深川峻太郎の江戸川春太郎日誌
2006 FIFA WORLD CUP SPECIAL #04 



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1.消滅した世界
2.忘却の彼方へ
3.静寂なる響き
4.目覚め…そして再び夢の中
5.貴女への熱き想い
6.君に捧げる歌
7.ヨハン・セバスチャン・バッハ
8.スコットランド・マシン
9.独房503号室
10.汚れた1760年
11.電波障害
12.絢爛豪華な部屋
13.終焉のフーガ

平成十八年七月十日(月) 午後一時四十分
BGM : 汚染された世界 / ロヴェッジョ・デッラ・メダーリャ(イタリア)

 今日この時間にそんな話をしている場合ではないような気もするが、大相撲名古屋場所初日は波乱の幕開けとなった。大関返り咲きを狙う雅山と横綱昇進を目指す白鵬がいずれも黒星スタート。フランスの敗戦で始まった日韓ワールドカップのようなズッコケ感である。仕事で相撲通の著者からいろいろな話を聞いて興味が復活し、久しぶりに気合いを入れて見始めた矢先のことなので、なんだか肩透かしを食らったような感じ。期待の新小結・稀勢の里も朝青龍にコテンパンにされてたし。それにしても朝青龍の立ち合いは凄まじいスピードだった。対戦する力士にとっては、たった70センチの距離からロケットが飛んでくるようなものだ。想像しただけで怖い。曙の引退で愚妻が興味を失って以来、もう何年も土俵から目を離していたので、見たことも聞いたこともない力士が大勢いたが、土佐ノ海に勝った小兵の嘉風(前頭9)はスピードがあって面白そう。そして心配なのは白露山の大銀杏だ。小さすぎる。引退前の琴稲妻より小さい。たぶん史上最小の大銀杏。残り少ない素材を懸命に寄せ集めてミニチュアの大銀杏を仕立て上げる床山さんの技術には敬服するしかないが、何かの拍子にブチッと千切れて修復不能になってしまうのではないかと、見ていて気が気じゃないです。あれって、結えなくなったら引退ってホント? あと、把瑠都はF1のシューマッハに似てると思う。

◇ドイツ×ポルトガル(3位決定戦)
 これも今さら何だというようなことではあるし、どんな試合だったか記憶もあやふやだが、そのシューマッハもスタンドで観ていた3位決定戦は、シュバインシュタイガーの突き押しがズドン、ドカン、バコーンと炸裂して3-1。千代大海がサッカーやってたら、あんな感じかも。最後にヌーノ・ゴメスのゴールが見られてヨカッタ。あと、ここで上川さんが主審を務めたのは、日本にとって数少ない良き思い出のひとつ。上川さんは、ほんのちょっとだけ西城秀樹に似ている。

◇イタリア×フランス(決勝戦)
 延長後半5分、この試合で共にチームにとって唯一のゴールを決めた2人の選手が、金色の玉から遠く離れた場所でどんな言葉を交わしたのかは知らない。仮にジダンが永遠に黙して語らなかったとしても(そのほうがカッコイイと思うのだが)、きっと世界中のテレビ局が寄ってたかって読唇術やら何やらを駆使して解明するのだろう。ワールドカップの決勝という栄光に満ちた舞台で人間がどこまで邪悪な言葉を吐けるのかを知りたいような気もするし、あまり知りたくないような気もする。しかしそれが何であれ、サッカーの試合で相撲の立ち合いみたいな頭突きをしちゃいけないのだし、その雄弁なプレイによってここまで物語の主役を張ってきた選手が、たかが「言葉」なんかに負けてはいけなかったと思う。それまでイタリアを応援しながらも「ジダンには頑張ってほしい」という複雑な気持ちで見ていたセガレのためにも、試合終了のホイッスルが鳴るまで身体によるメッセージを発信し続けてほしかった。少ない残り時間の中で、たとえば得意のマルセイユ・ルーレットを一発やってくれるだけでも、それはグチグチと退屈な言葉を連ねた誰かさんの冗長な作文よりはるかに多くのことを語り、世界中の子供たちの脳裏に鮮やかな残像を刻み込んだはずだ。

 ……というのは、まあ、月並みなキレイゴトなのであって、「引退」の二文字をちらつかせたケレン味たっぷりの通俗的演出に鼻白んでいた私は大河ドラマが喜劇に終わったことにシメシメとほくそ笑んでいたのだし、永遠の出場停止状態でピッチを去ったマドリーの大黒柱に愛想を尽かして最後は「イタリア勝て!」と叫んでいたセガレと共に早朝の茶の間で家族一丸となれたのは有り難いことだった。120分で1-1、PK戦5-3でイタリア優勝。PK戦大好きなセガレにとっては、最高のエンディングである。あのPK下手なイタリアが、まさか5点満点とはなぁ。最後は見ていられなかったが、意外にも完璧なキック。「グロッソはシュートが上手」が、この大会における最大の発見かもしれない。

 それにしても、ヴィエラが故障でアウト、アンリが途中交替、ジダンが退場、そして最後はトレゼゲがPKを失敗してしまうのだから、これはもう、一度はユベントスに関わってしまった者たちにかけられた呪いか何かだとしか思えない。その妖気がフランス人にしか及ばないのだから、おそるべきトバッチリである。イタリアの手前勝手な悲劇的妄想が、フランスのキャプテンをめぐる(こちらも手前勝手といえば手前勝手な)人情物語を津波のように飲み込んだ一戦だった。おめでとう、ペルッツィ。試合終了後に行われたカモラネージの断髪式で、個性的なリズム感を発揮してのしのし踊っている姿は実に微笑ましかった。あの髪の毛、要らないなら少し白露山に分けてあげられないものだろうか。そんなことはともかく、感動の表彰式である。セガレの登校時間は迫っていたが、これを見なくちゃ決勝を見たことにはならない。なので、ちょっと早送りしながら見たのだが、イタリアの選手たちにメダルが授与され、いよいよカンナバーロがカップを掲げながら雄叫びを……と思ったところでやおら画面が「牛追い祭り」になってしまうのだから、本当に呪われている。なんだよ牛追い祭りって。勘弁してくれよスペイン。呼んでねえよ。追うならもっと一生懸命ボールを追えボールを。どうやら、延長録画の予約に手違いがあったらしい。決勝ぐらい、もう1時間だけ早起きしてライブ観戦すればよかった。いろいろな意味で、画竜点睛を欠いた決勝戦。再放送を録画して、ちゃんと最後まで見届けなければ。わが家のワールドカップは、まだ終わっていない。

 せめて表彰式のシーンだけでも、天国の富樫洋一さんのところに衛星中継の電波が届いていたらいいなぁ。







1.悪魔払いのフォトグラファー
スーフルの青い光~あばかれた正体
~怪奇現象~…そして出現
2.カゾットNo.1
3.恍惚の盗人:陶酔~色彩の盗人






ワールドサッカーキング(7/20号)

平成十八年七月七日(金) 午前十時五十分
BGM : 組曲「夢魔」 / アトール(フランス)

 発売中の『ワールドサッカーキング』に岩本編集長がしみじみとしたとても良い編集後記を書いておられるのだが、それによれば、どうやら編集長、奥さんと去年生まれたばかりのお子さんを連れてドイツ各地を回ってらっしゃる模様。えらいことですなぁ。4年前に妻子と共に横浜までアイルランド×サウジアラビアを見に行って、帰りにホテルまでセガレ(当時5歳)を肩車して歩いただけでウンザリした私なんぞには、とてもできそうにない。とっくに帰国なさっていたら間抜けなメッセージになってしまうが、ご家族共々、どうぞお気をつけて。

 それにしても虚しいのは、セガレが4年前のことをこれっぽっちも記憶していないことだ。キックオフ後にうんちをしたいと言い出しやがり、トイレに連れて行っている間にゴールシーンを見逃してしまうのではないかと父親をパニックに陥れたことを、私のほうは昨日のことのように思い出すのに。そんなセガレが、いまや茶の間でマルセイユ・ルーレットの練習をして母親に「暴れるな!」と叱られ、「マドリー監督にカペッロ内定」の報を聞いて「強くなるかなぁ」などとニマニマするような少年になっている。そんな変化を生じせしめるぐらい、4年の歳月というのは子供にとって長いということだろう。

 なるほど、私が72〜74年の「陽水」をとても古いものだと感じ、78年以降のサザンを「最近の歌」と感じる理由も、そのへんにあるのかもしれない。4年や5年というのは大人にとって「昨日と今日」ぐらいの違いしかないが、10歳前後から14歳ぐらいの子供にとっては時代を一つ大きく飛び越えるぐらいの長さがあるのだ。南アフリカで次のワールドカップが開催される2010年に、セガレは中学生になっている。そのとき彼にとって、今回のドイツ大会は「大昔のワールドカップ」として認識されているに違いない。

 ちなみにその次の2014年は高校に行くなら高校生、2018年は大学に行く(行ける)なら大学生、2022年は……どういうことになってるんだか想像もつかない。なんだかしょっちゅう開催されているように感じていたワールドカップだが、そう考えると、ひどく稀少なイベントのように感じられる。織姫と彦星の逢瀬よりもはるかに稀少だ。親元で暮らしている我が子と一緒に観戦できるワールドカップは、もうあまり多くない。残り2試合、小学生のセガレと一緒に観る最初で最後のワールドカップを、十分に味わい尽くしておくことにしよう。







1.11;36 LOVE TRAIN
2.サイケデリック・ラブレター
3.ナビゲーション
4.ミステリー あなたに夢中
5.架空の星座
6.新しい恋
7.蜘蛛の巣パラダイス
8.長い猫
9.歌に誘われて
10.愛されるのがWOMAN
11.あなたにお金

平成十八年七月六日(木) 午後十二時十五分
BGM : LOVE COMPLEX / 井上陽水さん(日本)

 ツアーパンフに掲載されたインタビュー記事を取材・構成させていただいた関係で、昨晩、19時から東京国際フォーラム・ホールAで行われた「井上陽水コンサート2006」を鑑賞する幸運に恵まれた。3月に始まった全国ツアーの千秋楽である。私の席は、PAブースの真裏という最高のポジショニング。もっとも、斜め後ろには毎晩23時からテレビでニュースを読んでいるキャスター陣3人(男2女1)や「社畜」の造語で知られる評論家先生が陣取ったりしており、つまり世間的にはかなり「カンジ悪いエリア」だったので、いささか居心地が悪かった。日本海の向こう側から物騒なものが飛んできた日に、ニュースキャスターが本番の2時間前までそんなところにいて大丈夫なのだろうかとも思ったが、まあ、ギリギリまで情報収集に走り回ってそれを分析したりするのはきっとニュースキャスターのやるべき仕事ではないのだろうし、そもそも私が心配する筋合いでもない。

 開演を待つあいだ、私が「陽水」を初めて聴いたのはいつだっただろうかと記憶をたどる。でも、うまく思い出せない。小学校高学年だったような気もするし、中学校に入ってからだったような気もする。いずれにしろ、当時の私はどういうわけか「陽水」を同時代の人だと感じていなかった。『傘がない』も『氷の世界』も『東へ西へ』も『心もよう』も私が知ったときは「昔の歌」で、「陽水」も(テレビ出演していなかったせいもあったのだろうが)すでに伝説上の人物というかどこかフィクショナルな存在というか何というか、とにかく現役感というものがなかったのである。なので、最初に「新曲」(それが何だったのかも覚えていないが)を聴いたときは何だかヘンなことが起きているような感じだったし、それ以降のヒットナンバーは−−『なぜか上海』も『リバーサイドホテル』も『いっそセレナーデ』も『ダンスはうまく踊れない』も−−すべて私にとって「最近の歌」だったりするのだった。たぶん、1975年(フォーライフ・レコードが創立された年だ)以降の曲は「最近の歌」なんじゃないかな。それから30年も経ってるんだから無茶苦茶な話だが、私と同世代の人間にはわかってもらえる感覚のような気もする。ちなみにデビュー当時からリアルタイムで知っているサザンオールスターズなんかは、『勝手にシンドバッド』以降すべて「最近の歌」だ。やっぱり、私がヘンなのだろうか。サザンと「陽水」のデビュー時期が6年しか違わない(アンドレ・カンドレは69年だが「井上陽水」は72年、サザンは78年)ということが、どうしても腑に落ちない。私の中では、長嶋茂雄と原辰徳ぐらいの距離があるのに。

 ともあれ、初めてその存在を知ってから約30年、自分が積極的な「陽水ファン」だと自覚したことはなかったけれど、ふと気づけば5枚以上10枚未満のアルバムを持っている。1月にインタビューの仕事をするにあたって昔の歌を聴いたりライブのビデオを観たりして改めてその世界に触れたときも、子供の頃に耳にした「陽水」の歌詞が心の深いところにグサリと突き刺さっているような気がしてならなかった。15歳にも満たない時期に「いつかノーベル賞でも貰うつもりで頑張るなんていうのは下劣な生き方なのだ!」「若者の自殺や我が国の将来より今日の雨が問題なのだ!だって傘がないのだ!」「昼寝をしたら夜中に眠れないのだ!」と刷り込まれた人間は、いつまでたってもその世界観から抜け出せないのではなかろうか。どうしてくれるんだ。井上さんには、そんな人間を作ってしまった責任を取ってほしい。と、インタビューのときに言おうと思っていたのだが、最後まで言い出せませんでした。

 コンサートは、いきなり生ギターの弾き語りで始まった。交響曲を第2楽章から始めるのにも似た、意外な入り方。なにしろ聴衆の年齢層が高いので、のっけからガンガン飛ばすと聴いてるほうが最後までもたない、という配慮かもしれない。『青空、ひとりきり』、『闇夜の国から』、『なぜか上海』、『心もよう』などなど。「ここでは昔の曲を聴いていただきます」と御本人がおっしゃるラインナップに『なぜか上海』が入っていることに、やはり違和を感じてしまう。その弾き語りの最中(たしか「♪限りないもの、それは欲望〜」というサビから始まる歌の途中だったと思う)、どうしたわけか、ずっと忘れていた若い頃のひどく恥ずかしい記憶が突如として蘇ってきて参った。どういう記憶かは恥ずかしすぎてとても書けないが、それは一本の電話をめぐるもので、相手との人間関係における自分のナルシスティックな自意識の持ち方がいま思えばとてつもなく恥ずかしいという、そういった類の恥ずかしさである。歌詞の中に自分の体験と直結するような言葉があったわけでも何でもないのに、なんで20年以上も埋もれていた些細なエピソードを思い出してしまったのか全然わからない。しかしイヤな記憶というのは一つ思い出すと次々と芋蔓式に蘇ってくるもので、それ以降もさまざまな人間関係の中で自滅したり相手を傷つけてしまったりしたときのことをいくつも思い出し、客席で赤くなったり青くなったりしていた。「陽水」の喚起力おそるべし、である。

 バンドが加わって以降は、今剛(g)や山木秀夫(ds)といった手練のサポートを受けながらギンギンノリノリ。恥ずかしい記憶もどこかに消え去り、存分に楽しむことができた。なかでも圧巻だったのは、あれはナニ風のアレンジといえばいいのか音楽的語彙が貧困なのでわからないのだが、とにかく16ビートでガンガン疾走していた『氷の世界』。あれはやっぱりすんげえ曲だよなぁ。その前に演奏された『長い猫』という曲もめちゃめちゃカッコよかった。もう一度書くが、『長い猫』である。どういうことだそれは。だって、猫が長いんだよ。長靴を履いてるんじゃなくて、猫そのものが長いんだよ。やっぱりすごいっすよ井上さん。ともあれ、これは6/28に発売されたばかりのニューアルバム『LOVE COMPLEX』にも収められているロックナンバーなのであり、ギターの低弦リフが完全に私好みなのだった。

 ネクタイ締めた団塊オヤジが頭の上で1拍・3拍の手拍子を打ちながら(揉み手まではしていなかったのがせめてもの救いだ)腰を振り振り踊りまくっていた熱狂のアンコールは、『夢の中へ』、『アジアの純真』、『渚にまつわるエトセトラ』、『傘がない』の4連発。すごい4連発もあったものである。OLと部長さんが一緒にカラオケやってるみたいだ。そのどれもが完璧に「陽水らしい」のだからたまらない。それにしても、いつもテレビで我が国の将来の問題を深刻な顔をして喋っている(新聞記者時代には若者の自殺問題も扱ったことがあるかもしれない)人が斜め後ろに座っているところで聴く『傘がない』は、ひどくスリリングだった。外は雨だったし。さすがに斜め後ろを振り返りはしなかったものの、どんな顔で聴いてたのか見たかったよなぁ。そして、もし50代の「陽水」がそんな状況で『傘がない』を歌っていることを知ったら、20代の「陽水」はそれをどう思うだろうか。

◇フランス×ポルトガル(準決勝)
 すばらしくエキサイティングなコンサートを味わった翌朝に(しかも5時起きしてまで)観たい試合ではなかった。熱気も殺気も覇気も狂気も稚気や邪気さえも感じられない、退っ屈な90分。おれの睡眠時間を返せ! PKのみのイチゼロに、8年前のクロアチア×ルーマニア戦を思い出したのは私だけではあるまい。昔のことはほとんど知らないが、ワールドカップの準決勝の中ではワースト3に入るつまらなさだったのではないだろうかね。EURO2000準決勝での激闘を鮮明に記憶しているだけに、歯痒くて仕方がなかった。ポルトガルは「ポン!」「チー!」「カン!」と一人でさんざん暴れて場を荒らした挙げ句にノーテンのまま流局したような虚しさ。でも、まあよい。ポルトガルが勝っていたら決勝でどっちを応援していいかわからず、熱くなれなくなるところだった。このポルトガルからPKの1点しか奪えなかったフランスが、あのイタリアから得点できるはずがない……と、最後の念力をベルリンに送ることにしよう。どうであれ、狂気の迸る死闘になりますように。そして、そのために欠かせない役者が誰であるかは、今さら言うまでもない。サッカーのフィールドを世界でもっとも狂おしく彩ることができる男。それは、フィリッポ・インザーギである。







1. イタリア協奏曲ヘ長調
2. パルティータ第1番変ロ長調
3. パルティータ第2番ハ短調

平成十八年七月五日(水) 午前十時五十五分
BGM : J. S. バッハ『イタリア協奏曲 』ほか/ グレン・グールド(ドイツ / カナダ)

 きのうは夕刻から神保町で某相撲通の口述取材。名古屋場所の初日まで、あと4日である。雑談中に、「ところで、もうワールドカップって終わったの?」と驚愕すべき質問を投げかけてくるほどサッカーに無関心(というかジーコの唾吐き事件以来サッカーが大嫌い)な著者が、「まったく見ないわけじゃないけど、アレだけはいくら説明を聞いてもわからん」とおっしゃるので、「要するに待ち伏せ禁止ってことなんですけどね」で始まるルール解説をしてあげた。ワールドカップを開催したことのある国がそういうことでいいのかと思うが、まだオフサイドがわからない人はいるのである。まあ、そういう私も現在の規定を厳密に認識しているとは言い難いが、ああだこうだと一生懸命に説明して理解してもらった結果、「なるほど、面白そうじゃん」と、ほんの少しだけサッカーに関心を持ってくれたような気配。私たちは今後こうしてジーコの後始末をしながら少しずつ進んでいくしかないのである。さらに著者には、今は(ってずいぶん前からですが)GKへのバックパスが禁止されていることも説明。いまどきその程度のことで「サッカーに詳しい人ヅラ」ができる場があるとは思わなかったが、そんなこんなで「だから大相撲も面白くするためにルール変えたほうがいいんだよな」と、話はうまい具合に本題に戻ったのだった。

◇ドイツ×イタリア(準決勝)
 うほー! と私たちが茶の間で歓喜の雄叫びを上げたのは、今朝7時10分ぐらいだっただろうか。5時起きして観戦した甲斐があるというものである。この協奏曲のソリストはドイツではなくイタリアだった。うほ、うほ、うほほーい。こんなにすばらしい試合を家族が一丸となって楽しめたのは、とても幸福なこと。イタリアが完璧な試合運びを見せてくれた。序盤に前線から積極的にプレスをかけ、すばやいパス交換をしながら人数をかけて攻め込むことでドイツのどがどが先制攻撃を封じ込めたことが、勝因のおよそ6割近くを占めていたのではないかと思う。だからといって、そのままイケイケになるわけではなく、引くときは引くメリハリの効いた戦いぶり。セリエ風味のぐじゅぐじゅなファウルをあまり犯さず、きれいに相手ボールをかっさらってみせる守備もすばらしかった。加えて、いつもながらの矢のようなシュートブロック。ブッフォンのアニマルな反射神経。そして最後は、ゲルマン魂に火をつけようにも導火線が間に合わない終了間際の決勝点。さすがにその時間帯まで計算していたとは思わないけれど、12本目のCKをきっかけにしてようやく決まったグロッソのブラビーッシモなゴールがあと2分か3分早かったら、導火線が燃え尽きてボン!と爆発していたかもしれない。試合会場はボンじゃなくてドルトムントだが、それはともかくとして、失点するまで「PK戦に持ち込めば勝てる」という甘い考えが脳裏を過ぎっていたようにしか見えないドイツの逆襲はならず、ロスタイムにはジラルディーノとデル・ピエーロの華麗なカウンターでマダム連中に失神者続出だ。いや〜ん、決勝までに髪の毛伸ばしてぇ〜ん。朝っぱらから発情してんじゃねぞコラ。それにしても、23人中13人もの選手が所属する4つのクラブが降格を要求されるというシビアな裁きが始まっているというのに(おまけに、このクソ忙しいときにまとわりついてきて「ナカタが引退しますが?」とおよそどうでもいい質問を投げかけてくる日本の取材陣にも煩わされているというのに)あれほどの集中力を発揮できるイタリアはすごい。辛い立場に追い込まれれば追い込まれるほど満たされていく自己愛。おそるべきはイタリア人のナルシシズムである。最終的な裁定は10日以降に持ち越される可能性もあるようだが、優勝させたいならむしろ決勝の前にドン底まで突き落としてやったほうが効果があるような気もする。







1.フーガ ト短調
2.シチリアーノ
3.主よ,人の望みの喜びよ
4.目覚めよと呼ぶ声あり
5.わが心からの望み
6.主よ,あわれみ給え
7.シャコンヌ ニ短調
8.トッカータとフーガ ニ短調

平成十八年七月四日(火) 午前十一時十分
BGM : Yuji Plays Bach / 高橋悠治(ドイツ / 日本)

 中田英寿が現役引退を表明した。その早すぎる決断をオシム、おっとっと、いまオシムって書いちゃったね、こりゃ意図的な変換ミスだ読まなかったことにしてくれんかねワッハッハ、だからそうじゃなくて、その決断を惜しむ声ばかり聞こえてくるのは当然とはいえ、本音の部分では何となくホッとしている日本人も多いんじゃないかと思う。正直に言えば、私がそうです。その場に険悪な空気が漂うことを厭わずに激しく仲間と言い合い、高いレベルの要求を突きつける光景は、それがチームの向上と勝利のために必要なものだと百も承知してはいるものの、私なんかは根が軟弱な性格であるせいか、見ていていたたまれない。見ていていたたまれないものは、できることなら見たくない。そういう種類のヒリヒリ感は仕事の現場とか子供の家庭教育とかギターやリコーダーの練習とかそういう日常の中で否応なく味わうことになっているので、呑気にサッカーを見るときぐらいはもっと娯楽性のあるヒリヒリ感を味わいたいと思うのである。悪さをしたよその子供が激怒した親にちょっとどうかと思うようなヒステリックな口調で叱られているのを見ると、自分も似たようなことをすることがないわけではないのでそのキモチは理解できるにもかかわらず、内心で「そんなに叱らんでも」と思ってしまうのと同じようなことだな、きっと。

 もちろん、私がホッとできるかどうかということと、日本代表が強くなるかどうかということは、まったく別の話。でも、監督が交代し、中田という「重し」の取れた代表チームは、しばらくのあいだ良いパフォーマンスを見せるような気もする。だからといって、「中田がいないほうがいい」と言いたいわけではない。おそらく中田英寿は、日本代表の大リーグボール養成ギプスだったのだ。ことによると「中田後」の強さは一過性のものにすぎず、1号が打ち込まれたら2号、2号が打ち込まれたら3号の開発のために、いちいち別のギプスが必要になるかもしれないけれど、そのときはそのときでまた誰か出てくるだろう。さしあたっては、中村俊輔が大リーグボール1号キックを完成させるのを、明子姉さんのように木陰から見守ろうではないか。……あ、大リーグボール1号キックって、もしかしてデコシュートのこと?







PEPERINA
LLORANDO EN EL ESPEJO
PARADO EN EL MEDIO DE LA VIDA
CARA DE VELOCIDAD
ESPERANDO NACER
20 TRAJES VERDES
CINEMA VERITE
EN LA VEREDA DEL SOL
JOSE MERCADO
SALIR DE MELANCOLIA
LO QUE DICE LA LLUVIA

平成十八年七月三日(月) 午後一時五十分
BGM : Peperina / Seru Giran(アルゼンチン)

 創刊以来の連載企画だという『現代の肖像』で日本代表の川口能活選手を取り上げた朝日新聞WEEKLY『AERA』'06.07.10号は、深川の眠た〜いコメントを載せて本日発売。創刊1000号(AERAももう20年になるのであったか!)という記念すべき一冊に名前を出していただいたことは光栄であるものの、案の定、「この記事にコイツのコメントが必要なのか?」という疑問が拭えないものとなってしまい、たいへん心苦しい。たいへん心苦しい。たいへん心苦しい……と、エコーがかかってしまうぐらい、心が、苦しい。

◇ドイツ×アルゼンチン(準々決勝)
 なにしろ「ホームのドイツ」にはクライフのオランダでさえ勝てなかったのだから、今大会のアルゼンチンといえどもそりゃあ一筋縄でいくはずはなく、1点を守りきるなんて無茶だよなぁと大半の観戦者が思っていたに違いないのだが、にもかかわらずベンチで見ている監督だけはそのまま逃げ切れるような思いに囚われてリケルメとクレスポを引っ込めてしまうあたりが、ワールドカップの恐ろしさってやつなのかもしれない。こりゃアカンと思っていたので、クローゼの同点ゴールが決まったときも「ああやっぱりなぁ」という溜め息が漏れるばかり。悔しさというものが湧き上がらなかった。可憐なペペリーナちゃん(左写真)も「やれやれ」と呆れているように見える。食欲もなさそうだ。翌日の新聞では「死闘」という紋切り型の大見出しが踊っていたようだが、最強の呼び声の高かったチームが弱気を見せて自滅し、負けたチームを応援していた人間が悔しさを感じないような試合が「死闘」なんぞであるものか。強豪同士が120分戦ってPK戦までもつれれば自動的に「死闘」呼ばわりするというマスコミのオートマチズモ(!)には、今さらではあるがウンザリさせられる。きのう、未見だったオーストラリア×クロアチア(グループF)を観たが、死闘ってああいう試合のことでしょう。我を忘れた選手がつい国民性を発揮してドライビングモールでトライを取りにいってしまったり、我を忘れた主審がカードの数え方を間違えてしまったりしてこその死闘である。死闘には狂気が欠かせない。そしてアルゼンチンには「最狂チーム」でもあってほしかった。ドイツの勝ち上がりが「順当」に見える試合になってしまったのが残念。

◇イタリア×ウクライナ(準々決勝)
 とうとう雷撃トーニがスパークして、イタリアの3-0。右サイドにマッシモ・オッドを投入するやいなや間髪を入れずに左サイドから3点目が入ったことを、私たちは決して見逃してはいけない。彗星のごとく出現したこのラッキーボーイを、リッピは今後も切り札として有効活用すべきである。冗談はともかくとして、アルゼンチンにさえ順当勝ちしてしまう「ホームのドイツ」にストップをかけられるチームがあるとしたら、それはイタリア以外にないだろうと私は思っている。なぜなら、今大会のイタリアは他人の「物語」にかまっているだけの余裕がないからだ。自分の家が火事でボーボー燃えているときに、隣町のお祭りに関心を向けられる人はいない。自分の恋愛問題でグズグズに悩んでいるときに、宝くじに当たって大はしゃぎしている友人に嫉妬心を抱く人もいない。例によって比喩がよくわからないことになっているが、とにかく今のイタリアは、大会期間中に所属クラブの降格が決まるかもしれないわ、ペッソットさんもえらいことになってるわで、もう、自分たちのことで精一杯。自らを取り巻く悲劇にどっぷりと浸って「こんなに可哀想なオレたちって、なんて素敵なんだろう」とウットリしているので、他人の物語に飲み込まれることはないはずだ。相手がホームでイケイケになっていようが、引退を控えたかつての同僚が花道を飾ろうとしていようが、そんなこたぁ知ったこっちゃないのである。よって、世間の空気を読めないことが幸いしてイタリアが独りよがりに優勝、というのが私の見解。決勝戦の直前にユベントスだけセリエC1への降格が決まり、精神的ダメージの激しいブッフォンに代わってゴールマウスにペルッツィが立っていたら、ラツィオファンにとっては最高の物語になるのだが。

◇イングランド×ポルトガル(準々決勝)
 一方、順当さばかりが目についてややもすると凡庸なストーリーになりかねないこの大会に、毒のあるエピソードを提供して良いアクセントをつけているのが、ポルトガルである。この大会が辛うじてワールドカップらしい「熱」を保っていられるのは、彼らのやんちゃな戦いぶりがあるからだろう。無理やり自分たちの土俵に引きずり込んだあのオランダ戦に続いて、この試合でもルーニーを退場に追い込んだ手際は見事なものだった。「あいつがカルバーリョのキャンタマ踏んづけたんですぜ」と主審に告げ口し、勝利のためにクラブの仲間を売ったクリスティアーノ・ロナウドの根性は見上げたもの。ファン・ブロンクホルストとの呉越同舟を演じてみせたデコとは対照的な態度だが、このあたりがバルサとマンUの差なのかもしれない。ともあれ、今回のポルトガルはいろいろな意味でダイナミックなチームだ。準決勝では、フィーゴがジダンを道連れにして退場するような展開に持ち込めれば、勝機が見えてくるかもしれない。イングランドのほうは、ハーグリーブスが実はとても良い選手だということがわかったものの、もう彼をランパードの代わりに使う機会がなくなってしまったのだった。PKまで入らなかったランパード君は、きっとフルに働いた2シーズンの疲れが溜まってたんだろうなぁ。来季はマニシェと代わりばんこに出場して、ちょっと休んでみたらどうか。

◇ブラジル×フランス(準々決勝)
 きのうの夕方に家族と一緒にビデオ観戦したのだが、その前にサッカーの練習に行ってきたセガレが「みんなにスコアまで言われちゃったよ〜」というわけで、茶の間は微妙な空気。結果を知らない両親の前で余計なことを言うほど無粋な子ではないが、やはりウソはつけないもので、アンリの先制ゴールが決まった途端に本を読んだりサッカーボールで遊んだり「あ〜」とか「う〜」とか唸りながら床の上でゴロゴロしたりとあからさまに試合への興味を失った様子を見せやがるので、もうスコアは動かないんだろうな、このロナウジーニョのFKもきっと入らないんだろうなと思っていたら、ほんとうに入らず0-1でフランスの勝ち。しかしまあ、実を言えば私もしばしば同じことをして(つい新聞とか開いちゃうんだよな)「さてはもうゴール入らないんでしょ」と愚妻に詰られるので、正直遺伝子を受け継いだ我が子を責めるつもりはない。ともあれ、こちらも順当といえば順当な結果。「魔法のカルテット」だったか何だったかよく知らないが、司馬遼太郎風に言えば「ブラジルは魔法にかかったようにダメだった」ということになるのだろうか。日韓大会から今季CLまでの4年間で全てを手に入れてしまったロナウジーニョには、もはや新しい物語を紡ぎ出すだけの衝動がなかったのかもしれない。結果、4強はすべて欧州勢。事前に「ギリシャのいないところでEUROやり直そうぜ」という打ち合わせがあったかどうかは知らないけれど、まあそんな感じ。







ベートーヴェン交響曲全集
CD-2:第3番「英雄」
指揮:Gunther Herbig
1994年収録

平成十八年六月三十日(金) 午前十時三十五分
BGM : L. V. Beethoven Symphoniy No.3 "Eroica" / The Royal Philharmonic Orch.(ドイツ/イングランド)

 昨日と今日は、いつでも迷わずニュースサイトにアクセスできる、ストレスのない2日間。もっとも、ワールドカップの試合が続いているあいだは、原稿にひとつ句点を打つたびにいちいちヤフーやらアサヒ・コムやらに逃避したりしないおかげで仕事がはかどったような気もする。ところでニュースといえばアレだ、あの「お姉さん」だ。あの人は、どうしていつもあんなに勝ち誇ったような顔をしているのだろう。腹が立つとか不愉快とかそういうこと以前に、何かとても不思議な人間を見ているようなポカンとした心持ちになる。一方、あの渋谷の「お母さん」のほうは、どうして成人した我が子のことを人前で「ちゃん付け」にできるのか。こちらも別の意味でポカン。こんなところにも、ワールドカップで勝ち点4を取れる国と1しか取れない国のメンタリティの違いが表れているような気がしなくもないが、ともあれ、あっちでもこっちでも「拉致された子と親の感動の再会」に大勢の人々が鼻白んでいるフクザツな世の中である。気の毒な人たちのことを素直に気の毒がることのできない世の中は、なんというか、ひどく面倒臭い世の中。だからこそ、トリニダードトバゴやスイスやガーナのようなグッドルーザーが余計に輝いて見えるのかもしれないが。敗退したチームはみんな気の毒なのだ!と、妙にやさしい気持ちになってみるワールドカップの中休み。

 10番第1楽章(バリー・クーパー完成版)を含んだ7枚組のベートーヴェン交響曲全集が2,930円で買える世の中が一概に良い世の中と言えるのかどうか自信がないが、少なくとも有り難い世の中ではある。私は渋谷のタワーで買ったが、いまならオンラインセール価格2,344円だ。しまった600円ぐらい損した。あ、でもオンラインだと配送料がかかるから200円ぐらいか。まあいいや。どっちにしろバカみたいな値段である。小学生の頃に欲しがっていたものがようやく手に入って夢が叶ったような気分だが、これなら小学生のお小遣いでも買えるじゃんか。生まれた時代が憎い。それにしても、明日からハイライトが1カートン2,900円になるというのに、人類の偉大な文化遺産が2,930円だ。いやハイライトだって人類の偉大な文化だが、それ1箱とベートーヴェンの交響曲1曲がほぼ同額ってなぁ。高すぎるよハイライト。生まれた時代が憎い。たばこ税は廃止して、ベートーヴェンのCDに「文化遺産相続税」をたっぷりかけたほうが合理的な所得再分配になるんじゃないかと思ったりして。







1.Rio de la Miel
2.Villa Vieja
3.Calle Municion
4.Me Regale
5.Luzia
6.Manteca Colora
7.El Chorruelo
8.Camaron

平成十八年六月二十九日(木) 午前十時三十五分
BGM : Luzia / Paco De Lucia(スペイン)

 きのうは早稲田へ行き、リーガロイヤルホテル近くにある大和書房で打ち合わせ。つきあいの無かった版元だが、何度かご一緒したことのある著者W先生が私を指名してくれたそうで有り難い。と、「著者にも信頼されるライター」であることをさりげなくアピールしてみた。全然さりげなくない。フィーゴの頭突きを食らったファン・ボメルの倒れ方と同じぐらい、さりげなくない。早稲田大学周辺の街並みは20年前とそう大きく変わったわけではなく(雀荘早苗もまだある)、行き交う学生たちの風貌も渋谷あたりをウロウロしているガキ共に比べると大人びて見えたのが不思議といえば不思議。小学校から大学にいたるまで、およそ愛校心というものを持ち合わせたことのない私だが、大隈講堂が補修工事中で殺風景なことになっていたのはちょっと残念だった。打ち合わせ後、所用あって代々木の幻冬舎へ。編集部に足を踏み入れると、シギー局長が美しい女性編集者たちにぐるりを取り囲まれていたのでとても羨ましかった。ああいうのをハーレムっていうのではないのか。いいよな、会社って。あ、大和書房でお目にかかった二人の女性編集者もとても美しかったです念のため。

◇ブラジル×ガーナ(1回戦)
 出場停止でエッシェンを欠いているにもかかわらず、エッシェンが何人もいるように見えるガーナではあった。力感溢れる連続アタックでブラジルを脅かすものの、シュートがびゅんびゅん枠を逸れていく。「エッシェンの分まで頑張ろう」という気持ちがあったのかもしれないが、エッシェンの分まで枠外シュート撃ってどうする。いずれもオフサイド臭いゴールでブラジルの3-0。カウンターを鮮やかに仕留めてみせるのはさすがだとはいえ、王者のくせに勝ち方はちょっと弱者っぽい。

◇スペイン×フランス(1回戦)
 アラゴネスはラウールの使い方を間違えた。ダメだよ、ジョーカーを先発させちゃ。なにしろ相手のドメネクは「ジダンの物語」でこの大会を乗り切ろうとしているのだ。ならばスペインのほうも別の物語性で勝負しないといけないのだし、そのシナリオの叩き台はすでにチュニジア戦で準備されていたのだ。若い衆が苦境に立ったところにアニキを馳せ参じさせてこその演歌の花道じゃないか。途中で引っ込めてどうすんだよ。歌心ってもんがなさすぎるよ。ボギーが途中で死んじゃう映画なんか見たくねえんだよ。そのおかげでテンションを右肩下がりにダウンさせていったスペインがすっかりジダンの物語に飲み込まれて、1-3。フランスの1点目は、しぶとく足を運ばず安易に相手の足下へ飛び込んだカシージャスの怠慢によるもの。2点目は、プジョールとの競争に勝てないと悟るやいなや痛くも痒くもないはずの顔面を押さえて倒れてみせるという、アンリの小芝居がもたらしたものだった。4年前のリバウドよりは数段うまかったが、その前、ヘディングの競り合いで倒れたプジョールを見下ろして、「え? コイツこの程度の接触で倒れちゃうの? 歯応えのない奴だな。それじゃサッカーになんないじゃん」とでもいうような表情を見せていたことを思うと、オイオイという感じである。まあ、似たような状況に立たされたとき、テレビカメラを猛烈に意識した表情を作ることができる選手と、「オレやってないのに! オレやってないのに!」とあられもなく狼狽してしまう選手との余裕の差ということか。スペインが大会を去ったのは残念だが、こうなったらフランスにはブラジルに勝ってもらって、準決勝で「フィーゴ対ジダン」というわかりやすい物語を見せてほしい。そこには「マニシェ対マケレレさん」「カルバーリョ対ギャラス」というサブストーリーもある。早くもイングランドが負けたことになっている。







ディスク: 1
1.協奏曲第1番ニ長調
2.協奏曲第2番ト短調
3.協奏曲第3番ト長調
4.協奏曲第4番ホ短調
5.協奏曲第5番イ長調
6.協奏曲第6番イ短調

ディスク: 2
1.協奏曲第7番ヘ長調
2.協奏曲第8番イ短調
3.協奏曲第9番ニ長調
4.協奏曲第10番ロ短調
5.協奏曲第11番ニ短調
6.協奏曲第12番ホ長調

平成十八年六月二十八日(水) 午前十一時十分
BGM : ヴィヴァルディ『調和の幻想』 / イ・ムジチ合奏団(イタリア)

 きのうの朝、久しぶりにワイドショーを見た。といっても(イタリア戦もスイス戦も未見の段階だったので)前日つまり月曜の朝に録画したものだが、秋田の事件があんまり進んでいない(いや事件はもう進みようがないのだがその真相解明が進んでいない)のが意外な感じ。ずいぶん情報から遠ざかっていたので、そろそろ「最大の謎」も解明されつつある頃じゃないかと思っていたのだけれど。そんなことに文句をつける筋合いではないが遅い。2週間ぶりぐらいにあの人の顔を見て、「バレーボールの中田久美に似てるよなぁ」と思った。こういうことって、思っても書いちゃいけないのだろうか。いけないのなら謝ります。ごめんなさい。奈良の放火殺人事件も、うっすら知ってはいたが、ここで初めて詳細を把握。うーむ。そんな極限状況であっても人はワールドカップが観たいのであるか。うちのセガレは放課後に見ているが、放火後とはなぁ。そっちとこっちの行動に調和がなさすぎて目眩がする。でも犯人が犯人らしい行動しかしないのは小説の中だけの話。アイドル歌手も排便をするのと同じことだ。ちょっと違うような気がするが、まあそんなようなこと。べつにワールドカップ観戦が排便みたいなものだと言ってるわけではない。父親が厳しく勉強を指導していたと言われているが、人は「親に育てられたようにしか子を育てられない(というかそれがいちばん安心できる)」が私自身の実感なので、この父親も自分の父親(犯人の祖父)に同じような教育を受けていたんじゃないかと勝手に想像する。そこに愛情があったかどうかは、誰にもわからない。ともあれセガレには、いつかタイミングを見計らって、「オレが憎いならオレを殺せ」と言っておこう。どんなタイミングだそれは。

◇イタリア×オーストラリア(1回戦)
 あのプレイにレッドカードを出すのが妥当な判定だったかどうかはわからないが、あの選手をピッチ外に追い出すのはいつなんどきであれ妥当だと私は思っているので、マテラッツィの退場に文句はない。もっと早い段階でイタリアの協会かドイツの入国管理当局がやっておくべきだったことを、主審が代わりにやってあげただけだ。しかしイタリアを贔屓する身としては辛かった。代わりに入ったセンターバックは、見たことも聞いたこともない人。いまだに名前がわからないが、そんな奴しかいないのかよ。日本代表じゃあるまいし。しかしモニワーノ君(仮名)にもイタリアンな守備遺伝子はちゃんと受け継がれていたようで、終盤までゼロゼロ。アディショナルタイムに突入したあたりからイタリアが開始した捨て身の総攻撃にはコーフンした。10人になった時点でチーム全員に「90分まで耐えて最後の3分で決着をつける」という暗黙の了解があったとしか思えないスイッチの入り方。そこまで本当に耐えてゼロに抑えるあたりはさすがである。そして延長突入寸前のPK。禁を破って、「決めてくれ」とトッティに一生に一度だけのお願いをした。背に腹はかえられない。トッティにオッドをかえても意味がない。そういう気持ちで見ると、キック前のトッティがとても良い表情をしているように感じられるから不思議だ。弾丸キックがネットを揺らして1-0。さすが私と髪の毛の長さが同じぐらいなだけのことはある。決めた後で親指をしゃぶってる姿を見たとたん、速攻で「なんだコイツ」状態に戻りましたが。

◇スイス×ウクライナ(1回戦)
 それぞれのユニフォームはイエローとレッドだったものの、前日のあの試合とは対照的な好青年同士の品行方正マッチ。たしかイエローカードは1枚しか出なかったんじゃないだろうか。なかでも終盤、ペナルティエリアにドリブルで突進してきたスイスの何者かを実に慎重な対応で倒さずに止めたグシンのディフェンスには感心した。あの疲労困憊した危機的状況であそこまで冷静に丁寧な仕事をできるのはすごい。私も見習って、どんなに〆切が迫ったギリギリの局面でも、丁寧な原稿を書くように心掛けたいと思う。しかし試合は両チームとも最後までお行儀がよすぎて、まるで予定調和のようなゼロゼロPK戦。スイス選手の中ではいちばん素行が悪そうなベラーミを投入していたら良いアクセントになって違う展開になったんじゃないかという気もして残念だ。ノックアウトステージに入ってから(というよりチャンピオンズリーグの頃から)「PK戦が見たいよぅ、PK戦が見たいよぅ」と言い続けていたセガレは、やけに嬉しそうだった。子供はいつだってPK戦が大好きだ。いつも「おれが応援するチームはPK戦になると必ず負ける」と言っている友人がスイスを応援しているはずなので、そうなるんじゃないかと思っていたら、案の定ウクライナの勝ち上がり。さらばベラーミ。キミが前の試合で6分間だけ出場できて、ほんとうに良かった。それにしても、初戦を4点差で落としたチームが準々決勝進出って、前例があるんだろうか。







1. Royal Bed Bouncer
2. Life of Gold
3. (You're So) Bizarre
4. Bury the World
5. Chance for a Lifetime
6. If This Is Your Welcome
7. Moments of Joy
8. Patricia Anglaia
9. Said No Word
10. My Heart Never Changed
11. Alibi
12. Mountain Too Rough
13. Woe and Alas
14. Mouldy Wood
15. Lovely Luna
16. Forever Is a Lonely Thought
17. Still Try to Write a Book
18. Give It a Name
19. Bulldozer

平成十八年六月二十六日(月) 午後十一時五十分
BGM : Royal Bed Bouncer / Kayak(オランダ)

 5時起床。イングランド戦を観てから、セガレは学校、私は仕事場。午後から渋谷のセルリアンタワーで単行本の口述取材。ポルトガル×オランダ戦の結果を知りたくないので、電車内でも街でもずっと下を向いていた。とてもイヤなことがあった人に見えたに違いない。しかしそのお陰で、渋谷の街は下を向いていたほうが心穏やかに歩けるということを発見。フェルナンド・トーレスみたいなガキ共の小汚い顔を見ずに済むし、5メートル先に立っているティッシュ配りの人を見つけてどっちサイドに迂回しようかとソワソワしなくて済むし、閉じた傘を持った手を前後に大きく振りながら歩いているバカに向こう臑を突き刺されなくて済む(軽快なフットワークで3回ほどかわした)のである。

 ともあれ、無事にセルリアンタワーまでたどり着き、骨董品の専門家から中国の古い陶磁器にまつわるお話を拝聴。かつて私も在職していた祥伝社の担当者T部長がサッカー好きであることは心得ていたので、会ったらすぐに「言わないでくださいよ」と釘を刺しておこうと思っていたのだが、私が到着したときはすでに著者と一緒だったのですぐに仕事の話になってしまい、言い出せなかった。取材終了後、ホテルに残った著者と別れてTさんと渋谷駅へ。並んで歩きながら、オーストラリア戦やオシム監督の話題など。まずいとは思ったが、いきなり文脈を無視して「言わないでくださいよ」はないだろう。グズグズとタイミングを見計らっているうちに、井の頭線の駅まであと30メートルのところまで来た。Tさんと別れるまで、あと30メートルだったのだ。「……オランダもあんなに早く負けちゃってねぇ」って、さっきまで日本の話しかしてなかったのにぃ。しかし、私にとっては嬉しい情報だったのだし、最後までピッチに残っていた人数までは聞かなかったのが不幸中の幸い。

◇イングランド×エクアドル(1回戦)
 ベッカムのFKだけで1-0。ルーニーを1トップに据えたイングランドの4-1-4-1は、あれは何というのか、レバーをがちゃがちゃ回して操作するサッカーゲームみたいでとてもつまらなかった。寝起きに見たせいもあってすでに記憶が薄れているが、なんだか、ものすごくテキトーなサッカーだった印象だけが残っている。テキトーなパス、テキトーなポジショニング、テキトーなファウル、テキトーなシュート。エリクソンさんは無理に戦術のこととか考えないで、ルーニーのメンタルコンディションを保つことだけに気を配っていればいいのに。ラツィオ時代からそういうタイプの監督だったと思ってるんですけどね。ランパードの外しっぷりは、そろそろシャレにならないレベルになってきた。

◇ポルトガル×オランダ(1回戦)
 もはやそんなことどうでもよくなっているので忘れている人も多いと思うが、この試合で唯一のゴールを決めたのはマニシェである。いいゴールだったよなぁ。私はマニシェが好きだ。好きだ好きだ大好きだ。マニシェのぬいぐるみがあったら欲しいぐらい好きだ。と言ったら妻子が一斉に「え〜キモチ悪いよ〜」とブーイングしやがったので、あっても買わない。ともあれ、その先制点のあと(とくにドロップボールの処理をめぐるイザコザ以降)は大混乱で、イエローカードは全部で16枚、退場者は4人。笑ったなぁ。セガレも「おもしろいよぅ、おもしろいよぅ」と大ハシャギだ。たぶんそれは、「試合」ではなく「事件」に遭遇した人間が味わう種類の興奮であろう。観戦者ではなく野次馬のヨロコビ。しかし、途中からサッカーの試合ではなくなってしまったとはいえ、これが「どっちが強いか」を決めるための何かであったことは間違いない。サッカーのルールはおおむね蔑ろにされていたが、両チームは共通のルールで戦っていた。結果、ポルトガルのほうがその何かではオランダより強かったのだ。何だかわからないが、とにかくポルトガルはワールドカップの大会期間中にオランダに勝ったのだ。おそらく、「オランダのマテラッツィ」の異名で(我が家で今日から)呼ばれているブラルースが凶悪な蹴り技でロナウドをぶっ壊した時点で、ポルトガルの連中は「おう、そうかよ、今日はそういう試合なのかよ、だったらやってやろうじゃねえかコノヤロー」というような心の準備ができていたに違いない。ケンカも戦争も先に準備を整えたほうが有利だ。そして、そんなラフな試合だったからこそ、呉越同舟(もともと同舟なのだが)で愚痴をこぼし合っていたデコ&ジオにはフェアプレイ賞をあげてもいいのではないか。あれはじつに心の和む光景だった。愚妻も「バルサファンにはたまらないツーショット」と大喜びだ。もしかしたら、『噂の刑事トミーとマツ』(このマツはあんまりデコ似じゃなくて残念)にも似たようなシーンがあったかもしれない。見たことないけど。トミマツ。ところで、これももはやそんなことどうでもよくなっているので忘れている人が多いと思うが、オランダのユニフォームはフランスかと見紛うような赤白青のタスキがけ。たぶんオランダ代表があれを着ることは金輪際ないだろう。反省して、全員で床屋さんの前に立ってなさい







"Iconoclasta"
1. Cuentos De Arquicia
2. Dorian
3. Manantial
4. Memorias De Un Hechicero
5. Estudio VI
6. Origen Cuspide Y Muerte
7. Fuera De Casa

"Reminiscencias"
8. La Gestacion De Nuestro Mundo
9. El Hombre Sobre La Tierra
10. La Era De Los Metabolismos Tecnologicos
11. Reminiscencias De Un Mundo Sin Futuro

平成十八年六月二十五日(日) 午後十時十五分
BGM : Iconoclasta & Reminiscencias / Iconoclasta(メキシコ)

 長〜い前置きがようやく終わって、いよいよノックアウトステージに突入。これからが本番というわけだが、毎度のことながら、残りたった16試合かと思うと、いきなり寂寥感に襲われる。終わりの始まり。ワールドカップって、つるべ落としの秋の夕暮れみたいだ。前菜の多すぎるディナーみたいだとも言えるけど。すでに腹一杯だが、食わねばならぬ最後まで。

◇ドイツ×スウェーデン(1回戦)
 グループリーグは相手が弱すぎて強いんだかそうでもないんだかよくわからなかったドイツだが、のっけから機関銃のペースでバズーカ砲を連射してるようなどがどがサッカーを展開。どがどがサッカーって、もうちょっと何か言い様はないものかと思わなくもないが、まあ、とにかく、どがどがな感じ。日本と引き分けたときはこんなチームだとは思わなかったけれど、日本もドイツと引き分けたときはあんなチームだとは思わなかったので、それはまあそういうもんだろう。あの2-2は、日本にとって、ドイツでの数少ない良き思い出のひとつ。スウェーデンはもうちょっとやるかと思っていたが、考えてみれば、ドイツとのアウェイ戦で勝てるチームなんて、東ドイツを除けばそう滅多にあるものではない。退場者およびラーションの途方もないPK失敗もあって2-0。クローゼの足って、4年前はジャンプするだけのためについているのだと思っていたが、大した人ですね。この試合でいちばん面白かったのは、至近距離から振り向きざまのシュートを浴びたときにGKレーマンが見せた猫パンチ。スポーツの試合で猫パンチを見たのは、ミッキー・ロークのボクシング以来かも。にゃにゃ〜。

◇アルゼンチン×メキシコ(1回戦)
 立ち合いは張り手の応酬で10分までに1-1。それ以降はメキシコの果敢な守備が目立つゲームだった。足技では負けない自信があるのか、怖がることなく俊敏に間合いを詰め、ときに3人で取り囲み、ときにパスコースを読み切って、てきぱきとボールを奪って攻撃に転じる姿は見事なもの。WBCでの借りもあるので、結果としてはアルゼンチンの勝利を願いながらもプロセスにおいてはメキシコを応援するという、おかしな観戦態度になってしまった。延長前半、逆サイドにいる味方の「胸」をめがけてコントロールしたとしか思えないソリンの正確無比なスーパーパスを、ロドリゲスが左足ボレーで叩き込んで2-1。最強アルゼンチンが薄氷の勝利。いやぁ、じつにワールドカップだにゃあ。ワールドカップは、こうでなくっちゃにゃあ。でも、もうラボルペ監督の派手なネクタイを見られないかと思うと残念。この日のは、あれは蛇なのか。何なのか。どれも、浅草あたりで売ってそうなやつばっかりだった。



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深川峻太郎の江戸川春太郎日誌 
2006 FIFA WORLD CUP SPECIAL #04