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2005.09.08.Thu. 10 : 35 a.m. BGM : Maxophone(生命の故郷) / Maxophone
紙面の違和感なら、それ挟んでる朝刊のほうがはるかに上じゃ。おまえに言われたくないわ。というわけで、もうメチャクチャな感じ。だから朝日新聞はやめられない。
おまえに言われたくないといえば、ゆうべはホンジュラスの監督に「日本はもっと守りをしっかりやったほうがいい」とか何とか言われたらしいが、日本×ホンジュラス(国際親善試合)は、破れたザルで汲んだ水をバシャバシャかけ合っているような展開で5-4。前半は、ホンジュラスが「いつもより余計に回っておりま〜す」と言わんばかりに繰り広げる「くるくるサッカー」に翻弄されてどうなることかと思ったものの、わっしょいわっしょいとゴールを積み重ねて大逆転だ。おめでとうございまぁ〜す。3バックだと得点が増えず、4バックだと失点が減らないということであれば、次に打つ手は簡単である。12人使って5−4−2のシステムにすればよい。
一転して、きょうはイタリアのプログレ。マクソフォーネ(Maxophone)というバンド名は、「最大(max)」と「サクソフォン(saxophone)」を合体させた造語だろうか、どうだろうか。サックスのみならず、フルート、クラリネット、フレンチホルン、トロンボーンなどの管楽器奏者が、サポートではなく正式メンバーとして入っているのが彼らのユニークなところである。デビューは75年。PFMの路線を生真面目に継承して様式化するとこうなる、という感じですかね。とても上手いし曲やアレンジは美しいし全体の完成度もきわめて高いように思うが、どうもハジケるものがなくて欲求不満が残る。下水を逆流させるようなパンチ力と不良性があれば完璧なんだけどなぁ。イタリアン・プログレ界の優等生、というところだろうか。楽器編成から来る先入観のせいかもしれないが、なんとなくブラバン的クソ真面目を感じてゲンナリしてしまう部分もないではない。自分もブラバン出身のくせに「ブラバン的」が苦手な私。
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2005.09.07.Wed. 10 : 40 a.m. BGM : Coses Nostres / Iceberg
Icebergは、75年にデビューしたバルセロナ出身のグループだ。当初はボーカルが入っていたらしいが、このセカンドアルバム『Coses Nostres』(「コーザ・ノストラ」と何か関係があるのだろうか)は、全編インスト。すっばらしくカッチョイイ。このあいだバスク出身のプログレバンドを聴いたが、Icebergとの地力の差は、ビルバオやソシエダとバルサの差よりもはるかに大きい。一聴して、アル・ディ・メオラ含みのリターン・トゥ・フォーエヴァーみたいだなぁと思ったら、やはり両者を対比して語っている記述があちこちにあった。アル・ディ・メオラが参加した『銀河の輝映』が74年、『Coses Nostres』が76年の作品だから、IcebergがRTFを目標にしてがんばった可能性は十分にある。私はRTFをロックの一種として聴いたことがなかったので、これもあまり「ロック」だと思えない。脳内レコード店・江戸川名曲堂では、何の迷いもなく「クロスオーバー」もしくは「フュージョン」の棚に置かれる音楽だ。 Joaquim "Max" Sunyerというギタリストは、かなりの凄腕。速弾きのフレージングが時折やや滑らかさを欠くきらいがあり、それが「あえてスタッカート感のあるユニークな速弾きを目指した志の高さ」なのか「技術的な問題」なのか微妙なところではあるが、いずれにしろ、強烈な存在感を持っていることは間違いない。そのホアキン君とキーボードのJosep Mas "Kitflus"がくんずほぐれつするアクロバティックな絡み合いが、このバンド最大の聴き所であろう。曲の構成なども実にドラマチックで、聴かせる。アルバムを5枚出しているらしいが、ぜんぶ欲しいぞ。それにしても、セカイにはいろんなプログレが存在するものだ。スペインも侮れないことがよくわかったが、これはまだまだ、それこそ「氷山の一角」であるに違いない。
ゆうべは、グルジア×ウクライナ(W杯欧州予選)をビデオ観戦。前半に先制したものの、後半にセットプレイで追いつかれて1-1のドローに終わったウクライナだが、その後トルコがデンマークと引き分けてくれた結果、無観客試合でドイツ行きを決めた2つめのチームになった。フィールドで歓喜を爆発させるシェフチェンコが見られなくて残念。しかし、過去2回プレーオフで涙を飲んでいるのだから実力的には当然の出場とはいえ、「W杯にウクライナ」って何だかヘンな感じ。どうも、こう、ジャンルが違うっつうか、なんつうか、「パ・リーグに楽天」と似た感触がある。まあ、すぐ慣れるんでしょうけど。名前を忘れてしまったが、4番をつけた中盤の長髪クンはなかなかのプレイヤーだった。往年のベルガー(元リバプール)を思わせる強烈なロングシュート力が印象的。けっこう男前なので、日本と同組になったりしたら人気出るかも。ところで、ウクライナにプログレは存在するだろうか、どうだろうか。
などと書いていたら、たった今、某S社S氏から電話。最近ゴーストした本の重版通知。3000部。おお。すばらしい。これで今年は重版打率が6割だ。近年にないハイ・アベレージ。もしかして、ほんとうにキてるのか出版界。トンネル抜けたのか。なーんて、そう簡単に抜けないよな。十数年前、打率7割を超えていた頃は初版部数も今の1.5倍はあったもんな。ともあれ、本を買ってくれる人がいるのはありがたい。私はCDばかり買っているが、みんなはどんどん本屋さんに足を運んでほしい。
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2005.09.06.Tue. 12 : 00 p.m. BGM : Todas sus grabaciones para Discos Epic (1979-1983) / Alameda
ともあれ、きのうは自分たちのことで頭がいっぱいだったが、その後の報道を見ると、同じ杉並区内のうちからそう遠くない地域では1階の天井まで浸水した家もあるようで、えらいことである。大学の先輩が善福寺川の近くに住んでいるのだが、大丈夫だっただろうか。被害の様子を見ると、杉並区の打った手が「グッジョブ」だったのかどうか、すぐには判断できないですね。うちで下水の逆流が止まった時間帯も川沿いの地域は増水が続いていたようだから、あれは杉並区のおかげではなかった可能性が高い。単に、下水道に詰まっていたゴミが水圧で一気にガボッと押し流されて除去されたのかもしれず(実際そんな感じの急激な引き方だった)、だとしたら、ちゃんと下水道の掃除しといてよ杉並区ぅ〜、という話である。 今回の騒動で思ったのは、人間は被害が拡大するにつれて鈍感になっていく、ということ。最初はサッシの雨漏りが「平穏な日常を揺るがす大トラブル」のように感じられて大騒ぎしたが、下水の逆流が始まったときには、雨漏りのことなんかどうでもよくなっていた。さらに「1階が水浸し」が想定される状況になると、「洗面所が水浸し」はもう平気。まあ、要は「慣れる」ということで、当たり前といえば当たり前の成り行きではあるものの、いきなり寝たきり状態になるとショックだが徐々に老化が進んで寝たきりになるとそれを当たり前に受け入れられる(経験したことはないがそういうものらしい)のとちょっと似ている。「日常性」というのは実に相対的なもんであるなぁ。ああ、だから「茹でガエル」は逃げ出すタイミングを逸して死んでしまうわけか。国も、徐々に滅んでいくと、滅んでいるような気がしないに違いない。
いま聴いているのは、アラメダというアンダルシア出身のバンドが79年から83年までに録音した4枚のアルバム全曲を2CDに編集したもの。例によって、よく知らないまま買ってみた。アラメダの音楽は一般に「フラメンコ・ロック」などと称されることもあるようだが、私の耳にはあまり「ロック」な感じはせず、聴いていて即座に思い出すのは、これが録音されたのと同じ時代に親しんでいた日本のラテン・フュージョン(!)なのだった。アコギの音を聴くとふと宮野弘紀の名前を思い出してしまったりするような、そんな感じ。向井滋春がソロ吹いたらめちゃくちゃハマりそう。あと、長谷川きよしが79年にスペイン各地の屋外で録音した『遠く離れたおまえに』というアルバムのことも思い出した。未知の世界を探検していたつもりだったのが、何かの拍子によく見知った懐かしい街並みに遭遇したような気分。それは、とても良い気分。
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2005.09.05.Mon. 12 : 20 p.m. BGM : High Land, Hard Rain / Aztec Camera
雨漏りを食い止めてから、雷ビカビカ雨ザーザーの表に出てみると、マンションの前の道路にはすでに20センチぐらい水が溜まっていた。うちのあたりは周辺地域のなかでもいちばんの低地なので、坂道を下って雨水がどんどん押し寄せてくるようだ。いま聴いているのは High Land, Hard Rain だが、こっちは Low Land, Hard Rain なのである。 やがて、川と化した道路の水面を、白っぽい物体が数個、どんぶらこ〜どんぶらこ〜と流れてきた。よく見ると、あれは何というのか、車庫の入り口をスロープ状にするために並べておくステップみたいなアレである。立派な車庫をお持ちの近所の邸宅から流れてきたのだ。ジャブジャブと「川」を渡ってその家の人に事態を知らせ、流れていくソレを追いかけて拾い集めた。アレが意外に軽い素材で作られていることを知った。あんなに軽いのにクルマの重量に耐えられるなんてすごい。 ソレを持ち主に届けてから家の中に戻ると、よそのうちを助けている場合ではなかった。またまたセガレが「大変だよ! トイレの水が溢れそうだよ!」と異変を察知。見ると、便器が水でいっぱいになり、ゴボゴボとイヤな音を立てている。「もしや」と思って風呂場に急行すると、こちらもゴボゴボ。排水口から雨水が逆流して、洗い場に溜まっていた。トイレのほうは溢れる寸前で止まっていたが、風呂場のほうは相当な勢いで水が増えている。溢れ出して洗面所から廊下まで水浸しになるのは、時間の問題と思われた。 どうしたらいいかわからず、杉並区の水道局に電話してみたものの、当然ながら延々と話し中。とりあえず、セガレと二人で洗い場の水をバケツですくい、湯舟に溜めた。われながら「ナイス作戦!」と思ったが、湯舟が満タンになっても水の勢いは止まらない。もう汲み出すのは無理なので、浴室からの流出を防ぐ手段を考える。浴室のドアというのは、どうして、下のほうに排気口が空いているんだろう。防水はちゃんとしているから、排気口が上にあればドアを閉めるだけで水を中に閉じこめられるのに。 愚妻が雑巾やらビニール袋やらをドアの排気口に詰め込むと、かなり流出の勢いは弱まった。しかし隙間から水がじわじわ溢れてきて、洗面所は水浸し。洗濯機用の排水口からも水が逆流している。なんとか廊下への浸水だけは食い止めようと、古い布団やら毛布やら何やらを盛大に持ってきて、洗面所と廊下の間に堤防を築いた。あらゆる物が、みるみるうちに水を含んでグッショリとなっていく。
妻「この大きいビニール袋に濡れた毛布を入れてドゾウみたいにしよう!」 とかなんとか、そりゃあもう大騒ぎである。どうにかして、家の中にある物を使って浴室のドアの排気口を完全にふさぐことはできないものかと全力で考えたが、いいアイデアは浮かばない。宇宙船内の物品で壊れた部品を作る方法を検討しているヒューストンからの指示を待つ、アポロ13号の乗組員のような気分だった−−という比喩は米国人を怒らせるだろうか。だったら謝る。すまん。 土嚢作戦は一定の効果を上げていたが、水はいくらか廊下のほうにも流出してきた。さいわいトイレの水は溢れてこないが、雨の勢いは変わらない。もう、1階が水浸しになることを前提にして行動したほうがいい。濡れては困る物を2階に運び上げ、茶の間で3人が寝られるように準備した。コーフンしたセガレは、「なんかキャンプみたいだ!」とわけのわからないことを口走っていた。トイレが使用不能のために外で用を足したりもさせていたので、まあ、コーフンするなというほうが無理だろう。 汗まみれになりながら思いつくだけの対策をやり終え、「あとは運を天に委ねるのみ」とグッタリ放心。すると、あれは11時すぎだったか、便器の水位が急速に下がり始めた。やがて、浴室からの浸水もストップ。1階の廊下はほんの一部が濡れただけで済んだ。NHKのニュースを見たら、善福寺川や神田川が溢れたらしく、杉並区が何か手を打ったらしい。杉並区、グッジョブ。それにしても、早めに下水の逆流に気づかなかったら、湯舟一杯分の水が溢れていたわけで、1階は水浸しになっていたことだろう。トイレの異変を教えてくれたセガレも、グッジョブ。お手柄である。みんな、よく頑張った。家族のアルバムを持って逃げ出すようなことにならなくてよかった。
しかし雨は相変わらず強く降っていたし、またいつ下水の逆流が始まるかわからなかったので、一家三人、そのまま2階の茶の間に敷いた布団で就寝。状況が状況だけに、「川の字」という比喩はあまり使いたくない。セガレは寝る前に、「あーあ。1日に2回も防災訓練することになるとは思わなかったよ」と呟いた。いやいや、これは訓練ではない。くり返す。これは訓練ではない。
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2005.09.04.Sun. 11 : 15 a.m. BGM : In Search Of The Lost Chord / The Moody Blues
それはともかく、セガレは防災訓練について「暑いのにまた校長先生のお話かー」とウンザリした顔をしていた。訓練終了後に校庭に整列して訓話みたいなもんを聞かされるということだろう。「本番」でやらないことは訓練時にもやる必要がない(むしろやらないほうがよい)と思うので、「そうだよなー。あの校長先生、いつも何が言いたいのか意味わかんないしなー」と同調してしまったのだが、「そんなこと言わないで先生のお話は真面目に聞きなさい」と諭すべきだっただろうか。子供に対するホンネとタテマエの使い分けはむずかしい。基本的に家庭内はホンネの世界にしたいし、セガレには批判精神ってやつを身につけてほしいと思っているけれど、私はふだんからセガレの前で教師批判をしすぎているかもしれない。自分は子供のとき、親の口から教師批判なんか聞いたことないもんな。それでも教師を批判する人間は育つのだった。
ゆうべは、ウェールズ×イングランド(W杯欧州予選)を半ば居眠りしながらライブ観戦。ショーンライトフィリップスのクロスをジョー・コールが決めて0-1という、チェルシーファンを喜ばせる結果である。でも本当のところ、得点を決めるまでのジョー・コールはチームのブレーキになっていた感じ。ベッカムのスーパーなクロスをヘッドで外したシーンが哀しかった。でも、しょうがないよね。あんな見事なクロス、見たことないもんね。関係ないが、「ショーンライトフィリップス」って煙草の銘柄みたい。
けさ後半だけ観戦したスコットランド×イタリア(W杯欧州予選)は1-1のドロー。ビエリのダメっぷりは、いつ見ても微笑ましい。トッティのクロスを決め損ねたときは、やはり体が伸びきっていた。びよよ〜ん。イタリアのゴールマウスに立ちはだかるペルッツィの姿を見て感動。今季はじめて動いているところを見たラツィオの選手。
ムーディ・ブルースは、「ややこしいサイモンとガーファンクル」という印象。サイモンとガーファンクルがボーカルを担当しても、さほど大きな問題はなさそう。
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2005.09.03.Sat. 12 : 35 p.m. BGM : Seventh Sojourn / The Moody Blues
しかし、これはGuestbookにも書いたけれど、それでもこの比喩表現に対して私が抱く違和感と憤懣にはあまり変化がないのだった。仮にこの比喩が「上空から見た風景」を正確に描写するものだった(おそらくは大半を占めていたであろう米国の報道陣および米国民にはもっとも理解しやすいものだった)としても、60年前に米国が広島に与えた被害が家屋を完全に無くしただけのものではない大虐殺行為だったという認識があったら、たとえ内心で「ヒロシマ」を連想したにせよ、それを報道陣の前で口に出すことができるだろうか、と思うんですね。もちろん、知事が思わず「ヒロシマ」を口にしてしまうほど甚大な被害を受けた現地の人々のことは心から気の毒に思うし、その意味では私自身もこの比喩表現によって現状を認識させられたと言えるわけなんだけど、でもやっぱり不愉快だ。さらに今朝は、ブッシュ大統領が「メキシコ湾岸全体が、想像もできないような最悪の兵器によって消されたようだ」と語ったという報道も目にした。どうして、いちいち核攻撃を連想させるような言葉が出てくるんだろう。9.11ショックで刷り込まれた恐怖感のなせる業なのかもしれないが、あまり健康な言語感覚とは思えない。その言葉を支えているであろう世界観も。
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2005.09.02.Fri. 11 : 10 a.m. BGM : The Complete Recordings / Robert Johnson
ゆうべ、スカパー!で録画しておいたセリエAダイジェストを観た。どうでもいい試合のハイライトシーンを我慢しながら、ラツィオ戦を待った。いちばん最後だった。その前のフィオレンティーナ戦と同様、いきなり文字で結果が表示された。映像はなかった。なんだよー。ハイライトも観られないのかよー。ふざけんなよー。ぷららとかいうところが放映権を手に入れたというのは何となく知ってはいたけど、こういうことだったのかー。ぷららって何だよー。ぜんぜん意味わかんねえよー。ラツィオ主催試合の権利なんか買って、いったいどんな得があるっていうんだよー。あ、おまえナニ買ってんの〜、バカじゃネイノ〜、ってネイノーさんに言われちゃうぞぉ。
バカといえば『バカの壁』である。2万部増刷で400万部突破。まだそんなに売れてんのかよ〜、バカじゃネイノ〜。いや、だからバカだよバカ。バカの壁だよ。きのう、ゴーストした本の重版決定ではしゃいだばかりだが、同じくらいの時期に刊行されて「まだ売れている」という意味では同じではあるものの、あまりにもスケールが違いすぎてアゴが外れそう。そらヨダレも垂れ流しになるっつうの。初版で2万部刷る本さえ滅多にないというのに、一度の増刷で2万部かよ。こっちは3000部の重版で欣喜雀躍だ。しかし79刷で400万部ということは、1回平均5万部ぐらい刷ってるわけですね。わーお。重版1回分がすでにベストセラー1冊分の規模。太陽の表面で発生するプロミネンスの大きさは地球の10倍ぐらいある、という話を思い出したりする。それにしても、この国の草の根はみんなで同じ本ばかり読んでいるのだった。それこそがバカの壁なんじゃネイノ〜。
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