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シュレディンガーの猫
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第二十二回

イラク情勢の今後

― 2003年12月 ―

 自衛隊のイラク派遣が閣議決定されたと思ったら、こんどはサッダーム(サダム)・フセインが捕まった。バグダード陥落以来、どこかで地下に潜んでいるのだろうと思っていたが、ほんとうに地下に潜んでいたらしい。

 そのまんまやんか!

 ……まあいいけど。

 で、問題は、これでイラク情勢は安定に向かうのだろうか、ということである。

 現在の情勢では何とも言えないというのがあたりまえの答えだろう。わからないことが多すぎるからだ。

 そんな状況のなかで、四つの問題を考えて整理してみたいと思う。

 まず、サッダームが捕まったことをうけてイラクの人たちがどういう政治的選択をするかという点について考えてみたい。サッダームが捕まったことで、イラクの人びとはアメリカ軍の占領支配や親米的なイラク人政権の支配を受け入れるだろうかということだ。次に、サッダームが捕まったことでテロが減少するかという問題を考えたい。第三に考えたいのは、サッダームの存在以外にイラクに不安定要因はないのかという問題である。最後に、支配する側のアメリカ軍や親米的なイラク人政権にどのぐらいのことができるかを考えてみたい。


イラクの人びとは占領支配・親米政権を受け入れるか?

 まず、一つめの、サッダームが捕まった後のイラクの人たちの政治的選択の問題について考えてみる。

 イラクの人たちは、サッダーム・フセインが捕まらないことで、いつサッダームが復活するかわからないという恐怖におびえていたのだと伝えられる。これはたぶんそうなのだろうと思う。

 サッダームは湾岸戦争を生き延び、湾岸戦争につづくシーア派アラブ人やクルド人の反政府運動を苛酷な弾圧で乗り切って生き延び、イギリス・アメリカ軍による厳しい軍事的監視と大量破壊兵器査察と経済制裁を生き延びた。今回の決定的敗北でも生き延び、いつの日か政権に復活するとしたらどうだろう。湾岸戦争後、サッダーム政権打倒のために立ち上がったシーア派やクルド人に対して、サッダームは残虐な仕打ちを行った。うかつに新政権を支持したりしたら、もしサッダームが復活したときに何をされるかわからない。イラクの人たちにそういう恐怖心があったと考えるのは自然だと思う。

 だからこそアメリカ合衆国軍はそのサッダームと息子たちの発見に全力を挙げたのだ。

 だが、そのサッダーム政権復活の恐怖が消えたことで、イラクの人たちが、アメリカ合衆国軍の占領統治やその管制下にあるイラク人の暫定政権を支持するようになるかどうかはわからない。サッダームが捕まったからといって、アメリカやイギリスへの反感や不信感が消えるわけではない。

 アメリカは湾岸戦争後にシーア派アラブ人やクルド人にサッダーム・フセイン政権打倒の決起を呼びかけた。しかし、決起した人たちにサッダームが精鋭部隊を向かわせて苛酷な弾圧を始めてもアメリカ軍は介入しなかった。決起を呼びかけておきながら見殺しにしたのである。そのことへの不信感は消えていないだろう。また、シーア派アラブ人は、核開発疑惑を理由に同じシーア派国家のイランに圧力を加えつづけているアメリカを快くは思っていないだろう。

 それを考えると、たぶんアメリカの指導層が考えているほど容易にアメリカやその支配下にあるイラク人政権をイラクの人びとが支持してくれるとは思えない。

 けれども、さらに言うと、イラクの人たちがアメリカを信頼していないからといって、その支配を絶対に受け入れないとも言えない。心服はしないかも知れないし、積極的に支持もしないかも知れないが、アメリカの支配に服従する以外に現実的な選択肢がないのであれば、「まあしようがないか」という程度の気もちでアメリカの支配を受け入れるかも知れない。

 また、イラクはイスラム圏のなかでは脱宗教化が進んだ国である。だから、もしかすると、少なくとも都市のエリート層はアメリカ占領支配と巧く歩調を合わせていけるかも知れない。

 イラクはイスラム過激派の国だと思っている方がおられるかも知れないが、十年ちょっと前まではそうではなかった。サッダーム・フセインの与党バース党は本来は非宗教的な近代主義政党だった。隣国シリアでは、イラクのバース党と兄弟関係にあるシリアのバース党が、エジプトに本拠を置くイスラム原理主義組織「ムスリム同胞団」(「ムスリム」は「イスラム教徒」の意味)と抗争を繰り広げていたこともある。湾岸戦争前にサッダーム・フセインがイスラムを旗印に掲げてアラブ諸国の人びとを味方につけようとしたためにイラクも宗教過激派の国のように思われているかも知れないが、元来はそうではなかったのだ。

 反面、イラクは部族社会の国であり、血縁集団が非常に重視される。サッダーム・フセイン政権だって血縁集団で固めた政権だった。こういう政治権力のあり方はいかにも「王朝」的な雰囲気を残しており、前近代的な(=近代化されていない)印象がある。

 この前近代性と、バース党支配の元来の近代主義との落差には、正直に言って私もとまどう。ただイラクがまったく近代化していない社会だと見るのはまちがいだ。イラクは、バース党が政権を握る前から徐々に近代化して来ていた。サッダーム・フセインは、社会の近代化の結果、バグダードに流入してきた貧困層を支持基盤の一つとして利用した。であれば、こんどは、近代化の恩恵を受けていた層、少なくとも湾岸戦争前には近代化の恩恵にあずかろうとしていた層などが、アメリカ占領当局や親米イラク人政権と結びついて、その支配に協力してもおかしくない。

 ただ、国民の一部がアメリカや親米政権と協調関係を築けるからといって、国民全部がすぐにその流れに追随するとはちょっと考えられない。いろいろな摩擦が起こると考えるほうがあたりまえだろう。

 ここまで考えてきたことを綜合すれば、サッダーム・フセインの復活の可能性がまずなくなったことで、イラクの人びとがアメリカの占領支配や親米的なイラク人政権の支配を受け入れる可能性が増したとはいちおう言えると思う。けれども、それはアメリカの占領支配や親米政権の支配が安定するということを必ずしも意味しない。


テロはなくなるか?

 次に、サッダーム・フセインが捕まって、テロがなくなるかという問題について考えよう。

 何を「テロ」とか「テロリズム」とか言うかは、突きつめて考えれば難しい問題である。被害を受けたほうが「テロ」だと認識しても、攻撃した側は正規の攻撃やゲリラ戦のつもりかも知れないし、もしかすると「殉教」のようなことを考えているかも知れない。また、ただの傷害事件を当事者の一方が「テロ」と決めつけることもあるかも知れない。しかし、ここではこの問題に深く立ち入らないことにして、日本のマスコミで普通に「テロ」と呼ばれているものをいちおう「テロ」と呼んでおくことにしたい。

 サッダーム・フセインが捕まったからイラク情勢が安定化するという予測は、これまでイラク情勢を不安定にしていたテロ事件がそのサッダームの指示で組織的に行われていたという前提にも基づいている。

 ところがこの前提は別に証明されたわけではない。アメリカ合衆国は、反米テロについて、どうも整然とした軍隊的組織で行われているという仮定で議論を立てがちなようだ。だから、サッダームなりウサーマ・ビン‐ラーディン(オサマ・ビンラディン)なりを捕まえれば組織は崩壊し、反米テロは下火になると考えているのだろう。

 しかし、現在のテロがサッダームの指揮下に組織的に行われてきたものかどうかはわからない。ほんとうにそうであったらならばたしかにテロは減るだろう。いまも潜伏しているサッダームの部下たちが、ボスが捕まったと知ってなだれを打ってアメリカ軍に降参してくるかも知れない。アメリカ軍もそれを期待しているだろう。

 けれども、テロの実態がそうでないのだとしたら、サッダームの逮捕はテロの減少にはつながらない。現に、アル・カーイダがイラクでのテロにかかわっているという話はあるし、アメリカ軍もそう考えているようだ。アル・カーイダの幹部の名まえで、日本のイラクへのかかわりを理由に東京もテロの目標にするというメールが送られてくるという事件もあった。そのうえ、アル・カーイダやその関連組織でもサッダームの部下でもないテロリストが活動している可能性だってある。

 イラクでのテロは実際にはだれが起こしたのかがはっきりしていないようだ。ミサイルのようなものをテロに使っているようなので、背後にそういう兵器を供給できるような大がかりな組織があるのかも知れない。しかし、もしかすると散り散りになったイラク軍の残存部隊がとくに連絡もなくバラバラに攻撃しているのかも知れない。実態は十分にはわかっていない。電子メールで自称している名まえだってほんとうかどうか疑わしい。

 これまでのテロ攻撃について、かりに、サッダームの指揮下で起こされていたテロと、そうでないテロが混じり合っていたと想定してみよう。かりにそうだとすると、サッダームが捕まったことでテロはある程度は減少するはずである。

 で、これまでのイラクでは、テロが頻発して「治安が悪化している」という情報が流れると、さらにテロが頻発するという悪循環の傾向があったように思う。これはテロリズムの原則のようなものにもかなっているだろう。テロは、実際の殺傷効果よりも、事件を起こすことで多くの人に恐怖心を抱かせることを目標にしている。テロが頻発して浮き足立っているところにまたテロを起こせば効果は大きい。だから、テロが頻発すること自体がテロを誘発するのだ。テロにはいろんな場合があるのであまり一般化するのは危険だが、今回のイラクの場合には比較的この「テロリズムの原則のようなもの」があてはまるように思う。

 だとすれば、テロの回数が減ること自体がテロを抑止する要因になるかも知れない。サッダームが捕まったことでサッダームの系統のテロが減るとするならば、全体としてテロの回数はそれだけ減る。そうすると、別系統のテロリストたちもテロを起こす気になかなかならなくなり、そうなれば、もしかするとテロの発生は沈静化するかも知れない。

 ただ、これは仮定の話であり、あえて言えば希望的観測に過ぎない。サッダーム・フセインが捕らえられたことでかえって旧サッダーム政権系の組織(そんなものがかりにあったとして)の統制が崩れ、みんなが勝手にテロをやり始めてこれまで以上にテロが頻発するという逆の事態も考えられなくもない。やはりテロについては容易に判断を下すのはやめたほうがいいだろう。


サッダーム以外の不安定要因

 三つめの問題はサッダームの存在のほかにイラクを不安定にさせる要因はないのかということだった。

 答えるのはかんたんである。たとえサッダームがいなくなってもイラクを不安定にする要因は山のようにある。

 イラクという行政単位の名は8世紀に成立したイスラム王朝アッバース朝のころから使われていたようである。しかし、イラクという独立国家は存在しなかった。16世紀ごろ、つまり日本の戦国時代のころから、この地域は西のオスマン帝国と東のサファヴィー朝ペルシア王国とが争う地域になり、バグダード周辺はオスマン帝国の領域になっていた。オスマン帝国は現在のトルコ共和国の前身であるが、バグダードやメッカ・メディナなどのイスラムの中心地を押さえたイスラム帝国であり、同時に西ヨーロッパを除く地中海沿岸と東ヨーロッパ内陸部を支配する地中海・ヨーロッパ帝国でもあった。

 このオスマン帝国が第一次世界大戦でイギリスと敵対するドイツ側についたために、イギリスはこのオスマン帝国領の切り崩しに懸命になった。そのなかで、バグダード周辺を切り離して、オスマン帝国下でメッカの地方長官の家柄だったハーシム家に王国を作らせる構想が生まれた。そうやって作られたのがイラクとその隣国のヨルダン(国ができたころは「トランスヨルダン」という名まえだった)である。

 しかも、当時の大国にとって重要なエネルギー資源になりつつあった石油の存在が話をさらにややこしくした。イギリスは、最初のうちは、現在のイラクの北部からトルコ東部にかけて広がるクルド人地域(クルディスタン)にクルド人の自治区を作るつもりでいた。ところが、オスマン帝国でのムスタファ・ケマル・パシャ(ケマル・アタチュルク)率いる抵抗運動への対処に手間取っているうちに、イギリスはイラク北部の油田に目をつけた。けっきょく、ケマルの抵抗の結果、クルド人地域の西半分はトルコ領にとどまることになり、モスル以北のクルド人地域はイラクに編入された。イラクはイギリスの作った国であるし、一定期間はイギリスが支配することが決まっていた。その措置をフランスやイタリアなどのヨーロッパの大国も追認した。

 イラクは、第一次大戦後に、当時の大国、とくにイギリスの都合で作り上げられた国なのである。国の北側はクルド人地域であり、中央部から南部にかけてはアラブ人の住む地域だ。しかも、そのアラブ人が、同じイスラム教を信仰していながら、地域によって信仰している宗派が違うので、さらにややこしい。

 イスラム教にはスンニー派(スンナ派)とシーア派の二大宗派があって、イラクではシーア派を信仰するアラブ人が多数派、スンニー派を信仰するアラブ人が少数派である。イスラム教徒全体で見るとスンニー派のほうが圧倒的に多いが、イラクのアラブ人についてはその関係が逆になっている。その一つの理由は、イラクにはシーア派の聖地とされるナジャフとカルバラーがあり、シーア派の信仰の中心地になっているからだ(以上の点は、イラク戦争開戦後に書いた「イラク戦争について思うこと 10.」でも述べた)

 別にシーア派とスンニー派がいっしょにいれば必ず対立が起こるというわけではない。まして同じアラブ人である。しかし、イラクの場合、サッダーム・フセインがスンニー派で政権を固め、シーア派の信仰に制限を加えたりした。しかも、湾岸戦争後に決起したシーア派の人たちにサッダームは苛酷な弾圧を加えた。シーア派アラブ人は、スンニー派アラブ人全体とはいわないまでも、スンニー派のなかでサッダームの政権を支えつづけた部分に対しては不信感を消し去ることができないだろう。

 スンニー派アラブ人、シーア派アラブ人、クルド人のそれぞれが一つにまとまっているならば、まだ問題はかんたんである。しかし、これらの宗教集団・民族集団自体がまたたくさんの部族の集合体であり、それぞれの部族は他の部族に対して心を開いているとは言えない状況がある。アラブ人も血縁でまとまった部族社会を作っているし、クルド人は20世紀の初頭に部族意識が強すぎて独立の機会をつかみ損ねたと言われるほどだ。イラクのクルド地域にはクルド民主党とクルド愛国同盟の二つの大きな勢力があって(どちらも正式名称は「クルディスタン〜」なのだそうだが、日本では「クルド」と訳されることが多いのでそちらに従っておく)、20世紀後半を通じてずっといがみ合ってきた。サッダーム・フセインも、湾岸戦争後、その対立を利用してクルド人地域への影響力の再確立を図ったことがある。

 さらに外国との微妙な関係がある。

 イラク南部にはシーア派のアラブ人が多く住む。隣のイランもシーア派が多数を占める国だ。もっとも、イランのシーア派はイラン人(昔のペルシア人)、イラクがアラブ人で、民族的な違いはある。しかし、イラクのナジャフやカルバラーはイランのシーア派信者にとっても聖地であり、イランのシーア派信者とイラクのシーア派信者には浅からぬ交流があった。1979年のイラン革命の中心人物となったホメイニーも、祖国を追われてイラクを拠点に活動し、イスラム革命の理論を固めていったのである。そんなこともあって、サッダームはシーア派の活動を抑圧し、1980年にイラクとイランの戦争が始まってからは両国の信者の交流は断たれることになった。

 サッダームの支配からの解放は、サッダームのシーア派信仰に対する抑圧からの解放を意味した。イランの信者との交流の再開にも道を開いた。民族が違うし、政治体制も違うので、イラク南部のシーア派信者がイランの政治的影響を直接に受けるということはないだろう。けれども、アメリカや親米イラク人の政権の下でシーア派の権利や利益が抑圧されたと感じれば、このシーア派アラブ人たちはイランとの関係を強めることで対抗する可能性がある。

 クルド人のほうも同様で、イラク北部のクルド人組織はイランのクルド人組織ともトルコのクルド人組織とも微妙な関係にある。しかも、イランでもトルコでも、クルド人組織は中央政府とは基本的に対立関係にある。さらに、その両国のうち、イランはアメリカから「悪の枢軸」呼ばわりされるほどアメリカとの関係が悪く、トルコのほうはアメリカの同盟国である。

 アメリカ合衆国は、この各民族・各宗派の代表者を集めて新政府を構成し、その新政府にイラクを支配させたいと考えているようだ。あるいはうまく行くかも知れない。最初から「どうせ失敗するに決まっている」と決めつけるのはよくないと思う。だが、難しいのは確かだ。

 もしこの民族や宗派のあいだの敵対心がかき立てられたり、さらには同じ民族・宗派の内部での部族対立や派閥闘争がかき立てられて、その収拾に失敗すればどうなるだろうか。ヨーロッパに先例がある。旧ユーゴスラヴィアである。ソ連型の社会主義独裁政権が崩壊すると、たちまちセルビア人・クロアチア人・ボスニア人(イスラム教徒)などのあいだの対立感情が表面化して泥沼の内戦に陥った。イラクでも舵取りに失敗すると同じような事態になる可能性がある。そうなると、現在のような「テロの多発」ではすまない内戦状態に発展してしまうかも知れない。

 情勢を不安定化させるもっと大きな根本要因もある。貧困である。

 サッダーム・フセインの政権は都市の貧困層をその支持基盤の一つにしていた。バグダードのなかでも、英語で「サダム・シティー」、アラビア語では「マディーナ・サッダーム」(「サッダームの都」。「マディーナ」はイスラム教の聖地「メディナ」と同じことば)と呼ばれていた地域はそういう貧困層の多く住む地域で、名まえの通り当時のサッダーム大統領への忠誠心の強い地域だった。

 社会が近代化すると、どうしても貧富の差は拡大し、一握りの富裕層と多くの貧困層を生み出してしまう。日本にもそういう時代はあったし、いまの中国がまさにそうである。その貧富の格差の拡大を抑制し、また、格差のもたらす問題を少しずつでも解決していくのが近代政治の大きな役割の一つだ。日本の政治はずっとそれに取り組んできたし、中国はいま取り組みつつある。しかし、政治がその調整役の役割を放棄し、そのどちらかの層にだけ支持基盤を求めてしまうと、この貧富の格差の解決は困難になる。たとえば、イラクの隣のイランで1979年にホメイニーの率いるイスラム原理主義革命が成功したのは、それ以前のイランの王朝が富裕層にばかり有利な自由化・近代化政策を展開して国民から反感を買っていたからだ。

 アメリカ合衆国は近代化の恩恵を受けた富裕層を基盤に政府を組織しようとするだろう。だが、貧困の問題を解決しないまま政府を組織しても、その政府は貧困層から支持されないものになってしまう。政府が自分たちの利益のことを十分に考えてくれないと感じた貧困層は、政府やアメリカに対抗するために、イスラム原理主義に接近する可能性が高い。現在のところ、アラブ世界で「貧者」の側に立つ思想として人びとを引きつけているのはイスラム原理主義だからだ。民主主義が「貧者」を引きつける「平等」思想を意味した時代は遠く去り(フランス革命時代にはそうだった)、社会主義が失墜したいま(しかもサッダームの与党バース党はいちおう社会主義系の政党だったのだ!)、「貧者」を引きつける最大の力を持つのは、貧者への恵みを宗教的に義務づけるイスラムの教えへの原点回帰の主張、つまりイスラム原理主義となってしまった。

 民主的な政府を組織するという。ということは、議会を開かなければならない。もし、貧困層がイスラム原理主義に引きつけられた状態で議会が開かれれば、議会では原理主義政党が多数派を占めることになってしまう。そのとき、どうするのだろうか? 議会を閉鎖するならば、やっていることが独裁政権と同じだ。しかし、原理主義者が多数を占める議会が富裕層を結集した政府と協調してやっていけるわけがない。

 さらに、シーア派アラブ人がイスラム原理主義に接近したばあい、イランとの関係が問題になる。イランはまさにシーア派原理主義国家だからである。別にイラク人のシーア派アラブ人がイランの影響を受けたってその人たちの勝手だからいいようなものだが、少なくともイランに強い敵対心を持つアメリカ合衆国はそんな事態は絶対に避けようとするはずである。また、もし反スンニー派的なシーア派過激原理主義政党と反シーア派的なスンニー派過激原理主義政党とが両方ともできて、両方が勢力を持ってしまったりしたら、双方の暴力の応酬がつづき、アラブ人地域の情勢が泥沼化することもあり得る。

 ここの議論も仮定の積み重ねに過ぎない。貧困が原理主義を呼び起こし、その原理主義勢力が議会に出てきたら、という仮定である。その因果関係を繋ぐ鎖を断ち切ればこういう事態にはならないですむかも知れない。けれども、アメリカ合衆国の行動を見ていると、やはり対処を誤る可能性がある気がするのだ。

 もしイスラム原理主義勢力が力をつけてきたら、アメリカはそれを「テロリストの支持勢力」と見なして弾圧に乗り出すだろう。アメリカ軍自身がやるか、アメリカが育成した親米政権の軍がやるかは別にして、現在、イスラエルがやっているような原理主義組織の指導者の抹殺作戦を展開するという対応をとる可能性がある。しかし、それは、まさにパレスチナで見るように、アメリカやアメリカへの協力者への反感を募らせ、かえって原理主義の裾野を広げてしまいかねない。

 議会が開かれたばあいの懸念はほかにもある。

 議会には、当然、クルド地域からはクルド民主党やクルド愛国同盟の議員が当選してくるだろう。この両党は非常に仲が悪い。さらに、スンニー派アラブ人の大衆政党、シーア派アラブ人の大衆政党、アメリカに協力的な自由主義政党などが結成され、その議員が当選してくるだろう。そういう議会で、政府を支えられる安定的な多数派が果たして形成できるのだろうか? 多数派の形成できない議会は、政治を不安定化させ、かえってそれぞれの政党の支持集団のあいだの憎悪や反感をかき立てる役割を果たしてしまいかねない。そうなったときにいったいどうするというのだろう?

 こういうふうに、サッダームがいなくなったとしても、イラクが「荒れる」要因を考えればそれはいくらでも湧いて出てくる。では、そうならない可能性はというと、アメリカ合衆国や親米政権が、民族間・宗派間の対立が激化しないようにうまく舵取りし、イラクの人びと全体に富の恩恵が感じられるように行き渡らせ、しかもテロ対策を成功させるというばあいしかあり得ない。もちろん成功させるのが不可能だなどとはいわない。けれども、かなり難しい細道を通り抜けていかなければならないのは確かだと思う。


アメリカと親米派の統治能力

 では、アメリカにその統治能力があるのかという問題を最後に考えるとしよう。

 正直に言うと私はあまりなさそうだと考えている。

 今回のイラク戦争はアメリカ合衆国軍の無能ぶりまたは頽廃ぶりを世界にさらけ出した。サッダーム・フセインが大量破壊兵器を開発していると大騒ぎし、だったら査察を継続すべきだというドイツ・フランス・ロシアなどの主張を押し切って開戦し、そしてその大量破壊兵器は発見されていない。しかも、そのアメリカは、偵察衛星も持っているし、優れた装備を持つ偵察機も飛ばしているのだ。それだけの技術力を持っていても大量破壊兵器を発見できないとするとアメリカ軍は無能と言われてもしかたがない。また、大量破壊兵器が存在しないかも知れないという判断があった上で戦争を急いだのならばそれは道義的に頽廃していると言わざるを得ない。

 今回の戦争ではアメリカは自国民に戦争を見せることばかり考えていたように感じる。司令部の記者会見場を映画に出てくる場所のようにモニターをいっぱい並べて飾り立てたりしていた。サッダームの像を倒して見せたのも、10年ちょっと前にレーニン像が引き倒されたのをまねして、メディア受けを狙ったものだろう。ブッシュのイラク「電撃訪問」も政治的な必要以上に芝居がかっていた。今回、サッダーム・フセインを捕らえたときの記者会見もそうだ。半年も敵の中心人物に逃げ回られて「不徳の致すところ」と恥じるのならともかく、記者たちを前にあんな得意になる理由なんか一つもない。しかも、被疑者が口の中を調べられている映像を流すのが、人権を尊重する国のすることなのだろうか? サッダームを「戦争捕虜として扱う」というのならば、在キューバのアメリカ軍基地に捕らえているアフガニスタン人の扱いと矛盾するのに、そのことを意識している形跡すらない。

 そうなるのは不思議なことではない。アフガニスタン戦争とともに、今回のイラク戦争も、アメリカにとっては九・一一テロで傷つけられたことに対する反撃だからだ。すくなくとも現ブッシュ政権はそう見せようとしている。自由も、人権も、「アメリカの支配」を言い換えたことばとして役立てばそれでよく、それ以上の意味を持つことなど考えてもいない。それがいまのアメリカのイラク占領統治であり、「対テロ」なのである。そうとしか思えない。

 今回のイラク占領について、マッカーサーによる日本統治を参考にしたというような話をきいたことがある。しかし、マッカーサーはフィリピンの植民地統治を指導したことがある。だから曲がりなりにもアジアを知っていたし、少なくとも自分ではアジアびいきのつもりの心情を持ったひとだった。それでアメリカ中央政府と対立したりしたのだ。マッカーサーの有名な「日本人は12歳の少年である」発言だって、前後の文脈をつなげれば「ヨーロッパは年老いていてもうダメだけれど、日本人はまだ若いのだから将来に大いに可能性がある」という意味の発言である(それでも見下している語感に変わりはないが)。それと較べると現在のイラク統治の担当者はいかにもイラクのことを知らなさすぎる。イラクの人びとの立場に立って中央政府に楯突く行政官がいまの占領行政当局の幹部にどれだけいるのだろうか? べつにマッカーサーの肩を持つ気はないが、いまのアメリカ人はマッカーサーをばかにしてはいけないと思う。

 いや、よその国のことだから、どんなに無能だろうが頽廃していようが知ったことではない。それに、私は、悪い権力であってもよく支配できる権力と、よい権力だけれどもろくに支配できない権力ならば、よく支配できる悪い権力のほうを高く評価する。だから、アメリカが「悪い権力かも知れないがよく支配することのできる権力」だというなら、私は少なくとも暫定的にはその支配を認めてもいいとは思っている。

 だが、そのアメリカ合衆国は、イラクをよく支配するだけの能力を持っているのだろうか?

 疑わしい。

 今回、サッダーム・フセインを捕まえたのだって、詳しいことはわからないが、クルド人組織の協力が得られたから可能だったのかも知れず、アメリカ軍単独ではまた取り逃がしていたかも知れない。アメリカ軍は、通信の秘密などにはお構いなしに他人の電話を盗み聞きしたり電子メールを盗み読みしたりするのには長けているようだ。しかし、アメリカは、アラブ人やクルド人のあいだに有効な情報網を持つことがいまだに十分にできていないように感じられる。アラブ人やクルド人の社会のなかに有効な情報網を持っていたならば、「大規模な戦闘の終結」から半年も敵の中心人物を取り逃がしつづけることはなかっただろう。

 アメリカが「悪い権力かも知れないが少なくともよく支配できる権力ではある」という確信は現状ではまったく持つことはできない。現在のアメリカは、残念ながら、「力づくで支配しているだけの悪い権力」にしか見えない。もしかするとサッダーム・フセインよりましなのかも知れないが、現状では要するに似たようなものである。

 アメリカは、今後、アメリカに協力的なイラク人のエリートたちに権力を委譲し、その親米政権と安保条約のようなものを結んで軍隊を駐留させつづけるつもりだろう。だが、そのイラク人エリートたちは国を指導していく力を持っているのだろうか?

 まだイラク人の統治機構はアメリカ頼みの状態で自立していないからなんとも言えない。しかし、この指導部のなかに、日本の戦後にアメリカ占領軍に対抗して政府を運営した吉田茂のような政治家がいるかというと、望み薄である。内戦後の国家再建に成功したカンボジアと較べても政治を担いうる人材の層は薄いように感じられる。


まとめ

 サッダーム・フセインが捕まったことで、イラク情勢はいちおうある程度は安定する方向に向かいそうだ。これだって確定的なことは言えず、変わらないかも知れないし、あまり可能性はないがかえって悪化する危険もある。でも、いろんな可能性のなかでは、安定する方向に向かう可能性が大きそうだとは思う。

 ただ、イラクにとっての問題はその先である。旧ユーゴスラヴィアのように民族や宗派の対立が表面化するという事態を避けなければならない。そのためには貧困の問題を解決する必要もある。貧困対策はイスラム過激原理主義が社会に根を張らないようにするためにも重要である。また、イラクが国として復興してきたばあい、近隣諸国との関係もうまく調整しなければならない。クルド人の問題がトルコやイランの国内問題と絡むのを避けなければならないし、シーア派とイランとの関係にも配慮しなければならない。さらに、民主化で議会が開かれたばあいには、政府を支持しない政党が多数を占めたり、政党がバラバラで議会がぐちゃぐちゃになってしまったりという事態を避けなければならない。といって、議会をいつまでも開かないのであれば、それでは民主化という方向性に反することになる。

 イラク人が支配するのであれ、アメリカ軍が支配するのであれ、あるいは国連が支配するのであれ、イラクを支配することの目的は一つである。イラクの人たちが、心安らかに、できれば幸せに暮らせるようにすることだ。

 けれども、「イラク人」にとっての「心の安らぎ」とは、「幸せ」とは、いったい何なのだろう?

 私たちは、もしかするとそれを知ることから始めなければならないのかも知れない。


―― おわり ――