このドイツ・ベルリンを拠点に活動する劇団 Volksbühne am Rosa-Luxemburg-Platz の2011作は、 1913年作の笑劇 (farce) に基づくもの。 大道具を排した奥行きのある舞台を使い、造形や色彩を際立たせた衣装・髪型とし、身振りや表情を中心に置いた演出は、 演劇というより、コメディ的な身体表現で構成したコンテンポラリー・ダンス、もしくはフィジカル・シアターを観るよう。 そして、そんな所が楽しい舞台だった。
舞台は巨大な絨毯を広げただけのよう。 奥は人の背丈近く高く波打ち、その谷間にトランボリンが仕込まれていたが、 それ以外に書割、大道具などの舞台装置は無し。 フラットで視界を遮るものの無い奥行きのある空間だ。 そんな舞台の上で、様々な勘違いによって動揺しパニックに陥る様を、 これでもかという程のオーバーな身振りと表情で演じていく。 ここまで動くかという程のドタバタながらよく制御された身振りを観ながら、 さすがよく訓練されたヨーロッパの俳優、と感心。 前から2列目という席もあって、顔を歪めて作る表情を含めて、堪能できた。
大道具のほとんど無いフラットな舞台の上という半ば文脈から切り離された状況で、 身を捩らせ、よろめき、のたうち回る様子は、ダンスのよう。 トランポリンで勢いを付けて舞台奥から前方へ一直線に飛び出してきたり、 silly walk のような不自然な歩き方で舞台を横切ったり、 よろめきながら舞台上にジグザグと軌跡を描いたり。 奥行きのあるフラットな舞台上での位置取りと動きの軌跡の組み合わせを使い、 造形を強調した髪型や鮮やかな色の衣裳を使って舞台に絵を描いていく所も、ダンス作品を思わせる。
トランポリンを使うと事前に聞いていて、高さ方向の動きが観られるのかと期待していたのだが、それはあまり無し。 そういう意味ではトランポリン使いは若干肩透かしされた感もあった。 しかし、終演後のトークで演出家の Fritsch が、 コメディでリズムや勢いを出すために使われる扉の類がこの舞台には無いので、 その代わりにトランポリンを使い勢いを付けた、と話していた。 そういう意図での使い方ならば、高さ方向の動きへの期待は的外れだったのかな、と。
音楽使いに関しても、コミカルなノヴェルティ音楽のようなものは用いず、 パニックのトリガのとなる瞬間は、むしろ、グリッチ音のような電子音を使ったり。 そんな音使いも、良い方向に動きを抽象化していた。
誤解が誤解を呼び、ごまかしが状況を悪化させ、 それに動揺してパニックに陥り混乱していく一家の様子をコミカルに描いた話で (タイトルの (s)panische は、「スペインの」と「パニックの」をかけている)、 それ自体はかなり単純で他愛無いもの。 むしろ、パニックがバニックを呼ぶその連鎖構造が、 様々なパニック的な動きを繋ぎあわせて一つのダンス的な舞台としてまとめ上げていた。 といっても、パニックで話が転がって行くコメディ自体も好みで、涙が出るほど大笑いしながら楽しんだが。 例えば Smoking / No smoking (1993) [レビュー] のような Sabine Azéma 主演の Alain Resnais の演劇的でコミカルな映画をなどを連想したりもした。
ドイツ語のセリフがよく理解出来たら、ダジャレや会話の妙も楽しめたのかもしれない。 しかし、字幕など気にせず俳優たちの動きを観ていただけでも充分に楽しめた。 途中、俳優のアドリブもあって、日本語字幕に乱れがあったが、それもほとんど気にならなかった。
Volksbühne を観るのは、2011年の Cinecittà Aperta: Ruhrtrilogie Teil 2 [レビュー] に続いて二度目だけれど、 演出家も出演俳優も違うせいかかなり雰囲気が違うと感じる一方、 空間使い、特に奥行き使いなどに共通するセンスを感じた。 Michael Thalheimer 演出の Deutsche Theatre Berlin も空間使いと身体表現がダンスのようだし [レビュー]、 コメディ作品とはいえ、そういった舞台作品との共通性も感じた舞台だった。