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1. 教訓1
2. できることなら
3. 悲しい気持で
4. 夜明け
5. 戦争しましょう
6. その朝
7. 求めます
8. 妹に送る唄
9. あきらめ節
10. 赤土の下で
11. ゼニの効用力について
12. 伝道

平成十八年八月十一日(金) 午後四時二十分
BGM : 教訓 / 加川良

■額に汗して働いている。この季節、どんな高等遊民だって額に汗ぐらいかくが。
■日誌の書き方が最近よくわからない。
■だからあんまり書かない。
■日誌を書く自分がときどき気持ち悪く感じられる。「キモい」とか「キショい」とかいう言葉が似つかわしい感じ。
■だからあんまり書かない。
■人のブログ等も読む気にならない今日この頃。
■でも先生の「雑感」だけは読んでますよ。うふふ。
■スーパーモーニングの玉川徹さんがカッコイイ。いまテレビでいちばん男前かも。彼のコーナーを単行本化してみたい。
■明日は日帰りで大阪出張。当面の仕事とは無関係だし忙しいから時間は惜しい(新幹線代も惜しい)のだが、どうしても見ておきたいものがある。
■自腹を切って取材に行くのは、ライター歴17年目にして初めてのこと。これまでとは違う種類の仕事を始めてみようってわけだ。
■2年から4年ぐらいかかるかもしれない。
■どっこいしょ。
■亀田親父はおれとほぼ同い年らしい。ふうん。
■つまりアレだ、42歳のお父さんはどうあれば男前なのか、ってことだ。
■おれの父親はおれが12歳のとき42歳だった。男前だったかどうかはわからないけれど、とても強そうだった。
■亀田親父は怖いけど強そうに見えないな。
■いまいちばん強そうに見えるのは、やっぱり玉川さんだよ。無敵だよ。
■ガッツさんとやくさんじゃなくて、玉川さんと対決させればよかったのにな。
■どうでもいいけどな。
■それよりおれにはお金がない。この世はさみしいよゼニがなけりゃ。
■正しいものが正しくなるさ。加川良はそうも歌っている。
■でもあんまり面白くない。「ゼニ」も「正しさ」もロクなもんじゃないような気がする。暑いからだろうか。
■暑いといろいろなことが面倒臭い。
■とりあえず、面倒臭くないことを一生懸命やろう。
■だから日誌はあんまり書かない。
■仕事だ仕事。お父さんは仕事をするのだ。
■そうか。わが子の教育を仕事にしてるから強そうに見えないのかも。
■星一徹だって仕事は別にあったもんな。日本一の××××だもんな。
■いや、亀田親父も別に仕事持ってるんだっけ? それともそれは昔のこと?
■まあいいや。
■向かい合ってないで、背中を見せないとな。






1.ON THE EARTH
2.恋の瞬間〜Can't stop my love〜
3.TAKE ME HIGHTER
4.SOLID DANCE
5.LOVIN' YOU
6.DELICIOUS LOVER
7.MONOCHROME
8.Aquariumの都会
9.HURRY UP TO YOU
10.In The Universe

平成十八年八月四日(金) 午後十時四十五分
BGM : Shambara / Shambara

 書く。寝る。食う。三つの動詞だけで生きているような一日。吸う、吐く、見る、聞く、歩く、呻く等も当然あるが、おもに三つ。

 さっき原稿の続きを考えながらじ〜〜〜〜っとMacのモニターを睨んでいたら、突如として目の前から原稿が消えて画面が真っ暗になったので慌てた。しかし何のことはない、15分間触らなかったのでスリープしたのである。自分が15分間も黙って考え込んでいた(正確にいえば放心していた)という事実にも驚かされたが、もっと驚いたのは、暗くなって鏡状態になった画面に映った放心中の我が顔だ。つまんない顔。つまらなそうな顔ではなく、つまんない顔。知性も年輪も覚悟も魂も何もない抜け殻のような顔。寝起きのニートみたいだ。寝起きのニートに会ったことはないが、なんなんだ一体。おれはふだんこんな顔をしてんのか。愕然とした。自分から鏡を覗き込んだときはこんな顔に見えたことはないが、それはきっとそれなりに心身の準備を整えてから映っているからで、つまりこちらのほうが本来の顔なのだと思ったら、なんだか絶望的な心持ちになるじゃないか。だって、これは、簡単に言うと、ダメな奴の顔だよ。仕事中の42歳(一児の父)の顔じゃないよ。いくら何でも目にチカラがなさすぎだよ。あーあ。






1. Color of Roses
2. Beyond the Blue
3. All the Time in the World
4. Sand and Water
5. Fair Enough
6. Seven Shades of Blue
7. Happy Girl
8. No One Knows But You
9. Heads up for the Wrecking Ball
10. Say Goodnight

平成十八年八月三日(木) 午後九時五十分
BGM : Sand And Water / Beth Nielsen Chapman

 兄の友人(高校教師)に「教え子の相談に乗ってやってほしい」と頼まれて、編集者志望の大学生Iさんと初めて会ったのは、いまから二年半ほど前のことだ。彼女は当時まだ一年生で、もう自分の進む先を真剣に見据えて具体的な行動を起こしているなんて(少なくとも同じ時期の私と比較したら何十倍も)えらいなぁと感心した記憶がある。それ以来、何度かメールをやりとりしたり、仕事仲間の業界人にお願いして会ってもらったりしていたのだが、そのIさんから、きのう、ある出版社から内定をもらったとのメールが届いた。雑誌名を聞けば誰でも知っているであろうメジャーな生活情報系の女性誌を出している会社である。本人、採用を告げる電話を受けながら涙ぐんでしまったそうだ。このところ、「未来に希望を持てない若者の閉塞感」みたいなことについて書かれた本に目を通すことが多く、いささか暗澹たる気分になっていたので、がんばった若い人が自力でハードルを飛び越えたというのは、とても良いニュース。一方で、まだ越えられないはずの高いハードルを周囲の大人どもが寄ってたかって下げてしまったためにうっかり飛び越えてしまった不幸な若いボクサーがいることを思えば、なおさらだ。あの判定は、ベネズエラのベテラン選手にとって実に気の毒なものだったが、それ以上に、勝者に対して過酷な仕打ちだった。

 それはともかく、就職の相談に乗るといっても私の場合はせいぜい「出版社に入ってから必要なこと」をほんの少しばかり教えられるだけで、「出版社に入るために必要なこと」は一つも教えられなかったので、ほとんど何の役にも立っていないのだったが、関わった以上はそれなりに「大人の責任」ってやつをちょっぴり感じてドキドキしていたので、ずいぶんホッとした。「編集者として江戸川さんと仕事をするのが次の夢のひとつです」なんてことを書いてもらってニヤニヤしたりもしているわけだが、それは編集部から電話一本すれば実現するとても簡単なことなので、夢というにはあまりにもハードルが低すぎますね。もっと高い志を持ってもらいたいものだが、しかしそんなことを同じ業界人に向かって言う資格がいまの自分にあるのかと自問自答してみるとたぶん無いので、私も彼女を見習って、何かハードルを設定してもうひとがんばりしてみることにする。






1. Still Hurts Sometimes
2. Blue Train
3. To Be the One
4. It Don't Bring You
5. I Would Be Stronger Than That
6. So Soft, Your Goodbye
7. Love to Learn
8. First You Cry
9. Bad News (At the Best of Times)
10. Sunnyshine Day

平成十八年八月一日(火) 午前十一時五十五分
BGM : Blue Is The Color Of Hope / Maura O'connell

 ヤマちゃん夫妻と一緒に五泊六日(私は三日目に発熱して終日ベッドに伏していたので五泊五日)で沖縄の小浜島に行っているあいだに、インテルが優勝してラツィオがセリエA残留を決めていた。目の離せない世の中だ。ところで小浜島は石垣島と西表島のあいだにある小さな島である。ちゅらさんの舞台だったそうだが、ちゅらさんを1秒も見たことがないので何のことだかよくわからない。異様な威力でギラギラと肌を灼く太陽と青空の下、あきれるほどきれいな青と緑をたたえた海で遊び、プールではセガレがヤマちゃん夫妻からクロールの特訓を受け、西表島ではマングローブの森をカヌーを漕ぎながら見物し、嘉弥真(カヤマ)島という無人島ではシュノーケリングで熱帯魚たちと戯れるなど、夏を満喫。羽田に向かう機中のアナウンスで、関東地方の梅雨が明けたことを知る。うまいこと夏がつながった、と思ったものの、東京はやけに涼しくて拍子抜け。これからは仕事。ひたすら仕事。おそるべき量の仕事。






1. あれの歌
2. キャンプファイヤー
3. 行け行けじゅんちゃん
4. ちゅるちゅるベイビー
5. ぼくはぼくを信じて~満ち足りた男
6. 我想うゆえに我あり
7. 幸せであるように
8. きのうの世界
9. 君が昔愛した人
10. おやすみなさい
11. あれの歌(再び)

平成十八年七月二十二日(土) 午後一時五十五分
BGM : 続いてゆくのかな / FLYING KIDS

 一昨日、セガレが通信簿をもらって帰ってきた。三年生の一学期はこれでおしまい。成績は親子ともどもスカッとする内容だったものの、見上げれば空は雲ばかり。夏休みは、いまだ蓋の閉まった瓶の中。そういえば「ビン」には「土ヘン」に「曇」という字もある。誰か神様に栓抜きを渡してやれ。

 七月十四日の日誌を一部修正しました。

 来週の火曜日(7/25)から日曜日(7/30)まで、夏期休暇のため東京(およびインターネット)から離れます。その間は日誌の更新ができない(できてもしない)のはもちろん、メールも見ることができませんので、あしからず御了承ください。携帯メールが行った先で受信できるのかどうかは知らない。






1. ごろ寝
2. ろくでなし
3. インスタントラーメン
4. たまにはいい
5. あした引越します
6. こがね虫
7. 何とかなれ
8. ちどり足
9. 待ちぼうけ
10. 通り雨
11. さなえちゃん
12. 退屈
13. 窓の向こうは冬
14. もうねむたいよ

平成十八年七月十八日(火) 午後十二時二十五分
BGM : 古井戸の世界 / 古井戸

 雨が降っている。人からこっそりと何かを奪うような降り方。スピーカーの中では古井戸が歌っている。壊れた傘のような歌い方。カネとコネさえあれば僕の思いどおり。そんなような歌。『こがね虫』という名の歌。だけど、カネとコネがあっても天気は思いどおりにならない。雨は平等に降る。でも、さなえちゃんはエンピツで描いたから消えた。よしこちゃんは絵の具で描いたから流れてどこかに消えた。ふくちゃんはついでに描いたからついでに消えた。不公平な話だ。でも結果は平等。機会も平等かもしれない。現れて、消えただけの話。じゃあ何が不公平なんだ? よくわからない。そんなことはどうだっていい。つまりは大学ノートの裏表紙に閉じこもりたくなるような雨が降っているということ。降って、いずれ止むだけの話。そして、大学ノートの裏表紙が「ホームページ」として機能していたあの頃。裏表紙。古新聞。西東京。サントリーニューオールド。合理化反対。悪平等。……悪平等?






1. Back to You
2. Cry
3. Baby You Belong
4. Beautiful
5. One
6. When the Lights Go Down
7. Stronger
8. You're Still Here
9. Unsaveable
10. Free
11. If You're Gonna Fly Away
12. If This Is the End
13. This Is Me
14. I Think I Will

平成十八年七月十七日(月) 午後十二時五十五分
BGM : Cry / Faith Hill

 せっかくワールドカップの口直し的な気分で大相撲名古屋場所を見ていたのに、千代大海とモメた露鵬がカメラマンに張り手を食らわせて出場停止だというのだから皮肉な話である。露鵬は「手で払いのけただけ」とか何とか言っているらしいけど、お相撲さんに手で払いのけられたら、並みの人間にとってそれは張り手ですがな。けしからん行為であることは言うまでもないけれど、これをすぐに「外国人力士の教育問題」とリンクして語るのは短絡的。日本人力士よりも礼儀正しい外国人力士は大勢いる。それにしても、カッとなって咄嗟に出る暴力が、サッカー選手はヘディングでお相撲さんは張り手なのだった。人はもっとも得意な方法で戦うということかもしれないが、習性っておそろしい。剣道家の場合は、咄嗟に「長くて硬いモノ」を探したりするのだろうか。レーサーやジョッキーがナニを探すかを考えると、かなり怖い。それはやめてほしい。三段跳びや体操の選手の場合は、ちょっとどうしていいかわからないが、「なんだコノヤロー」と言いながら後方に下がり、とりあえず助走距離を取るところから始めるかもしれない。フリーライターの場合は……泣きながら家に帰ってブログとか書くんだな、きっと。






1. Prision
2. Rema, Rema
3. Nordestino
4. El Sacrificio
5. Galeron
6. Atardecer
7. Cruz De Sal
8. Mamboreta
9. La Partida
10. Candombe De Alain
11. Zamba De Invierno
12. Rio, Rio

平成十八年七月十四日(金) 午前十一時二十五分
BGM : Encordado / Anacrusa

 ジダンの頭突き行為を「確信犯」だと言う人がいる。

 言うまでもなく、「確信犯」はいつの間にかインフレを起こした日本語のひとつだ。いまは「故意犯」(つまり過失ではない犯罪)とあまり違わない意味で使われることが多いが、本来は単に「違法であることを承知で行う犯罪」ではなく、「違法であることを承知した上でそれが正義であると信じて行う犯罪」のことだと私は理解している。たとえば右翼による政治家の暗殺や革命家による企業爆破などの政治犯がそうだ。所得再分配のために窃盗を働いた鼠小僧次郎吉も確信犯かもしれない。本当は違ったらしいけど。

 ジダンを「確信犯」扱いする人がその言葉をどちらの意味で使っているのか定かではない(そうなってしまうのが言葉のインフレの厄介なところだ)が、それが人種差別問題や移民問題などの存在を前提にして語られているところを見ると、おそらくは後者だろう。つまり「正義のためにあえて犯したルール違反」ということで、だとすればあれは比喩的な意味で「小さなテロ」だったという皮肉な話にもなりかねないわけだが、しかしそういう確信犯がテレビカメラの前で自らの行為について世界中の子供たちに謝ったりするものでしょうか。そのへんが私にはよくわからない。謝った時点で、確信犯は確信犯でなくなってしまうのではあるまいか。

 たしかに、「後悔はしていない」という言葉は確信犯的だ。でも、「後悔していないことを謝る」はあんまり確信犯的じゃない。どういうことなのか理解に苦しむ。そう言われても、子供たちだって困るだろう。何を謝られているのかわからない。もしそれが社会正義のために行われたことであるなら、子供たちにもちゃんと説明して理解を求めたほうがいい。その説明はとても難しく、最終的には「キミたちも大人になればわかる」と苦しげに呻くことしかできないかもしれないけれど、それでも曖昧な謝罪を口にするよりは子供たちに何事かを伝えられるはずだと思う。

 でもジダンは、子供たちや私やあなたを含む数十億人のワールドカップ観戦者に対して謝った。それはたぶん、本人が「個人的なこと」と語っているとおり、(※)あの決勝戦の延長後半5分に噴出した怒りが「公憤」ではなく「私怨」に近いものだったからなのだろうと私は推察する。少なくとも私はそのように謝られた。「個人的な正義を貫くために関係ない人にまで迷惑かけてゴメンね」という意味で聞く以外に、「後悔はしていないが世間には謝る」を理解する方法はないように思うのである。

 もちろん事の真相はまだわかっていないし、私の謝られ方がジダン本人の意に添うものかどうか自信はないけれど、ジダンが「個人的なこと」と言い、(※)マテラッツィが人種差別発言やテロリスタ発言を否定している段階で、その根っこに社会問題があることを言いたがるマスコミは、ちょっと先走りすぎだ。たとえば前世紀末(といってもほんの7年前のことだが)、音羽の幼稚園に娘を通わせる女性が娘の同級生を殺害するという事件が発生したとき、結局それは(犯人の供述を信ずるならば)私立小学校の受験競争という社会問題とは関係がなく、単に「仲良くできない人と仲良くしなければいけないのが苦しい」といったような個人的な人間関係の中で生じた「心のもやもや」が狂気となって暴発した犯罪だったにもかかわらず、早とちりして「お受験殺人」と命名したメディアが多かったことを思い出したりする。


 ジダンが口にしたフランス語の「personnel」を「個人的」と訳すのは誤解を招く、との指摘を受けました(詳しくはゲストブックのNo.114〜No.116あたりを参照してください)。その指摘が妥当なものかどうか、日本語で書かれた辞書を頼る以外に外国語のニュアンスを知る術を持たない私には判断できませんが、判断できない以上、翻訳を通じた理解は誤解である可能性があるので、このジダンの言葉を私の推察やマスコミ批判の根拠として使うことをやめます。それを削除しても、上記の文章の主旨や結論は変わりません。(平成十八年七月二十二日)







1. Brightest
2. Testing the Strong Ones
3. Priceless
4. Take Care
5. When Paula Sparks
6. California
7. She Changes Your Mind
8. There Cannot Be a Close Second
9. Coffee
10. Walking Downtown
11. When Finally Set Free

平成十八年七月十三日(木) 午後五時四十五分
BGM : Beneath Medicine Tree / Copeland

 午前中、愚妻と吉祥寺の映画館で『ダヴィンチ・コード』を観た。原作を(もちろん翻訳で)読んだとき頭に浮かんでいた映像が、わりとそのまま再現されていたような印象。つまり違和感もガッカリ感もない。そういうふうに映像化するのはきっと簡単なことではない(そういうふうに書くのも簡単なことではない)のだろう。でも、だったら原作だけ読めば十分だという気もする。お金が儲かるということ以外に、映画化する意味があるのかどうかよくわからない。原作で意味のよくわからなかったところは、映画でもよくわからなかった。あれは何という名前だったか、殺人の実行犯はデーミアン・ダフに似ていたようなそうでもないような。それで思い出したが、ひとつ残念だったのは、主人公の男女がロンドンのチェルシー図書館で調べ物をする場面が端折られていたこと。図書館に行かなくてもケータイの検索で用が足りてしまうあたりが今の世の中の味気ないところだが、どんな図書館なのか見せてほしかった。そこで使ってる検索用のパソコンがApple製品だったりしたら面白かったのに。というのは原作を読むか映画を見た人でないとわからない話ですが。観賞後は、サンロードの三浦屋が入っているビルの3階にあるトラットリア「La Creatura」で昼飯。店員の対応も丁寧で、いまどきの吉祥寺には珍しい不愉快なところのない店。小はまぐりと舞茸のクリームソーススパゲティを食す。旨し。学校で6時間授業を受けている隙に父と母があんなに旨いものを食っていたことは、セガレには内緒の話。






1.The Marsh
2.Atlantis
3.Skyline
4.Mee-Woo
5.Prelude Circulation BWV 988
6.Cantharis
7.Cosmo Calypso
8.Whitewater
9.Led Foot
10.Relative Illusion
11.Red Iguana
12.Ghost Riders On The Storm

平成十八年七月十二日(水) 午後二時三十分
BGM : Whitewater / California Guitar Trio

 今日から夏である。そんなこと誰が決めたのかって、もちろん私が決めた。私の夏は私が決める。おまえの夏はおまえが決めろ。球児の夏は負けると終わる。とにかく私は今日から夏だ。午前10時の陽射しに、そう決定したくなるだけの説得力があった。なるほどそうか、この説得力がなかったから北風さんは太陽さんに勝てなかったのだな。説得力は、ひょっとすると決定力よりも大事だ。ドイツの夏に負けた日本代表チームにも、太陽的キャプテンシーがあればなぁ。ちょっとは違うパフォーマンスになったかもしれない。だけどそれはもう済んだこと。今日から夏である。

 ゆうべは渋谷でヤマちゃんと会い、ウナギ&ビールで暑気払い。私の大学時代からの親友であるヤマちゃんはコピーライターなのだが、これまで勤務していた小さな広告プロダクションが諸事情あって解散することになったので独立し、渋谷で働く社長になるという。「独立」って、いつ聞いてもワクワクする良い言葉だ。「ドクリツ」という語の響きの、なんと力強く清々しいことか。まるでベートーヴェンのシンフォニーみたいじゃないか。わりと淡々としていた本人より、むしろ私のほうが何だか知らないが刺激を受けて気持ちがバタバタしている。というのも、私は16年前に出版社を退職してフリーになり、その3年後に先輩から誘われて神楽坂で働く専務取締役になったものの、わずか1年後にその会社が事実上の解散状態になってまたフリーに戻ったわけなので、形式的には二度も独立していることになるのだが、実感の上ではいまだに真の独立を果たしていないような気がするからだった。日本かおれは。自分で自分のことも守れないのか。いやホント真面目な話、依存心が強い上に何年経っても地に足が着いていないというか、つまり「独」ではあるが「立」っていないというか、そもそも面倒臭いことから逃げ回っていたら結果的にフリー以外の選択肢がなかっただけだというのが正味のところだったりもするので、おれもそろそろちゃんと独立しないといかんなぁと思うのである。逃亡者に独立なんてあり得ないもんな。という私のことはさておき、ヤマちゃんの独立に幸多きことを祈る。

 大相撲名古屋場所三日目は見ていないが、嘉風は北勝力に負けてしまったようだ。まだ嘉風の相撲は二番しか見たことがないが、新聞で「はたきこみ」という決まり手を見ただけで、どんな様子で負けたのか想像がついてしまうタイプの、わかりやすい力士である。立ち合いの突っ張りからいったん下に潜って、また突っ張ろうとしたら、前に相手がいなかったんだろうな。ぺたん、と負けたような気がする。ぺたん。あと平幕で気になるところでは、29歳で新入幕という大真鶴は栃乃花に敗れ、豊真将は武雄山に勝った模様。大真鶴は長い下積みの苦労と年輪を感じさせる誠実で落ち着いたインタビューの受け答えに好感が持てるし、豊真将はよく鍛え抜かれた筋肉質の体がきれいだ。ただ「豊真将」という四股名はどうかと思う。「真豊将」でも「将真豊」でも「真将豊」でも順番どれでもいいじゃんという感じがしてしまって、なんだか散漫。ひとつの名前でいろんなことを言い過ぎているために、焦点が定まらない。四股名と小論文は言いたいことをひとつに絞ったほうがいいと思う。

 ところで、さんざんワールドカップを消費し尽くしたあとで大相撲を見ると何が新鮮かというと(そりゃまあ新鮮なところだらけではあるのだが)、何より「自分から積極的に転ぶ奴がいない」のが新鮮だ。転ぶと負けなので当たり前だが、絶対に転ぶまいとして懸命にがんばっている人たちの姿は美しい。あと、勝ったのに負けたと思って土俵から去ろうとしてしまい行司に慌てて呼び戻されている人や、一度は勝ち名乗りを受けながら行司差し違えで負けになったのに「先に足が出たのが自分でわかって、勝ち名乗りも聞いてなかったから、どうして物言いがつくのかわからなかった」と支度部屋で語る人などがいるのも、明らかに自分でタッチラインの外に蹴り出したにもかかわらず少しも悪びれることなく手を挙げてマイボールを主張する人たちや、負けたのに「内容では我々が勝っていた」とか何とかツベコベ言い訳する人たちばっかりの世界とは対照的。相撲通の著者がサッカー大嫌いというのも、わからなくはないと思う今日この頃である。まあ、その一方で大相撲にはカルチョ的な暗部もあったりなかったりするわけだが。

 ワールドカップの期間中、ぼんやりと「狂気」について考えていたら何かの拍子に思い浮かんできたのが、「自己愛と妄想とフットボール」という新しいタイトルだった。「愛と幻想のフットボール」というタイトルでリンクを貼ってくれているページも少なくないので、ブラウザーの上部に表示されるトップページのタイトルは変えないけれど、まあ、「愛と幻想のフットボール」というサイトの中に「自己愛と妄想とフットボール」という日誌があると解釈していただければよろしいかと。筆名もタイトルも紛らわしいことになっていて甚だ恐縮ではあるが、ようやく日誌の実態に見合った言葉が見つかったような気分。

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