1990年代半ばに京都のカンパニー Dumb Type の S/N や OR の音楽を 担当して注目されるようになった 池田 亮司 の個展だ。 ちなみに、タイトルは1996年にリリースされたCDと同じだ。 彼の音楽は高音や低音を強調した minimalistic で electr-acoustic なものだが、 それを、1階と地階の空間を贅沢に使い ビデオインスタレーションとサウンドインスタレーションとした スタイリッシュな展覧会だった。 1階の暗室でのビデオインスタレーションと 地階の床まで白くしたホワイトキューブでのサウンドインスタレーションが 対比されていた。
どちらが良かったかと言えば、ビデオインスタレーション。 ゲノムや天体のものと思われるデータを、 そのデータの構造を情報として判りやすくプレゼンテーションするのではなく、 厖大な数値・記号の流れとして体感させるようなな作品だ。 一世代前のコンピュータのキャラクタ端末や低解像度グラフィック端末へ 細かい文字のテキストやフレーム線や散布点として厖大なデータを出力したかのような、 ほとんどモノクロのチラチラとしたコントラストの強い映像を投影していた。 特に、幅25m、高さ6m余りはあろう壁いっぱいに投影した “data.tron (3 SXGA version)” (2007-2009) は、 その流れに吸い込まれそうに感じる程。 対する壁にもたれてぼっと眺めるのも悪くないが、 投影されている壁の近くまで行き、その光の流れの中に身を置き、 流れる記号や線を手に取り身体で受け止めてみると良いだろう。 古橋 悌二 「Lovers — 永遠の恋人たち」 (1994) にも感じることだが、映像の中に身を置きたくなるような所は、 Dumb Type というパフォーマンスのカンパニーと仕事をし、 身体性を意識しながら作品を作っていたということから来ているのかもしれない。
サウンドインスタレーションは 直径1m余りある超指向性パラボラ型スピーカーを5台使った “matrix (5ch version)” (2009)。 可聴域ぎりぎりの高音や低音を響かせている。 その音はサイン波の音に近いため、5台のスピーカーの間を歩き回ると、 その低音が干渉している様子が体感できる。 じっと立って聴いていると変化の少い持続的な音なのだが、 歩くとその音の強さが複雑に変化し、ブブブブと鳴るように聴こえるのだ。 目には見えないけれども聴き取ることはできる音波の干渉模様の中に身を置くような作品、という点では、 データの流れの中に身を置くような “data.tron” と共通する所も感じる。
その他に、ほとんど判別不能な1mm程の小さな数字をマトリクス状にプリントしくは刻印した “the transcendental” (2009) という平面作品が何点か展示されていた。 それ単体では興味深いものではないように思うが、 ビデオインスタレーションやサウンドインスタレーションと合わせれば、 それを象徴する看板のような意味合いも感じられた。