コミックマーケット64レポート

清瀬 六朗

8月16日 ― 2日め ―

 8月15日――私は関西にいた。「コミケットトレイン」や「ムーンライトながら」を使うだけの体力の自信はない。しかし、15日深夜の寝台急行「銀河」で東京に戻れば6時40分過ぎに着く。この「銀河」で、一晩、横になって眠れば、翌日の苛酷なコミケに耐えることもできよう。サークル入場するには時間もちょうど都合がいい。もともと夜行列車は好きだしね。そう考えて、早いうちに私は「銀河」の寝台を押さえていた。

 ところが、ふと耳にしたニュースでは、首都圏は大雨という。「これはコミケ一日めたいへんそうだな」という思いが頭を掠めた。しかし他人ごとではない。その大雨で東海道線の小田原‐熱海間の運転を見合わせているという。しかも雨は降り続く見通しらしい。「銀河」はこの区間を通るから、この区間の運転が見合わせになると「銀河」も走らないことになる。ジェイアール東海と東日本のホームページにアクセスしてみたけれども、その時点ではまだ「銀河」が走るとも走らないとも出ていない。

 参加証は私が持っているし、新刊のうち二冊も私が持ちこむことになっていた。もし「銀河」が走らなかったら間に合わない。しかたがないので、「銀河」の切符をキャンセルし、最終の「のぞみ」の指定席をとることにした。15日の夜となると帰省ラッシュで「のぞみ」の指定など残っていないだろうと覚悟はした。しかし、今年は、世間様では16〜17日の土日が旧盆休みにつながっていて長い休みを取る人が多いらしく、この日の最終の「のぞみ」は空いていた。

 これで京都駅に1時間30分ほど早く出なければいけなくなるが、自宅にはその夜のうち、職場でいちばん遅くまでねばった夜ぐらいの時間に着く。しかも、同じ時間に会場(ビッグサイト)に着くという条件で比較すると、寝ている時間はこちらのほうが短くなるのだ。せっかくの休みにそんな時間に帰宅したくないな〜とは思ったが、コミケ参加不能のリスクと引き替えにする気にはなれない。それにしても、在来線が止まっているのに新幹線がほとんど遅れもせずに走っているというのは、ちょっと奇妙な感じもする。でも小田原‐熱海間の東海道線は険しい山が迫る海沿いを通っているから、それだけ河川の増水や土砂災害の危険性には敏感なのかも知れない。

 というわけで、16日朝はみごとに寝過ごしてしまった。正確にいうと、時間どおりに起きてはいたのだが、前日、慌ただしく自分の家に戻った疲れが抜けず、体が動かないでのろのろしていると、遅刻寸前の時間になってしまう。慌てて家を出て電車を乗り継ぎ、なんとか8時30分過ぎに国際展示場前駅に到着する。

 混雑するりんかい線国際展示場駅から改札に出ようとしていると、隣を歩いていた若い女の人二人が口論している。どうやら、二人は友だち同士でいっしょにコミケに来たらしいのだが、一人は心が浮き立って気持ちが逸ってしかたがないらしく、もう一人は朝から疲労困憊していて寝不足で怒りっぽくなっていて、その感覚の行き違いが口論の原因らしい。まぁオジサンはどっちの気もちもわかりますけど……せっかくのコミケなんだから仲よくしましょうね。

 会場に着くとすでにぺぴさんが到着してブース設営を進めておられた。いや〜すみません m(__)m 。POP類もぜんぶ用意していただいて、私は参加証とコピー本を持ちこんで売値を決めただけだった。ぺぴさんには『星のない海』の表紙と挿絵もお願いして、しかも私がなかなか原稿を上げずに(印刷屋さんの締切当日の早朝まで書いていたという話あり(^^;)ほんとご迷惑をおかけしたし……お世話になりっぱなしです。

 それにしても、私が引き継いでからは2001年の夏に参加しただけのサークルなのに(それ以前には何度も参加している)、まさか「お誕生席」に配置してもらっているとは思わなかった。

 今回は『パタパタ飛行船の冒険』で全話解説・評論+オリジナル小説+ヴェルヌの原作との比較を中心にした解説という本を出すつもりで参加申し込みをしたのだが、この関係の原稿で完成していたのはヴェルヌ関係の解説部分だけだった。こんなことになったのは、それ以前に企画して着手していた『星のない海』の執筆が捗らなかったからである。なんで捗らなかったかというと、予想をはるかに超えて長くなってしまったとか、執筆を始めてから設定を変えたら自分でもわけがわからなくなってしまったとか、いろいろあるんですが……まあいいじゃないですか。ともかく、ものを書くには、インスピレーションよりも先に集中力が必要で、集中力より先に体力が必要だということがよ〜くわかった。そして歳を食ってその「体力」の部分で持続力がなくなっているのだということも。それが今回のコミケの大きな収穫である(なんか違うような……)。

 ともかく、『パタパタ』の本を落とすわけにはいかないので、なんとかかたちになっていた解説の部分だけを評論コピー本として出した。それが『L'etonnante aventure』である。

 ところが、私の探した限りでは『パタパタ飛行船の冒険』を扱ったサークルは他には見つけられなかった。もっとも、そんなに情熱を持って探したわけではないから、たぶん見落としていたのだろう。現在放送中のアニメ『LASTEXILE』の本も探したけれども、これも見つからなかった(こちらは何冊かあった由である)。『宇宙のステルヴィア』も、三日めに成人指定の本がかなりあったけど、「アニメその他」や「アニメ少女」のブースでは思ったほど見かけなかった。そういえば、『スクラップドプリンセス』や『ストラトス・フォー』も、それに『成恵の世界』もあんまり見なかった気がするなぁ――まあまじめに探してないんだけど。『ギャラクシーエンジェル』本を出しているサークルも思ったより少なかった。おかげで、そねっとのブースで、私の本は買わないで「ほかのGAのサークルってどのへん?」と聞く御仁が続出したりしたのだった(こっちがききたいというのがほんとのところだった)。

 ではどういう本が多かったかというと、昔の作品の本が多かったような気がした。もっともそれはそねっとが名作サークルのコーナーに配置されていて、私が回ったのがおもにその周辺だったということがあるのだろう。『ロミオの青い空』のビアンカの本が手に入ったのは嬉しかった。けれども、一方で、「いま放映中の作品」や「最近の作品」の比重が1990年代後半ごろに較べて低いような気がしたのだけれども……たんに私が「放映中の作品」を追い切れてないだけなのかな?

 まあ、『星のない海』については一冊も売れないことを予期はしていたのですけどね。ただでさえ重いのに、雨降ってるし、やっぱり1500円は高いよなぁ。しかし、奇特なことに買ってくださった方が何人もいらっしゃった。その中のどなたかがこれを読んでおられたとしたら、ほんとうに感謝しています、とお伝えしたいと思います。

 意外だったのは、『星のない海』や『パタパタ』本(『L'etonnante aventure』)よりも、ここのブースではまず売れまいと思っていた押井守の「PAX JAPONICA」の本『FLEET IN BEING』に注目してくださった方が多かったということかな? ミリタリーの人は(ネイビーの人も)名作のところには来ないだろうと思っていたら、けっこういらっしゃるんですね〜。ちなみに、あの表紙は翔鶴の側面図を見て描いたものですけど、艦橋が大きすぎるし、艦首がやっぱりバルバスバウに見えないよねぇ。おかげで「陸軍の空母(日本にはそういうものがあったのだ)でしょ?」と言った方が複数……そうだよなぁ。でも私はそんなに濃くないですよ〜。

 外は相変わらずの荒天で、外に行列する人はたいへんだったのではないかと思う。おかげでかどうかは知らないが、会場は例年より人が混んでない感じである。雨は昼間にいちど小降りになった。また降り出さないうちにと思って午後3時頃に撤収準備に入ったのだが、間の悪いことにこのころからまた本降りになってきた。

 もしかして時間をつぶしていれば小降りになるかも知れないと思い、ぺぴさんといっしょに西館の企業ブースを回る。企業ブースは、お目当てのブースにちょこっと行ってほかは見ずに帰ってくるということは何度もあったけれど、本格的にゆっくり回ったのは初めてである。一部のブースを見ていると、こういう言いかたをしてはなんだけど、「企業」ともあろう人たちがここまで外聞を振り捨ててストレートに「萌え」に突き進むものかと強く感じ入ってしまった。

 まあ、考えてみれば、コミケの文化のなかで育った人たちが、会社を興したり、企業に入ってその手の企画を担当したりするわけで、企業ブースに「企業の人」として立っている人のほうが「萌え」について知り尽くしているってこともあるのではないかと思ったりもした。今回のコミケでは私は東浩紀氏の「オタク文化」論に取り組んだわけだけれど(17日の部参照)、「文化」というよりもより端的に人脈とか人材とかいう面で見ても、社会のなかでいわゆる「オタク」という人たちが支えている部分はけっして小さくなくなっているんじゃないだろうか。

 帰ろうとしたら雨はますます激しく降ってくる。そのなかでりんかい線に乗る人の行列が長く続いていた。売り物の本は、アトリエそなちねのP. Zerberus氏からいただいた旅行鞄に入れていた。旅行鞄だから防水は優れているはずだが、それでも水が滲みてくるぐらいの激しい雨だ。しかも、荷物が重くなるのを避けるために、私は折りたたみの小さい傘しか持っていない。まごまごしていると、いっしょに企業ブースを回ったぺぴさんから「ビニール袋で鞄の本体を覆えばいい」というアドバイスをもらった。理屈はわかるんだがそれでほんとに濡れずにすむのだろうかと思っていたら、これが完璧だった。薄いビニール一枚で、激しい雨にもかかわらず、家に帰るまでまったく濡れていなかったのである。私一人だったら無意味にパニックに陥っただけでぐしょ濡れにしていたかも知れない。

 こういう悪条件のときには、経験豊富で、落ち着いて考えられる人の助けがとても貴重なのだと言うことを強く感じた荒天のコミケでありました。


8月17日 ― 3日め ―

 3日めはWWFの売り子である。今日は少し早めに行ってゆりかもめで会場入り……なんですがまた寝過ごしましたですハイ。やっぱり雨の中のコミケは、体力的にも疲れるし、いろいろ神経を使うしで、疲れ切っていたのだろう。ほんと間に合わないかと思った。けっきょく、昼飯もおやつも買わないで集合場所に駆けつけてなんとか事なきを得た。こういうばあい、ビッグサイトは会場内の店が充実しているので便利である。

 それにしてもまた雨である。それに寒い。寒いと思って厚着していったのだが、じつは会場内では暑かった。参加者の発する熱気のためである。外に出るとやっぱり寒い。コミケの参加者の熱気というのはいろんな意味でたいしたものだと実感したが、夏のコミックマーケットでそれを実感するというのはやっぱり常態ではないよなぁ。

 ぺぴさんやP. Zerberusさんのサークルアトリエそなちねにあいさつに行き、委託の本を置いていただく。ワイン情報・評論サークルである。『エンジェルの酒浸し』はお酒の本だからまだいいとしても、『星のない海』『パタパタ』本まで委託を受けていただき、ほんとうにありがとうございました m(__)m 。

 WWFにも『星のない海』と『FLEET IN BEING』を置いていただきました。おかげで本を置く場所を圧迫してしまい、まことに心苦しいしだいでした。すみません。

 WWFもアトリエそなちねも「情報・評論」でエントリーしている。今回の東4〜6ホールは、どうやら混雑の激しい「男性向け創作」的な分野のあいだに緩衝地帯として「情報・評論」がはさまるようなかたちになっていたようだ。おかげでかどうか知らないが、うかつに「男性向け創作」の領域に踏み込むと身動きが取れなくなるというほど混雑は激しくなかったように思う。それとも、やっぱり天気のせいで人出そのものが少なかったのか?

 今回のWWFの特集は「萌え」特集ということで、企画のまつもと晶さんの提案で東浩紀氏の『動物化するポストモダン』を読んだ。さんごのくにのほうで東さんの本をしきりに取り上げているのはそのための準備である(ここまでの考察については「東浩紀氏のオタク論を読む」をご参照ください)。

 この『動物化するポストモダン』でKeyやLeafのゲームが取り上げられていたこともあり、今回はKey・Leaf系のブースを回って、何冊か本を買ってみた。ちなみにゲームのほうはまったく知らない。『To Heart』はアニメ化されたときにアニメのほうを何本か見たけれども、ゲームのほうは、他の人がプレイしている画面をのぞきこんだだけで、ろくに知らない。まして『Air』や『Kanon』になると、タイトルはきいたことがあるというだけで、具体的な知識は何もなかった。

 そういう状態で、ブースをまわり、手に取ってみて、よさそうな本を何冊か買ってみた。ちなみにぜんぶ「健全」本である。この本がどれもよい。みんな絵が巧いということもあるが、ストーリーにしても画面構成にしても、ほんとに愛情を持ってていねいに作っていることが伝わってくる。もとのゲームをぜんぜん知らなくてもそのことが伝わってくるような本ばかりなのだ。

 東氏の表現によると現在のオタクは「動物化」したということになる。東氏の「ポストモダン」論は傾聴すべきものを含んでいると私は思っているし、「オタク」論にしても、ともかくも「オタク」を内在的に理解しようとしている点では高く評価している。だが、こういう本に接すると、こんなに作品に愛情を持ってていねいに同人誌を作っている人たちをはたして「動物」と呼んでいいのかと思ってしまう。もちろん東氏の「動物化」というのは一種の術語だから、作品に愛情を持ってていねいに同人誌を作る「動物」が存在しないということにはならないのだけど、やっぱりこういうのを見ると「動物化っていうのはちょっと違うんじゃないかな〜?」とどうしても思ってしまうのだ。

 東氏の議論ではやはり「物語」という点が隘路になっているように思う。東氏は、「ポストモダン」時代(とりあえず「現代」のことである)を代表する「オタク」たちが求めているのは「小さな物語」であって、近代文学が追い求めた「大きな物語」とは違うのだという議論を立てている。この見かた自体が完全にはずれているとは思わない。しかし、では「小さな物語」とは何なのか、たんなる「大きな物語」を矮小化して陳腐化したものにすぎないのか、それとも「小さな物語」には「小さな物語」自体の動態があってそれは「大きな物語」に劣るものではないのか、その点の考察が必要なのかも知れない。このあたりはこのあとも考えつづけていきたい点だ。

 全体に「本を買う気が落ちた」と感じていたにしては、帰宅してみるとけっこう本を買っていた。内容にさして関心が持てない本でも、また、失礼ながら「この程度のことは知っている」と感じる内容の本でも、対象に愛情を持って作っていることが感じられる本や、本を作るときの「勢い」のようなものを感じる本は、やっぱり買ってしまう。今回は、コミケで本を買うというのは、たんに本の内容だけを買うことのではないのだなということを久しぶりに感じたコミックマーケットだった。

― おわり ―