Mariana Baraj は folk/roots の音楽を同時代的な解釈で聴かせるアルゼンチンの女性歌手だ。 Fernando Tarrés らと共演した Lumbre (BAU, BAU1139, 2002, CD) [レビュー] と Deslumbre (Los Años Luz, LAL036, 2005, CD) [レビュー] は、 その jazz/improv 色濃い緊張感高い演奏がとても気に入っていた。しかし、続く Margarita Y Azucena (Los Años Luz, LAL062, 2007) は、ポップにオーバープロデュースされているように感じ、好きになれずにいた。そんな彼女が新作 Churita (Cardonal / Beans, BNSCD-763, 2010, CD) をリリースした。 Churita の音作りは前作に近いが、 シンプルになって歌声が生きている。前作より好みの音作りだった。 そんな新作リリースに合わせて来日が実現したので、東京公演を観てきた。
オープニングは、ゲストの Ariel Asselborn がソロ2曲。 続いて前半、休憩を挟んで後半、最後にアンコールで1曲。 percussion やエフェクトなどを演奏しながらソロで歌ったり、 時々 Asselborn の伴奏を加えたりしてのライブだった。 公演のタイトルからして、新作 Churita からの曲を中心に 演奏するのだろうかと予想していたのだが、4枚のアルバムからの曲をぼぼ均等に演奏。 Baraj の良さを様々な面から楽しめたライブだった。
最も楽しめたのは、やはり、 Lumbre や Deslumbre からの曲。 自身で percussion を叩きつつ、平坦な中に微妙に抑揚を付けるような歌い方は、 土俗的な民謡のようでもありながら、抽象的な voice performance のよう。 マイクからの距離を変えて音量や声の響きを変えたり、 マイクに付けたエフェクトで残響やループを操作しながら歌う様子も、 むしろ、free jazz/improv での voice performance で良く見られるものだ。 アルバムでも音数多い伴奏が付いていたわけではないのでソロにしやすいということもあるのだろうが、 “Yo Soy Como El Tigre Viejo” (Lumbre 所収) に始まり、 “Jantun Illiman” (Deslumbre 所収) で終わる、 ということでライブの中でも要所を押さえていたし、演奏した曲の約半数はこの2枚から。 このような選曲で、良い意味で期待を裏切ってくれた。 席が前の方だったこともあると思うが、同じ曲ながらレコードには無い迫力で この voice と percussion が堪能できた。
live electronics 使いという点では Margarita Y Azucena からの曲。 レコードではスタジオワークで音を作り込んだ感もあったのだが、 それをカラオケやプログラミング演奏で代替するようなことはなし。 “Ay Porque Dios Me Daría” のような曲でも、 口琴や percussion の音をループで重ねてライブでトラックを作った上で歌った。 そして、ライヴでのちょっとラフな音作りは彼女の力強い歌声に合って、 レコードで聴いていたより遥かに良く感じられた。 確かに若干オーバープロデュースな面はあったけれども、 Margarita Y Azucena も悪くないかもしれない、と見直した。
自作曲からなる最新作 Churita からの曲は、 主に Ariel Asselborn の guitar や charango の伴奏を付けて。 レコードでは低音の強調やエコー使いなも少々 dubwise な音作りをしていたが、 ぐっとアコースティックになった。 親しみ易いメロディ、6拍子の軽快なリズムもあって、pop なフォルクローレのよう。 アルバム未収の “Sukiyaki Song” (「上を向いて歩こう」) を前半最後に演ったのだが、 この演奏も同様であった。 こういう演奏は Lumbre からの曲とは異なるけれども、 Baraj の歌声や存在感もあってら、浮いて聴こえるようなことはなかった。 むしろ、交えて演奏することによって全体として良いメリハリが付いていた。 アンコール曲は表題曲である “Churita”、 前半に機材不調でうまく演奏することができなかった曲を、もう一度演奏してくれた。
このような感じで、 folk をベースにしつつ free jazz/improv のヴォイスパフォーマンスに近いものから、 charango 弾きつつ歌を聴かせるような展開まで、様々な面を楽しめたライブだった。