1959年設立のオランダのコンテンポラリー・ダンスのカンパニー Nederlands Dans Theater (NDT) の13年ぶりの来日公演です。 1975年以来長らく芸術監督を務めた Jiří Kylián が専任振付家に退いた2000年代頭、『彩の国キリアン・プロジェクト』の一貫として 彩の国さいたま芸術劇場 で公演を度々観る機会がありましたが [鑑賞メモ]、 いつの間にか日本に呼ばれなくなり、やっと再来日が実現しました。 現在の芸術監督は2011年以来の Paul Lightfoot ですが、彼も今シーズンで退任とのことです。 芸術監督は変わってしまいましたが、コンテンポラリーなバレエの色が濃い NDT は好きでしたし、 今の NDT を観るよい機会と、足を運びました。
来日公演のプログラムは4作品からなるミックスビルですが、 2015/16シーズンのミックスビル Somos をベースに、Same difference (2007) を 2016/17シーズンの Scenic Route で初演した Singulière Odyssée (2017) で置き換えたもの。 Singulière Odyssée と Shoot the Moon が専任振付家 Sol León と Lightfoot の共作、 残りの Woke up Blind と The Statement はそれぞれ現在のゲスト振付家 Marco Goecke と Crystal Pite による作品です。
午前9時39分のスイス国境の Basel 駅の待合室を舞台とした、行き交う人々の様子に着想した作品です。 行き交う人々は現代的で匿名的な通勤客ではなく、荷物は持たないものの長距離列車に乗る旅行客で、 舞台の待合室も木製の腰板やベンチのあるクラッシックな雰囲気です。 ボーズや後ずさるような歩きも多用して、舞台上で、並行した複数の時間が流れ、止まり、逆流するよう。 行き交う人々はそれぞれに事情を抱えているようで、その物語がふっとドラマチックに湧き上がっては消えていきます。 人々はすれ違うけどあまり交わることなく、孤独を感じさせます。淡々と感傷的な Max Richter の曲調もそれに合っていました。 待合室や旅行者たちの衣装のクラシカルな雰囲気や、ポーズの姿勢やそこからの動きの美しさも、印象に残る作品でした。
Goecke はドイツ出身で2000年以降作品を発表してきている振付家です。話題の振付家の一人ですが、作品を観るのは初めてです。 この作品は1997年に早世した1990年代アメリカのシンガーソングライター Jeff Buckley に着想した作品です。 男性ダンサーは上半身裸で、特に前半、腕の力瘤を見せるような動きもあり、ボディビルディングの動きに着想した所もあるのかなと見ていたのですが、 そんな動きと Jeff Buckley の歌の関係もわからず、ピンとこないまま終わってしまいました。 こんな時もあるでしょうか。
カナダの振付家 Crystal Pite のこの作品は、 オフィスの打合せコーナーを思わせる暗い舞台の中の照明下のテーブルを囲んで、録音済みの議論に合わせて当て振りするように男女2人が踊ります。 その動きは、議論での身振り手振りをデフォルメしたようなもの。 そのキレの良いオーバーアクションとも言える動きは面白いのですが、録音を用いず、 昔観た Runar Hodne の En Folkefiende のように 踊りながらセリフを言う、それが難しいなら、ライブで俳優に喋らせるのもアリなのではないかと思いつつ観ていました。
しかし、中盤を過ぎると様相が変わります。 音楽というより電子音の中に会話の断片が飛び散り溶け出したかのようになり、 4人のダンサーの動きもそれまでのセリフ当て振りの動きに基づくダンスとなります。 視覚的にもテーブルを離れてソロで踊ったり、 テーブルの上もしくは下での2人でのダンスをライトアップで浮かび上がらせたり、と、 個々のダンスを舞台上にコラージュしていくかのよう。 このような音の変容と、それに並行する動きや空間演出の変容の関係が、とても面白い作品でした。
群舞を使った Royal Ballet の Flight Pattern (2017) も 音楽の構造の可視化と歌詞の演技による可視化の関係の絶妙さを感じさせる作品でしたが [鑑賞メモ]、 一見大きく作風が異なるようで、音の変化と動きや空間演出の変化の結び付けに、共通する問題意識を感じる作品でした。
最初の Singulière Odyssée と同じく León & Lightfoot の作品です。 3組の男女ではなく2人の女性と3人の男性による絡み合う三角関係、食い違う男女の想いを描いています。 (絡み合う三角関係、食い違う男女の想いというのはメロドラマの典型ですね [関係する鑑賞メモ]。) この絡み合う三角関係を描くのに使われる舞台装置が、回り舞台を3分して作られた3つの部屋です。 舞台が周り部屋が変わる度に異なる男女の愛憎関係や一人の傷心が描かれるのですが、 隣り合う部屋の間に設けられた扉や窓が、それら場面を絡めていきます。 そして、絡み合う三角関係がメロドラマの物語を駆動するかのように、舞台は回り続けます。 ビデオカメラを使って見えない部屋の様子もライブで絡める時がありましたが、 さほど効果的に思えず、そこまでやらなくても回り舞台で十分だと感じてしまいました。
Singulière Odyssée でもポーズが多用されていましたが、この作品もそう。 場面の転換にドラマチックにポーズを使うことで、時の流れを変えるというよりメロドラマチックな瞬間をスチルとして切り出すような効果も感じられました。 駅を行き交う人々の孤独を描いたような Singulière Odyssée は pas de deux があってもほんのすれ違いという感じでしたが、 この Shoot the Moon は、むしろ、愛憎の pas de deux の変奏曲のよう。
Philip Glass によるピアノ・コンチェルト (Tirol Concerto の Movement II) のストリングスが添えられたピアノの旋律も実にドラマチックかつウェットで、 メロドラマチックな雰囲気を否が応でも盛り上げてくれます。 部屋の雰囲気も現代的でモダンな住宅というより少しくすんだ壁紙も少し古ぼけた感じ。 少々クラッシックな美男美女のメロドラマ映画から、愛憎シーンだけを抜き出して作った映像を観ているような気分になった作品でした。
久々に観ると、Kylián 時代から変わったようであり、 コンセプチャルに過ぎず技術を持つダンサーがしっかり踊る作品を演じ続けてくれているという点では変わっていませんでした。 中でも最も自分の好みだったのは、やはり Crystal Pite の The Statement。 Shoot the Moon は、あまりにベタなメロドラマに苦笑しながら観ていたのですが、 一日経って思い出してみると、メロドラマの構造と舞台装置での仕掛けや pas de deax の変奏というダンスの構成がマッチしていて、 Singulière Odyssée よりも面白い作品ではないかと思い直しました。