『建築はどこにあるの? —— 7つのインスタレーション』 展の インスタレーションの一つ、内藤 廣 「赤縞」 の作品の中で、ダンス公演が行われた。 レーザー光を使ったインスタレーションの中、 その中での様々な物の見え方を巧く生かしたパフォーマンスを楽しむことができた。
「赤縞」は、照明を消した長方形のギャラリー空間の中、 ギャラリー中央の天井にレーザー墨出しを10cm程の間隔で等間隔に並べ、 赤色レーザー光の細線の縞をギャラリー中央に描き出したものだ。 そのままでは目には見えないが天井から床に向かってレーザー光が横切っており、 その下を人や物が横切ると、レーザー光によりその上面に縞が描かれ、遮られた床からは縞が消える。 「赤縞」はそんな天井の光源と床の間のレーザ光が横切っている空間を自ら通過することによって、 もしくは他の観客が通過する様子を観ることによって、その空間を感じ取るインスタレーションだ。
公演前にインスタレーションを鑑賞した際に自分の体をいろいろ動かしてみた中で、 そして、ダンス公演を観ていて、 この「赤縞」の空間の中では、動きの速さに応じた3種類 (自分が気付いた範囲では) の 物の見え方があることに気付かされた。 一つは縞に対して垂直方向に静止しているか非常にゆっくり動いている場合で、 この場合は遮った物によってストライプが床から持ち上げられ歪められ 動きによってはグネグネとうねるように見える。 もう一つは人が歩く程度の速度で動いている場合で、 この場合は、細いストライプがあまり感じられなくなり、 多少ちらつくうす赤い光に動く人や物がぼんやり照らし出されているように見える。 さらに動きが早くなると、今度は動く人や姿の形が消えたかのようになり、 動きの軌跡に沿って光のストライプが空中に浮き上がって見える。
公演の出だし、椅子やテーブル、紙を使ったムーブメントは、 いかにも じゅんじゅん (というか 水と油) らしいものだった。 使われていたオブジェはそれぞれ、テーブルは直線的に、椅子は曲線的に縞を持ち上げ、 さらに、手に持つ紙は持ち上げた縞にゆらめきをもたらしていた。 そして、それらのオブジェの回りでのストップモーション的なダンサーの動きは、 動きが止まったときは人が光の縞を持ち上げているように、 そして、動き出すと淡く人の形が浮かび上がるように、 しかし、早い動きをする手足などは消えて軌跡に光りが飛ぶよう。 空間の中をパズルのように組み合わせたダンサーの動きによって、 さらに、「赤縞」の空間内での様々な見え方を組み合わせていくかのように見えた。
パフォーマンスが進むに従い、ある一つの見え方に焦点を当てて、 それをじっくり見せるかのような動きが多くなった。 ダンサー達が床に転がるような低い姿勢でのムーブメントは、 床の縞を高く持ち上げるのではなく床の上でうごめかすかのようだった。 中程での、世界一薄い布「天女の羽衣」の帯を縞の上に泳がせた場面は、 静的で直線的な床の縞と、ゆったりゆらめく空中の縞が、付いたり離れたり。 終わりに近い風に向かって走るかのようなムーブメントは、 手足以外はあまり早く動かさずに光りに浮かび上がるかのようにする一方、 速い動き手足で光りの軌跡を作りだし、空気の流れを可視化しているかのよう。 このような様々な見え方をある程度しっかり見せる展開があったのも良かった。
水と油 の時から登場人物の個性を抑えて動きをパズルのように組み合わせる 演出をよく見せていたように思うが、 この作品ではさらに、表情が読み取れるような照明ではなく、 衣装もレーザー光の反射を意識した白く身体を覆うもので、 個々のダンサーの性格付けはほとんど感じられなかった。 全体としても、ストーリーを作り出すというより、 様々な物の見え方を組み合わせた空間的時間的なコンポジションのよう。 そこに、曲展開をあまり感じさせない 山中 透 の electronica な音楽も合っていた。 空間と演出と音楽があまりにハマっているように感じて、 少しは意外な要素が入っても良かったのかも、などと思ってしまった程だ。
アフターパフォーマンストークの話の中で最も印象に残ったのは、 演出上の困難として暗転による場面展開が使えないということを挙げていたこと。 言われてみれば暗転どころかライティングの変化も無かったのだが、 見終わるまでそれに気付かされなかったので、その困難は充分にクリアされていたとは思う。 もう一点、インスタレーションを手がけた内藤氏が、 今回の公演では布をレーザー光に対して垂直方向に広げたが、 並行な方向に広げるとまた違う見え方をする、と言っていたこと。 確かに、レーザー墨出しの光が作る面に並行に布を広げた場合、 その揺らぎによってモワレのような模様が見えたのではないかと思う。 演出構成上取り込むことができなかったようだが、その様子も実際に観てみたかった。 しかし、話を聴いていても、「赤縞」の中での多様な物の見え方の発見を楽しんでいたよう。 公演を観ていても、それが伝わってきたようにも感じられた。 そういう点でも楽しい公演だった。
ちなみに、展示空間を使いこのようなダンス公演をするというのは、 東京国立近代美術館では初めての試みという。これは少々意外だった。 企画の内容にもよるとは思うが、 今回の公演は展示されている作品をより楽しむという点でも非常に良いものだったし、 このような形で、ダンスや音楽の公演をもっと試みて欲しい。
ダンス公演が良かったこともあって、 内藤 廣 「赤縞」 の印象が非常に強く残ってしまった展覧会だが、 他のインスタレーションも興味深く観られた。 特に、中村 竜治 の細い紙のフレームを組み合わせて作った 100立方メートルほどの大きな体積ながら疎な構造体や、 伊東 豊雄 の正十二面体等の多面体をベースとした垂直のない空間が楽しめた。 いずれも、シンプルな生成ロジックで単純な反復パターンではない構造をいかに生成するか、という、 問題に取り組んでいる所が、興味深く感じられた。
ちなみに、この展覧会は、三脚やフラッシュの使用や動画による撮影は禁止されていたが、 写真撮影が許可されていた。 さらに、Flickr に公式のグループを作成し、 撮影した写真の投稿も募っていた。 面白いことになっているという程ではないが、 このようなソーシャルメディア利用の試みも良いと思う。