Daniel Jeanneteau は長年 Claude Régy [鑑賞メモ] の舞台美術を手がけてきたフランスの舞台美術家で、 2000年代に入って演出を手がけるようになったとのこと。 この『ガラスの動物園』は2011年に静岡県芸術舞台センター (SPAC) の俳優を使い日本語による上演をしていますが、それは観ていません。 2015年に SPAC で『盲点たち』を観ていますが、この時は雨天で本来の形での上演で鑑賞できませんでした [鑑賞メモ]。 『ガラスの動物園』はその粗筋を知る程度でしたが、劇場での上演を前提にした Jeanneteau の演出はどうなのだろう、と、観に行ってみました。
舞台前面に白い薄布を下げ、それ越しに観る舞台はソフトフォーカスがかかったよう。 舞台中央に半透明の白布で作られた方形の部屋が、照明で見え方を劇的に変わったり、風でなびいたり。 そんなシンプルな舞台装置がとても美しく、この装置が主役のような演出でした。 ただ、最初のうちは、舞台装置だけで2時間はさすがに飽きるよ、と、思いつつ観ていました。 しかし、主人公の Jim が出てきたあたりから、ぐいぐい引き込まれてしまいました。
半透明の白い幕越しの少し霞んだ舞台は Tom の記憶越しに世界を観ているというメタファーというだけでなく、 現実からの逃避先、特に白布で作られた部屋は Amanda と Laura が篭っているコクーンのメタファーのよう。 そして、Jim が現れてそのコクーンである部屋の壁が風で揺らぎます。 Jim と Laura の2人のやり取りは、白い部屋の中ではなく、外に出て幕の前で演じられます。 Jim は Tom の部屋に現実をもたらしたというより、あのひとときの間だけでも、Laura を現実に引き出したんだな、と。 そんな光と幕と俳優の位置でニマリスティックかつ象徴的に物語るような演出が、あの舞台装置が主役のように感じた理由でした。
抽象的な舞台装置を使った象徴的な演出だったので、母 Amanda のアメリカ南部出身というバックグラウンドや、戦間期のアメリカの労働者階級の都市生活といった雰囲気は、 ほとんど感じられませんでしたが、逆に現代の日本に通じる普遍的な話に感じられました。 主人公 (Tom) は、就職氷河期で正規雇用が叶わず、ブラックな非正規労働な仕事に就いていて、 父は失踪し、派手なバブル時代の記憶が忘れられない毒親 (Amanda)、ニートなオタク女子の姉 (Laura) のいる家から、逃げ出したい。 親からの圧力で、仲良いという程でもない職場の意識高い系の同僚 (Jim) を家に呼んで、……のような 今の日本に舞台を置き換えた話が、頭を過ぎりました。 しかし、Jim はいかにも意識高い系ですが、Amanda の「ガラスの動物園」を頭ごなしに否定することなく、ちゃんと話を聞くあたり、結構いい所もある奴だなあ、と思ってしまいました。
ところで、この日に観た三演目 Back To Back Theatre: Small Metal Object [鑑賞メモ]、 Stereoptik: Dark Circus [鑑賞メモ] と、 この『ガラスの動物園』 La ménagerie de verre は 東京芸術祭2018のプログラム。 総合ディレクターがSPACの 宮城 聰 で、いかにもSPACらしいというか、 ふじのくに⇄せかい演劇祭に近いセレクション。 3演目とも楽しめて充実した1日を過ごせました。