『パタパタ飛行船の冒険』とジュール・ヴェルヌの世界

清瀬 六朗


ジュール・ヴェルヌについての覚え書き(2)

すべて電気仕掛け

 もちろん、一九世紀の科学で実際に実現できるものならば実現していたはずで、ヴェルヌの説明には飛躍やごまかしがある。また、小説のなかの計画が、技術的には実現可能でも、実際に実現するにはとてつもない費用がかかるものだったりもする。

 説明の飛躍の例には電気動力がある。当時の技術では発揮できない高性能な機械の動力として、ヴェルヌは「電気の力」で説明してしまう傾向がある。

 『海底二万里』のノーチラス号は現在の潜水艦に較べても高性能な潜水船である。

 高速は発揮できるし、船体には軍艦と戦えるだけの強度がある。しかも現在の深海探査船と同じぐらいの深海底まで潜れる。航続力も桁外れに大きく、連続潜航時間も、乗組員が吸う空気のことを考えなければ無限に近い。こんな高性能の潜水艦は今日でも存在しないのではないだろうか。少なくともこの性能は現在の通常動力の潜水艦ではとうてい無理だ。

 原子力潜水艦ならばこのノーチラス号の性能に近づけるだろう。ちなみに、アメリカ合衆国海軍は、その時代の最大だか最先端だかの潜水艦には「ノーチラス」・「アルゴノート」と名づけるようにしているらしい。その何代めかの(三代めだったかな?)ノーチラス号は世界最初の原子力潜水艦で、『海底二万里』のノーチラス号が南極に到達するのに対して、原潜ノーチラス号は海底から北極点に到達している。

 なお、「アルゴノート」のほうも、『海底二万里』に「ネモ船長はこの船をむしろアルゴノート号と名づけるべきだったかもしれない」という一節があり、そこから取った名まえだろう。殻のついたイカ・タコのたぐいではオウムガイとタコブネとが現存していて(過去にはアンモナイトなどいろいろいたわけだが)、ノーチラスがオウムガイ(「航海者」の意味もある)、タコブネがアルゴノートである。

 しかしヴェルヌの生きた時代にはまだ原子力は発見されていない。

 ヴェルヌの晩年、『悪魔の発明』が発表されたころにようやく電子が発見され、「原子」の内部構造が明らかになり始めた。ヴェルヌは、『悪魔の発明』より早く発表された『南十字星』で、原子自体が水素原子のような小さな原子の集合体ではないかという説を書いている。すべての原子は、水素の原子核(陽子(ようし))やそれに似た粒子(中性子)の集合体なので、あたっていなくもない。ヴェルヌが何からそういう知識を得たかは私にはわからない。

 ともかく、電子が発見されてからも、原子の内部構造はまだ解明されておらず、ましてや核分裂などという現象も発見されていない。核分裂が発見されるのはヴェルヌの没後30年以上が経ってからである。

 だから原子力を動力にするわけにはいかない。ヴェルヌはノーチラス号の動力源は強力な電池であるとしている。

 現実の通常動力潜水艦も電池を動力にしているが、海上走行時に充電してから潜航するので、あまり潜航時間は長くない。しかも、現在の潜水艦はどうなっているのか知らないが、第二次大戦ごろの潜水艦は艦内に電池がずらずら並んでいて、爆雷攻撃を受けて電池が傷むと有毒ガスが発生したりしてたいへんだったらしい。艦内も狭くて居住環境は劣悪で、日本の帝国海軍(旧海軍)では「ドン亀」と呼ばれていた。とてもノーチラス号のようなスマートな船ではない。現在の原子力潜水艦でもノーチラス号のように快適な航海ができるかどうか。潜水艦に関しては、現在の造船技術はまだまだネモ船長の持っていた造船技術には及びついていないようだ。


ロック式閃光弾と核兵器

 『海底二万里』よりずっとあとになって書かれた『悪魔の発明』にも強力な電池で走る潜水艦が登場する。これも原子力潜水艦のような高性能を誇る潜水艦であり、機関出力も航続力も速力も敏捷性も申し分のない性能を持っている。攻撃兵器としての性能も高く、隠密性も高い。また、『悪魔の発明』には、ロック式閃光弾(『パタパタ』のジェネシスに相当する)という超強力爆弾も出てくる。これも核爆弾を予見した兵器とされる。

 この『悪魔の発明』は原題を『国旗に向き合って』という。第二次大戦後にチェコスロバキア(当時)のカレル・ゼマンがこの作品を映画化し、それが日本で『悪魔の発明』というタイトルで公開されて、この作品は『悪魔の発明』と呼ばれるようになった。やはり核兵器を意識してつけられたタイトルだったのだろう。

 けれども、このロック式閃光弾の爆発の原理はどうやら化学的なものらしく、原子力エネルギーではない。じつは、このロック式閃光弾はフランス人が発明した実在の爆薬をモデルにしており、そのことを示唆する表現も本文中に出てくる。ヴェルヌはこの爆薬を「超強力なダイナマイト」のようなものと設定していたようだ。

 なお、ロック式閃光弾は、簡易なランチャーから発射できる自噴式のロケットで、その点ではミサイルと同様である。小口径で巡洋艦の大砲よりも長い射程と優越した火力を持つので、その点でも後の艦対艦ミサイルのような一面を持つ。爆発力も、空中爆発で巡洋艦を一瞬で轟沈させてしまうぐらいだから、相当に強力である。装甲を持った軍艦は爆弾の空中爆発ではなかなか沈まないものだ。軍艦は基本的に船体に穴が開いて浸水しないと沈まないし、空中爆発ではなかなか船体に穴を開けられないからである。

 また、『悪魔の発明』では、そのロック式閃光弾の発射装置を潜水艦に据えつけて戦うという話が交わされる場面も出てくる。これは要するに潜水艦発射ミサイル――それも潜水艦発射式の戦術核ミサイルである。巡航ミサイルではないが、潜水艦に搭載されたトマホークに核を装備したような感じだろう。

 ただし、ロック式閃光弾の射程は10キロ程度だったはずで(いま本が手もとにないから確かめられないのだが)、第一次大戦期の戦艦よりははるかに短い。だから、たとえば列国がクイーン・エリザベス級や金剛級を繰り出してきたら、ロック式閃光弾では対抗できなかったはずだ。


「電気」の魔法

 『征服者ロビュール』のアルバトロス号も同じで、強力な電池を動力にしている。

 ちなみに、この「アルバトロス」という船名は、宮崎駿が『ルパン』第二シリーズを演出したときに使った。この「死の翼アルバトロス」の制作会社がテレコムアニメーションフィルムで、つまり『パタパタ』の制作会社である。

 アルバトロス号も一度の電力供給で地球を回れるほどの航続力を持っている。船の上に多数の二重反転プロペラをつけることで浮上し、船の前後についた巨大プロペラで推力を得る。そのすべてを電池で駆動しているのだ。

 ただ、このアルバトロス号のほうは、今日のジャンボジェットのほうが速力も輸送力も上だ。アルバトロス号は速力も新幹線ぐらいだ。なにしろプロペラ機なのである。今日の技術でならばおそらくアルバトロス号と同じような航空機を作ることはできるだろう。けれども、たぶん航空燃料を大量に消費する効率の悪い乗り物になってしまうだろうと思う。ヴェルヌは飛行機やグライダーのように固定翼で飛ぶという発想があまりなかったようである。

 一方で、ヴェルヌは、このアルバトロス号の船体を作っている頑丈な軽量素材してパルプを想定している。つまりアルバトロス号は回転翼から船体までぜんぶ紙でできた「紙飛行機」なのである。これは卓見だと思う。現在では軽量で丈夫な航空機の先端材料として炭素素材が使われているのだから。

 現実にはヴェルヌがノーチラス号やアルバトロス号、『悪魔の発明』の潜水艦の動力として想定したような高性能の電池は存在しない。原子力を想定しないで化学の範囲で考えばあい、そんな高性能電池を作ることは不可能だろう。

 ただ、ヴェルヌが生きた時代には、「電気」というものがいまでは考えられないような魔法のような魅力を持っていたようだ。

 電気で夜の都会は明るくなったし、海底電線を使えば世界中の都市と情報をやりとりできる。ヴェルヌは海底電線敷設船に乗ってアメリカまで行った体験もある。ヴェルヌが電気に万能の可能性を見出したとしても私は不思議でないと思う。私たちが電子技術やナノテクノロジーに持っているのと同じ「万能技術」としての幻想をヴェルヌは電気について持っていたのだ。

 なお、「電気」が感じさせてくれる同じような「魔法」的な感覚は宮澤賢治の作品からも読み取ることができるだろう。「グスコーブドリの伝記」で飛行船から肥料を撒く場面は私の大好きな場面である。私はヴェルヌと宮澤賢治とはわりと感覚の似た作家だと思っている。

 20世紀半ばの一時期、その万能エネルギーと万能技術の座は原子力に受け継がれた。原子力が実用化されればさまざまな問題が解決されると信じられていた。しかし、原爆のもたらした惨禍がやがて世界に知られるようになり、水爆も開発され、原子力はいろいろとコントロールするのが難しいエネルギーだということがわかって、原子力はその輝かしさを失ってしまった。現在では太陽光や風力や燃料電池やメタンハイドレートが注目されているのだろうが、ヴェルヌの時代の電気や20世紀半ばごろの原子力のような「輝かしさ」はない。

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