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Review: Bayerische Staatsoper, Romeo Castellucci (prod.), Richard Wagner (comp.): Tannhäuser 『タンホイザー』 @ NHKホール (オペラ)
嶋田 丈裕 (Takehiro Shimada; aka TFJ)
2017/9/24
NHKホール (渋谷)
2017/09/21, 15:00-20:00.
Komponist: Richard Wagner · Libretto vom Komponisten.
Inszenierung, Bühne, Kostüme, Licht: Romeo Castellucci.
Choreographie: Cindy Van Acker; Regiemitarbeit: Silvia Costa; Dramaturgie: Piersandra Di Matteo, Malte Krasting; Videodesign und Lichtassistenz: Marco Giusti.
Cast: Georg Zeppenfeld (Hermann, Landgraf von Thüringen), Klaus Florian Vogt (Tannhäuser), Matthias Goerne (Wolfram von Eschenbach), Annette Dasch (Elisabeth, Nichte des Landgrafen),
Musikalische Leitung: Kirill Petrenko
Bayerisches Staatsorchester, Chor der Bayerischen Staatsoper.
Neuinszenierung, Premiere am 21. Mai 2017.

イタリアの現代演劇の文脈で活動する演出家 Romeo Castellicci が演出を手がけた Wagner のオペラ Tannhëuser の来日公演。 Castellicci 演出の作品は、 Divina Commedia 『神曲』三部作 [レビュー] や The Phenomenon Called I [レビュー] を観ているけれども、 俳優やダンサーの演技ではなく舞台装置や照明、音響でその雰囲気を作り出すような演出だったため、 オペラの演出ではどうなるのかという興味もあって、足を運んでみた。 もちろん、メインのキャストだけでなく、オーケストラも含めてフルに来日しての公演なので、 欧州の歌劇場付きオーケストラの演奏も楽しめるのではないかという期待もあった。

大きな円形に投影された目の映像に向かって上半身裸の女性たち舞台一列に並んで洋弓で矢を射続ける Overture での演出から、ケレン味たっぶり。 第1幕の演出は手前にほぼ透明なスクリーンを張って、後方に両腕を下に開いた女性の人型にくり抜かれた窓 (のちに円形になる) を作って、そこの中かでも映像を投影しているかのようなパフォーマンスを見せていた。 Divina Commedia. Purgatorio 『神曲 — 煉獄編』 を思わせるような演出だった。 Venus はいわゆる美しい「ビーナス」ではなくぶとっとした肉の塊に上半身が付いているような造形。 その周りに人の形もほとんど失ってしまい、ぶよぶよと動く塊がうごめいている。 とてもグロテスクな Venusberg の描写だった。

Tannhäuser が戻って Elisabeth の前で歌合戦をする Wartburg 城の第2幕では、 するする動いて次々と様相を変えていく大きな半透明のカーテンを使った演出は美しかった。 これが清らかな精神的な愛の象徴である一方、床上を蠢くダンサーの演出は、その下に抑圧されている肉欲の象徴か。 最初は背景だが、歌合戦に入ると半透明な箱入りとしで前面に押し出されてくる。 蠢くダンサーたちは肌色のボディスーツ着てたように見えたが、本当は全裸でやりたかったのだろうか。 カーテンの向こうで背景として蠢く人々のイメージは、 The Phenomenon Called I の観客で作り出したイメージとも重なるよう。

Venusberg からの脱出口となった女性の人型の穴だが、 第2幕では相補的な裸の女性の姿として Elisabeth の白ドレスの前にプリントされていた。 このプリントは半透明の布の上にプリントされており、 歌合戦で Tannhäuser が愛を歌うと Elisabeth のドレスからその布が外され、 Tannhäuser がその布を抱きしめるという。 少々図式的に過ぎるかなとも思いつつ、Tannhäuser によっての Elisabeth の2面性 (精神的/肉体的な愛の対象) が象徴的に示されているよう。

第3幕は話を進めつつも、早々に、 Tannhäuser と Elisabeth の亡骸 (もちろん模型だが) を石の棺の上に並べ、 その亡骸が朽ちていく様を九相図よろしく示していく。 (観ている間は九相図に考えが至らず模型を入れ替えた回数を数えていなかったのだが、9回であればまさに九相図を参照したのだろう。) 最後は2人とも灰となり、2人の灰は一緒にされる。 亡骸となった肉体が朽ち果てて形を失うこと (肉体を失うこと) を、Tannhäuser と Elisabeth の救済として描いてるよう。 棺に役の名前 (Tannhäuser と Elisabeth) ではなく歌手の名前 (Klaus と Annette) が刻まれていたのが気になったのだが、演出意図は掴みかねた。

第1幕のグロテスクな Venusberg といい、第3幕の「九相図」といい、 Venus に象徴される「肉体 (的な愛)」を醜くグロテスクなものとして否定的に描いた演出だった。 グロテスクなイメージは Castellicci らしいと思いつつ、Venus の側をここまで否定的に描いたのは少々意外だった。 もちろん、これはオリジナルの意図に比較的忠実なもので、 対等なものとして描くほうが現在の価値観に即した解釈になるんだろうけれども。

休憩を除いても3時間余り。話の展開は遅く少々退屈した時があったのも確か。 しかし、Der Ring des Nibelung [レビュー] でもそうだったので、それは覚悟の内。 演劇作品とちがって、オペラ歌手の個性というか登場人物のキャラクターを殺さない演出だったので、 Divina Commedia 『神曲』三部作よりとっつきやすく、歌や音楽もあってかさほど退屈せずに楽しめた。

欧州の歌劇場付きオーケストラの演奏も楽しんだが、その良し悪しについては判断しかねる。 (本来の歌劇場と会場となったホールの違いもあるだろうし。) しかし、Klaus Florian Vogt の歌声の美しさには耳を奪われた。 男らしい力強さを感じるというより、ハイトーンも優美で通る歌声で、Venus と Elisabeth の間で引き裂かれる優男のようにすら感じられた。 Vogt は Kasper Holten 演出の Die tote Stadt を観たとき [レビュー]、 その予習復習で観たDVD [YouTube] で聴いていたので、 そこでの優男の印象を引きずったということもあるかもしれないが。 生で聴いて Vogt の良さを実感することができた。