edogawa's diary 03-04 #21.
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2004.02.07.Sat. 17 : 00 p.m.
BGM : LED ZEPPELIN "CODA"



前回のNGシーン

「コクーが他人だとは思えないんだぁ!」



story inspired by
IN THROUGH THE OUT DOOR

最終楽章
CODA


反則なのはわかってるけど……




「ANOTHER DOOR」は最高だったよ。




「次」を期待させるって言うか……




 聴いてて希望が湧いてきたんだ。




つまりレッド・ツェッペリンは……




「最初から最後まで凄ぇバンドだったよな」




……え?




「ZEPだよ。お客さんもそう思うだろ?」




……ああ。そう思うさ。




(LED ZEPPELIN 1969)
最初は少し取っつきにくいところもあったけど……




(LED ZEPPELIN II 1969)
「ハートブレイカー」にはグッときちゃったし……




(LED ZEPPELIN III 1970)
これだって単に「アコースティック」なだけじゃない。
奴らは何だってツェッペリンの音に仕立て上げるんだ。




(1971)
だから、こんな大傑作をモノにした後に……




(HOUSES OF THE HOLY 1973)
こんな大胆なチャレンジをしてもコケないんだろ?




(PHYSICAL GRAFFITI 1975)
この2枚組で集大成を果たしたかと思ったら……




(PRESENCE 1976)
 まだこんな集中力が残ってたのも驚きだったよ。




(IN THROUGH THE OUT DOOR 1979)
「次」を模索してる矢先に
ボーナムが死んじゃったのは残念だけど……




(CODA 1982)
余力を残して消えるのも悪くないさ。




だから俺も愚痴るのはやめて……




 もう消えることにするよ。




 ………………。




あ、でも最後に一つだけ……




 危ないから加茂さんとは握手するなよ。




「そういやお客さん、火ぃ消した?」
「あっ…………」         


(完)




2004.02.06.Fri. 16 : 20 p.m.(一部追加)
BGM : LOVE PSYCHEDELICO " THE GREATEST HITS "

 話はころりと変わるのであって、先日副編シギーに、借りたCDの御礼として矢野真紀自家製セレクションを無理やりプレゼントしたところ、わりに好評だったので嬉しかったのだが、彼が「ラブ・サイケデリコを渋くしたような感じだね」という感想を述べたので、それはどのようなものかと思ってラブ・サイケデリコを聴いてみているのだった。そういや昔タボン社長を無理やり矢野真紀のライブにつきあわせた際もラブ・サイケデリコの話を聞いたような気がしなくもない(気のせいだったらすまん)が、なるほど声の質や気怠い歌い方なんかに矢野真紀を連想させるものがあって、いいじゃないか。いいじゃないかって、べつに私が言わなくてもとっくにバカ売れしてるのか。いいなぁ売れてて。もっとも矢野真紀の気怠さはもちろんラブ・サイケデリコとは少し違う種類の気怠さなのであって、もしかするとそれは「純情な気怠さ」などとワケのわからないことを言いたくなるような気怠さかもしれないのだが、なんにしろ、最近の矢野真紀はその気怠さがあまり生かされていないのではないかというのが、私の懸念するところなのである。がんばれ矢野真紀。デリコに負けるな。負けてもいいけど、あんまり「フォーキー」な路線には走らないでください。一体いつから存在するんだフォーキーって言葉は。それにしても、私が無理やり矢野真紀を聴かせた人は、どういうわけかたいがい「名前の印象とぜんぜん違うね」って言う。

 などと言っていたら、矢野真紀がチェリー・サンバーストを……。

 ラツィオがパンカロ含みのミランにアウェイで勝ったらしい。うほー。コッパ・イタリア準決勝第1戦の話だ。そうなのだ。どういうわけか4強に入っているのだ。どうだ参ったか。参ったと言え。1-2だったらしいが、これまたどういうわけかコウトがゴールを決めたんだとか。コウトのゴールって、いつも私が見ていないときに決まるような気がする。それはまあいいのだが、わからないのはラツィオのサポーターだ。

 「マテラッツィにラツィオのサポーターから応援の横断幕」

 何やってんだあいつら。というわけで、ラツィオ事情に詳しい担当すずき君に「どういうことだオイ!」と(もっと紳士的な調子で)問い合わせたところ、どうやらマテラッツィの父親は昔ラツィオの監督だったそうで、本人もプリマヴェーラに居たことがあるということがわかったのだが、しかしそういうモンダイではなかろうと思うしなぁ。まあ、チリッロもチリッロで「殴られた殴られた〜、俺はマテラッツィに殴られたんだぜベイビ〜」とか何とか言って威張ってたらしいから(カギカッコ内は想像)、どうでもいいっちゃどうでもいいわけだが。どっちもこっちもヘンな奴ばっかりだ。

 ゆうべ深夜に帰宅したら、愚妻がバルセロナ×アルバセテ(リーガ第22節)をビデオ観戦中だったので、そのまま後半だけ観た。前半は2-0、後半もバルサは本当はそんなはずはないのだが不気味なほどパスがスパスパとつながり、クアレスマ、ダビッツ、ルイス・エンリケと希少性の高い3つのゴールが決まってごおぜろである。先日のジョンソンにも驚いたが、クアレスマにも驚いた。私の目の黒いうちは彼のゴールなど実現しないと思っていたからだ。だって、あんなにシュートが下手な人は今まであんまり見たことがなかったのだ。でも、ゴールに向かってやや左の位置からきちんとコントロールしたミドルシュートを放っていた。へえ。できるんだ。と、感心していたら、その後は右サイドから何度シュートを撃ってもヘタレに次ぐヘタレ。ぜんぶ一塁線へ切れていくファウルボールのように枠から遠ざかっていく。どうもゴールマウスが自分より右側にないとダメらしい。だったら、なんで右のウイングやってんだろうか。このポルトガル人もヘンな人だ。そんなことより、ダビッツさん、おめでとうございました。




 

2004.02.05.Thu. 22 : 05 p.m.
BGM : LED ZEPPELIN "IN THROUGH THE OUT DOOR"



前回のNGシーン

「ちなみに私たちは鈴木その子でもないわ」



story inspired by
IN THROUGH THE OUT DOOR

第5話


 いろいろネガティブなこと言ってきたけどさ。




「いや、あんた、まだ何も言ってないけど」




 そうかー。




でも、何度も聴いてるうちに俺……




 だんだん、このアルバムが愛おしくなってきたんだ。




 「IN THE EVENING」はペイジがソロの途中でギターを2度も落っことしたりしなけりゃいかにもZEPらしい名曲だと思うし、「SOUTH BOUND SAUREZ」みたいなのはストーンズに任せりゃいいのにと思わないでもないけどそんなに悪くないし、「FOOL IN THE RAIN」はアルゼンチン大会の最中だったのに何故サンバ?とも思うけどコレはコレでボーナム面白いじゃんと思うし、HOT DOGはセガレの好物だし、「CAROUSELAMBRA」って何て読むのかわかんないけどコレがなきゃ「あ〜いがっ、すっべーてっさぁ!」もなかったわけだろ? そういう意味じゃ日本のロック史にとっても欠かせないナンバーだと思うし、「I'M GONNA CRAWL」はトリにふさわしい切ない泣き方だと思うよ。




だけど……




 どうしても…………どうしても「All My Love」だけは許せないんだ! ごめん、気持ちよさそうなジョーンズとプラントには悪いけど、これだけは言わせてくれ! 俺はこんなペラペラしたペイジのギターは聞きたくないし、ブラバンでパーカッションやってる女の子が一生懸命に譜面見ながら叩いてるみたいなボーナムのドラムも聴きたくないんだよ! そうなんだよ!




それに、こういうタイトルの曲は……




 彼に任せておけばいいと思うんだ。




それで俺、勝手なことして申し訳ないんだけど……




 曲順いじってCD-R焼いてみたんだ。




「そ、そんなことしていいのかぁ!?」




 わからない。でも……もう作っちゃったんだ。




IN THROUGH THE ANOTHER DOOR(仮)

1.CAROUSELAMBRA
2.SOUTH BOUND SAUREZ
3.IN THE EVENING
----アナログ盤では以下B面----
4.WEARING AND TEARING
5.HOT DOG
6.FOOL IN THE RAIN
7.I'M GONNA CRAWL





「4は『CODA』の曲じゃないかぁ。いいのかぁ!?」




…………まさか、コッリーナさんじゃないよね?





2004.02.05.Thu. 12 : 20 p.m.
BGM : LED ZEPPELIN "IN THROUGH THE OUT DOOR"

 いまごろ書くのも間抜けなタイミングだが、先週の土曜日に、西新宿の「21世紀」という、ちょっとそれはどうなんだろうと思うような名前の店で開催された「For Badgeholders Only」(通称:バッヂ)のライブを鑑賞した。タボン君に命令されて受付係をやりながらだったので演奏に集中できない部分もあったが、例によって楽しませてもらった。タボン君に命令されて受付係をやりながらだったので曲名や曲順をちゃんと把握していないものの、半分ぐらいが(チック・コリアの『ラ・フィエスタ』を含む)新曲という意欲的なステージである。タボン君に命令されて受付係をやりながらだったが、バッヂのいいところは、常にこの「意欲」が漲っているところだと思う。受付係がこんなことを言うのも何だが、これぐらいの年齢(バッヂは平均年齢約40歳。ただし女性フルーティストは統計から除外)になって、一方でプロとしての仕事を持ちながらまっすぐな意欲を持って音楽に取り組むのはすばらしいことだ。単なる「息抜き」や「鬱憤晴らし」でやっているようにしか見えないアマチュアバンドは多いが、意欲や向上心を音楽に直結させて「聴かせる」バンドはそう多くないと思う。正直、しがない受付係の私がいまさらのようにギターを習い始めたのも、バッヂに刺激されたことによる面が大きい。

 さて受付係のことはともかくとして、タボン君がGBで予告していた「ZEPファンならノケゾること必至のアレ」は何だったかというと、私は『永遠の詩』の冒頭部分をオーバーチュアとして演るんじゃないかと予想していたのだがさにあらず、なんとなんと「ギターのアルコ弾き」であった。バイオリンの弓でギターを弾くという奴で、私はそれを書物で読んだだけだが、ジミー・ペイジがたまにやる技なのである。それをですね、チェリー・サンバーストのレス・ポールをたずさえたヨシちゃん先輩がですね、チック・コリアの『スペイン』のソロパートでぶちかましたわけでした。びっくりした。でも、すごく面白かった。意図したとおりの音が鳴っているのかどうかさえわからないのが、アルコ弾きの強味だ。よくわからないが、それでもちゃんと「スペインのソロ」に聴こえたからすばらしい。もっとも、アレを単身赴任先の福岡で夜な夜な一人で練習なさっていたのかと思うと、鬼気迫るというか、切ないというか、熱いモノが込み上げてくるのを抑えられないというか、とにかくいろいろな意味で感動的だ。それと同時に、ヤフオクでゲットしたという「」マーク入りのシャツも実に感動的だった。

 打ち上げの席でタボン君に「たまにはHPで辛口のコメントも書いてくれ」と言われたが、私はセルジオ越後ではないので「辛口」の何たるかがよくわからないものの、あえて一生懸命にスパイスを効かせて注文をつけさせてもらうなら、これはその席でもメンバーに言ったことだけれど、曲中でのメリハリの付け方がやや足りないような気はする。「じゃあメリハリって何だ」「どうしてメリハリがあったほうがいいのか」などと訊かれると困るのだが、「メリハリがない」はつまり「一本調子」のことだと思われ、では一本調子だと何が良くないかと考えるに、たぶん「ここを聴かせたい」というメッセージが曲中に埋没してしまうから良くないのでありましょう。

 そういえば高校時代、多田武彦の『桜散る』という男声合唱曲を練習していたとき、「散る」という言葉(この曲にはこれが何度も何度も出てくる)を最初は「ち」と「る」を均等に発声していたのを、「」と激しく強弱をつけて発声するよう指導されたとたん、曲が見違えるように(聞き違えるように、か)良くなったことがあった。それまで私たちは「散る」という言葉の本質が「ち」にあるのか「る」にあるのかといったことを考えず漫然と「ちる」と唄っていたのである。素朴な例で恐縮だが、おそらく音楽のメリハリというのは、その曲を通して表現したいメッセージを明確にするところから生まれるんだろうと思う。

 んで、それは「この曲では、眠りかけた恋人の首をそっと絞めるような情感を表現します(笑)」とか何とかMCで説明することとは違うんじゃないだろうかと思ったりなんかしてね。「首を絞める」じゃなかったか。「頬を撫でる」だっけ。こういうことを言うと、すぐ「もう俺、喋らないもんね」と拗ねる男がMCを担当しているので困るが、あれはあれで面白くて私は好きだから誤解しないように。それに、なにしろ受付係をやっていたので、本当はメリハリのある演奏だったのに私が気づかなかっただけかもしれないし。そこで私からもう一つ注文をつけるとしたら、受付係を人に頼むのはいいが、釣り銭の500円玉ぐらいはそっちで用意しておいてほしい、ということだけだ。そうしてもらえば、次回は私も、もっとメリハリのある受付ができると思う。

 ゆうべは、録画中継のブラックバーン×チェルシー(プレミア)を珍しく主音声で観戦。まず言いたいのは、サッカー実況が伝える情報の中で何よりも正確さが求められるのは「スコア」だということだ。サッカーに限ったことではない。「何対何でどっちが勝っているか」を正確に伝えるのが、スポーツ実況者にとって最低限の仕事であろう。これは、あるベテラン野球アナからうかがった話だが、たとえばラジオの野球中継では「15秒おきにスコアを言う」が鉄則であるらしい。どんなに豊かな表現力で試合の状況を伝えたとしても、これをやらないアナウンサーは落第。それを怠るぐらいなら、ほかに何も喋らずにスコアだけ伝えているほうがまだマシということだ。

 サッカーの場合は野球ほど頻繁にスコアが動かないが、だからこそ、一つのゴールが決まったかどうかがきわめて大きな意味を持つ。ところがサッカーの場合、往々にして「決まったと思ったらノーゴール」ということがあるから、伝える側は慎重にならなければいけない。ゴールネットが揺れ、選手が喜び庭を駆け回っていても、それだけで「ゴール」と決めつけてはいけないのである。

 それを決めつけていたのが、この試合のアナウンサーと解説者であった。時間帯は忘れてしまったが、1-2とチェルシーがリードしていた後半。ブラックバーンのギャラガーがチェルシーのゴールネットを揺らし、スタンドの観客と抱き合って喜びを分かち合った後のことだ。無論、私も「あちゃあ同点かよ」と落ち込んだ。しかし、やけに試合の再開が早い。ゴールシーンのリプレイが途中でストップし、画面はチェルシーがゴール前に攻め込むシーンを映し出していた。センターサークルでキックオフが行われたにしては、早すぎる。しかも、画面左上のスコア表示は1-2のままだ。さらに画面には、先ほどのシュートシーンでギャラガーが明らかなオフサイドポジションにいたことを示すVTRも流された。

 その段階でも、まだ「ギャラガーはこれで今季何点目」とか言ってるアナウンサーや、「チェルシーは勝ちに行くべきですね」とか言ってる解説者は、どうかしていると私は思う。もちろん、彼らが現地で試合を観ているわけではなく、われわれと同じ画面を見ていることは承知しているが、私でさえ「ノーゴールだったのでは?」と疑えたぐらいなのだから、「どうやら先ほどのゴールは取り消された可能性があります」とか「確認次第お伝えします」とかコメントすることはできたはずだ。そんな疑いさえ持たずにノーゴールをゴールだと決めつけて数分間も放送を続け、視聴者を混乱させたアナウンサーと解説者には、カネを払って視聴している者として猛省を促したいのである。ゴールシーンは人を興奮させるものだが、あなた方だけは興奮しちゃいけないんだよ。興奮したフリしながら、冷静に状況を見なきゃいけないんだよ。

 べつに私は、「チェルシーはセットプレイを大事にしたほうがいいですね。流れの中からは得点できそうにないから」という解説者の「小予想」に文句をつけるつもりはない。前半に決まったランパードの2ゴールはいずれも「流れの中」からの見事なものだったが、私は解説者に予想を当ててほしいわけではない。また、「いわゆるマンチェスター・ユナイテッドやアーセナル」と正式なクラブ名を俗称扱いするアナウンサーに文句をつけようとも思わない。誰にだって、それぐらいの言い間違いはある。「チェルシーの選手たちは自分で決めようとしすぎる」というアナウンサーの見当違いな発言を耳にしても、私は今のチェルシーが組織的に未成熟な段階だからドリブルを始めとする個人技に頼らざるを得ないのだということを知っているので、怒ったりはしない。しかし、だ。何をコメントしたっていいけれど、最低限の仕事はちゃんとしようよ金子さんと粕谷さん。せめて、勘違いに気づいた時点で、もっと誠実に謝ろうよ。ヘラヘラ笑うところじゃないよ、そこは。

 それはともかくとして、試合は実にすばらしいものだった。仕事をうっちゃって観戦する価値のあるものだった。立ち上がり、やけに威勢のいいブラックバーンに泡を食ったチェルシー守備陣が引きすぎて先制点を許したものの、前述のとおりランパードの2発で前半のうちに逆転。終盤に、例のゴールをオフサイドで取り消されたギャラガーが「やり直し」のゴールを決めて2-2となったが、すかさずCKのこぼれ玉をジョンソンが信じられないほど巧みに処理して豪快にシュート。これが決まって2-3である。ジョンソンえらい。えらすぎる。もうね、これまでのダメっぷりはぜんぶ許しちゃうよ。こういうゲームを勝ち切ることができたのは、実に大きい。やっぱり、副音声で観ればよかった。


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