入管・難民法改訂を巡る報道・コメント等セレクト

(2002年5月15日〜)


  
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2002年12月1日 朝日新聞

「助けて」と息子が訴え入管収容のアフガン男性、難民裁判中

 「タリバーンに足を切られた私に免じて、どうか父を助けてください」。難民認定を求めながら、東日本入国管理センター(茨城県牛久市)に収容されたアフガニスタン人グラム・フセインさん(49)の息子(14)から政府にあてた手紙を支援者が持ち帰った。一家は4年前、本国で生き別れになり、息子は父の行方をかばって足の指を切り落とされた。支援者によると、フセインさんは高血圧のため、25日にも一時意識不明になるなど、深刻な病状だという。
 フセインさんは少数民族ハザラ人の富裕な商人で、反タリバーン政党に資金援助をしていた。ハザラ人ら数千人が殺された98年8月の「マザリシャリフの大虐殺」の時、商用で日本にいた。パキスタンまで戻ったが、危険で帰国できず、再び日本へ。友人から「タリバーンが捜している」と知らされ99年10月に難民申請した。不認定となったため、その処分取り消しを求めた裁判を起こしたが、今年9月に敗訴。控訴中の10月半ばに収容された。
 難民支援をしている「カトリック大阪シナピス難民委員会」のメンバーが、迫害の証拠固めのために、パキスタンで避難生活を送る家族を捜し出し、面会した。
 シナピスの調査によると、4年前の大虐殺時、ハザラ人の政党員だった長男は殺された。当時10歳の次男はタリバーンに父の行方を追及され、土踏まずから足の指2本にかけてを切り取られた。8歳だった三男はやめさせようと叫び、口を引き裂かれた。これらの事実を家族や知人から確認し、次男から「父を助けて」という手紙を託された。
 フセインさんは、長男の死は知らされたが、息子2人の傷はまだ知
らない。
 担当する秋田真志弁護士は「UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)も難民性が極めて高いと認めている。裁判が終わるまでは収容すべきでない」と一日も早い仮放免を訴えている。
 難民条約は難民申請者を拘束しないよう求めているが、日本では入管の判断で収容される。

2002年11月30日 毎日新聞

切り落とされた指、タリバン迫害の証拠 
父が難民不認定、二男が森山法相に手紙

◇アフガン人支援団体「収容やめて」

 タリバンに迫害されたが日本で難民と認められず、超過滞在を理由に東日本入国管理センター(茨城県牛久市)に収容されたアフガニスタン少数民族、グラム・フセインさん(49)の体調が悪化している。アムネスティ・インターナショナルは収容を続けることに懸念を示す公開書簡を森山真弓法相に送付した。支援団体の現地調査で、二男(14)が父を捜すタリバン兵に足の指を切断されていたことも分かり、支援者は「一刻も早く解放し、難民と認めて」と訴えている。【磯崎由美、山成孝治】

 フセインさんは国連難民高等弁務官事務所に「難民性が極めて高い」と認められている。反タリバン勢力に多額の献金をしており、日本滞在中に友人から「タリバンから指名手配された」と聞いたため、99年10月、難民申請した。不認定取り消しを求める裁判を大阪地裁に起こし、今年9月に敗訴。控訴の直後、収容された。
 支援者によると、フセインさんは収容後、高血圧で頭痛を訴え、突然倒れ意識を失うことが1カ月半で数回あった。面会者に「死んだら遺体は焼かずにアフガンへ戻してほしい。でもその前に、一目妻子に会いたい」と語り、涙を流したという。同センターは10月上旬以降、常勤医が不在。
 訴状などによると、フセインさんはタリバンの虐殺を逃れ、家族と離れ離れのまま出国した。支援団体「カトリック大阪シナピス難民委員会」は10月、現地でフセインさんの家族と面会した。フセインさんの留守にタリバン兵が自宅を襲い、当時10歳の二男にナイフを突きつけ、フセインさんの居場所を尋ねた。二男が「知らない」と答えると、左足の親指と人さし指を根元からおので切り落としたという。
 二男は「足の指を切られた私が迫害の証拠。父を助けて」と法相あての手紙を書いた。弁護団は手紙や写真を新たな証拠として大阪高裁に提出する。

2002年11月27日 毎日新聞

「日本の難民政策不満」 緒方さん、日弁連へのメッセージに森山法相質疑で反論
 ◇緒方さん「!」−−日弁連へのメッセージで
 ◇森山法相「?」−−衆院法務委の質疑で反論

 緒方貞子・元国連難民高等弁務官=写真<右>=が日本弁護士連合会のシンポジウムに寄せた「日本は難民条約の精神や価値観を真に理解し、実践してきたのか」などとするメッセージに対し、森山真弓法相=同<左>=が国会で「腑(ふ)に落ちない」と答弁し、関係者の間に波紋を広げている。
 メッセージは日弁連が今月16日のシンポのため、米国在住の緒方氏に依頼。緒方氏は日本が難民条約加入後の20年間で300人弱しか難民を認定せず、エンターテイナー(興行ビザ入国者)は毎年約10万人受け入れていることを挙げ、「エンターテインメントが難民より優先されるのか」などと苦言を呈した。
 20日の衆院法務委員会で、民主党の中村哲治委員がこの内容を紹介。森山法相は「緒方さんとは付き合いもあり、尊敬しているが、このメッセージはちょっと腑に落ちない、あの緒方さんがこのようなことをおっしゃるだろうかという点もある」「条約を誠実に履行してきたと自負している。それは緒方さんもご存じだと確信している」と反論した。
 さらに「エンターテイナーと難民は申請者数や判断要素が全く異なり、比較するのはおかしい」としながら、「日本の入国管理が何の欠点もないとは言わない。緒方さんの指摘にうなずける面もある」と付け加えた。
 この答弁について、日弁連難民認定問題調査研究委員会の渡辺彰悟委員長は「専門家の指摘を謙虚に受け止められないようでは、世界標準の制度改革は無理」と批判。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)日本・韓国地域事務所は「緒方さんは日本の制度改正の動きを歓迎しており、もう一押し、との気持ちで多少辛口になったかもしれない」と話している。【磯崎由美】

2002年11月17日 毎日新聞

緒方貞子さんが政府に苦言−−難民シンポにメッセージ

 瀋陽事件やアフガン人一斉収容を機に難民認定制度の見直しが進む中、東京都内で16日、日弁連などの主催するシンポジウムが開かれた。緒方貞子・前国連難民高等弁務官がメッセージを寄せ、「日本は難民条約の精神を真に理解し、実践してきたのか」などと、日本政府に苦言を呈した。
 緒方氏は日本の財政的貢献を評価しつつ、「同時に難民を受け入れなければ、アンバランスな協力となる。日本はエンターテイナー(興行ビザでの入国者)を毎年10万人近く合法的に受け入れている。エンターテインメントが難民への思いやりより、はるかに優先されるのか」と批判。「外国人への偏見を捨て、世界の問題を自分の問題ととらえる必要がある」と人々の意識改革も求めた。
 法務省の懇談会では、制度の乱用防止に重点が置かれているが、緒方氏は「難民認定にかかわる職員や入国審査官が、人道的精神より管理思考を優先して対応するのも、制度の乱用では」とクギを刺し、人道的観点からの制度改革を求めた。
 シンポには、広島地裁・高裁で「難民」とされた後も強制収容され、10月末に仮放免となったアフガニスタン人のアブドゥル・アジズさん(30)も参加。「命を守るための不法入国は難民条約では犯罪ではないのに、保護を求めた国で迫害された。日本の難民認定制度は刑罰と同じだ」と訴えた。【磯崎由美】

2002年10月26日 朝日新聞

難民認定手続き大幅緩和へ 法務省、03年に法改正案

 法務省は、難民認定手続きを大幅に緩和する方針を固めた。来年の通常国会に出入国管理及び難民認定法改正案を提出する。日本の難民認定の運用に対しては「認定数が少ない」「不認定となる理由が不透明」などの批判が以前からあり、中国・瀋陽の日本総領事館事件をきっかけに検討が始まっていた。
 入国後60日以内としている申請期間の大幅延長や申請者の保護施設の整備などが盛り込まれる。
 法相の私的懇談会「出入国管理政策懇談会」で、中間報告が近く正式決定する。原案は瀋陽事件後、森山法相が懇談会内に設けた難民部会(部会長・横田洋三中央大教授)がまとめた。
 「60日ルール」と呼ばれ、期限を過ぎた難民を門前払いすることになるとの批判がある現行の申請期間については、6カ月〜1年の範囲内で延長するよう提言した。
 また、難民認定を求めている人が密入国や不法残留などで強制退去の対象にあたる場合でも、認定・不認定やその後の異議申し立てに対する結果が出るまでは、強制退去を求めないことを法的に保障する。
 現行では申請者が強制退去を命じられ、入管の収容施設内で難民認定の結果を待つケースが少なくなく、国内外から「人権上、問題がある」との指摘がある。
 さらに、申請中の人が生活できる保護施設や衣類の提供などの保護措置を求めた。
こうした手当てにより審査に必ず出頭するようにさせ、決定を早期に出すこともねらっている。

 

2002年8月28日 朝日新聞

政府却下の約30人は「難民」 国連が独自調査

 日本政府が難民と認めなかった外国人について、国連難民高等弁務官事務所が独自 に審査したところ、難民にあたると判断できたケースが99年以降の4年間で約30 人いたことがわかった。どちらも同じ難民条約に基づいて審査したのに結論は正反対 になったという。
 法務省は「難民高等弁務官事務所の認定は同事務所の規定を根拠としており、難民 条約に基づく政府の認定とは目的、対象が異なる」と反論。しかし、同事務所側は 「事務所の規定も条約とほぼ同内容だ」と言っている。
 同事務所の日本・韓国地域事務所(東京)は、法務省が難民と認めず、異議申し立 ても却下した人について審査した。たとえばトルコ出身のクルド人男性の場合、同国 内でクルド人が迫害を受けている現状を踏まえ、同事務所は3月、難民と判定したと いう。
 法務省は中国・瀋陽の日本大使館事件を機に、難民認定申請期限の緩和などを検討 しているが、基準そのものの見直しは対象にしていない。また、同事務所と結論が異 なった場合は強制送還をしていない。

 

2002年8月28日 朝日新聞

難民「門前払い」の見直しを 飯竹恒一(記者は考える)

 「まずは入国させてもらい、それから境遇を聞いてもらおうと思った」。ミャンマー(ビルマ)の少数民族ロヒンジャー族出身の男性(30)は、虚偽の商用ビザで2度にわたって成田空港から入国を試みた理由をこう語る。
 96年9月には即、国外退去で帰国便に乗せられた。2度目の98年3月には窓口でねばり、「難民申請したい」と訴えたが、国外退去を命じられ、こうした外国人を一時的に留め置く空港内の「上陸防止施設」に連行された。
 結局、日本にいる親類から依頼された弁護士が入管当局に掛け合い、来日5日目に難民申請できた。
 政治活動を理由に母国で拘束された経歴がある。申請は不認定になったが、裁判に訴え、今春、難民認定された。「1人きりだったら、申請すらできなかったと思う」
 
 母国で迫害を受けるような人は、まともな旅券やビザを持たない場合が多い。入国目的が偽りでも難民の可能性があれば、申請手続きに協力するのが先進国では常識だ。日本も加入している難民条約は、不法入国を理由に難民を罰してはならないと定めているが、現状は違うようだ。
 亡命希望者の駆け込みを「門前払い」した中国・瀋陽の日本総領事館事件のあと、日本の難民政策の見直しが進んでいる。インドシナ出身以外の難民認定者への支援制度の発足も決まり、申請者の処遇改善の検討が確認された。 法務省も申請者の法的地位や認定体制の見直しを始めた。与野党からは、認定機関を入管当局とは別の機関にする案も出た。
 しかし、瀋陽事件を踏まえた見直しなのに、難民認定を求めて日本の空港や港に駆け込む人たちの「門前払い」の解決策は検討課題になっていない。「一時庇護(ひご)」という制度はあるが、その適用はこの10年で2例だけだ。「現場」での判断には限界がある。「旅券の名前のつづりにも目を光らせ、灰色を黒と見なすのが任務。灰色を白と見なす人道措置を期待されても困る」と元入国審査官は言う。
 約10年前から難民政策を見直したニュージーランドには、「家がない」「帰国したくない」など庇護を求める意思を読み取れる発言例を列挙した入管業務マニュアルがある。心身の疲労や言葉の問題でうまく意思疎通できない場合も想定している。明白な乱用以外は難民申請を許す。
 同国で国連難民高等弁務官事務所の法務官補を務めた新垣修・志學館大助教授は「難民の可能性が少しでもあれば認定手続きに乗せる制度が、日本にも必要だ」と話す。
 不法入国の阻止は大切だが、庇護を求める人たちを安易に「門前払い」するのを見直すことこそ、瀋陽事件の教訓を生かす改革だ。

 

2002年8月21日 共同通信

難民政策見直しを前倒しへ 迅速対応目指し10月に

森山真弓法相は21日、私的懇談会「出入国管理政策懇談会」の「難民問題に関する専門部会」(部会長・横田洋三中大教授)が年内に予定していた難民政策見直しのための意見取りまとめを、10月に前倒しするよう求める意向を固めた。政府が7日の閣議で内閣官房に「難民対策連絡調整会議」(議長・古川貞二郎官房副長官)を設置し、総合的な難民対策に乗り出したことを受けた措置。中国・瀋陽の亡命者連行事件などを機に高まった難民政策の見直し論議を踏まえ「難民に冷たい日本」との内外のマイナス・イメージを解消するため、首相官邸と足並みをそろえた迅速な対応が必要と判断した。

 

2002年8月11日 読売新聞

難民認定希望者の聴取項目を明確化 外務省が対応指針

 外務省が新たにまとめた、難民認定希望者が在外公館を訪れた際の対応指針(ガイドライン)の内容が十日までに明らかになった。希望者に対する聴取項目を明確にしたほか、在外公館、外務省、法務省の連携強化などを定めた。
 指針は、中国・瀋陽での亡命者連行自県をきっかけに政府・与党内で検討してきた難民政策の見直しの一環として整備された。
 聴取項目については、(1)本人の身分(2)日本に滞在する意志(3)母国で迫害を受けている状況−−などを挙げている。在外公館はその情報をただちに外務省本省に伝え、外務省は法務省と協議のうえ、必要な措置を指示するよう定めている。
 また、難民認定の申請手続きは日本国内でなければできないことから、外務省は今後、相当の理由があると判断した場合、旅券(パスポート)を所持していない人に対しても、渡航証明書を発行し、日本入国ができるようにする方針だ。

 

2002年8月8日 共同通信

条約難民の定住支援決定  政府の連絡会議が初会合

 政府は七日午後、これまでベトナム、ラオス、カンボジアからのインドシナ難民に限定してきた定住支援措置を、入管難民法で認定された「条約難民」にも適用することを閣議了解し、同時に新設を決めた「難民対策連絡調整会議」(議長・古川貞二郎官房副長官)の初会合を首相官邸で開いた。
 初会合では、これまでインドシナ難民を対象としてきた「国際救援センター」(東京)への入所を条約難民にも認め、来年度から年間二十人程度を対象に約四カ月間の日本語教育や職業訓練、職業相談などを実施することを決めた。
 中国・瀋陽の亡命者連行事件を機に、日本の難民政策が非難されたことを受けた対応。同調整会議は既存の「インドシナ難民対策連絡調整会議」を改組した。
 ただ(1)入国から原則六十日以内しか難民申請を認めない「六十日ルール」(2)難民認定申請者の法的地位―など難民認定制度にかかわる諸問題は、森山真弓法相の私的懇談会の審議を見守る方針。
 初会合では、国際救援センターに入所した条約難民への生活費(一日九百五十円)や定住手当(一時金約十六万円)の支給、定住後のアフターケアを行う「難民相談員」の配置も決めた。
 またインドシナ難民の受け入れ事業は数年後には終了する見込みのため、同センターの再整備や代替施設の建設なども検討していくことを決めた。

内外世論受け一定の前進  条約難民の支援拡充で

 政府が七日に新設した「難民対策連絡調整会議」でインドシナ難民に限定していた定住支援措置を入管難民法で認定された「条約難民」にも拡大することを決めたのは、待遇の格差是正を求めた国連人種差別撤廃委員会の勧告に加え、中国・瀋陽の亡命者連行事件を契機に高まった難民政策への関心に対応する必要に迫られた結果だと言える。
 自民党も事件後、麻生太郎政調会長の下に、中山太郎元外相を座長とする特命のプロジェクトチームを設置し、七月末に条約難民への定住促進支援の実施を提言をまとめており、内外の世論に後押しされてようやく重い腰をあげた格好だ。
 今回の見直しで、条約難民は従来受けられなかった日本語教育や職業訓練などの支援を受けることができるようになり、人道的な見地から一歩前進したのは間違いない。
 しかし自民党提言にも盛り込まれ、より根本的な問題として横たわる難民認定申請者の法的地位や不服申し立て制度の見直し、入国から原則六十日以内しか難民申請を認めない現行ルールの改善などは課題として積み残されたまま。
 特定非営利活動法人、難民支援協会の筒井志保事務局長は「難民認定制度が始まって二十年間、一度も動かなかったものが動き、大きな前進だと思うが、これで終わってはいけない。今後、難民申請者の保護措置を含め総合的な取り組みが必要だ」と話している。
 国連人種差別撤廃委員会は昨年三月「インドシナ難民は住居、財政的支援があるのに対し、他の難民に適用されていない。すべての難民が等しい給付資格を確保するための必要な措置をとることを勧告する」との最終見解をまとめ、日本政府に改善を求めていた。

 

2002年7月12日 毎日新聞

不法入国も滞在資格 政府方針 難民認定の審査中

政府は11日、在留資格を持たないで難民申請をした外国人について、審査中の日本滞在に法的根拠を与える方針を固めた。法相が特別な理由を考慮して、一定の在留期間を指定する「定住者としての在留資格」に準ずる資格を付与する検討に入る。不安定な身分のまま、難民認定の可否を待つという特異な状態の解消が必要と判断した。81年の国連難民条約加入をきかっけに制定された入管難民法で難民に関する法改正は初めて。
 政府は中国・瀋陽総領事館で5月に起きた亡命希望者連行事件を受け、難民政策全般の見直しを進めている。すでに難民認定した外国人に対し、日本語学習や就職あっせんなどを通じ、自立を手助けする支援機関を新設することを決め、認定後の整備には乗り出しており、今回の方針は審査段階の不備をただすのが目的だ。
 現行の入管難民法は、難民について「人種、宗教、政治的理由で迫害を受ける恐れがある」という国連難民条約の定義に従うとしているだけで、難民申請を行い、審査を受けている外国人の在留に関する記載はない。このため、日本に不法入国した後、難民申請した人や、審査中に観光ビザ、就学ビザなどの期限が切れてしまった人は、法的身分があいまいな状態に置かれることを余儀なくされている。
 また、認定申請期間については、現行の60日間では「準備期間として不十分」との指摘があるため、180日間に拡大する方針も固めた。
 こうした方針は、自民党の「亡命者・難民等に関する検討会」と法務、外務両省がまとめた「わが国の取るべき難民対策の基本的な方針」に盛り込まれている。同検討会座長の中山太郎元外相は11日、首相官邸に福田康夫官房長官を訪ね、党内手続きに入ることを報告した。

2002年7月11日 読売新聞

難民手続き、在外公館でも対応 「脱北者」を念頭に検討/政府・自民

 政府・自民党は十日、北朝鮮から中国に逃れた「脱北者」などの日本への難民認定希望者が在外公館に駆け込んだ場合、外務、法務両省に連絡して保護の可否を検討したうえで具体的措置を講じるなど、在外公館での受け入れの仕組みを明確にする方針を固めた。国連難民条約で「人種、宗教、政治的理由で迫害の恐れのある」と定義された難民(条約難民)について、国内だけでなく、在外公館でも受け入れる体制を作るものだ。今後、関連法の改正などを検討する。また、難民条約に加盟しながら難民認定制度のない中国に対し認定制度の創設などを働きかけ、脱北者問題全体の解決も進めたい考えだ。
 この方針は、自民党亡命者・難民等に関する検討会(座長・中山太郎元外相)が同日まとめた「わが国の取るべき難民対策の基本的な方針」に盛り込まれた。
 法務省などによると、在外公館を訪れた難民認定希望者については過去にも日本への渡航書を発行し、来日後、正式な難民申請手続きを取った例外的なケースが数例程度はあるが、明確な対応マニュアルなどはなかった。
 このため、基本方針は「難民認定希望者への人道的対応に配慮しつつ、在外公館と外務・法務本省との連携強化を図る」「初動対応マニュアルを整備する」などとしている。難民認定希望者に対する渡航書の発行などについて、在外公館でも柔軟な対応ができるよう体制を改めることにした。
 ただ、今回の見直しでは、国際的に厳しいとされる日本の難民認定基準自体は緩和しない。外務省も、在外公館への難民認定希望者の「駆け込み」には警備強化で臨む方針で、直ちに脱北者らに門戸を開放するものではない。
 一方、従来は日本に不法入国して難民申請を行った外国人については、法的位置づけが不明確だったが、これを改めて、保護施設への入所を条件に、認定の可否が判断されるまで正式な在留資格を付与することにした。逃亡の恐れや悪質な行為をする懸念がなく、自立した生活が可能な申請者については、在宅での申請手続きを認める。保護施設は、東京・品川の国際救援センターを再整備して使用する。
 基本方針はこのほか、〈1〉難民認定申請期間を現行の六十日から百八十日に延長し、異議申し立ては第三者機関が関与して判断する〈2〉条約難民と認定された者について現在、特別枠を設けているインドシナ難民と同様に日本語教育、職業訓練を施す〈3〉内閣官房に条約難民の連絡調整組織を設ける――などの新たな対策を盛り込んだ。

2002年7月7日 読売新聞

[政治を読む]難民政策見直し 国民的な合意が不可欠

 四十八万人と二百九十一人。何の数字か、お分かりだろうか。
 前者は、五月三十一日から六月三十日までのサッカー・ワールドカップ(W杯)日韓大会の期間中、日本を訪れた外国人の数。後者は、一九八二年から二〇〇一年までの二十年間に、日本が受け入れた難民の数だ。
 W杯では、欧州チームの「移民の子」の活躍が目を引いた。日本でもブラジルから帰化した三都主アレサンドロ選手の代表入りが大きな話題を呼んだ。
 外国人選手やサポーターと直接間接に触れ合い、従来の外国人観が変わったり、まったく新しい外国人観を形成した人も少なくなかっただろう。
 この変化が、政府・与党が五月の中国・瀋陽の亡命者連行事件後に着手した難民政策見直しの追い風になるかもしれない。ある政府関係者は「瀋陽、W杯で関心が高まった今こそ、国民の難民政策への理解を深める最大のチャンスだ」と語る。ただ、思い描く具体的な姿は様々だ。「閉鎖的」という国際社会の評価を改めたい思いは同じだが、受け入れ難民数の増加を目指すのか、手続きの透明化や受け入れ体制作りに力点を置くのか。「軸」が定まっていない。
 W杯の閉幕直前にカナダ・カナナスキスで開かれた主要国首脳会議(サミット)に向け、政府・自民党内で、小泉首相が日本の難民政策見直しをサミットで表明する案がひそかに検討された。「欧州で移民排斥の動きが強まる中で、日本が『人種差別によって国内の秩序安定はできない』と発言すればインパクトがある」(自民党関係者)という判断からだ。
 が、首相は結局、難民政策には一言も触れなかった。政府・自民党内で意思統一ができていなかったのが最大の要因だった。
 自民党は瀋陽事件の直後から、麻生政調会長の下に検討チーム(座長=中山太郎・元外相)を設置し、難民政策の見直しを進めている。だが、難民申請に対応する窓口の在外公館への設置や、難民条約に基づく認定基準の緩和には、「不法就労を助長しかねない」などの慎重論が強い。
 公明党は四日、難民政策の見直しに関する政策提言を首相官邸、外務省、法務省に申し入れた。その内容は、専従の調査官がわずか七人しかいない難民認定体制の拡充や、申請期限の延長など、申請の手続きや運用の改善が主体だ。直ちに難民受け入れの増加につながるものではない。
 国立社会保障・人口問題研究所による推計では、日本の人口は二〇〇六年をピークに減少に向かう。受け入れ積極論者の論拠の一つは、「文明の衝突」を著した米ハーバード大のサミュエル・ハンチントン教授が指摘するように、「高齢化と人口減少に直面する日本は、多くの移民を受け入れないと経済的に持続できない」という点にある。
 一方で、消極論者は、「受け入れた難民の教育や社会保障をどう負担するのか。治安悪化の恐れはないのか」と主張する。
 難民政策の見直しは、国民的な合意抜きには進められない。ハンチントン教授が言うように、「移民に門戸を開くには社会的な大変革が必要だ」からだ。
 日本社会と外国人との関係はどうあるべきなのか。一時のムードに流されず、じっくり考える必要がある。(津田歩)

2002年7月1日 毎日新聞

難民支援に新機関 自立へ、就職あっせん−−政府方針

 政府は、難民認定した外国人に対し、日本語学習や就職あっせんなどを通じ、自立を手助けする支援機関を新設する方針を固めた。こうした支援は現在、主に非政府組織(NGO)のボランティアに委ねられており、公的支援の必要性が指摘されてきた。外務、文部科学など関係省庁で調整したうえで、必要な法改正、予算措置を行う。
 政府は79年の閣議決定に基づき、インドシナ難民と認定されたベトナム、ラオス、カンボジア国籍の人に対する支援は行ってきた。しかし、近年はインドシナ難民が激減する一方、公的支援の対象になっていないミャンマーなど他国の難民が増えており、現在の仕組みが実情に合わなくなっていた。このため、政府は支援の枠組みを難民全般に広げる新方針を打ち出すことになった。
 支援機関は、インドシナ難民のための国際救済センター(東京都品川区)の一部を改装して活用する案が浮かんでいる。
 政府は5月に中国・瀋陽総領事館で起きた亡命希望者連行事件を機に、亡命者への対応とともに難民政策全般について包括的な見直し作業に着手。まず、難民として受け入れた人に対する施策の充実をはかることにした。

2002年7月1日 共同通信

難民 受け入れ改善の道 遠く/日本の認定26人、欧米と大差

 中国・瀋陽の日本総領事館で起きた朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の亡命者連行事件は、日本の難民政策の実態を如実に反映した。難民条約に加盟しながら、難民受け入れに極めて消極的な日本。欧米で高まる移民排斥の動きなどを理由に「難民鎖国」を擁護する声がある一方、日本の現状を「条約違反に等しい」とみなす批判は高まっている。各国の事情を報告し、日本の課題を探った。
 日本政府は法相の私的懇談会に「難民問題に関する専門部会」を設置。入国から原則六十日以内しか難民申請を認めない現行ルールや、難民申請者の法的地位、不服申し立て制度の見直しに関する議論に着手した。だが、国際社会が求める難民の受け入れ拡大には消極論が目立つ。
 政府が二○○一年に認定した難民はわずか二十六人。一次審査段階の認定率も7%どまりで、カナダ58%、米国43%、フランス12%、英国11%を下回る。政府は二○○○年の一次認定率14%を引き合いに「他国と比べても恥ずかしくない」と説明するが、不服申し立てを受けた認定率では、主要国との差は歴然としてくる。
 緒方貞子・前国連難民高等弁務官らは「もっとオープンな社会にならなくてはならない」と受け入れ拡大の必要性を指摘。これに対し、政府、与党の姿勢は「(北朝鮮からの亡命希望者が)何万人もがということも考えられないわけではない。中長期的に難民問題をどうするかも併せて検討する必要がある」(福田康夫官房長官)と、一般論の枠を出ない。
 小泉純一郎首相も治安悪化や雇用に及ぼす影響を念頭に「どんどん受け入れることに対し、非常に厳しい意見がある。どうあるべきか慎重に検討したい」と消極的だ。

 ▼ドイツ/ナチスを教訓、庇護
 ドイツ連邦外国難民認定庁によると、昨年の難民申請は約十一万八千件。うち国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、認定者数は二万二千七百人。認定者の出身国はイラク一万二百人、アフガニスタン九千四百人など。
 ドイツ憲法は「政治的に迫害された者は庇護(ひご)権を有する」(第16a条)と明確に規定。難民は原則的に受け入れるのが国の姿勢だ。背景には、ナチスによるユダヤ人や反体制派弾圧への反省がある。過ちを繰り返さない決意を、ドイツが「被迫害者の避難所」になることを宣言することで示している。
 ネオナチなどによる移民排斥の主張は、ドイツでもくすぶる。しかし、ベルリンの非政府組織「寛容と民主主義のための同盟」のクリストフ・ヘアガルテンさん(47)は「民主主義と自由の価値を認める国家は政治的に迫害を受けた人や戦争の犠牲者を受け入れる義務がある。拒む国は迫害と弾圧の共犯者だ」と断言した。(ベルリン共同)
 ▼フランス/「博愛精神」で保護
 「自由、平等、博愛」を掲げた十八世紀の革命で誕生したフランス共和国は「革命賛同者は皆、フランス市民である」と唱えた。
 フランスが移民・難民の受け入れを推進したのは、君主制の列強に囲まれた共和国の生き残り策の面もあったが、国家理念の一つ「博愛」の体現でもあった。移民・難民は欧州全体やロシア、旧植民地から押し寄せ「フランス人の六人に一人は父母か祖父母が外国生まれ」という。
 難民保護は憲法に明記され、難民・無国籍者保護事務所(OFPRA)が認定審査に当たる。UNHCRによると、昨年は約四万七千人が難民申請し、認定者数は九千七百人。
 不認定の場合、国外追放または違法滞在者として処罰されるが、難民側には上訴権があり、裁判は二―三年かかる。違法滞在者でも十年後には国籍を申請できる寛容な法制もある。(パリ共同)
 ▼アメリカ/テロ後、審査厳格に
 UNHCRによると、昨年の米国への難民申請は五万九千四百三十件で認定者数は二万八千三百人。認定率の高さは移民国家「アメリカ」を物語る。
 ジョージタウン大国際移民問題研究所のアンドルー・ショーエンホルツ氏によると、難民審査のシステムは確立されており、申請者は最初の面接審査で申請を棄却されても、その後、異議を唱える機会が複数回与えられている。
 非政府組織「米国難民委員会」(本部ワシントン)によると、米中枢同時テロの影響で米国は昨年、難民受け入れを一時停止、審査はより厳格になった。
 しかし、瀋陽の亡命者連行事件について米メディアは詳細に報道、ワシントン・ポスト紙は「日本は世界で最も経済的に恵まれ、アジアの民主主義を主導しているにもかかわらず、戦争や飢餓、政治的な弾圧を逃れた難民受け入れに関しては先進国中で最悪」と批判した。(ワシントン共同)

▼日本の改善策を提言/「出入国管理から独立を」渡辺氏/
「生活支援は不可欠」筒井氏

 政府・自民党も見直しを始めた日本の難民政策。どう改善するべきだろうか。
 全国難民弁護団連絡会議世話人の渡辺彰悟弁護士は「難民認定のシステムを出入国管理から切り離すべきだ」と主張する。
 命からがら母国を逃れる難民は、正規の許可を得ずに他国に入り在留することが多い。だが日本では、不法入国した難民申請者らに対し、法務省が認定手続きと同時に、収容から送還に至る退去強制手続きを進めている。
 「左手で受け止めながら、右手で追い出そうとするようなもので、これでは客観的な認定はできない。難民認定部門を独立させ、認定手続きが終わるまでは収容など退去強制手続きに入らないようにする必要がある」と訴える。
 特に入管難民法によると、不認定処分への異議を判断するのも同じ法務大臣で、不服申し立て制度としては極めて異例。ニュージーランドでは独立の異議審査機関を設立した結果、認定手続き全般の向上が報告されており、同様の機関を求める声は強い。
 特定非営利活動法人、難民支援協会の筒井志保事務局長は「難民申請中も認定後も生活支援が不可欠」と話す。同協会の調査では、来日した難民は就職や日本語学習で苦労しており、在留資格がなければ生活保護も受けられない。
 「欧米諸国のように、申請者にも在留資格を与え、政府が住居や食事を提供するか、就労を許可するべきだ」と筒井事務局長。認定手続きを迅速化すれば、乱用も防げると強調する。

<難民>
 難民条約(1951年)が「難民」と定義するのは、人種、宗教、国籍、特定の社会集団の構成員、政治的見解などを理由に迫害を受ける恐れがあるとして国外に逃れた人々。このうち政府高官などを「亡命者」と呼ぶこともあるが、条約上の区別はない。
 迫害の対象でないものの、戦乱、自然災害、飢餓などを逃れ、居住地を離れる人々も現在は難民、避難民として国際的な支援対象となっている。職を求め途上国から先進国に渡る移住労働者らを呼ぶ「経済難民」は、条約上の難民の対象外とされる。

2002年6月27日 毎日新聞

難民支援 米NGOのいま ビレイ・チャランラー氏に聞く
手続き申請から英会話、就職… 官民連携し定住支援

 【ワシントン26日平山孝治】世界最大の難民受け入れ国のひとつである米国の難民政策の特徴は、非政府組織(NGO)やボランティアが担うきめ細かい定住支援といわれる。ワシントンにあるNGO「ニューカマー・コミュニティー・サービス・センター」所長で、自身もラオス難民として米国に来た経験を持つビレイ・チャランラーさん(52)に活動実態などを聞いた。

 ―活動はいつから。
 「設立は一九七八年。当時は圧倒的に東南アジアからの難民が多く、組織名も『インドシナ・コミュニティー・センター』でした。最近、アフリカ諸国など世界各地からの難民が増え、二年前、(インドシナに特定しない)現在の名称に変わりました。常駐スタッフはスタート時三人でしたが現在は二十八人。出身地はさまざまで、私自身を含め東南アジアはもちろん、エチオピア、イラン、クルド人もいます」

 ―運営資金は。
 「最初は、すべてボランティアで賄われていました。インドシナ難民の大量受け入れを機に難民法が八〇年に制定され、政府や州の援助を受けられるようになりました。現在は公的資金と寄付金で運営しています。教会の存在は米国では大きいですね。資金も人ももう少し増やせればと思います。私自身、企画書などをつくり、寄付金集めに回っています」

 ―支援内容は。
 「英会話教育、就職のためのカウンセリング、入国・難民申請、永住手続きの支援、インドシナ・コミュニティーなどでの青少年の健康指導、エイズ予防など。スタッフがこれまで企画してきた多様なプログラムを実施しています。それに多くのボランティアが大切な役割を担っています」

 ―インドシナ難民の定住が成功した要因は。
 「全米で最もインドシナ出身者が多いのはカリフォルニア州ですが、ワシントンや周辺州にも約八万のベトナム人と一万余のカンボジア人、ラオス人が住んでいます。自立に成功したのは勤勉さと、やはり家族のきずなの強さ。そして、何よりすべての難民が最初の六カ月間は生活のあらゆる分野で、私たちのような組織を通して福祉サービスを受けられるということがあると思います」

 ―具体的には。

 「個々の難民のニーズを満たすよう政府予算が確保されている。そして民間団体が実際に支援のためのプログラムを行うという、特別なシステムがこの国にはあるのです。どの地域から来た難民もすべてが定住支援を受けられる、このシステムなくしては、国が多くの難民を受け入れることはできません。日本と米国の最大の違いは、このシステムがあるかないかということでしょう。
 言語の問題も重要です。ここのスタッフは全員複数の言語を話します。私自身も母国語であるラオス語のほかにフランス語、タイ語、それからベトナム語もだいたい分かります」

 ―昨年の米中枢同時テロ後、米国の受け入れが減っているが。
 「極端に減りました。以前はこの地域に毎月二百人がやってきていたのに、今は十人程度。受け入れが決まってもなかなか入国できず、イラク、アフガニスタンなどの難民キャンプで今も多くの人が米国行きを待っています。テロ以前に審査を通った人が、再審査されたりもしています。ブッシュ政権にとり、難民は主要な問題ではないのでしょう。もし難民の受け入れを重要視しているなら、難民認定審査にもっと人手を割いているはずです」

2002年6月21日 読売新聞

難民政策に驚くほど閉鎖的な日本 
政・官の消極論で冷める見直し熱(解説)

 二十日は「世界難民の日」。政府や与党の難民・亡命者の受け入れ政策の見直し作業を点検した。(政治部・小川聡)
 五月の中国・瀋陽の亡命者連行事件を受け、自民党は麻生政調会長の下に「亡命者・難民等に関する検討会」(座長・中山太郎元外相)を設置した。十九日の会合では、厚生労働、文部科学、警察の各省庁担当者が、難民を受け入れた場合の課題を説明した。
 「外国人労働者として働く難民認定者は、景気が悪いと真っ先に解雇されやすい。再就職も帰国も無理。社会不安を強めかねない」「難民の子供たちの教育施設や予算をどう確保したらいいのか」
 受け入れ態勢が整わないという慎重論、消極論のオンパレードとなり、参加議員の一人は「受け入れ態勢をきちんと作ろうと議論を始めたのに、日本政府の外国人対策の鈍さを再確認するばかりだ」とため息をついた。
 日本が亡命者や難民に対して「驚くほど閉鎖的」(自民党幹部)なのは、数字からもわかる。法務省の調べでは、日本が「難民の地位に関する条約」(難民条約)を締結した翌一九八二年から二〇〇一年までの計二十年間に受け入れた難民は、わずか二百九十一人。特例を設けたインドシナ難民については二十年間で一万人余を受け入れたが、米、加両国が毎年数万人、英、仏、独、伊など欧州各国が毎年数千人といった規模で受け入れている実態とは大違いだ。
 確かに、衝撃的な瀋陽事件の直後は政府だけでなく、大半の与野党が亡命者を含む難民政策の見直しを訴えた。しかし、時間がたつにつれ、熱が冷めているのが実情だ。
 公明党は、〈1〉在外公館への駆け込みに対する共通のルール作り〈2〉難民の処遇改善――の必要性などを指摘した党見解を二十一日まとめるが、具体策は期待できそうもない。
 民主、社民、共産など野党各党にも「一時的な感情だけで議論すべきではない」(民主党・岡田政調会長)、「国民的合意が得られるのか」(社民党・福島幹事長)といった慎重論が多く、なかなか実質的な議論には入れない。
 こうした空気を反映し、法務省が十一日に開いた難民問題に関する専門部会の初会合では、法務省側が「これは全政府的な立場での検討ではない」と出席者にわざわざ確認をとり、難民政策の根幹に触れないようクギを刺した。
 政府・自民党は七月末をメドに見直し案をまとめる予定だ。しかし、外務省幹部は「難民認定者が少な過ぎるため、国際的に格好がつかないという妙な“合意”だけが今の日本にある」と指摘。「役人は小手先の政策決定しかできないのに、今の政治はまさに総論賛成、各論反対の状態だ」とさじを投げている。見直し作業は壁にぶつかりつつある。
                  ◇           ◇
 ◇世界難民の日 OAU(アフリカ統一機構)難民条約の発効を記念した六月二十日が「アフリカ難民の日」だった。難民問題に対する国際社会の関心の高まりを受け、国連総会で「世界難民の日」に衣替えを決め、今年で二回目。

2002年6月16日 読売新聞

難民認定を透明化、一時受け入れ施設も整備へ

 政府は15日、中国・瀋陽で起きた亡命者連行事件を契機に日本の難民政策見直しの機運が高まったことを受け、〈1〉不法入国した難民申請者の位置づけを明確にする〈2〉難民申請者の一時受け入れ施設を整備する――などを柱とした見直し策をまとめ、必要な法改正や予算措置を行う方針を固めた。難民申請の受付期間の延長や、難民認定の再審査制度の改善なども検討する。見直しは、難民への門戸を直ちに広げるものではないが、国際社会から「厳しすぎる」などの批判が出ている日本の難民認定の透明性を高める狙いがある。
 難民政策見直しは、古川貞二郎官房副長官の下に設けた関係省庁による検討会で協議しているほか、入国管理業務を所管する法務省も検討を始めている。
 日本は現在、国連難民条約を踏まえた出入国管理・難民認定法に基づいて、難民認定を実施している。だが、同法では、不法入国者が難民申請した場合、難民申請を認めるのか、不法入国を理由に強制退去させるのか、明確ではない。その基準を新たに定めるため、同法改正を検討する方針だ。
 ただ、就労目的で不法入国し、摘発逃れを目的に難民申請を行うことも想定され、自民党内には、同法改正で難民の受け入れが急増することを懸念する声もある。政府は、今後、与党の検討状況なども勘案しながら、不法入国した難民申請者の地位についての詳細を詰めていく。
 一時受け入れ施設については、難民申請者の衣食住を確保する一方、審査中に申請者が所在不明になるといった事態を避けるのが狙い。具体的な受け入れ施設として、東京・品川の国際救援センターを活用する案も浮上している。
 また、国連難民条約に基づいて難民(条約難民)と認定した人に対し、就労機会が得やすくなるよう、職業訓練や日本語教育などによる支援措置を行う。

2002年6月16日 朝日新聞

北朝鮮脱出者、東南アジアに大挙流入 中国を経由

 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を脱出した人たちが、中国経由でモンゴルや東南アジア諸国に大挙流入していることが分かった。脱出者らは各国で難民認定を申請し、韓国の情報機関の支援なども得て、順番に韓国へ送り込まれているという。中国内の外国公館に駆け込む事件の続発とは別の動きが進んでいることになる。
 韓国政府関係者によると、北朝鮮脱出者が多く逃げ込んでいるのはカンボジア、タイ、モンゴルなど。最も多いのはカンボジアで、今年に入ってから、すでに約180人が流入した。北朝鮮で政治的、宗教的迫害を受けたとして現地の国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)などに難民申請をしている。
 脱出手段としては、北朝鮮からいったん中国に入り、偽の公民証を買って鉄道で第三国に渡るケースが多いという。中国に入った後に宗教団体などの支援を受ける場合もある。第三国で韓国の情報機関や在外公館関係者も関与しているという。
 北朝鮮脱出者が東南アジアに押し寄せるようになったのは昨年ごろから。別の政府関係者は、新たな脱出者の流れの背景について「公館で相次ぐ亡命事件で中国当局の取り締まりが厳しさを増し、支援団体が中国以外の第三国行きを勧めている」と話している。

2002年5月25日 共同通信

難民問題で専門部会設置 森山法相

 森山真弓法相は二十四日の記者会見で、法相の私的懇談会「出入国管理政策懇談会」の下に、新たに「難民問題に関する専門部会」を設置し、難民受け入れの在り方などについて検討を進める、と発表した。
 中国・瀋陽の亡命者連行事件を契機に難民政策見直しの議論が高まっていることを受けたもので、部会は十人前後の有識者らをメンバーとした上で六月前半に初会合を開催。年内に報告を求めたい考えだ。
 法相は「難民認定制度の在り方や人道的配慮、国際貢献の在り方が問われている。幅広い観点から考え、入管行政に反映していきたい」と強調した。

2002年5月24日 森山法務大臣 定例記者会見

5月24日 森山真弓法務大臣 定例記者会見

【難民問題に関する専門部会の設置について】

 それから今日は,閣議以外に少しお話しておいた方がよろしいかと思うことがございますので,私から申し上げます。今日の国際情勢に加えまして,先般の瀋陽総領事館におきます事案の発生もございまして,難民問題が内外の大きな関心を集めております。現在の難民認定制度のあり方というのは,昭和57年に発足いたしましたものですから,多少時間も経っておりますし,世の中もずいぶん変わってきました。紛争地域に起因する避難民などに関する人道的な配慮とか国際貢献の在り方などについて,必ずしも十分でないというご指摘も受けているところでございます。そこで,私といたしましても,今後の我が国における難民問題を幅広い観点から考えて,それを入管行政に反映していくために,各方面の有識者の方々のご意見を是非伺いたいと思ったわけでございます。幸い,そのような問題を諮問する場として,法務大臣の私的懇談会であります出入国管理政策懇談会というものがありまして,平成2年から,入管行政の様々な分野について,だいたい2月に1回くらいの割合で開かれているのですが,幅広い分野の有識者の方々のご意見を取りまとめさせていただいておりまして,そのご意見については今までも,制度改正の検討や出入国管理基本計画の策定など,貴重な参考にさせていただいてきたわけでございます。今回,その出入国管理政策懇談会に難民問題に関する専門部会を設けて,その問題を専門にご議論をいただくということはどうかと考えまして,今準備しております。6月の前半に第1回会合が
開ければということで今努力中でございます。そして,できれば年内には,この懇談会からご報告をいただくことができればいいなと考えておりまして,幅広い視点から検討された上で示された指針は,今後の難民問題に関する入管行政に活かされるものであろうと期待している次第でございます。

【難民問題に関する専門部会に関する質疑】

Q:難民問題に関する専門部会ですが,こちらに懇談会の名簿は出ているのですけれど,このうち何人が専門部会のメンバーになるのかというのはどうなのでしょうか。
A:基本的には,新たにこのテーマを議論していただくのにふさわしい方を特別にお願いした方がいいと思って,現在のメンバーの方にはこだわらずにお願いしようということで,今検討中でございますけれど,偶然一致する人もいるかも知れないというように思います。まだ,決定しておりませんので,はっきりとは申し上げることはできません。
Q:何人程度の方を考えておられていますか。
A:あまり大勢でもどうかと思いますので,10人前後と思っています。
Q:報告をまとめるに当たって,法制審などでは部会で答申の案みたいなものをまとめて,それを法制審の親会議で了承して大臣に答申するという形ですけれど,今回もやり方としては同じような感じなのでしょうか。
A:そうですね。メンバーは全く違うかもしれませんけれど,この懇談会に専門部会を置くという格好でありますので,形としては,最終的にはその懇談会から報告をいただくということになるのではないかと思います。
Q:専門部会の検討の論点というか,特にこの点をというものは,何かありますでしょうか。
A:まだ,余り細かいことは決まってないのですけれど,基本的な難民問題に対する考え方,難民問題と言ってもいろいろありますので,どういうように議論が発展していくか,予想はつかないのですけれど,個別にいろいろな方に,たまたま別の会合でお会いしたりしますと,もっとこうしたらいいのではないかとか,こういう点が問題でないかとか,時々私に直接お話をしてくださる方もございまして,いろいろな問題意識が社会の中にも生まれつつあるなという感じがするものですから,それは,その方はそれぞれの個人的な意見かもしれないのですけれど,そういうことをいろいろな観点から議論していただいて,何らかの参考になるご意見が頂戴できるのではないかという期待でございます。
Q:この懇談会で過去に取りまとめられた案を何か1つか2つ・・・。
A:今は第4次出入国管理政策懇談会ということで,第1次から始まって,2,3年で1回,多少メンバーを入れ替えてというやり方でやってきて,現在は第4次となっております。それで第4次は,平成12年3月30日に第1回会合をやっておりまして,それから今日までの間で,この3月28日で第9回会合なのですが,これまでの間にやっていただいたことは,例えばIT分野の外国人労働者の受け入れについて,研修・技能実習制度について,女性・児童等のトラフィッキング問題について,留学生・就学生の受け入れ,身分等に基づいて日本に在留する外国人について,範囲が大きいですが文化交流・その他など,いろいろなものが出ておりまして,中には,このご議論の結果,法改正にも結びついたものもあったのではないかというように思います。
Q:この方向としては,人道的配慮や国際貢献を広げる方向での何らかの対策の答申というか,ご報告をいただくという認識でよろしいですか。
A:広げるかどうかはまだ分からないですけれど,一般にそういう点が十分ではないのではないかという印象を持っていらっしゃる方が多いようなので,実はちゃんとやっているんだということのPRのやり方も必要かもしれないですし,あるいは本当に何か改善すべきことがあるかもしれないですし,全て白紙からスタートしたいと思っております。 (以上)

2002年5月24日 毎日新聞

[瀋陽事件と日本外交]難民には遠い国 受け入れ、冷戦時代のまま

◇制度見直し、重い課題

 「人道主義というが、日本は難民を歓迎しているわけではない。日本が(警備強化を)求めなければ、我々は(在外公館の警備を)緩やかにすることも可能だ」
 総領事館内連行事件が発生して9日後の今月17日、東京都内のホテル。中国の趙啓正・新聞弁公室主任は、野中広務元自民党幹事長ら与党幹部にこう言った。
 「人道」「人道」と声高に叫ぶのなら、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の難民を日本がもっと受け入れやすいよう警備を緩めてやってもいい――。日本側の表向きの主張と難民に冷淡な制度の大きなかい離を、趙主任は皮肉った。
 同じ日。古川貞二郎官房副長官は首相官邸に外務、法務両省の担当者を集めた。事件や阿南惟茂(あなみこれしげ)中国大使の「追い出せ」発言を機に、亡命や難民受け入れ制度の見直し論議が始まった。
 「冷戦構造が崩壊し、政治亡命のイメージが変わった。現行法では対応しておらず、何らかの見直しは必要だ」
 「政治的なリスクがあり、どこの国も亡命希望者に『いらっしゃい』とは言っ

ていない。慎重に議論すべきだ」
 積極派の外務省と慎重派の法務省の意見は厳しく対立した。論議長期化を予想させた。

  ◇  ◇

 出入国管理・難民認定法(入管法)は、日本国内を前提に難民申請を「上陸した日から60日以内」と規定。在外公館での申請を想定しているわけではない。首相周辺は「日本で難民申請するならボートピープルのようにして来るか偽造旅券で来るか、違法に来るしかない。難民にとって日本は『橋のない川』なんだ」
 与党内には70年代のインドシナ難民の受け入れを例に北朝鮮難民の認定基準緩和を求める声がある。だが、法務省幹部は「事件のビデオを見て感情的議論が出るのを危惧(きぐ)する」と漏らす。「日本が多民族社会への変化に耐えられるのか。一時的な感情で受け入れた後、隣人として暮らすことを許容できなければ来る人も不幸だ」(政府筋)との指摘も重い。
 日本の亡命・難民受け入れ制度は「狭き門」のうえ、「ダブル・スタンダード」というあいまいさを抱えている。90年代後半、瀋陽の日本総領事館で複数回、北朝鮮住民による駆け込み事件が起きた。形態としては亡命だが、いずれも戦後、北朝鮮に渡った日本人配偶者だったため、日本国籍を持っているとの理由で保護している。
 政府高官は言う。「難民受け入れの問題はこれまで誰もやって来なかった。『ことなかれ主義』は日本全体の問題であり、領事館はその全体の最先端に過ぎない」

  ◇  ◇

 川口順子外相は北朝鮮の住民5人が出国後の23日、難民・亡命者への対応は「瀋陽事件がもたらした最大の問題点」と指摘した。今回の事件は大量にあふれ出す難民・亡命者と日本がこれからどう向き合うかを厳しく問いかけている。
 
◇「手紙返され失望」発言に理解を示す−−福田官房長官
 
福田康夫官房長官は23日の記者会見で、総領事館内連行事件の住民5人のうちの一人、キム・ソングクさんが「渡した手紙を日本の総領事館員から返された時は少し失望した」と語ったことについて、「渡そうと思っていたものを突き返されれば、これは不満だろう。当然だ」と理解を示した。

◇アフガン人収容で問題も

 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、難民から庇護(ひご)申請を受けた件数(99年)はドイツの11万7000件を筆頭に米国9万件、英国7万5000件と続く。だが、日本の難民認定申請件数は00年216件、01年353件で、認定は00年22件、01年24件だけ(法務省統計)。米国では受け入れ数は年間1万人を超える。
 難民に対する日本政府の姿勢はアフガニスタン人の難民申請者の収容問題にも表れる。
 法務省・西日本入国管理センター(大阪府茨木市)に本国送還を前提に収容されているアフガン人男性、ホダダットさん(42)は、タリバン政権時代に迫害されたハザラ人。98年9月、日本に逃れ11月に難民申請。00年2月に不認定となり法相に異議を申し出たが、今年3月18日、却下と同時に収容された。
 こうした収容者は今年2月には東京、大阪で約30人に上り、自傷行為や病人が相次いだ。このためUNHCRは長期収容に懸念を表明し、本国送還を行わないよう異例の勧告をした。この後、東京では23人全員が仮放免された。
 本間浩・駿河台大教授(国際法)は「日本の難民認定は、冷戦時代の基準から一歩も前進していない。ドイツでは専門家を難民認定のネットワークに組み入れ、少数民族から申請が出た時などに意見を求めている。日本のように外部の意見を聞きたがらない閉鎖的状況では判断が偏向する危険性がある」と話す。

 ◇領事館の対応に批判や質問続出−−外務省「変える会」

 外務省改革を話し合う川口順子外相の諮問機関「変える会」の会合が23日あり、総領事館内連行事件での総領事館員の対応に「研修が十分なされていないのではないか」などの批判が出た。副領事がウィーン条約の存在や亡命希望者が駆け込む可能性を認識していたかといった質問も相次いだ。

 ◇中曽根元首相が「責任者処分を」

 中曽根康弘元首相は23日、自民党江藤・亀井派の総会で、瀋陽の総領事館内連行事件について「適当に処理すべき問題ではなく、責任者は処分すべきだ。自分の方は処分しないで(中国に陳謝を)要求するのは国際的に通用しない」と述べ、阿南惟茂(あなみこれしげ)中国大使ら関係者の責任追及が必要との考えを示した。
 また、同派会長の江藤隆美元総務庁長官は「川口(順子)外相の責任は免れるものではない。任命者の(小泉純一郎)首相が考えるべきだ」と外相更迭を求めた

2002年5月23日 毎日新聞

領事館内連行事件 小泉首相「あいまい決着」−
−福田官房長官、亡命対策見直し検討

 小泉純一郎首相は23日昼、総領事館内連行事件の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)住民5人がソウルに到着したことについて「(中国が5人を)行方不明者として扱わないと解決できなかった。あいまいなまま、はっきりしないまま導く方法がある。なかなか理解してもらえないが、そこが外交交渉の難しさだ」と述べ、事実関係の究明などを棚上げにした「あいまい決着」だったことを認めた。首相官邸で記者団の質問に答えた。
 一方、福田康夫官房長官は同日午前の衆院武力攻撃事態特別委で、「難民、亡命者への対処を政府全体でどう考えるかが明確でなく、これが末端の機関で不幸にも出てしまった」と述べ、難民・亡命者対策の見直しも含めた検討作業に入ることを示唆した。また福田長官は同日の会見で、関係者の処分を検討する考えを示した。

2002年5月23日 中日新聞

 亡命対応を見直し 法相 私的懇談会で検討へ

 中国・瀋陽の総領事館侵入連行事件に伴い、外国からの政治亡命希望者や難民認定申請者に対する対応の見直しが日本政府にとって新たな政治課題として浮上している。
 政府は、政治亡命希望者を事実上受け入れない政策を取る一方、難民認定申請者についても、厳しい制約を課している。今回の事件への対応の甘さは、現行制度のスキを突かれたためともいえる。
 この問題について、森山真弓法相は二十二日の衆院予算委員会集中審議で、法相の私的懇談会「出入国管理政策懇談会」を近く設け、現行制度の見直しを検討することを明らかにした。
 しかし、同じ委員会で小泉純一郎首相は「不審者排除と人道的保護は、線引きが難しい。難民を受け入れるべきだと言ったら、新たな問題を引き起こす。日本国内にもさまざまな意見がある」と述べ、現行制度の早期見直しは困難との見解を示唆。問題は浮き彫りになったが、結論が出るには時間がかかりそうだ。

2002年5月23日 中日新聞

瀋陽事件 北朝鮮の5人出国 不手際の連続、重い課題 
関係者の処分は確実 難民対応策迫られる政府 対中交渉難航は必至

 瀋陽の亡命者連行事件は二十二日、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)住民五人が中国を出国、「人道優先」という日本の主張を一応満たした形となった。だが、ウィーン条約違反など折衝次第では不審船引き揚げ問題など他の日中間の難問にも余波を与えかねない状況。関係者の責任問題など残された課題を探った。

 ●責任問題

 今回の事件では、総領事館や外務省の対応に不手際が目立ち、事件が全面解決後に関係者の処分は避けられない見通しだ。野党は川口順子外相や阿南惟茂駐中国大使の更迭を求めて攻勢を掛けてくるのは必至。小泉純一郎首相は外相の責任論を一蹴(いっしゅう)している。
 ただ、政府内には公館の不可侵権の侵害を許した総領事館の対応や、指揮命令系統の混乱、警備上の欠陥が次々に露呈したことから、岡崎清瀋陽総領事、田中均アジア大洋州局長の処分を求める声も出ている。
 阿南駐中国大使については「日中間折衝の現場の最高指揮官」(外務省筋)であることから、直ちに更迭などの措置は検討していない。ただ、事件発生直前の大使館会議で「不審者は追い返せ」などと発言したことが発覚したことで批判が高まっており、川口外相は二十二日夜の記者会見で、今回の対応を総括した後に何らかの処分を検討する意向を示唆した。

 ●難民問題

 門扉にしがみつく女性を引き離す武装警官のビデオ映像は全世界に衝撃を与え、以前から「厳しすぎる」と内外から非難を受けていた日本の亡命者、難民政策を浮き彫りにした。首相官邸は事件から十日目の十七日、外務、法務関係各省と、与党に難民受け入れ策の見直しなど具体的な検討を指示。自民党は早速プロジェクトチームの設置を決め、政府内からは「受け入れの数値目標を設けるなどして、世界から日本の難民政策が変わったと言われなくてはならない」との声も出始めた。
 日本の難民認定率は15%弱で、ドイツやフランスなどと比べそれほど遜色(そんしょく)はないが、過去二十年間に受け入れた難民の数は三百人にも満たず、「国際社会の一員として責任を果たしていない」(在京外交筋)との不満が諸外国にある。亡命者受け入れに至っては制度もなく、ごく例外を除き事実上認めてこなかった。
 今回の事件は国連平和維持活動(PKO)や政府開発援助(ODA)など「外に出ていくばかりの日本の国際貢献」(政府筋)に再定義を迫ることになった。

 ●日中関係

 四月の小泉首相の靖国神社参拝で、中国側は人民解放軍を中心に強く反発。江沢民国家主席も先に訪中した公明党の神崎武法代表に「絶対許すことができない」と述べ、首相を厳しく批判した。
 こうした中で今回の事件をめぐり日中両政府の主張が真っ向から対立。一時は「テーブルにすら着けない」(外務省幹部)状況が続いた。
 今年が国交正常化三十周年という節目の年に当たり、これ以上関係悪化は避けたいとの思いも働いて五人の第三国出国が実現したと外務省はみている。
 今後は日本政府は条約上の問題解決に本腰を入れるが、連行同意の有無など事実関係で中国が譲る気配はなく、難航は必至だ。
 交渉が長引けば、東シナ海の不審船引き揚げ問題にも影響が出る恐れがある。
 今秋には小泉首相の訪中が控え、防衛交流の停止など靖国参拝のツケも残る。不可侵権問題の交渉が日中関係の火種となってくすぶることが懸念される。

 

2002年5月21日 北海道新聞

政府・与党*難民への対応 見直しに着手*ムード先行 難航も

 中国・瀋陽で起きた亡命者連行事件での日本総領事館の対応に批判が集まっていることを受け、政府・与党は十六日までに、亡命者を含む難民受け入れの対応方法を見直す作業に着手した。これまで在外公館での受け入れ指針などはなく、そうした場合のマニュアル策定や受け入れ基準の緩和を想定している。しかし、難民をどこまで受け入れるべきかという問題もあり、難航が予想される。
 小泉純一郎首相は同日、首相公邸前で記者団に対し「日本の方針についていろいろ幅広い意見を聞いていく必要がある」と述べ、政府・与党内で今後の対応を検討する意向を表明した。
 現行の法制上、「亡命」の定義は明確でなく、難民認定は「出入国管理及び難民認定法」(入管難民法)に基づいて行われているが、これは国内での申請に限定しており、在外公館での手続きは想定していない。
 このため、「こういう場合にはこういう対応をというような基準」(首相周辺)の策定が必要との考えが急浮上した。また、亡命受け入れの門戸が狭いことへの批判が閣僚や与党幹部から出ており、受け入れ基準緩和も課題となる。しかし、内閣官房幹部は「難民を受け入れるべきか否かという国民的な論議がまず必要。ムードだけが先行している」と早急な見直しに懐疑的だ。
 法務省によると日本への難民認定申請件数は二〇〇〇年がトルコ、アフガニスタンなどの二百十六件、〇一年は三百五十三件で、認定はそれぞれ二十二件、二十六件。

2002年5月21日 共同通信

難民認定見直しに前向き  反省点あると法相

 森山真弓法相は二十一日午前の参院法務委員会で、中国・瀋陽の亡命者連行事件に関連し「難民認定の在り方が今のままでいいのか反省すべきこともいろいろある。人道とか人権に関する意見の変化もあるので、政府全体として審査体制の充実や整備の在り方を検討すべきだ」と述べ、難民対策の見直しに前向きな考えを示した。
 ただ二○○○年には二百十六人の難民申請に対し二十二人を認定、不認定の中からも人道的配慮で三十六人の特別在留を認めたことを説明し、「かなりの割合で住むことを認め、受け入れているので、諸外国に比べ閉鎖的だということはない」とも強調した。

2002年5月21日 共同通信

自民が難民認定見直しへ  プロジェクトチーム設置

 自民党は二十一日、中国・瀋陽の亡命者連行事件を受けて、政治亡命の取り扱いや難民認定の在り方を見直す方針を固めた。党政務調査会内に麻生太郎政調会長直轄のプロジェクトチームを発足させ検討作業を進める方向で、対策を取りまとめ政府に実現を迫りたい考えだ。
 日本は政治亡命を受け入れないことが基本原則だが、与野党内で「亡命を認めない国のままでいいのか」(神崎武法公明党代表)との声が高まっている。これに関連して、自民党執行部の一人は「日本も亡命者の通過国ぐらいにはならないといけない」と述べた。
 自民党はこうした状況を踏まえ、「人道上の観点から亡命への対処方針や厳格過ぎるとされる難民認定について再検討する必要がある」(自民党幹部)と判断。麻生氏と中山太郎外交調査会長が協議して検討チームを設置することになった。
 二十一日の総務会では野中広務元幹事長が「(事件の背景には)難民政策を含めて日本に確たる方針がないことがある。将来にわたる国としての方針をはっきりすべきだ」と指摘。麻生氏は「中山氏からも同様の提案を受けている」と述べ、チームの人選を進める考えを示した。
 中山氏をはじめ高村正彦元外相、長勢甚遠政調副会長、河村建夫元文部科学副大臣らを軸に調整している。

2002年5月15日 毎日新聞
 

 

総領事館内連行事件 亡命対応に見直し論 
定義・想定の欠陥露呈−−政府与党

 中国・瀋陽の日本総領事館内連行事件を機に、政府・与党内で「亡命申請」への対応見直し論議を求める声が上がっている。現状では、亡命の門戸は極めて狭く、特に在外公館での受け入れは想定されておらず、今回の初動のまずさにつながったという指摘がある。これまで柔軟対応を探る外務省、慎重姿勢の法務省を中心に議論されてきたテーマだが、事件を機に議論の輪が広がった。
 日本では「亡命」の定義は明確でなく、出入国管理・難民認定法の難民認定手続きの枠組みの中で「政治難民」として扱われている。法務省によると、難民認定申請件数は00年216件、01年353件で、認定は00年22件、01年24件。しかし認定理由は明らかにされていない。
 また同法は国内の外国人の申請への対応は定めているが、在外公館での申請は「他国領土での国内法適用は、相手国との関係で難しい」(外務省筋)との理由から想定していない。この中で、96年1月と6月に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の住民が日本の在外公館に亡命を求めたことが明らかになったが、政府は基本的に国外での対応を公表していない。

 ◇川口外相も検討の姿勢

 政府・与党内には、こうしたシステムが政府の初動のまずさを生んだとの見方が広がっており、扇千景国土交通相は14日の会見で「難民への法律の整備は、他国に比べて遅きに失している」と指摘公明党の神崎武法代表も13日の政府・与党連絡会議で「国際的にも人権が問題になっており、再検討する必要があるのではないか」と提起した。こうした声に、川口順子外相は14日の会見で「国全体で考えるべき問題で、政府として議論していく必要がある」と検討に前向きな姿勢を示した
 ただ認定基準を緩和した場合、多数の経済難民が押し寄せる事態も想定され、森山真弓法相は14日の会見で現行制度で対応できることを強調した。今後、「難民を少数受け入れている間口を広げる方向で議論は進む」(内閣府幹部)と予想されるものの、見直し論議はすんなりとは進みそうもない。

 ◇議員2人派遣し、民主党が独自調査

 民主党は14日、中国・瀋陽の総領事館内連行事件を独自に調査するため、海江田万里、中川正春の両衆院議員を現地に派遣することを決めた。2人は15日から3日間の日程で、北京、瀋陽を訪れ、総領事館関係者らから事情を聴く。

 ◇総領事らの処分不可避

 中国・瀋陽の総領事館内連行事件は北朝鮮の亡命希望者5人が第三国経由で韓国へ出国する流れとなる中、政府・与党内には決着後をにらみ関係者の責任を問う声が強まっている。政府は「事件の解決が最優先」としているが、5人の連行を許した現場の対応のまずさに批判が集中しており、現場の最高責任者である岡崎清総領事らの処分は避けられない情勢だ。
 14日の衆院本会議では茂木敏充氏(自民)が「現場限りの甘い処分で済む問題ではない。外務省全体として管理責任を含め厳しい措置が必要」と追及、中川正春氏(民主)は川口順子外相の辞任を要求した。外相は「問題を早期に解決することが第一の責任」と責任問題への言及を避けた。小泉純一郎首相は「外相は事件発生以来、的確な対応をしている」とかばったが、現時点で責任問題に言及するのは中国側に弱みを見せることになりかねないとの判断もあるようだ。
 外務省の調査報告書では「危機意識の欠如」などさまざまな問題点が浮き彫りとなった。14日の自民党外交関係合同部会では北京の公使が「無理はするな」と指示していたことなどに批判が噴出、外相を含む関係者の処分を求める声が相次いだ。
 与野党から「外務省には主権を守る気概がない」との強い不満が出ており、事件決着後に関係者の責任が問われるのは不可避とみられる。




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