イラン (Iran) 出身でフランス (France) を拠点に活動する バンド・デシネ (bande dessinée; フランスの漫画) 作家 マルジャン・サトラピ (Marjane Satrapi) の日本で翻訳紹介されている作品をまとめ読み。
フランスでは4巻物として出版された自伝的作品の翻訳です。 1969年にイランの比較的裕福でリベラルな家庭に生まれたマルジの、 イランでの少女時代から、ヨーロッパでの思春期、イランに戻って結婚、 そして失敗した結婚生活に見切りを付けてヨーロッパに戻る直前までの成長の物語です。 といっても、一貫した語り手による成長譚ではなく、 感情や意識の矛盾も残しながら短いエピソードを積み重ねていくように語っていきます。 第I巻はヨーロッパの学校へ行くために14歳でイランを離れるまでの少女時代、 第II巻はヨーロッパ時代とイランに戻ってからとなります。 バンド・デシネといっても、画風は木版画のようなシンプルなもので、コマ割も単純。 表現技法が面白いというよりも、扱っている題材で読ませる作品でしょう。
断然面白いのはイランでの少女時代。 1970年代後半の反 Pahlevi 国王 (Shah) 運動、 1979年のイスラーム革命、そして、1980年からのイラン・イラク戦争と、 激動の時代を、少女の目を通して描いていきます。 両親も参加した反国王の抗議行動、国王政権下で親戚が受けた投獄・拷問、 イスラーム革命政権下での新たな抑圧、イラン・イラク戦争とその爆撃での友人の死、など、 次々と重いエピソードが出てきて、息継ぐ暇もない感じです。 特に、主人公のマルジがインテリ左翼がかったリベラルな家庭育ちで、 チャドルどころかスカーフも不要な男女共学のフランス語学校に通っていただけに、 この激変する社会とマルジの間に生じる摩擦が興味深いです。
第II巻は、そういう激動のイランの状況から切り離され、 イランに戻った時には変化も一段落ついているだけに、 第I巻に比べてぐっと私的な印象を受ける内容となります。 第II巻前半、ヨーロッパでの生活。 自由な生活を謳歌をできるというわけでもなく、 結局、ダメな男と恋愛や麻薬を経験し、路上生活するまでに。 これも波瀾万丈といえばそうですが、ありがちというか、むしろ古典的とすら感じるかもしれません。 後半は、そんなヨーロッパの生活に終止符を打って、イランに戻ってからの日々。 イスラーム革命政権の規制をリベラルな人たちがどう密かに反抗し やり過ごしているのか、そのエピソードは面白いです。 が、やはり、結局失敗に至る結婚の話のウェイトが大きく感じられてしまいます。 そういう恋愛・結婚に関連するエピソードについては、 リベラルな上流階級であれば、イランも欧米諸国も日本もあまり変わらないのかな、 とも思いながら読みました。
ウズベキスタンの Ilkhom Theatre (レビュー)、 チュニジアの Familia Productions (レビュー)、 レバノンの Rabih Mroué (レビュー) と 今年3月にイスラーム圏の演劇を立て続けに3本観たこともあり、 『ペルセポリス』を読んでいて、それらとの共通点を意識させられました。 特に、Familia Productions の Khamsoun: Corps Otages (『囚われの身体たち』) (レビュー)。 この劇の女性主人公 Amel も父親が逮捕・拷問されたことがあるような 左翼的でリベラルな家庭育ちですし。 Amel はヨーロッパの学校でイスラーム原理主義にハマって帰ってくるわけですが、 路上生活に至ってイランに戻ることになったマルジも実は紙一重だったかもしれないなぁ、とか。 ヨーロッパで教育を受けられるようなイスラーム圏の裕福でリベラルな家庭に生まれ育った女性の アイデンティティ問題というか。
このバンド・デシネは前から少々気になってはいたのですが、手にしたきっかけは、 この作品をアニメーション化した映画が日本公開になったということ。 それほどの話題になるなら、と。 結局、読んで面白かったけど、アニメーション化で原作より面白くなるようなものでもないような気もします。
併せて、『ペルセポリス』に続いて翻訳された Satrapi の作品 も読んでみました。こちらは、バンド・デシネというより イラストレーション付きのエッセーといった内容です。 表題の「刺繍」は処女膜再生手術を意味する隠語、ということから、内容は推して知るべし。 あくまでヨーロッパへ留学に行けるくらいのリベラルで裕福な家庭の女性の話であって、 メイドなどをしている階級の女性の話はまた全く別なのでしょう。 ここに出てくるイランの女性たちは 斎藤 美奈子 『モダンガール論』 (2000; 文春文庫 さ36-2, 2003) で描かれる戦前のモダンガールに近いのかもしれない、と、思ったりもしました。 そんな感じで確かに興味深く読めましたが、『ペルセポリス』のような感動とは別世界。 あ、マルジの結婚の話が出てくる第2巻後半とは被る部分は多いかも。 『ペルセポリス』にも出てくるマルジの祖母が重要だなぁ、と。 しかし、『ペルセポリス』にしてもそうですが、 Satrapi は実体験に基づくエッセー的な作品が得意で、 フィクションを構築する才能の有無についてはなんとも、という感じです。
(以上、談話室への発言として書かれたものの抜粋です。)