェーズから革命フェーズにかけては新I/Fが次々に出てくることがあるが、その初期にはトラブルが多いだけでなく、最後までサポートされないこともあるようだ。
 更に悪いことに、筆者が使用していた OS が Windows NT であったため、USBのボードを新たに挿したところで、使用するには Windows 2000(またはXP)が要求されたのである。勿論、メモリを増設するなどして Win 2k を導入するという選択肢もないわけではなかったが、EDO SIMMの価格は64MB で5千円以上と割高であった。そして、PCのケースを開けてみると、既に増設を繰り返したために幾何学的に空間が不足しており、これ以上のHDDや拡張カード, 光学ドライブの類の増設は不可能な状態で閉塞感が滲んでいた。ハードディスク I/F も所謂 E-IDEであったために近頃の高速HDDには不足で、将来に不安を覚えずにはいられない状況であった。オマケにケースがAT(ATXでない)であったために、マザーボードの交換もままならぬ状況だった。かくしてパソコンの更新止む無しとの結論に至った次第である。

 勿論、PCの基本的能力の不足は買い替え感を醸す要因ではあるが、ある時点で常識化しているI/Fの未装備などが引き金となり、ケースの狭隘や増設の限界といったスパイスが効いて更新意欲に繋がるということもあるようだ。そして、後に常識化するであろう I/F の類は試行フェーズから革命フェーズにかけて登場することが多いが、このときに「最新xx装備」などと謳われていても躍進フェーズで定着していく段階で規格が変わったり流行らなかったりで一生サポートされないこともある。そして、時代の躍進フェーズから終焉フェーズにかけては、こうした I/F の装備の如何によってPCが買い替え感を醸すかどうかの岐路に立たされるのかもしれない。(筆者は運良く難を逃れたが、VL bus などは好例だろう。試行フェーズに流行ったVLバスだが、PCIでなかったことがその後の拡張性に難をもたらし、革命フェーズから躍進フェーズにかけて激しい買い替え感の要素となった。) (4.May, 2004)

インターフェイス 軽薄細小化の歴史

 各種入出力インターフェース(I/F)がパソコンの“買い替え感”を醸す引き金の一つであることについては、前稿に書いた通りである。また長年パソコンを使っていると、買い替えの際には過去の遺産として蓄積してきた周辺機器をどうするかに苦慮したりするものだ。特に、マイナーになってしまった機器を新しいPCに繋げようとすると,低価格化したPC本体の値段に対して割高なコストが要求されてしまうことももままある。PCの値段は随分と下がったが、ケーブルや変換コネクタ類の値段と言うのはそれほど安くなったわけではなく、古く、太く、大きいものほど高価な傾向があったりする。更に、マイナーなI/Fはそれ自体を装備するための I/Fボードが高価になっていたりする。
 その入出力I/Fのトレンドを考えることは、パソコンの陳腐化・買い替えとそれに伴う災厄を考える上で有意義なことであるように思う。ここでは I/F の変遷を辿りながら、そのトレンドの向いている方向について考えてみたいと思う。

 すこし昔からの周辺機器用 I/F としては,シリアル(RS-232C),パラレル(セントロ), GP-IB, SCSIなどがある。これらの I/F に求められてきたことは、データの転送能力と、多様・多数の機器への接続性であるように思う。
 シリアルポートは、通信方式が単純であることから様々な機器とPCとを繋ぐ I/F として様々な利用されたが、その転送能力の限界にあたって現在ではあまり用いられなくなりつつある。パラレルポートは転送速度がシリアルに比べれば速く、プリンタの接続だけでなくスキャナCD-ROMなどを接続する I/F としても利用されたことがあるが、1chに1台の機器しか繋げないためにPCから見るとIRQなどのリソース面から多数のchを用意することには無理があった。更に太いケーブルを用いる必要があったことと,大きいコネクタをPC背面に多数並べることには限界があった。
 一方で、GP-IBや SCSIは周辺機器をデイジーチェーン(数珠繋ぎ)することが可能な I/F として広く用いられた。GP-IBの方は転送速度の面で使い途が限定されたことと、高そうなコネクタが災いしたのか、民生用にはあまり見かけなかったが,SCSIの方はその充分な転送能力と多様な機器に対応できるインテリジェントな I/F として、 HDD, MO, CD-ROMなどの接続手段として広く浸透した。

 その、かつて隆盛を極めたI/Fであった SCSI も 2004年現在の一般向けPCにおける状況を見てみると、凋落甚だしい。その過程には HDD I/F争いにおける ATA vs SCSIの転送速度争いもあったし、SCSIの規格自体がサーバー寄りになっていったという経緯もあるが、一般向けの利用が減少した最大の理由は USB に代表される高速シリアル I/Fの台頭だろう。

SCSIのコネクタとUSB  “SCSI”(Small Computer System Interface)は、その最初の規格 SCSI-1が定まったのは 1986年のことであり、8bitのパラレルI/Fで 5MB/s 程度の転送速度であった。用いられたコネクタはセントロI/Fのそれと同じ、50pinの大きなものであり,ケーブルも太かった。1989年には SCSI-2 という規格が定まり、8bit で 10MB/s の転送速度の規格(Fast-SCSI)が定まるとともに、コネクタもハーフピッチになった。その一方でハイエンド向けには 16bitと32bitの幅を持つWide-SCSIも規格化されたが、32bitの方は SCSI-3(1992年)で廃止された。
 現行の SCSI-3が策定される頃には HDDやCD-ROM用に IDE/ATAPI I/Fが台頭し、転送速度競争の過程で Ultra/Ultra Wide などと称して多くの規格が乱発された。その中にあってワイドの方は I/F カードは一般向けに随分出回っていたものの、機器の方はさっぱりであった。勿論、対応機器はあったのだが、ケーブルは随分と高価でコネクタはデカかった。尚、SCSI-3では「シリアルSCSI」というのも規格化されており、IEEE1394 などがこれに該当する。
 そして2004年現在の状況を見てみると、かつて接続のための I/Fとして SCSI を用いてきた周辺機器の多くは USBやUSB2.0 で接続可能になり、コネクタは著しく小さくケーブルは細くて済むようになっている。

 この SCSIから USBの例に見られるように、I/F の歴史はコネクタ・ケーブルの軽薄‘細’小の歴史でもある。ワイド何某のように,性能向上のためにバス幅を広げる動きはあっても、必ずしも性能だけが優先されるわけではなく、淘汰されてしまうこともあるようだ。(筆者も UltraWide の SCSI I/F がマザーボードについていた関係で、これに対応する HDD導入の誘惑に駆られたこともあったが、一個人としては買わなくて良かった。後になって新PCにそれを接続するのに苦慮せずに済んだ。)
 ユーザーから見れば、太いケーブルや大きいコネクタは邪魔なだけであり、高価であることに意味を見出すのは難しい。これはメモリ2枚挿しのジンクスにも似て、PC界ではやたらピン数が多く大きなコネクタの類に対して、より小さいコネクタで済ますための見えない力がはたらいている<ように感じられる。大きなコネクタはそれだけで結構な値段になるものだ。
 特にストレージ・デバイスの類は将来的に別のPCに接続するというシーンが充分に考えられる。PCが買い替え感を醸したときにも、できれば周辺機器くらいは再利用したいものだ。あるいは、過去のデータ資産を吸い出すために再利用できることが必須になる場合もある。このため、筆者はストレージデバイスを導入する際には,やたら大きく高価なケーブルやコネクタが必要でないかを気にすることにしている。なにも敢えてPCと同時に周辺機器にまで買い替え感を醸させることもない。(24.Oct, 2004)
[追伸] 嗚呼、そういえばかの VL busも、ISA のスロットに VL のスロットが足され、長大なカードだったことを思い出した…。

インターフェイスは無線化に向かうのか

 前稿では、PCと周辺機器を繋ぐインターフェイスが「細く」なってきた歴史を振り返ってみた。この流れからすると、“線はやがて無くなる世界が訪れる、かも”という気分にもなってくるし、それは決して間違ってはいないと思う。実際、世間を見渡すと既に LAN はモバイルPCを中心に無線化がかなり進んでいる。全てがそうなるとは言えなくとも、「かなりの部分がそうなっていくのでは」ということを予感させる普及ぶりだ。「無線化が世の中の潮流だ」と思ってしまうのも無理はない。

 このことは決して新しいお題目ではなく、結構古くから取り沙汰されている。パソコン用無線 I/F として思いつくもので、比較的古いのはIrDAだろう。これは,いわゆるシリアルポートを赤外線通信化したようなものだった。当然、通信速度は非常に遅かったので、大した通信は行えない。「ノートPC同士のファイル共有」などに使えるとされたが、これを実際に行っている例を筆者は殆ど知らない。一時期は大部分のPCに標準搭載された I/F ではあったのだが、現在では使われぬまま完全に廃れ切っている。
 これが廃れた原因としては、まず通信速度が挙げられるだろう。だが、同じくシリアルポートで通信可能なマウスやキーボード用の I/F としては充分な速度だったのではないか,という疑問も湧く。実際、IrDAなどよりも更に古い時代から赤外線通信による無線マウスなどは存在していた。

 だが、そうした遅い通信で済むはずのデバイスすらも,多くの無線化した周辺機器は標準にならなかった歴史があるのである。何故だろうか。(もちろん、赤外線は遮られるとダメだということもあったとは思うが)。
 既にお気づきかとは思うが,その大きな原因は電力の供給にある。いかに無線技術が発展してきたとはいえ、電力なしに動作する電子デバイスというのは聞いたことがない。また無線で電力を供給するというのも、相当ハードルが高い。そして注意しなければならないのは、高速に通信しようとすれば通信自体も相応の電力を消費するということだ。
 USBに代表される高速シリアルバスは、インターフェイス・ケーブルを細くしただけでなく,同じケーブルで電源を供給したところに普及のミソがある。すなわち、かつては電源ケーブルとインターフェイスケーブルの2本を用いる必要があったものが「1本で済むようになった」、というのが大きなご利益だった、と筆者には思えるわけだ。

 要するに、通信部分を無線化したところで新たに電源ケーブルが必要なようなら意味が薄いということだ。したがって、無線化してメリットを享受できるデバイスというのは、電力的にもともと自立しているか,新たにバッテリを積んでも苦にならないものか,どうせ電源ケーブルが無くせないものの何れかに限られるということだ。
 無線LAN の成功は、“LAN”というものの性質が周辺機器の増設とは異なって、もともと電力的に独立した機器同士の通信が前提だったためとも考えられる。“PCを増設”したわけではなかっただろう。
 逆に周辺機器の無線化があまり進んでこなかったのは、通信に関する技術的な側面のためではなく、無線化に伴うデメリット(電池切れやバッテリの重さ,新手のクレードルの出現)が阻んできたように筆者は思う。

 そうだとすると、将来的にどういった機器が無線化のキラーデバイスになるのだろうか。少なくとも、従前からの「パソコン用何某ドライブ」の類の無線化ではないような気がしてならない(そもそも、「何某ドライブを増設する」という行為自体が、将来まで一般的かどうかすら怪しい)。
 どうでもいい機器の無線化を無理矢理世に送り出すのではなく、できれば利用者にメリットのある形を常に考えてもらいたいものである。電力的に自立していて、無線化が望まれるという条件からすると、筆者はデジカメ(あるいはそれを内蔵している携帯電話)あたりを推しておきたいところだが…(データの吸出しは以外に鬱陶しいので)。(14.May, 2005)

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