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1.Gimme Shelter
2.Love In Vain
3.Country Honk
4.Live With Me
5.Let It Bleed
6.Midnight Rambler
7.You Got The Silver
8.Monkey Man
9.You Can't Always Get What You Want


2005.07.29.Fri. 10 : 45 a.m.
BGM : Let It Bleed / The Rolling Stones


 月曜から木曜まで房総半島の小湊というところにいたのであり、したがって台風7号が鴨川市付近に上陸したときには鴨川市付近のホテルの部屋から荒れる海の様子を茫然と眺めていたわけだが、まあ、無事に戻ってきた。しかし、ごく短い休暇が終わるやいなや、月刊PLAYBOYの〆切で慌ただしいので、いろいろ書いておきたいことはあるものの、とりあえず急ぎの告知だけ。明日30日(土)の17時30分より、目黒のBanBanGというライブハウスで、私の友人たちがやっているフュージョンバンドFor Badgeholders Onlyが、The Reasonとのジョイントライブを開催します。余計なお世話かもしれないが動員が心配なので、皆様お誘い合わせの上どしどし押しかけてやるがいい。トルク感のあるダイナミックで安心して楽しめる波瀾万丈の演奏が堪能できるはずです。詳細はこちらのページでご確認くださいませ。







1.If You Can't Rock Me
2.Ain't Too Proud To Beg
3.It's Only Rock 'N Roll (But I Like It)
4.Till The Next Goodbye
5.Time Waits For No One
6.Luxury
7.Dance Little Sister
8.If You Really Want To Be My Friend
9.Short And Curlies
10.Fingerprint File


2005.07.22.Fri. 12 : 30 p.m.
BGM : It's Only Rock'n Roll / The Rolling Stones


 全国高等学校野球選手権大会西東京予選5回戦
 明大中野八王子 11−4 都立川(8回コールド)

 ……あらまあ。2回表、都立川の捕手が邪飛を落球したところから、満塁ホームランを含む5失点を食らったのが痛かったらしい。でもさぁ、そこまでやったんなら、9回までやれよ。1イニングだけ端折るなよ。最後まで諦めないのが高校野球の美徳だろ。人生はいくらでもやり直しがきくじゃないか。明大中野八王子の捕手の落球から満塁ホームランを含む7得点ができるかもしれないじゃないか。それを何だよ。「もう無理だからやめとけ」って、大人がそんなこと一方的に決めていいのかよ。悔しいなぁ。ふだん、そんなに気にしているわけでも何でもないのだが、明大中野八王子に負けるのはやけに悔しい。そして、もっと悔しいのは、この朝日新聞表記だと「都立・川」だと思われがちだということだ。川高校なんてことになったら、ライバルは山高校と海高校しかあり得ないじゃないか。属性を単純化しすぎじゃないか。ナカグロを入れるなら「都・立川」である。っていうか、どうして「都立立川」って書かないんだ? 1文字だけ端折るなよ。中途半端に手を抜くなよ。百歩譲って、こっちをそんなふうに端折るなら、相手も「明中八」ぐらいにしとくのがフェアプレイ精神というものではないのか。ダラダラとなげぇんだよ明大中野八王子。いつまで名乗ってりゃ気が済むんだよ。ちなみに私の母校は噺家養成専門学校ではないので、「たてかわ」と読まないように。関係あるような無いような話だが、きのうは都江戸川も負けたようだ。都深川のほうはとっくの昔に初戦敗退。ダメだな、川。

 ゆうべは、以前WOWOWで録画しておいた『幸せになるためのイタリア語講座』というデンマーク映画を鑑賞。ひとり、ふたりと登場人物が死ぬごとに、少しずつ気分が明るくなっていくという、不思議な物語であった。ろくでもない親が死ぬことで、娘たちが自由を手にするからである。うーむ。子に迷惑はかけたくないもんじゃのう、ばあさんや。ほとんど音楽のない、淡々とした作品。デンマーク人やってくのも楽じゃなさそうだよなぁ。主人公は元フットボーラーの二枚目なのだが、あれをうっかりグロンケアにやらせていたら、ハッピーエンドにはならなかったに違いない、と、およそどうでもいい感想を抱いてしまうのだからサッカーファンはバカである。エンドクレジットを「ロール」にせず、スタッフの名前を手書きした紙を次々に放り投げて重ねていく手法がおしゃれだった。何事も、締めくくりが大切だ。単行本の原稿も、終章の着地さえうまく決めれば、途中どんなに進行が遅れ(以下略)。

 来週はちょいと休暇を取るので、次回の更新は29日以降になるのだ。







1.Time Was
2.Sometime World
3.Blowin' Free
4.The King Will Come
5.Leaf & Stream
6.Warrior
7.Throw Down The Sword
8.Jail Bait *
9.The Pilgrim *
10.Phoenix *


2005.07.21.Thu. 13 : 40 p.m.
BGM : Argus(百眼の巨人アーガス) / Wishbone Ash


 ダース・ベイダーではなく、アーガスなのである。アーガスはギリシャ神話に登場する巨人で、目が百個あるらしい。目が百個というと、わが国ではこんなふうになったりあんなふうになったりするのであって、つまりそれは「妖怪」なのだが、同じ身体的特徴を持つ者がギリシャでは「有能な見張り番」になるのだった。発想というのは洋の東西でずいぶん違うものだ。ギリシャのほうが実用的。そういえば代表チームのサッカーもまた実用一点張りだったような気がするが、しかしアーガスさん、その格好で見張り番が務まるのでしょうか。からだじゅうにある百個の目が台無しだ。ヒプノシス的には裸じゃまずかったのかもしれんが、マントを脱げマントを。……と思って調べてみたら、こんなアーガスもあった。蛭子能収画伯の作品ではありません。相似形的に描かれたヒゲと剣と獣の角と左端の葉っぱ(?)と男根の尖り具合が、画面全体にスピード感や緊迫感を与えている面白い絵だ。でも、アーガス弱そう。そして、キモチ悪い。マント着てください。

 ゆうべは、WOWOWで放送していた『ぼくセザール 10歳半 1m39cm』という映画を鑑賞。簡単に言うと、親にナイショで冒険の旅に出かけた3人の小学生がひとつ大人になって帰ってくるというオハナシである。簡単すぎましたか。要は「かわいい子には旅をさせろ」という古典的教訓だが、我が家的には主人公が「運動神経の鈍い小太りの小学生」というだけでなぜかグッときてしまうところもあったりして、おもしろかった。「はじめての勃起」とか、正視に耐えないところもあったけど。わーお。

 降り始めた雨に黒い傘が次々と開いていく様子を上から撮った、冒頭の葬式シーンが秀逸。先月オペラシティで鑑賞した『緑いろの個展』というコンサートもそうだったが、何事も「ツカミ」が大切である。この制作者なら身を委ねても安心だよね、という受け手の信頼感を得られるかどうかが勝負だ。単行本の原稿も、序章で編集者の信頼を勝ち取ってしまえば、あとはいくらか手を抜(以下略)。

 それはともかく、子供というのは親に隠れていろんなことをしやがるのである。しかしまあ現実には、そんなもの親はほとんどお見通しなのであって、たとえば私の親も、高校生の息子が部屋で煙草吸ってるのを知ってて黙ってたに違いないよなぁ。いくら吸い殻を空き缶に入れて引き出しの奥に隠してたって、臭いでわかるもんなぁ。などと妙に恥じ入りながら観た映画だった。ちなみに愚妻の場合、母親に「あんた、火の始末だけはちゃんとしなさいよ」と藪から棒に言われたことがあるらしい。いずれセガレの喫煙を察知したとき、私はどうするだろう。「父さんは大学入試までの半年間、禁煙してたぞ」と正直に言うべきだろうか、どうだろうか。

 そうなのだ。文学部の入試が終わった日の夕刻、帰宅する前に友人と入った喫茶店で口にしたマイルドセブンは、ほんとうに旨かった。はじめて煙草が「旨い」と感じたのは、あのときだったかもしれない。受験生の息子がそんな「旅」をしていたことまでは、さすがに私の親も知らないだろう。セガレはこれから、どんな旅をするんだろうなぁ。その一部始終を陰からこっそり見張っていたいような衝動にも駆られるが、それは百眼のアーガスにも無理なこと。







1.Introduction
2.Honky Tonk Woman
3.Introduction
4.Sticks And Stones
5.Cry Me A River
6.Bird On A Wire
7.Feelin' Alright
8.Superstar
9.Introduction
10.Let's Go Get Stoned
11.Blue Medley: I'll Drown In My Own Tears/When Something Is Wrong With My Baby...
12.Introduction
13.Girl From The North Country
14.Give Me A Chance
15.Introduction
16.She Came In Thru The Bathroom Window
17.Space Captain
18.The Letter
19.Delta Lady


2005.07.20.Wed. 12 : 40 p.m.
BGM : Mad Dogs & Englishmen / Joe Cocker


 あー。ひさびさに「わしゃ苦手じゃ」と断言したくなる音楽に出会ったのである。苦手なら聴かなきゃいいのだし、わざわざジャケットまで掲げて話題にする必要なんかないようなものなのであって、実際この日誌で取り上げていない「苦手」は少なからずあるのだが、これはなぜか「苦手だ」と言いたい。言い放ちたい。そういうのは、もしかしたら椎名林檎以来かもしれない。ちなみに先日、ロックに耳が馴染んだ今なら椎名林檎も以前とは違って聞こえるかもしれないと思って聴いてみたのだが、やっぱりダメだった。アルバムを最後まで聴いていられないのである。

 この『Mad Dogs & Englishmen』も同様。どうしても最後まで聴いていられない。そこに存在する音楽を楽しめないのは損なので、それはとても悲しいことなのだが、どういうわけか聴いているとイライラしちゃってダメなんである。なぜだろう。ジャンル的には「好物」であるはずだし、おまけに大好きなレオン・ラッセルも参加しているというのに、この音楽の何が私をイライラさせるのであるか。ジョー・コッカーの声か。それとも顔か。あるいはチカラコブか。無駄に汗かいてそうなその存在感全体か。そうかもしれない。だが、私を苛立たせるのはジョー・コッカーだけではないようだ。バックの女性コーラスやホーンセクションも、こんな言い方は本当に申し訳ないと思うのだが、なんだか、汚らしく聞こえてしまうのだった。

 そして、この、リタ・クーリッジの歌う『Superstar』はどういうことだ。いくら何でも、音程ひどすぎないか。ぜんぜん歌えてないじゃないか。Amazonのカスタマーレビューには、「これに比べると後に出た(こちらの方が有名?)カーペンターズのそれは"クソ"ですね」などと書いている輩もいるが、とんでもない話である。どんな聴き方をしたらそんなことが言えるのか、まったく理解できない。クソなのはおまえの耳じゃ。言っておくが耳クソじゃないぞ。耳がクソなんだぞ。おまえにとっては私の耳のほうがクソかもしれないが、私にとってはおまえの耳がクソなのだ。目クソは耳クソを嗤うのだ。いや、それを言うなら目クソと鼻クソなのだ。鼻クソより目クソのほうがマシなのだ。五十歩より百歩のほうが倍もえらいのだ。おまえの耳が鼻クソなら私の耳は目クソなのだ。おまえの耳が目クソなら私の耳は鼻クソなのだ。この場合、耳が鼻クソや目クソであることに論理的な矛盾はないのだ。それは比喩なのだ。ヤナギの下にネコがいるだからネコヤナギなのだ。これでいいのだ。

 と、悪しき相対主義に陥りながら我慢して聴いているうちに、アルバムはトラック16の『She Came In Thru The Bathroom Window』まで進んでいるのだった。最後まで聴き通したことがないので、これもいま初めて耳にしたのであるが、この曲をこんな声でこんなふうに歌う理由が全然わからない。うー。ダメだ。こっちが風呂に入りたくなる。聴いていて風呂に入りたくなる音楽はめずらしい。しかし、それはそれで「成功」なのだろうか。こいつらはそれを狙っているのか。わからないのだ。反対の賛成なのだ。







1. Sky High
2. While You Wait
3. Lost And Found
4. Stop The Show
5. I Thank You
6. Tell Me Why
7. Back Again
8. Call Collect
9. In Between The Loving
10. Mystic Harmony
11. Baby Don't Do It
12. One Step Too Far
13. Looking For Me *
14. No Love Songs *
15. Handle With Care *
16. Love Isn't At Home *
17. We Are Not Alone *
18. I *
19. You Bring Out The Best In Me *
20. Sky High (Main Title) *


2005.07.19.Tue. 11 : 30 a.m.
BGM : Sky High / Jigsaw


ナツはアツいなぁ!


 と、段落ガニが思わず巨大化して二重にボケてしまうような昨今の陽気ですが、皆様いかがお過ごしですか。夏休みも近づいて、高校野球の予選もたけなわである。ためしに変換してみて初めて知ったのだが、「たけなわ」には「酣」「闌」という字があるらしい。高校野球の予選も酣である。高校野球の予選も闌である。どっちにしても、あんまりたけなわな感じがしませんね。それ以前に「たけなわ」がよくわからない。なんだたけなわって。たけなわ。たけなわ。えーと……あっ、たけなわユキヒデ! 

 ゴダイゴじゃなくてジグソーなんである。高校野球の予選といえばスカイハイだ。少なくとも、私が所属していた吹奏楽部ではそうだった。野球部の応援に行くと、必ず演奏していたのである。あれは燃えたね。燃えた燃えた。ほかに「コンバットマーチ」や「ねらい打ち」といった定番も演奏したが、多くの部員がもっともワクワクしていたのは「救急車」だ。味方の打者がデッドボールを食らったとき、全員がユニゾンで「ピーポー、ピーポー」とサイレンになるのである。最初はHとGで「ハーゲー、ハーゲー、ハーゲー」と3回吹き、4回目からは「ベーゲス、ベーゲス、ベーゲス」と半音下げる。ドップラー効果である。残念ながら、3年間で一度しか演奏する機会がなかったが。

 なんてことを思い出したのは、きのう母校が専大付を下して西東京大会のベスト16入りを果たしたからなのだった。それが私と何の関係があるのかよくわからないといえばわからないが、ラツィオやチェルシーと私との関係よりは深いつながりがあると言えよう。次は21日に、準々決勝進出をかけて明大中野八王子との対戦だ。そんな、最寄り駅がどこなのかパッと見ただけでは判然としない学校に負けてたまるか。井の頭線と中央線に遍在してんじゃねえよ。なんで「明大八王子」じゃダメなんだよ。さらにその系列校が東横線の学芸大学とかにできたらどうするんだよ。明大中野八王子学芸大学高等学校って、どんな学校だよ。いい加減にしろよ。

 ひさしぶりに三連休をまともに三連休したような気がするが、その前の金曜日によせばいいのに友人たちと神楽坂で朝まで歌っていたのが尾を引いて、基本的に三日間ともグッタリしていた。もうね、みんな四十過ぎてんだからさ、ほどほどにしたほうがいいよね。師匠もさ、カラオケボックスで深夜に時計見て、「あ、おれ、42歳になった!」とかアピールしてる場合じゃないと思うんだよね。おめでたかったけどさ。前からカラオケに行くたびに探していた『ドント・アンサー・ミー』(アラン・パーソンズ・プロジェクト)と『つゆのあとさき』(さだまさし)が歌えてうれしかったです。

 ベンディング(チョーキング)の練習を始めたので、指先が痛いのである。ギターの弦をぐいっと持ち上げて、半音〜2音ぐらいまで上げる奏法のことだ。これができないとロックギターにならない。リビング・ラビング・メイドのソロも弾けない。しかし痛いので、ここで挫折する者も多いと聞く。たしかに、挫折する者の気持ちもわからなくはないぐらい痛い。でも、負けないぞ。土曜の晩にTBSの『元気の源泉』(『チューボーですよ!』の前にやってる五分番組)を見て、ますます意欲が高まった。ブリキのおもちゃ博物館の館長として有名な北原照久さんが、6年前に51歳でエレキギターを始めて、いまやステージでベンチャーズを余裕で弾きこなすまでになっていることを知ったからだ。もうれつに嫉妬した。50代のオッサンにできたことが、40歳で始めた私にできないはずがない。やってやるぜベイビー。ぎゅいんぎゅい〜ん。青春も酣である。







1.Blitzkrieg Bop
2.Beat on the Brat
3.Judy Is a Punk
4.I Wanna Be Your Boyfriend
5.Chainsaw
6.Now I Wanna Sniff Some Glue
7.I Don't Wanna Go Down to the Basement
8.Loudmouth
9.Havana Affair
10.Listen to My Heart
11.53rd & 3rd
12.Let's Dance
13.I Don't Wanna Walk Around With You
14.Today Your Love, Tomorrow the World


2005.07.15.Fri. 8 : 55 a.m.
BGM : Ramones / Ramones


 フィオーレに続いてパンカロさんまでフィオレンティーナ入りするという悪い冗談のようなニュースを目にしたら、どういうわけかラモーンズを聴きたくなったのだった。「パンク野郎」と「パンカロ」は似ているだろうか、それとも似ていないだろうか。サッカーのBGMといえばハードロックやヘビメタと相場が決まっているが、パンカロさんの場合、この、ギターソロというものがほとんど聴かれない一本調子なジャカジャカサウンドがよく似合う。腹筋を使っているとは思えないボーカルの人を食ったような歌いっぷりも、彼の人を食ったような走りっぷりを想起させるのに十分だ。そこに「力感」はあるのか。どっちも、人を食ってないで、ちゃんとめし食ってからプレイしろよな。

 ああ、それにしてもフィオレンティーナである。あの「走らない二人」を同時に加入させたりして大丈夫なんだろうか。こうなると、その試合がテレビで中継されるよう、中田には残ってもらいたいと思ってしまう私って一体どうなんだろう。パンカロさんの無駄な横パスを受けた中田が、「また俺かよ。俺に戻すのかよ。どうしろって言うんだよ。しかもおまえ、前に走ってないじゃんかよオイ」と困惑するシーンを、早く見てみたい。両人とも、出番があるのかどうか知らないけど。ともあれ、やっと奴から解放されたネスタにはおめでとうと言ってあげたい。ちなみに、きのうのクイズの答えは張本。







1.KAWAJI
2.いろはにこんぺいとう
3.待ちくたびれて
4.ほうろう
5.行け柳田
6.相合傘
7.ぽつん
8.昨日はもう
9.家路
10.やませ(東風)


2005.07.14.Thu. 16 : 45 p.m.
BGM : いろはにこんぺいとう / 矢野顕子


 フィオーレがフィオレンティーナ入りするという寒い駄洒落のようなニュースを目にしたら、どういうわけか、矢野顕子の名曲『行け柳田』が聴きたくなったのだった。そのプレイヤーとしての存在感において、フィオーレと柳田は似ているだろうか、それとも似ていないだろうか。ものすごくどうでもいい話だ。もっとどうでもいいのは、「いろはにこんぺいとう」とはいったい何だということである。「かきくけこんぺいとう」なら、わからなくもない。しかし「いろはに」から「こんぺいとう」へ行ったその勢いというのが、わかるようでわからない。たしかに「ほへと」と「こんぺいとう」はフィオーレと柳田よりは似ているが、だからって、その思いつきから歌をひとつ作らせるほどの衝動が生じるものだろうか。そんなこと言ったら柳田を歌にする衝動だってよくわかんないわけだけど。もしかして「5番柳田」をだしにして、「6番どどどーい、どどどーい、どいどどーい」って歌いたかっただけなんじゃないだろうか。そこに、もっとも強く作り手の衝動を感じる歌。さて、この歌でジャイアンツの3番を打っているのは誰でしょう。  







1.I Don't Want to See the Sights
2.Ignition
3.Page Onev 4.Tremelo Song
5.The End of Everything
6.Subtitle
7.Can't Even Be Bothered
8.Weirdo
9.Chewing Gum Weekend
10.(No One) Not Even the Rain
11. Me. in time


2005.07.13.Wed. 13 : 20 p.m.
BGM : Between 10th and 11th / Charlatans


 シャーラタンズのような90年代の英国ロックは、一般に「ブリティッシュ・ロック」ではなく「UKロック」と呼ばれているようだ。「一般に」といっても、それが「日本では」なのか「全世界的に」なのか「英国以外では」なのか逆に「主に英国では」なのかは知らない。日本人が「歌謡曲」を「J−POP」と呼ぶようになったのと同様に、英国人も「ブリティッシュ・ロック」を「UKロック」と呼ぶようになったのだろうか。そんなことはないような気がするし、それのどこが「同様に」なのかも定かではないが、まあ、とにかく、「ブリティッシュ」ではなく「UK」なのである。

 このあたりが、21世紀に入ってから70年代も90年代も一緒くたに聴いている人間にはよくわからないところだ。生まれた時代の違い以外に、両者のあいだで何が違うのか、私にはわからない。音楽的な違いがあるのかもしれないが、それを言ったら、レッド・ツェッペリンとクイーンだって、音楽的にずいぶん違うのに「ブリティッシュ・ロック」と一括りに語られているわけだし、そもそも「ブリティッシュ」を「UK」に置き換えたところで、そこでは「音楽的な違い」が何も表現されていない。もしかしたら「社会におけるナショナリズムの有り様の変容」みたいなむずかしいリクツで語ることができるのかもしれないが、一方で「ブリット・ロック」なる言葉も「UKロック」と大差ないニュアンスで使われているようだから、それもあまり説得力があるようには思えない。きっと、単に、言葉の「鮮度」の問題なのだ。「いまさらブリティッシュ・ロックなんて古いよ。なんか他にないのかよ」ということで、「UKロック」や「ブリット・ロック」が選択されたのであろう。間違ってたら誰か教えてください。

 さて、ゆうべNHKニュース10を見ていたら、「日本語の乱れ」が報じられていたのである。文化庁だかどこだかの調査を受けてのものだ。番組で主に取り上げられていたのは「慣用句の誤用」と「若者言葉」である。前者については「汚名挽回(本来は汚名返上)」「他山の石」「枯れ木も山の賑わい」などが中年世代でさえ誤用されている!ということが、後者については「やばい」が若者のあいだでは肯定的な意味で使われている!ということが、それぞれショッキングな現状として伝えられ、日本全国から「いまさら何を」という視聴者のツッコミを(たぶん)受けていた。

 まあ、NHKのニュースが「いまさら何を」な話題をお茶の間にお届けするのはいつものことだから、それはべつにいいのだが、私が違和感を抱くのは、この両者がいずれも「間違った日本語」というニュアンスで語られていることだ。「汚名返上」を「汚名挽回」と言うのは論理的に間違っているが、「やばい」のほうは「使用法の変化」であって「誤用」ではない。単語は慣用句と違って論理性とは無縁だ。「yabai」という音にどんな意味を持たせるか、論理的に決められるはずがない。たぶん言語学ではこういうことを「言葉の恣意性」と呼ぶのではないかと思われるが、そういう付け焼き刃の知識を持ち出すと馬脚が出るのでやめておこう。いや、馬脚は「が出る」じゃなくて「を現す」だったか。論理的にはどっちでもいいような気もするが。ともかく「やばい」に関しては、それを肯定的に使うのが新鮮でキモチがいいから広まったのであろう。慣用句の誤用は知性の問題だが、若者言葉のほうはセンスの問題だと言ってもいい。

 で、前者のほうは、たとえば「役不足」のように論理的に間違った使い方が本来の使い方を駆逐せんばかりの勢いで広まってしまうこともあるので積極的に啓蒙すべきだと思うが、後者のほうは、自然淘汰に任せておけばよろしい。それが好きな人のほうが多ければ、たとえば「凄い」も平安時代は恐怖感を表現する言葉だったのが後に肯定的な意味に変化したと国語学者が番組で指摘していたように、「やばい」も肯定的な言葉として定着するだろう。それが嫌いな人のほうが多ければ、「E電」のように消え去るに違いない。いずれにしろ、日本語の現状を問題にするときは、「論理的な誤用」と「感覚的な変化」を峻別して考えたほうがよろしいのではないかと思うのである。

 もう2年ほど前のことになるが、私が『嫌いな日本語』というコラムで「ちげーよ」という若者言葉を取り上げたとき、ウェブサイト上で、「テフテフがチョウチョになったなどの過去の変化を受け入れておきながらチガウヨがチゲーヨになるような目の前の変化を受け入れられないのは老人性変化拒否症である」といったような内容の批判を書いておられる国語研究者らしき方がいた。とてもコラム全文を読んだ上でお書きになったものとは思えなかったので(誌面のプロフィールを見れば昭和39年生まれの私が「老人」でないことぐらいわかりそうなものだ)放っておいたが、どうも私の筆名で検索するといまだにそのページが上位で表示されるようで、つい先日も「こんなこと書いてる人がいますぜ」という告げ口メールを頂戴した。その読者以外にも、見たことのある人は多いかもしれない。

 なので放っておくわけにもいかない感じなのだが、まず、私は「ちげーよ」が「日本語として間違っている」と言いたいのではなく、「私は嫌いだ」と言いたいだけである。なにしろコラムのタイトルが『嫌いな日本語』なのだ。たしかに私は、動詞の名詞形である「違い」を形容詞扱いするのは間違っていると書いたが、それが「嫌いだから駆逐したい」という目的を達するための屁理屈みたいなものだということは、ふつうの読解力を持っている人間には伝わるはずである。それに、生まれる前の変化は受け入れられても、自分が使っている言葉の変化は受け入れられないというのは、至極まっとうな常識的感覚であろう。平安時代(かどうか知らないがとにかく大昔)の変化は、昭和生まれの私にとって変化ではない。いまになって「チョウチョは本来のテフテフに戻すべきだ!」と主張する者がいたとしたら、そいつの頭のほうがどうかしている。

 ともあれ、私は「ちげーよ」という物言いが嫌いだし、それに新鮮な魅力を感じて使いたがる人のセンスにも共感できない。一方で「やばい」を肯定的に使うことには何の抵抗感も抱かない(無論、それが単純な肯定ではなく、背後に否定的な意味合いを含んだ複雑かつあんがい知的な表現であることも承知している)のだから、これは単に感覚的なものだ。じっさい、シャーラタンズは、ワタシ的に、かなりやばい。そうやって、われわれが好き嫌いに応じて言葉を使い分けることが、生物を進化させる環境変化と同じような役割を果たして、言葉を進化させていくのである。きっと奈良時代や平安時代にも、「やっぱヘンだよ」が多数派となって葬り去られた新語や若者言葉はあったはずだ。私は国語学者ではなく、日本語を商売道具にしている人間なので、その進化を高みから見物しようとは思わない。言葉の進化を左右する環境の一部として、好きな言葉が生き残り、嫌いな言葉が淘汰されるように悪あがきするだけのことである。だって、自分の書いた文章が、孫や曾孫の世代にも、今と同じニュアンスで読んでもらえたほうが、嬉しいじゃないですか。それが日本語に対する日本人の当事者意識というものだ。そしてワタシ的には、どっちかっていうと「ブリティッシュ・ロック」って言いたい。ビミョーなとこだけどね。  







1.Smells Like Teen Spirit
2.In Bloom
3.Come As You Are
4.Breed
5.Lithium
6.Polly
7.Territorial Pissings
8.Drain You
9.Lounge Act
10.Stay Away
11.On A Plain
12.Something In The Way


2005.07.12.Tue. 13 : 05 p.m.
BGM : Nevermind / Nirvana


 こだわるようだが、中学時代の私が下校途中に耳にした「昏い熱気を帯びた汗臭いサウンド」は、実のところ、ゴダイゴよりもむしろニルヴァーナに近いのだった。ということに、さっき気づいた。近いというより、あれはニルヴァーナだったのかもしれないとさえ思う。いや、ニルヴァーナだったとしか思えない。まさにこれだよ、私があのとき聴いたのは。だが、私が中学生だった1977年4月から1980年3月のあいだに、ニルヴァーナはこの世に存在しなかったことになっている。60年代の英国にも同名のバンドがあったようだが、このニルヴァーナはそのニルヴァーナではなく、米国のニルヴァーナだ。そのニルヴァーナがシアトルで活動を開始したのは1987年のことであるらしい。私が大学を出て就職した年だ。おっかしいなぁ。そんなこと言っちゃって、ホントはその10年前からあったんじゃないの? 照れてないで、あったならあったって言えよ。……ないか。ないよなぁ。でも、こういうサウンドはあったよ。絶対あった。だって、おれ、聴いたもん。これとおんなじだったもん。いやぁ、懐かしいぞニルヴァーナ。懐かしがり方が間違っているかもしれないが、私にとってはそういうふうに懐かしいんだから仕方ないよ。きっと、リアルタイムでニルヴァーナを聴いた同世代の人たちも、最初から懐かしかったはずだ。そんなことないのか。どうなんだそのへんのところは。

 けさ、テレビ朝日のワイドショーを見ていて気になったのは、西宮市で65歳の女性が59歳の女性を蹴って死なせたという事件である。容疑者の人物像を記者に訊かれた近隣の住民が、口を揃えて「いつもフランス人形みたいな洋服を着ていた」と答えているのが奇妙だった。いまどき、何かを見て「フランス人形」を思い出すことはめったにない。「フランス人形」という言葉自体、ものすごく久しぶりに聞いた。なかば死語化していると言ってもよかろう。記者に質問されて、とっさに出てくる言葉ではない。そんな言葉が複数の住民の口から出てきたということは、それが近隣住民のあいだで日常的に使用されていたということだと思う。そういう印象を受けた。つまり、「あの人はいつもフランス人形みたいな洋服を着ている」がその地域における定評になっていたわけだ。

 しかし、それにしたって、「フランス人形みたい」という比喩には唐突感がある。「とても面倒見のいい人だった」という被害者側の定評と違って、自然と生まれて定着するような表現ではない。おそらく、誰かが最初に思いついて口にしたときも、「ちょっとおかしみのある表現」だったのではないか。土地が土地だけに、漫才師風に「フランス人形てキミ」とツッコミを入れる者もいたかもしれない。だからこそ、みんなが面白がって口にしているうちに、その認識が地域で広く共有されるようになった。そんなところだろう。

 ところが、その「ちょっとおかしみのある表現」が、時間が経つにつれて当たり前の紋切り型になっていった。そうでなければ、人が死んだ事件の直後に、記者の取材に対して真顔で「フランス人形みたいな洋服を着ていた」などと答えられないのではなかろうか。それはあくまでも「陰口」なのだから、オフィシャルなコメントにはふさわしくない。したがって、まだそれが「ちょっとおかしみのある表現」だと認識されている時期なら、たとえば「お人形さんみたいなかわいらしい洋服」といった別の表現になっただろう。記者に「フランス人形てキミ」とつっこまれるのは、誰だって避けたいと思うはずだ。

 べつに、「フランス人形みたい」が不謹慎だなどと言いたいわけではないのである。死語が誰かの思いつきによってリフレッシュされて復活し、再び手垢にまみれて鮮度を落としていった様子を勝手に想像し、おもしろいなぁと思ったのでメモしてみただけのことだ。言葉の輝きというのは、じつに儚い。「ハードロック」あるいは「ロック」という言葉はどうだろうか。鮮度を失った言葉を使ってコミュニケーションを図るのは、むずかしい。安易に使えるからこそ、むずかしい。ハードロックてキミ。







1.時の落し子
2.イン・ザ・シティ
3.サムの息子
4.デッド・エンド
〜ラヴ・フラワーズ・プロフェシー
5.ラスト・アワー
6.パニック~イメージ
7.アンダー・アンダーグラウンド
8.孤独な面影
9.血塗られた街
10.御国(みくに)


2005.07.11.Mon. 13 : 25 p.m.
BGM : Dead End / Godiego


 やはり、世にAmazonのカスタマーレビューほどアテにならないものは少ないのだった。詳しい成り行きは7月5日と6日の日誌を参照してもらうとして、ともかくそんな次第でゴダイゴの『Dead End』を買ったわけだが、これのどこが「70年代初めに流行していたハードロックのサウンド」なのか、私にはさっぱりわからんですたい。どすこいどすこい。だって、のっけからストリングスをバックにタケカワユキヒデがしっとりしたバラードを歌い上げたりしているじゃないか。ハードロックどころか、ロックですらないじゃないか。「ハードロックのサウンド」を感じさせるのは、約36分のアルバムのなかでほんの4分ぐらいのものだろうか。このアルバムが「ハードロック作品」だとしたら、デラニー&ボニー&フレンズの『On Tour with Eric Clapton』だって、レオン・ラッセルの『Carney』だって、ビートルズの『Across The Univers』だって、スティーリー・ダンの『Gaucho』だって、みんな「ハードロック」だと思うぞ。もしかしたらサイモン&ガーファンクルの『Mrs.Robinson』も「ハードロック」かもしれない。『Scarborough Fair』でさえ「あんまりハードロックっぽくないよね」ぐらいのものであろう。以前、高橋ユキヒロの『音楽殺人』を私の母親が「ジャズ」だと思って聴いていたということを書いた記憶があるが、これを「ハードロック」と評するのも、それに近いものがあると言ったら言い過ぎだろうか。ちょっと言い過ぎだ。ちょっとだけね。

 で、そんなことはともかくとして、中学時代の私が下校途中に他人の家の窓越しに耳にした曲がこのなかにあるかというと、これが、まあ、よくわからないのだった。あるような気もするし、ないような気もする。「聴けばわかる自信がある」などと前に書いたが、28年の歳月をナメてはいけない。もしかしたら9曲目の『血塗られた街』という(このアルバム唯一の)ハードロック・ナンバーがそうかもしれないが、なんか違う。私が聴いたのは、もっと昏い熱気を帯びた汗臭いサウンドだった。ゴダイゴじゃなかったのかもしれない。だいたい、それをゴダイゴだと思った理由がよくわからないしな。考えてみれば、ゴダイゴがブレイクする前に、ゴダイゴのサウンドを私が聴き分けられるはずがないのだ。どこかで記憶が混濁しているに違いない。

 しかし、「ハードロックのサウンド」でもなく、思い出の曲が入っているのかどうかもよくわからないこのアルバムを買って私が損をしたかというと、まったくそんなことはないのだった。歌詞は英語なので私にはよくわからない(少しはわかる)けれど、それでも言いたいことはわかるような気にさせるだけの一貫性を持った、かなり聴かせるアルバムだ。そうかそうか、「デッド・エンド」だったんだよな、うんうん、そのキモチはわかるぜベイビー、といったような感じかしら。なんとなく、中学生時代に誰もが抱くであろう種類の甘酸っぱいニヒリズムのようなものを思い出したりするのは、このアルバムを手にするまでの経緯に起因する先入観によるものかもしれないが、まあ、どこか切ない音楽であることは間違いない。ラストの『御国』という曲などは感動的ですらある。

 おおっぴらに宣伝できる執筆物が少ないし、いつまでも3年前の自著を宣伝しているのもみっともないので、新シーズンから右側のカコミ部分を撤去していたのだが、どうやらデカいディスプレイで見ると間抜けなレイアウトになるらしく、友人に「前のほうがいい」と言われたので……というだけが理由ではないのだが、まあ、賑やかしの意味も含めて、きょうから右側を<友人知人が送ってくれた出版物を御礼代わりに宣伝しちゃいましょうのコーナー>にしてみた。ライターのところには、自分が仕事で関与していない出版物もたくさん届く(むろん関与したものも届く)のだが、いちいち御礼を言うこともなく、いつも貰いっぱなしで申し訳ないという思いがあるのである。なので、他意はない。建前上は、ない。「木は森に隠せ」などと考えているとも考えていないとも言わない。あくまでも「編集を担当した知り合いが送ってくれた出版物」という括りである。どうも、みなさん、お疲れさまでございます、ということが言いたいのだと思っていただければよろしい。





1.Dancing With The Moonlit Knight
2.I Know What I Like (In Your Wardrobe)
3.Firth Of Fifth
4.More Fool Me
5.The Battle Of Epping Forest
6.After The Ordeal
7.The Cinema Show
8.Aisle Of Plenty


2005.07.08.Fri. 11 : 10 a.m.
BGM : Selling England By The Pound / Genesis


「ひょええ〜っ」

 と、ひさびさ登場の段落ガニ(そういう名前なのだ)が思わず巨大化してしまうほどの激痛だった。きのう、朝8時半から平均時速1500字で突っ走って18時半に祥伝社の単行本を脱稿後、ぐったりして家に帰って、ビール飲んで、めし食って、マーク・ベノの『雑魚』を聴きながら茶の間でゴロゴロしていたとき、ちょっと姿勢を変えた瞬間に、左脚のふくらはぎが「ピキ〜〜〜ン!」という金属音を立てて攣(つ)ったのである。金属音はもちろんウソだが、そんな感じ。悶絶した。まったく、衰弱しきった肉体ってやつは、何をしでかしやがるかわかったもんじゃない。いくら突っ走ったとはいっても当然それは比喩なのであって、実際には椅子に座って原稿を書きまくっていただけなのに、なんで脚が攣るのだ。人体は、時速1500字で原稿を書くと、カルシウムやマグネシウムをやたらと消費するようにできているのだろうか。とにかく、もんのすげえ痛かったんだよ。階下で寝てたセガレが二階に上がってきて、「ど、どうしたの?」と心配したのも無理はないほどの悲鳴をお父さんは上げてしまったんだよ。ひょええ〜っ、だよ。それから12時間ぐらい経つのに、まだ痛いのだ。脚を引きずって歩いているのだ。ひょっとして、ニクバしちゃったんだろうか。前回の脱稿後は発熱やら水疱瘡やらで内科と皮膚科の世話になったが、こんどは外科か? しかし養生している暇はないのだった。きょうもひとつ〆切があるし、一週間前に資料を受け取ったまま放置していた仕事にも、すぐさま着手しないといけません。本を丸ごと書くわけではないので大した量ではないが、なにやら細かい仕事がアレコレとある。25日から家族と三泊四日で海に行くので、絶対それまでに片づけないとな。……ん? おれ、海で泳ぐの? だいじょうぶなのか、ふくらはぎ。




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