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Dixie Chicken
Little Feat




スイテマせんでした。


2004.12.12.Sun. 15: 45 p.m.
BGM : LITTLE FEAT "DIXIE CHICKEN"


 きのうは一家三人で、上野の国立西洋美術館へ。私はこのページで見つけた「Harmony In Red」という絵をMacの壁紙に使う程度にはマティスが好きなので、今回のマティス展は以前から「ヒマになったら行こう」と思っていたのだが、いつまでたってもヒマにならないのだし、そうこうしているうちに展覧会が終わってしまうので、仕事をぶっちぎって足を運んだ。

 しかし閉店前の駆け込み客は私たちだけではないのであって、想像以上の大混雑。入口は長蛇の列で、係員が「10分待ち」という立て札を持って最後尾に立っていた。見終わって外に出たときは「40分待ち」になっていたので、それでも運が良かったほうだが、館内はとてもじゃないが落ち着いて絵を見ていられる状態ではない。狭いよ国立西洋美術館。というか、狭いスペースにたくさん絵を並べすぎなんじゃないだろうか。これじゃ家で画集でも眺めていたほうがマシだと思ったが、後半の切り紙絵は実物を見ると「なるほど切り紙だ」ということがよくわかるので、まあ、行って良かった。そのコーナーはわりと空いてたし。みんな最後のほうは疲れているので、長々と足を止めないのかもしれない。

 クラスで「工作係」(「工作員」ではありません念のため)を担当しているほど工作が好きで、日頃から紙粘土やら折り紙やら絵の具やらセロテープやら糊やらハサミやらを散らかして茶の間をアトリエ状態にしているセガレも、切り紙絵には興味津々だった様子。宿題の絵日記を「切り紙で作ろうかな」とか言っていた。それはいいのだが、マティスの切り紙絵は思っていた以上に巨大で、あんなものを家で作られたら迷惑な話である。美術というのは、見るほうも作るほうもスペースを要する芸術だということを認識した。  







Band Wagon
鈴木 茂




新と旧。


2004.12.10.Fri. 11: 00 a.m.
BGM : 鈴木 茂 "BAND WAGON"


 ああ、そうか。……と何かの拍子に気づいたのは、JTはパッケージの「デザイン変更」を実施したという自覚さえなかったのではないか、ということだった。従来の「デザイン」には「いっさい」手を加えず、ただ法律で決められた文言をその「余白」に挿入しただけだと思っているんじゃないのか。きっとそうだそうに違いない。色もロゴもアスタリスクみたいなマークもそのままで、しかし注意文言には30パーセントのスペースが必要だから、ちょっと「具」を小ぶりにして上のほうに寄せただけで、「デザイン」は変わってないじゃん、という感覚なのだ彼らは。だから「なるべくイメージを損なわないよう努力」したなどということが恥ずかしげもなく言えるのだ。

 つまり彼らにとってデザインとは「色」と「具」のことであって、そのバランスはどうでもいいんだろう。そして注意文言はデザインの「外」にある。だとすれば、彼らのデザインに対する意識は、私の想像をはるかに下回る低さだったわけだ。話が通じるはずがない。おそらく私と話した彼や彼女は「なんでデザイン変えてないのに和田さんに相談しなきゃいけないワケ?」と怪訝な思いをしていたのではないだろうか。ぶひぶひ。

 しかし、だ。改めて新旧のパッケージを見比べてみると、両者の色は同じではない。左の写真ではわからないと思うが、新パッケージのほうが明らかにブルーが薄い。想像するに、これは注意文言のスミ文字を見やすくするための意図的な細工であろう。もしかしたら試作品を見た財務省の役人に「これじゃ読みにくいなぁ。うしろの色、ちょっと薄くできない?」とか何とか言われたのかもしれない。あくまでも想像だけどね。ありそうな話。

 ますます色調がラツィオっぽくなったとも言えるが、私はぜんぜん嬉しくないぞ。今まで注意文言にばかり気を取られていたが、最初に見たときからイライラして仕方なかったのは、この色のせいもあるに違いない。これでは白抜きの「hi-lite」の文字がちっともハイライトな感じに見えないじゃないか。アスタリスクみたいなマークの存在感も台無しである。そもそも、あの微妙なブルーこそがこのデザインのキモだったのだ。それでも彼らは「だって、どっちも青じゃん。黄色にしたわけじゃないじゃん」と言うのだろうか。ぶひぶひぶひー。

 話は逸れるが、「*」の名前は「アスタリスク」でいいんだよな?と確認のために検索してみたら、アスタリスク同盟というサイトがあった。「同盟」への参加条件は、「アスタリスクが好きな方ならどなたでもOK!!!」だって。面白いなぁ。メンバーリストを見ると、けっこうな人数のアスタリスキストがいるようだ。「アスタリスクって可愛いですよね!」などとビックリするようなことが書いてある。記号が可愛いのかー。人生をエンジョイする方法っていろいろあるんだなー。しかしアスタリスク同盟内では、ハイライトのパッケージは「うーん、横棒が一本余計なんだよねー」と評判が悪いかもしれない。

 ともあれ、デザインの問題は大事だが本筋ではない。喫煙者にとって、問題の本質は注意文言そのものである。会ったこともない相手に肺気腫扱いされたのでは、やはり納得がいかない。しかしこれはJTが作った文言ではないし、パッケージにも「詳細については厚生労働省のホーム・ページ」を見ろと書いてあるのでそこに行き、あれこれ読むのは面倒臭いので、メール受付のページから質問を送った。このメール受付がまたおかしなもので、「は、必ずご記入ください」と書いてあって、メールアドレス、種別(意見か要望か質問か)、件名、内容(本文)に(これはアスタリスクではなくコメ印ですね)が打ってあるのだが、それだけ記入して内容確認画面に行くと、「氏名を入力してください」という指示が出て、送信ボタンが出てこない。必須事項ではないと見せかけておきながら、氏名を書かないと送れない仕組みになっているのだ。うー。つまらん小細工しやがって。と、ブツブツ言いながら氏名を入力して(※申し訳ない。よく見たら「質問」の場合は氏名を必ず記入しろと書いてありました)送った質問はこんな感じ。


 日本たばこの「ハイライト」を購入したところ、パッケージに「喫煙は、あなたにとって肺気腫を悪化させる危険性を高めます」との警告文がありました。「肺気腫の危険性」ではなく「肺気腫を悪化させる危険性」ですから、この文言はすでに肺気腫を患っている者に向けて書かれているようにしか読めません。そして、ここで「あなた」と言っているのは、このハイライトを購入した私のことだと思われます。したがって私は「肺気腫の患者だ」と言われていることになりますが、そのような理解でよろしいでしょうか。「はい」か「いいえ」で簡潔にお答えください。また、もし答えが「はい」であれば、いかなる根拠で私を肺気腫だと診断したのかをお聞かせください。もし答えが「いいえ」であれば、この文言を誤解を招かない表現に改めるよう、日本たばこを指導してください。以上、よろしくお願い申し上げます。

 返事はまだ来ない。無論そんなに早く回答が得られるはずはないが、送ってから16時間ぐらい経っているのに受取確認メールさえ届かないというのはどうしたわけか。入力したこっちのアドレスは間違っていないはずなのだが。どうなのよ厚生労働省。  







Sailin' Shoes
Little Feat


2004.12.09.Thu. 14: 25 p.m.
BGM : LITTLE FEAT "SAILIN' SHOES"


 きのう日誌を更新した1時間後に、まるでそれを読んだかのようなタイミングでJTお客さま相談センターの女から電話がかかってきた。「昨日のYの説明に事実と異なる部分がありましたので改めてご説明させていただきたい」と言う。うるせえなあ。勝手にこっちが訊いてもいないことを答えておいて、事実と異なるも何もねえだろう。と思いつつ、話を聞いた。

私「それはご丁寧にどうも」
女「いえ。それでですね、今回のご質問は、ハイライトのデザイン変更に当たって和田誠さんの承諾を得るべきではないか、ということですよね?」
私「いいえ違います。あなた方はどうしてそうやって先回りして物事を考えるんですか。たしかに私はそうあるべきだと考えていますが、まだあなた方にそのことを伝えていません。承諾を得たのかどうかと質問しているだけです。まずその質問にイエスかノーかで答えてください」
女「はい、あの、今回の注意文言は法律で決められたものでありまして……」
私「だぁかぁらぁ、それは知ってるんだってば。法律の話なんかしてないんだよこっちは。デザイン変更を和田さんに了承してもらったのかって訊いてんだよ。何度言ったらわかるんだよ。なんでイエスかノーかで簡単に答えないんだよ」
女「申し訳ありません。和田さんの承諾は得ておりません」
私「そうだろ? 話はそこから始まるんだよ。で、きのうの説明のどこが事実と異なるんですか」
女「はい、えーと、今回の注意文言は法律で決められ……」
私「またそれかよ」
女「はあ」
私「法律に従ったものだから承諾を得る必要はないって言いたいんでしょ?」
女「いえ、あの、Yは昨日、商標権がJTにあるというふうにご説明申し上げたと思いますが、これは商標権の問題ではなく、著作権や人格権の問題でございましてナンタラカンタラ」
私「はいはい、わかりましたわかりました。権、権、権って、権の話はもういいです。さっきも言ったように、私は法律の話なんかしてないの。ナニ権だろうが、それがあるから法的にはJTが和田さんの承諾を得る必要はない、ということでしょ? それは昨日の説明と違わないんでしょ?」
女「はい、そうです」
私「だけどさ、僕たちはふだん、法的に必要なことだけして暮らしてるわけじゃないですよね? たとえば僕がきのうJTに電話をしたのも、法的に必要だからじゃないですよ。そうしたかったからですよ。あなたがわざわざ今日こうして電話を寄越したのも、法的に必要だからじゃないでしょ?」
女「はい」
私「だから、たとえ法的には必要なくたって、伝統あるハイライトのパッケージに余計な文言を入れなくちゃなんなくなったときに、それをどんなふうにデザイン処理すればいいか、オリジナルデザインの考案者に相談するとかそういうことがあってもいいと思うわけです私は。そういう意味で、和田さんの了解を得たのかと質問したんです。そういう努力もしないで、ただ財務省に命令されたとおりの文言を無造作に印刷したJTのやり方は、デザインというものに対する暴力だと私は思います」
女「安易だということですか?」
私「安易だと思わないの?」
女「えーと、JTといたしましては、長年に渡って多くのお客さまに愛されてきたデザインをですね、なるべくイメージを損なわないよう努力して……」
私「努力してないじゃないか! この薄汚いパッケージのどこに努力の跡が見えるんだよ! イメージなんか損ないまくりじゃないか!」
女「申し訳ありません。しかしこの文言は法律で……」
私「もういいっつーの。法律で文言を入れなきゃならないっていう事情はわかってますよ。その文言を入れた上で、どんなデザインが可能かってことを、もっと真面目に考えろって言ってるんだよ。私はね、あのデザインも含めてハイライトに愛着を持ってたんです。商品ってそういうものでしょ? デザインも含めて煙草でしょ? 違う? それともJTはパッケージのデザインなんかどうでもいいと思ってるわけ?」
女「いえ、決してそんなことはありません」
私「だったらさ、法令に何て書いてあるのかは詳しく知りませんけど、たとえば片面は従来どおりにして、注意文言を片面だけにまとめるとか、そんなようなことだって検討してみてほしいってことだよ。それが法令で認められてないんだったら、法令のほうを改めるように財務省と交渉しなさいよ。顧客のために努力するって言うなら、少しぐらい役人と戦ってくれたっていいでしょう」
女「わかりました。お客さまからの貴重なご意見として承っておきます」
私「はい、承ってください。私はね、大好きなハイライトを作ってくれてるJTを軽蔑したくないんですよ。ちゃんとしたハイライトを作ってほしいんです。ということで、わざわざお電話くれてどうもありがとう」
女「いえ、こちらこそ、ありがとうございました」
 そんな感じでした。ちなみに、今日も自販機でハズレくじを引いた。記載された注意文言は、A面が「喫煙は、あなたにとって肺気腫を悪化させる危険性を高めます」、B面が「未成年者の喫煙は、健康に対する悪影響やたばこへの依存をより強めます。周りの人から勧められても決して吸ってはいけません」というものである。「あなたにとって肺気腫を悪化させる危険性を高めます」って何だ。「肺気腫の危険性」じゃなくて「悪化の危険性」ということは、おれはすでに肺気腫だってことか? 心配になってきた。JTのお客さま相談センターに電話して訊いてみたほうがいいだろうか。

 ゆうべは7時から三軒茶屋で月例新書会。課題本は三砂ちづる『オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す』(光文社新書)。JTのお客さま相談センターと電話でお喋りしていたせいで時間がなく、ギリギリまで仕事をしていたので、6時に吉祥寺の啓文堂で買って電車の中で読んだ。前半のほうしか目を通せなかったが、なんちゅうか、豪快な印象の本。そう言われたって何のことやらわからないでしょうが、まあ、どんな本か知りたい人はアマゾンでも覗いてみればよい。現時点で60件ものレビューが寄せられている。大反響ですね。

 会では例によって酔っ払っていたのでアレだが、覚えているのは、女性編集者のことを「編集嬢」とか「編集婦」と呼ぶことにしたらどうか、といったような話になったことだ。この年末の忙しいときに、何の話をしてるんでしょうか私たちは。どういう流れでそんな話になったのか、それが女性のオニババ化と何の関係があるのかはよくわからないが、「編集婦」はいいなぁ。グッときちゃうよなぁ。そこはかとないエロティシズムを感じる。女性の身体性を感じさせる美しい言葉だ。あ、そうか。そういう流れの話だったかもしれない。とにかく、そこはかとないエロティシズムは大事だ。私たちは、そこはかとないエロティシズムを忘れすぎていないか。そして、ヨン様に群がるオニババたちの姿は、あまりにもグロテスクすぎやしないか。

 セガレの宿題に「音読」がある。国語の教科書を音読して、親が読み方や姿勢などを採点するというものだ。ふだんは真面目にやっているセガレだが、きのうはその宿題を「イヤだ」と言ってやらなかったらしい。課題として与えられたのが、可愛がっていた飼い犬が死んでしまうという哀しいお話だからだ。セガレは哀しいお話が大嫌いなのである。テレビを観ていても、悲惨な事件や事故を伝えるニュースが始まると両手で耳をふさいだりする。気持ちがやさしいというより、臆病なんだと思う。たぶん、音読すると泣いてしまいそうになるのがイヤなんだろう。そんなに感情移入して読まなくたっていいじゃねえかと思ったりもするが、まあ、話の内容を理解していなければ「読みたくない」とも思わないわけで、ふつうに読解力があるという意味では悪いことではない。読みたくない文章は読まなくてもよかろう。しかし宿題をやらないのは良くないことなので、愚妻が「じゃあ、代わりに別のお話を音読すれば?」と提案すると、「そんなことしたら先生に怒られる」と言って読まなかったという。子供って、ヘンに真面目だ。べつに大した問題ではないけれど、どう対処したらいいかよくわからない。子供を育てていると、時々こういう思いがけない引っかかりが生じる。でも、まあいいや。自分で悩んで大きくなりなさい。

 編集部から『わしズム』13号が届いた。おぼっちゃまくん復活に加え、辛酸なめ子さん登場をはじめ新連載もいくつか加わるなど、さらに内容充実しまくりで辛い。いや、もちろん本にとっても読者にとっても良いことなんですけどね。私は辛いです。辛酸なめ太郎。ますます大波のはざまに埋もれてゆく感じ。息が苦しい。溺れそうだ。

 リトル・フィートを聴いていると、どうしたわけか、はっぴいえんどを連想する。ボーカルの声が似ているからだろうか。曲調も、何となく似たものがあるような気がする。  







Friends
Chick Corea


2004.12.08.Wed. 13: 15 p.m.
BGM : CHICK COREA "FRIENDS"


 要するに私がJTに言いたいのは、法的な「権利」があろうがなかろうが、その仕事に必要な見識も技術も持ち合わせていないアンタ方みたいなド素人に、何十年間も親しまれてきた伝統と格式あるパッケージデザインを台無しにする「資格」なんか1ミリグラムもねえんだよ、ってことだ。ハイライトのニコチンは1.4ミリグラムだけどね。タールは17ミリグラムです。

 それはともかく、商標権がどこにあろうが、こういう国民的ロングセラー商品ってのは、その意匠も含めて社会的な財産なんだよ。文化財って言ったっていいよ。それを守るのが、権利持ってる人間に委ねられた使命なんじゃないのか? それは「変える権利」じゃなくて「守る権利」なんだよ。財務省の指示を突っぱねるための権利なんだよ。JTに商標権があるんだろ? 誰の指図も受けなくていいんだろ? だったら権利をちゃんと行使して、財務省の言うことなんか聞き流せよ。和田誠を無視したのと同じように、財務省も無視しろよ。

 それなのに、アンタ方が法隆寺の壁に落書きするような真似してどうすんだ? 何の工夫もなしに薄汚いスミ文字を無造作にノセやがって。たとえばバルセロナがユニフォームに胸スポンサー入れるとか入れないとかいう話があるようだけど、それだって、クラブ側が勝手に決めたりはしないと思うよ。ファンの声に耳を傾けると思うよ。いや傾けないのかな。傾けなかったら困るからこの譬え話はやめるが、とにかくそんなようなことだ。

 法的な「権利」はそのへんの書類に書いてあるんだろうけど、「資格」についてはどこにも書いてない。それは、目に見えない「常識」というものに支えられている。ふつう、まともな人間だったら、そういうことは恥ずかしくてできないってことだ。そういう常識を持たないJTという会社を、私は軽蔑する。軽蔑しながらもその会社の製品を愛さざるを得ない、喫煙者の哀しみを知れ。







吸い尽くしてやったぜ。


2004.12.07.Tue. 22: 20 p.m.
BGM : MIKE BLOOMFIELD/AL KOOPER/STEVE STILLS "SUPER SESSION"


 本日三度目の更新。ハイライトのパッケージに「お問い合わせ先」として書いてある電話番号を見ていたら、むしょうにJTの人とお話がしたくなり、いったい何を問い合わせるのか自分でもよくわからぬまま、受話器を上げてナンバーを押していた。男が出た。

「はい。日本たばこお客さま相談センター、担当Yでございます」
「あー。もしもし?」
「もしもし?」
「えーと、わたくし、20年来ハイライトを吸っておる者なんですが」
「はい」
「……」

 はい、としか言いやがらないのだった。この「はい」は「それで?」の同義語だ。ものすごく悪意に解釈すれば、このYという担当者は、20年間ほぼ1日1箱のペースで金を払ってきた顧客に対して、「それがどうかしたのかよオイ」と言っているのである。「いつもJT製品をご愛用いただきありがとうございます」とか「お世話になっております」とか「毎度どうも」ぐらいのオアイソが、なぜ言えぬ。この、「民」の皮をかぶった「官」め。そうか。さては、シモジモの者どもに煙草を「吸わせてやっている」とでも思っているわけだな?

「あのう、パッケージのデザインが変わりましたよね」
「はい」
「んーと、これは、その、オリジナル・パッケージをデザインなさった和田誠さんの了解は得たんでしょうか」
「はあ。あの、このヘルス・ワーニングはですね、たばこ事業法に基づく財務省の指導によるものでございましてナンタラカンタラ」
「待ってください。私はそんなこと訊いていません。もう一度だけ言うから、よく聞いてくださいね。今回の、ハイライトのデザイン変更は、和田誠さんの、了解を、得た上で、実施されたんですか、というのが私の質問です」
「はあ。あの、少々お待ち下さい」

 われながら間抜けな質問をしたような気がしなくもないし、答えはおおむね想像がつくわけだが、しかし知りたいのは知りたい。なので、待った。JTのお客さま相談センターの電話機には保留機能もついていないらしく、手で押さえていると思しき受話器の隙間から「ハイライトの……和田誠さん……それを知りたいって……」といった言葉が断片的に聞こえる。Yが上司か誰かに相談してるんだろう。「それをお知りになりたい」ぐらいの丁寧語がなぜ使えぬ。

 結局、「すぐにはお答えできかねますので、こちらから後ほどご連絡させていただきます」と言うので、こっちの電話番号と名前を教えて電話を切った。個人情報を教えるのはどうかと思ったが、かけ直すタイミングを見計らうのも面倒だし、私はただ質問をしているだけでクレームをつけているわけではないので、ブラックリストに載ることもあるまい。載ったところで別に困ることもないが。

 というのが、午後3時過ぎのことだ。6時になっても連絡は来なかった。そんなこと調べるのに、何時間もかかるものだろうか。しかし、私がいったん帰宅して入浴と晩飯を済ませ、再び仕事場に戻ると、留守番電話にメッセージが入っていた。

「日本たばこお客さま相談センターのYと申します。先ほど、ハイライトのデザインについて和田誠さんの承認が必要かどうかというようなご質問がございましたが、JTといたしましては、商標権をJTが所有しているということでございますので、とくに和田様の承認というのは必要ないというふうに考えております。よろしくお願いいたします」
 高校1年生の読解力がOECD加盟国の平均レベルまで落ちたらしいが、JTみたいな立派な会社に勤めている人間でも人の言ってることが理解できないんだから、まあ、そんなものだろう。私は「和田誠さんの承認が必要かどうか」なんて訊いてない。了解でも承認でも何でもいいが、それを和田誠から「得たのか否か」と訊いている。イエスかノーかで答えられる、とても簡単な質問だ。そもそも商標権がJTにあることぐらいは察しがつくし、そんなことはどっちだってよろしい。私が知りたいのは、今回のデザイン変更を和田誠が納得しているのかどうか、ということである。納得してもらえるようにJTが筋を通したのかどうか、ということである。法的な権利を持ってりゃ何したっていいのかよ、ということである。

 夕方にいったん帰宅した際、デザインを職業にしている愚妻にハイライトの新パッケージを見せると、彼女は「うわ」と言って顔を思いきりしかめたのち、「それ(注意文言)を入れるなら入れるで、私だったら別のデザイン処理をしたくなる」と言った。それはそうだろうと思う。私だって、原稿に「こう直したいんですが」という修正意見が来たら、ソレでもコレでもない「第三の表現」を模索することが多い。和田誠がどう考えているかは知らないが、「第三の表現」を考えるチャンスを与えるのが「筋」だと私は思う。

 しかしまあ、この世の中、権利を持ってりゃ何をしたっていいってことなんだろう。そういえば何年か前、「ゴーストライターに法的な権利はないので、文庫化に際して金銭を支払う義務はない」とか何とかおっしゃった国際政治学者もいたっけ。それはそれでいいよ。でも(相対的に立場の弱い者に向かって)法的な権利を振りかざしているときの人間は、たいがい醜い姿をしているということは、覚えておいたほうがいい。

 それにしても、デザインが気に入らないからといって不買運動なんかしたらかえって敵の思うツボになってしまうというのが、このモンダイの厄介なところだ。買って吸わなきゃ抵抗したことにならないもんな。煙草売ってナンボのJTが喫煙者の敵なのか味方なのかよくわかんないんだからややこしい。イライラして、煙草の本数が増える一方である。ざまあみろ。注意文言、すっかり逆効果だ。

 逆効果といえば、この脅迫的なメッセージのせいで、喫煙者の健康はかえって悪化すると私は予想する。病は気から、だ。私自身はべつに何とも思わないが、これを見て不安や恐怖に駆られる喫煙者は多いだろう。「心筋梗塞になるに違いない」「肺ガンになるかもしれない」という精神的ストレスが「逆プラシーボ効果」にならないともかぎらないのである。そして今のところ、その病気がストレスによるものか煙草によるものかを突き止める手立ては、たぶん、ない。







いまどきのハイライト


2004.12.07.Tue. 13: 45 p.m.
BGM : MIKE BLOOMFIELD/AL KOOPER/STEVE STILLS "SUPER SESSION"


 早くも本日二度目の更新をしているのは、自販機でハイライトを買ったら、ベターっと盛大に注意文言を貼り付けたバージョンが初めて出てきたからだ。アタリと言うべきかハズレと言うべきか。これについては、近々パッケージがそういうふうになると報道された時点で長々と不平を述べておいたが、こうして実物を目にすると、さらに猛烈な怒りが込み上げてくる。こういうモノを作っておかしいと思わない人間は、ちょっと頭がおかしいのではないか。これはデザインという文化に対する暴力である。まともな感覚の持ち主なら、誰だってそう思うはずだ。デザイナーに対する敬意をほんのヒトカケラでも持ち合わせていれば、たとえば「表」は従来のままにして「裏」を注意文言スペースにするといったやり方だって考えられただろう。両面とも30パーセントのスペースを注意文言に使うというのは、いわば書籍のバーコードを表紙のど真ん中に印刷するようなものである。CDジャケットの表側に、「権利者の許諾なく賃貸業に使用すること、個人的な範囲を超える使用目的で複製すること、ネットワーク等を通じてCDに収録された音を送信できる状態にすることを禁じます」と14Qぐらいの文字で書くようなものである。それをおかしいと思わないヤツは頭がおかしいだろ? 頭がおかしいと言って悪ければ、恥知らずだ。恥を知れ恥を。

 いくつか用意された注意文言のうち、私が手にしたハイライトに掲載されたのは「喫煙は、あなたにとって心筋梗塞の危険性を高めます」と「たばこの煙は、あなたの周りの人、特に乳幼児、子供、お年寄りなどの健康に悪影響を及ぼします」という2種類だ。もう一度言うが、「あなた」って指さすのやめろよ。こっちの体質を検査したわけでもないのに、なんでおれの心筋梗塞リスクが喫煙で高まるってわかるんだよ。個体差ってもんがあるだろうが個体差ってもんが。根拠もなく人を恫喝するんじゃないよ。こんなもん、ヤクザがインネンつけてんのと変わんねえよ。二重の意味で暴力だよ。聞いてんのかよ厚生労働省。しまいにゃスモーカー10万人ぐらい集めて人間の鎖とかやっちゃうぞ。全員くわえ煙草で庁舎を取り囲むんだぞ。チェーンスモーカーのチェーンなんだぞ。ものすごく煙いんだぞ。放水車で反撃されたらひとたまりもありませんが。起て!万国の喫煙者!

 そういえば先日、マンスリー・エムの新商品記事を書いたとき、この注意文言部分だけ隠して他の部分は透明にした煙草ケースというものがあったっけ。原稿を書きながら「ナイス・アイデア!」と膝を打ったものだが、本気で欲しくなってきた。あるいは、オリジナルのパッケージを捨てずにキープしておいて、いちいち詰め替えるか。ほんとうに、頭に来る。







Super Session
(Mike Bloomfield/Al Kooper/Steve Stills)


2004.12.07.Tue. 10: 15 a.m.
BGM : MIKE BLOOMFIELD/AL KOOPER/STEVE STILLS "SUPER SESSION"


 このところの仕事三昧ですっかりギターがお留守になっているのは大変イカンことだし遺憾でもあるわけだが、こういうものを聴くと練習モチベーションが上がりますね。アル・クーパーが、前半はブルームフィールド、後半はスティルスと共演したセッション作品。ブルース弾かずに死んでたまるか!という気持ちにさせる。たまらん。

 ところで、きのう聴いていた『早すぎた自叙伝』に『The Man In Me』というボブ・ディランの曲があり、この『Super Session』にも『It Takes A Lot To Laugh, It Takes A Train to Cry』というディランの曲が入っている。ほかにはザ・バンドの『I Shall Be Released』などもそうなのだが、別の人間が歌うのを聴くと、ボブ・ディランって実はきれいなメロディを作る人なんだなと思うのだった。本人が歌うとみんな例のアレだもんだから、メロディの仕組みがよくわからなかったりするのである。でも、ディランの曲を他人が歌う場合、そこに譜面はあるのだろうか。もしディランの口伝によるものだとしたら、そこで解釈されたメロディは本当にディランの意図したものと同じなのだろうか。ちょっと心配だ。

 それにしても、このアルバムといい、『早すぎた自叙伝』といい、ものすごく音質がいい。私の場合、アナログ盤を聴いたことは当然ないわけだが、それでも「飛躍的に音質が向上した!」と知ったふうなことを言いたくなるぐらいクリアな音。リマスター技術おそるべし。音質と引き替えに何かが損なわれている可能性があることも忘れてはいけないのだろうが、とりあえず、キモチいい。それでふと思ったのは、今の音楽を逆リマスターして昔の録音技術で作るとどんなふうになるのかということだ。聴いてみたい。あと、ボブ・ディランが他人の(たとえばカーペンターズの)曲を歌うとどんなふうになるのかも聴いてみたい。

 ゆうべは、ビジャレアル×レアル・マドリー(リーガ第14節)をビデオ観戦。その前にお茶ズボ最終回の原稿を書き終えていたので、2年ぶりに「コラムのネタ探し」をまったく意識せずにサッカーを観たことになる。べつに負け惜しみで言うわけではなく、なんだかとっても気楽だった。サッカーであれ何であれ、「仕事として書く」を前提に物事を観察する場合は、どこかで無理して「人(おもに他の書き手)と違う角度」から見たり、逆に無理して「人(おもに読者)と同じ角度」から見たりしなきゃいけないわけで、それが楽しいと言えば楽しいのだが、難儀と言えば難儀なのである。

 試合のほうは、CLに備えてメンバーを落としたマドリーをビジャレアルがくちゃくちゃにしていたように見えたのだが、最後までゴールが割れずスコアレスドロー。ビジャレアルはみんなキビキビとよく走るし、技術の高い選手も多く、見ていて楽しいので、とても下位に低迷しているチームには見えないのだが、要するにフィニッシュがダメということか。ペナルティエリアまでは素晴らしい近づき方をするのだが、撃っても撃っても決められないのだった。しかし「フィニッシュがダメ」は「シュートが下手」とは違うような気もするのであって、ビジャレアルの場合はフィニッシュまで手間をかけすぎるためにシュートコースが狭まっているように見えた。

 それにしても、ソリンはいつの間にビジャレアルの人になっていたのか。ちょっとだけラツィオにいた時代から気にして見ている選手だが、どんどん爆走野郎としてのスキルに磨きがかかっている。もしかしたら走るときに両手を「前足」として使ってんじゃねえかと思うような野獣的疾走感だ。勢いだけでサッカーやってないかおまえ。たまにテク見せようと思ったら、ラボーナし損ねて躓いてるし。あれはものすごく格好悪い。ギタリストが背面弾きに失敗して後頭部を楽器にぶつけちゃったみたいな感じでしょうか。憎めない選手である。







早すぎた自叙伝
(Al Kooper)


2004.12.06.Mon. 12: 45 p.m.
BGM : AL KOOPER "A POSSIBLE PROJECTION OF THE FUTURE/CHILDHOOD'S END"


 さすがに仕事に嫌気が差してきて、土曜日は仕事場まで足を運ぶ気にならず、しかしやるべきことは山積しているので、自宅で単行本のデータ整理など。夕刻、家族で吉祥寺へ行き、愚妻のメガネとセガレの長ズボンを買う。どういう種類のメガネかは、書くと怒られるので書かない。

 きのうの日曜日はどっこいしょと仕事場に行き、お茶ズボ最終回に取り組む。が、例によって書けない。この苦悩もこれで終わりかと思うと苦悩している自分が愛おしかったりもしたが、書けないのはやはり辛い。アイデアのメモだけして、夜は鍋などつつきつつビールを飲み、サッカーを観ながらズルズル過ごす。ユベントス×ラツィオ(セリエ第14節)は2-1。ラツィオ戦のライブ観戦は数週間ぶりだったが、残念な結果である。しかしDF3人をなぎ倒して決めたパンデフの先制ゴールは舌を巻くほど豪快なものだったし、ボロボロになりながら前線で懸命にポスト役を務めていたムッツィさんや、例によって見た目を気にせず闇雲に中盤で相手を潰しにかかるジャンニケッダや、イブラヒモビッチのシュートを見事ブロックして相手にガンを飛ばしたコウトの姿にはグッと来た。泥にまみれてヤケクソに守っている今のラツィオが私は好きだ。「名門らしくプライドを持って攻めてほしい」なんぞという評論家の言葉に耳を貸す必要はない。弱者には弱者のプライドの持ち方というものがある。立派な試合だった。

 なので、ゆうべはそう悪くない気分で床に就き、けさ起きたら原稿が書けそうな気がしたので仕事場に来て一気に書いたら、書けた。生活には緩急やメリハリといったものが必要だ。と、やむを得ず「緩」や「メリ」を経たあとはいつも思うのだが、すぐにそれを忘れて「急」や「ハリ」を続けてしまう。休むのを怖がっていると能率が下がるばかりなのだが。休養の効用を信じて戦略的に「ゲームから消える」ことができるぐらいの能力がほしい。







孤独な世界
(Al Kooper)


2004.12.03.Fri. 12: 50 p.m.
BGM : AL KOOPER "YOU NEVER KNOW WHO YOUR FRIENDS ARE"


 すっかりアル・クーパーにハマっているわけだが、1969年に発表されたこの『孤独な世界』は、これより後に作られた『赤心』や『紐育』とはまるで趣向の違う作風で、のっけからバックでビッグバンドがガンガン鳴っていたり、シェーンベルク風味の弦楽合奏が聴かれたりなんかしたので最初は面食らったものの、これはこれでカッコイイし楽しめる。アル・クーパー、いい意味で厄介なキャラクターかも。本当は何がやりたいんだろうか。でも、ソングライターとしての軸はどの作品でも決してブレていない感じ。

 きのうは朝9時10分に幻冬舎の単行本を脱稿してシギーに送るやいなや小学校へ。9時25分から校内のマラソン大会が始まるからだ。徹夜明けの衰弱した状態で井の頭線に駆け込み乗車して、死ぬかと思った。私が走ってどうするのだ。マラソンすべきはセガレなのだ。

 というわけで何とか間に合い、倒れそうになりながら声援を送る。セガレも倒れそうになりながら走っていた。1年生が走る距離はおよそ700メートル。校庭を2周したのち、公道に出て学校のまわりを1周し、また校庭に帰ってきて半周してゴールという、けっこうな長丁場だ。先頭の子供が競技場に戻ってくるシーンなど、オリンピックにも似た感動がある。しかし、セガレはなかなか戻ってこなかった。あとで聞いたら途中で「ちょっと歩いた」そうだ。そろそろ本人の名誉やプライバシーにも配慮しなければいけないので、順位は書かない。遺伝子を半分提供した者にとっては、かなりショッキングな結果だったとだけ言っておこう。誰よりも長く観衆の声援を受けていた。来年はがんばろうぜ。

 帰宅して風呂に浸かり、4時間ほど仮眠。脱稿したんだからずっと寝ていたいが、うっかりマッキー事務所から頼まれた『マンスリー・エム』の仕事を引き受けてしまったので、そうもいかない。単行本をもう1日早く上げるつもりだったので引き受けたのだが、甘かった。「断りゃよかったよ〜」と猛烈に後悔しながら、自宅のパソコンで4ページの新商品紹介記事に取り組む。1ページあたり4本、計16本。単行本の仕事で、三位一体だの財政投融資だの官僚組織の問題点だの日の丸だの君が代だのといった世界に朝までどっぷり浸っていたため、紳士靴におけるミニマリズムだの腰履きジーンズのバックシルエットだのシルバーアクセの新進ドメスティックブランドだのといった話を脳がなかなか受けつけようとせず、停滞しまくりだった。さんざん天下国家を論じた直後に「古着感覚のくしゃくしゃ感がキメ手!」とか書けないっつーの。そうでなくとも、もう若者向けの原稿は書けないのではないかと考え込んでしまった。むかし女性誌の編集をしていたとき、年輩のライターに書いてもらった原稿を読みながら「今の若いモンはこういう言い方しないんですけど」とブツブツ言いながら赤を入れたことが何度もあったが、自分がそういう目に遭うのはすごくヤだ。しかし引き受けてしまった以上はしょうがないので、途中、晩飯を食ったり、愚痴をこぼしたり、セガレに肩を叩かせたり、愚痴をこぼしたり、ゴロゴロしたり、頭を掻きむしったり、愚痴をこぼしたりしながら、23時にようやくフィニッシュ。愚妻が買っておいてくれたワインを飲み、アーセナル戦のロスタイムにリバプールのメラーとかいう若者が決めた痛快なゴールに酔い、スカパー!で『29歳のクリスマス』を観る。そして、底なし沼のような泥睡。

 一夜明けて、きょうから今年最後の単行本に着手。休んでいる暇はない。クリスマス前までに200枚。分量も少ないし、流れもそう悩まずに済みそうだから、まあ何とかなるだろう。着手段階では、いつだって「まあ何とかなるだろう」と思っている。




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