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シュレディンガーの猫
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第十回

いかにも政治評論家が書きそうな文章

― 2003年4月 ―

 4月13日の日曜日が統一地方選挙の投票日だということなど、その朝のニュースを見るまで忘れていた。

「ああ、そういえば選挙なんかやってたんだな」

というのが、そのニュースを見たときの正直な感想だった。

 選挙ハガキが着いたとき、「ああ、そういえば今年は統一地方選挙とか言ってたな」と思ったのは覚えている。そのうちにポスター貼り板が立ち、選挙ポスターが貼り出された。街であいかわらず候補者の名まえと「がんばっています」ということばを交互に連呼する車にもよく出会うようになった。週末には、繁華街の街角で、異様に力を入れて、異様な悲壮感を漂わせつつ、異様にしつこく候補者名をわめき立てている車にも出会った。金曜の夕方の繁華街である。そんな場所で大音量で車から喚いていれば、かえっていやがられて投票してもらえなくなるんじゃないかと思ったりもした――どちらにしても私が投票したい候補でなかったからどうでもいいんだけど。いま思えば、あれが「最後のお願い」というやつだったのだろう。

 だから、選挙があることは知っていた。でも、「だから何なの?」以上の気分にはずっとならなかった。いまもなってない。選挙にこんなに手応えがなくていいんだろうかと思うぐらいだ。

 いつもの統一地方選挙なら、「各党はこう戦う」とか「激戦区の戦い」とかいうレポートが、連日、テレビのニュースの時間に流されたのだろう。今回も流されはしたのかも知れない。けれどもニュースの時間の大半はイラク戦争に取られてしまった。新聞の一面もだ(しかも戦争の次にはSARSが控えている!)。統一地方選挙がどんなに「激戦」だったとしても、砂嵐の中に、爆弾と巡航ミサイルと自分の側で撃った対空砲弾の弾片(もちろん撃ち上げてあたらなかったものは落ちてくるのだ)とが降り注ぐ戦争の凄絶さと較べれば、その激しさはタカが知れている。選挙のニュースは完全に戦争の陰に追いやられていた。

 政治学の偉い学者のことばに「選挙とは制度化された内戦である」ということばがあるのだそうだ。けれども、日本の選挙と、そのとき展開中だったほんものの戦争とは、あまりにかけ離れたものだったように感じる。戦争のニュースには「どうなったんだろう」と関心を惹かれていたし、映し出される映像には、びっくりもしたし、憂鬱にも悲しくもなったし、腹も立ったし、ふしぎな気分にもなったし、ときには軍事マニアの端くれのオタク心をくすぐられもしたし、ともかく心を動かされつづけていた。選挙のニュースには、関心を惹かれることもなく、心を動かされることもなかった。

 戦争には人の生死がかかっている。戦争に情報通信技術を大幅に導入して「犠牲者の出ない戦争」を目指すにしても、現在ではそれはまだまったく完全なものではない。しかも、そんな高級な戦争を展開できるのは、世界でも一握りの国の軍隊だけだろう。

 しかし、いまの日本の選挙には、人の生死がかかっているとはあまり思えない。それは、利権はたくさん関わっていそうだし、もしかすると利権がらみの脅しとかは裏ではあるのかも知れない。けれども選挙をめぐって社会不安が高まるようなことはない。もちろんたいへんよいことである。

 いまでも、果敢に権力者を批判して人気を集めた候補が、不自然な不慮の死を遂げるような国は完全になくなってはいないだろう。かつては、選挙で権力者を追いつめて惜しくも敗れた野党候補が、選挙が終わると外国に逃げ出さなければならないような国もけっして珍しくなかった。日本でも、19世紀の末に議会が発足した当初は、政府は総力を挙げて選挙干渉を展開し、反政府派の有力者は「壮士」たちを呼び集めて隊列を組んで投票に向かったという。

 日本の議会開設運動は、幕末から明治初年に展開された政府権力をめぐる内戦の続きとして始まった。その気分は議会開設当初にはまだ残っていたのだろう。たしかに、その時代の日本では、「選挙は制度化された内戦」ということばが実感を伴っていたかも知れない。

 だが、いまの日本で、選挙に「内戦」に臨むような必死さは必要なくなった。

 もちろん必死は必死なのだと思う。各選挙事務所に詰めている人たちのなかには、もしかすると、沙漠を進軍していた米軍の兵士よりもハードに働いた人もいるかも知れない。候補者は手のひらの感覚がなくなるまで支持者とも支持してなさそうな人とも握手をし続ける。うるさがられながら選挙カーで候補者名を喚きつづけ、「うっるさいなぁ」と思って振り向いた相手にまで「ご声援ありがとうございます!」と明るく呼びかけなければならないお嬢さんがただって、精神的にも身体的にもすごく疲れるだろう。それはそれで必死なのだ。

 けれども、その必死さは、戦争の必死さとは違う。いまの日本ではたぶん珍しくもない、ふだんの仕事の修羅場のしんどさのほうに似ている。いまの日本では、選挙の現場は、戦争の現場よりもはるかにビジネスの現場に似ているのではないだろうか。

 そう考えれば、「無党派」現象というのも説明はつく。

 日本のビジネスの現場では、デフレとか不況とかが居座りつづけた結果、「義理と人情とコネとプレゼント」で仕事を進めるというやり方が成り立たなくなっている。ほんとうに顧客の役に立つ商品やサービスを提案し、それを顧客にわかりやすく説明することが求められている。もし、売ったあとのサポートが不親切だったり、商品に顧客の期待を裏切るような使い勝手の悪さがあったりしたばあいには、その会社は見向きもされなくなる。

 もちろん、商品やサービスを売るばあいには、「安売り」という最後の手段がある。前にこのページでも書いたように、デフレや不況という「試練」がなかなか新しくてよいものの創造に結びつかないのはそのためだ。

 だが、選挙のばあいにはこの「安売り」が通用しない。

 たしかに、選挙区に、利便とか利益とかを政治の力で持ってくることはできる。その地域に新幹線を引いて新駅を作らせるとか、高速道路を引くとか、工業団地を造るとかいうやり方だ。

 その選挙区にどれだけの利益を引っぱってこられるかという基準で政治家の力を計って、それで通用する時代もあっただろう。だが、たとえその基準が通用するにしても、その「利益を引っぱってこられる力」は政治家どうしの人間関係や政治家と中央省庁との関係に左右される。自前で生産設備や安定した仕入れルートを持っている大企業と較べるとずいぶん不安定だ。しかも、この不況の時代に、ほんとうに選挙区に役立つ利益というのはそんなにはないものだ。鉄道でもコンサートホールでもスキー場でも、へたなものを引っぱってくれば、あとで維持費の負担が地元に降りかかってかえって地元に大ダメージを与えたりもする。それに、全国レベルのよほどの大物政治家でもないかぎり、際限なく大量に選挙区に利益を引っぱってこられる政治家はいない。利益を大量に地元に引っぱってくるというかたちの「安売り」は、いまの選挙ではなかなか展開することができない。

 何についても調子のいいことを並べて、自分が当選しただけでその地方の問題をぜんぶ解決して、楽園のような住みよい地方を作りますというように、公約を「安売り」するという方法もある。けれども公約の安売りはもう通用しなくなっている。1990年代前半の「政治改革」の時代以来、安易に候補者や政党の公約を信じて投票した人たちの期待は裏切られつづけた。このあいだに「政治は何もしなかった」というのは正しくないと思う。1990年代から現在にかけて、ともかく政治はいろんなレベルでいろんな問題を解決しようといろんなことをやった。けれども、問題が発生して山積して身動きとれなくなってしまう速度のほうが残念ながら速かった。だから政治家の公約はたんに公約しただけでは信用されなくなってしまった。

 選挙では、「安売り」という手段が効きにくいぶん、状況のシビアさが選挙民の選択のシビアさに反映しやすい局面があるのだ。

 それでも、政治の世界にも、ビジネスの世界と同じように、「規模が大きいほうが有利だ」という「規模の利益」はたしかにある。

 規模の大きい政党のほうが、その政党の動かせる人や物を効率的に振り分け、選挙を有利に展開することができる。だいいち、大きい政党のほうが、人や物を動かす力が、カネの力からコネの力まで含めて、大きい。カネの力は政治資金として表に出るが、人間関係に基づくコネの力はなかなか表面にも出ないし、規制も難しい。また、規模の大きい政党のほうが、その党のなかにいろんな人がいるため、幅広い範囲の人たちの期待を集めることができる。たとえば、自由民主党にも穏健な平和主義者がいるから、平和主義者が自民党に投票するということは十分に考えられる。しかし、社会民主党には軍事主義者はまずいないだろうから、過激な軍事論者が社民党に投票するというのはあんまり考えられない。既得権益を打破したい人は自民党内の「構造改革」論者に期待して投票するかも知れないし、既得権益を守りたい人は自民党内の「抵抗勢力」に期待して投票するかも知れない。大きな政党でいろんな考えかたの人がいるというのは、票を集める上で有利なのである。

 だから、「無党派の時代」などと言いながら、数多くの候補者を当選させることが必要とされる県議会議員選挙では、やっぱり自民党が圧倒的な力を誇っているわけだ。

 だが、東京や神奈川などの大都市を抱えた都道府県では、状況のシビアさから来る選挙民の選択のシビアさが、この規模の力と組織力を上回ることになってきた。たんなる夢のような公約では選挙民は納得しない。青島幸男氏が東京都知事に当選したときのように、「都市博中止」というような、象徴的だけれども断片的な公約でも納得しない。

 選挙民には、象徴的で、抽象的で、夢のような公約を信じていられるような余裕はなくなってしまった。もっと具体的な見通しを求めるようになっているのだ。「こういう目標をこういう手段でいつまでに実現します」と詳しく説明した松沢成文候補や(「マニフェスト」ってそういうものだったんでしょ? 違うのかな?)、ディーゼルエンジンから出る粒子状物質をペットボトルに入れて振って見せて自分の政策遂行力をアピールした石原慎太郎候補が強く支持されるわけである。

 ここで重要なのは「政策遂行力があるように見える」ことが重要だということである。マキャヴェリ(マキャベリ)は『君主論』で「支配者にとって重要なのは、ほんとうに誠実であることではなく、誠実そうに見えることだ」と論じた。その近代政治学の原理はいまも生きている。選挙で重要なのは、ほんとうに政策遂行力があることではなく、いかにも政策遂行力がありそうにアピールすることなのである。

 こんなことを書いたのは松沢候補や石原候補を(けな)すためではない。だいたい、知事は、在任中には議会から動きを制約されるし、遅くとも四年後にはまた選挙がある。いくら独裁者になりたくても、マキャヴェリが論じた近代初期の絶対君主のような強権は手にすることができない。四年後には再選されたい、少なくとも自分の認める後継者に知事の地位を受け継がせたいという、政治家としてあたりまえの意志を知事が持っているならば、やはりほんとうに政策遂行力があることが必要だろう。

 そうではなくて、煤の入ったペットボトルを支持者の前で振ってみせて自分の「成果」を強調する石原候補に対して、石原は戦争を支持するキケンジンブツだとか、石原都政は知事ばかりが目立っていたとか批判して、ほんとに効力があると考えたのだろうか、ということを、私はむしろ対抗候補に問いたいのである。それは批判としては一定の効果はあるだろうと思う。でも、批判だけで当選させてくれるほど選挙民は甘くない。

 実力とプレゼンテーション力との両方を持っていないとビジネスの世界では生き残れなくなりつつある。都市部の選挙では、それと同じことが、もしかするとビジネスの世界よりもよく当てはまるようになりつつあるのではないかと思う。

 新聞もテレビも今回の知事選挙の結果についても「無党派」ということばを使いつづけているようだ。けれども、それはただの「政党不信から来る無党派」という、「青島・ノック」時代の「無党派」現象とは違ってきている(いま横山ノックが大阪府知事だったことを覚えてるひとがどれぐらいいるだろう?)。もし、どこかの政党が、空疎な唱えことばではなく、現実に即した問題解決の方向と、それを具体的に実行する方法を提示して選挙に打って出れば、いま「無党派」に向かっている都市部有権者の潮流を引き寄せることはできるだろうと私は考えている。たしかに困難だろうけど、社会では会社の企画や営業の担当者がそれと同じぐらいの困難さに日夜立ち向かっているはずである。現に、2001年の小泉ブームでは、不人気の頂点にあったはずの自民党が、「構造改革で景気を回復させる」という方法を提示することで、その潮流を一挙に引き寄せることに成功している。

 その小泉の自民党が中心になって政権を握り、2年が経って、「構造改革」は進展したのかも知れないが景気はろくに回復していない。改善の兆しというような話は政府とか日銀とかではしょっちゅう出ているみたいだが、一方で日経平均は派手に8000円を割ってしまった。生活に密着する地方の選挙だからこそ、国政与党が大敗してもおかしくない状況はあったと思う。

 国政与党を大敗に追いこめなかったのは、やっぱり対抗する国政野党の失策だろう。たしかに、政党が動かせる物や人やカネやコネの力では、たぶん自民党が「一人勝ち」といっていいほど強い。けれども、それ以上に、イデオロギー的な決めつけ以上のプレゼンテーション力を十分に持たなかったことに国政野党の無力さの根源があるんじゃないかと思う。

 今回は、どんなに立派で充実した選挙戦が展開しても、たぶん戦争のニュースがトップニュースの地位を奪いつづけただろう。けれども、今回の選挙の印象がほんとうに薄かったのは、戦争のせいだけではないと思う。

 戦争に臨むような覚悟で選挙に臨む必要はないから、もうすこしビジネス的に選挙を組み立ててみるという戦略を立てるぐらいのことは、してみてもいいのではないかと私は思う。


―― おわり ――