カラフルな抽象の平面の絵画作家と、モノクロをメインにフラットに風景を撮る写真家。 大学時代の同級生という接点があったということはフライヤ等から伺えたけれども、 観る前はこの二人の組合わせにはピンとこなかった。しかし、実際に観ると、この組合わせは絶妙。 柴田 の写真はそれなりに観てきてるけど、この組合せのおかげで新鮮に観ることができた。 また、辰野 の絵画も今までグループ展コレクション展で観たことはあったけれども、 柴田の写真を手掛かりにやっとそのポイントが掴めたような気がした。
企画展示室は細かいギャラリーに分割され、それぞれにテーマが定められて展示されている。 二人の作品が同じギャラリーに展示されているのは、最初の「イントロダクション」と 最後の「新作」 、そして中程やや後よりにあった「初期作品」の3カ所。 それぞれのギャラリーが交互に現れて、最初のうちは二人の個展を交互に観ているよう。 柴田の「日本典型」 (1988-1989) や「シカゴ現代美術館からの25点」 (1996-1997)、 辰野の「円と丸から」での葡萄の粒のような抽象など、観覚えのある作品が中心で、 この二人のよく知られた作風を念押しされる感すらあった。 「日本典型」や「シカゴ現代美術館からの25点」も好きだけれども、細長く区切られたギャラリーを使い、 柴田 の1980年代から2000年代に亘る砂防ダムのような小型の堰堤の写真をずらりと並べた 「堰堤」のコーナーが圧巻。前半のハイライトだった。
そして、続いて二人の初期作品の部屋。 ここで、学生時代に辰野と柴田が同級生 鎌谷 伸一 と組んでいたという コスモス・ファクトリー での展覧会のポスターに始まり、 2人の1970年代初頭の作品が展示されていた。 柴田 に絵画や版画のバックグラウンドがある話は聞いたことがあったけれども、実際の作品を観たのは初めて。 Andy Warhol などむしろ Pop Art の影響も感じる二人の作風の類似も興味深かったし、 そこからの抽象への方向性も既に伺える (たとえばビルをノッペリと描いた 柴田 の作品など) も面白かった。
それを観てから後半に入ると、二人がどのように異なる道を歩んでいくようになったかを確認するよう。 しかし、その中でも抽象を指向しながら、テクスチャや色面のようなものではなくシンプルな形へのこだわりを残していくよう所が、共通して見えるような気がした。 特に、擁壁から鉄橋から堰堤まで、画面中に三角形を切り出しているような 柴田 の写真を集めていたの「三角形」が印象的。 柴田の写真は抽象絵画のように撮影されている所が面白いと思っていたが、 その切り出す形までちゃんと見ておらず、結局、擁壁やダムという物として観ていたのかもしれない。 この展示の後では、三角形の他にも、丸や詰み上がる矩形とか、特徴的な形状が 柴田 の写真から浮かび上がって見えてくるようだった。 そして、例えば詰み上がった矩形のような形は、辰野 の抽象絵画にもよく出てくる。 さらに、二人ともくっきり定規を引いたような線よりも、むしろ自然に歪んだものとしてそれを捉えようとしている。 こうして、今までよくわからなかった 辰野 の抽象絵画の手掛かりが得られたような気がした。
このように、単に大学時代に同級生で一緒に活動していたというだけではなく、 抽象の中での形へのこだわりという点で写真と絵画を繋いでいたという点で、この企画は巧く構成されていた。 また、図録に収録されている二人の対談も、その理解を深める助けになる興味深いものだった。 しかし、最後の部屋の新作では、形へのこだわりを外すような作品も展示されていた。 例えば、柴田の淀みに溜まった落ち葉の渦巻く様子を捉えた写真や、 斜張橋のワイヤをクロースアップで切り出したような写真など、テクスチャか模様として捉えているかのよう。 結論としてまとめられているというより、展覧会で示されているのは一面に過ぎず、別の展開を仄めかされているようでもあった。